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7. 初恋だなんて言われても

セレン視点に戻ります。

八日目。当然の如く、今日も負けた。

なぜ。頭にも葉っぱを被り、地べたに這いつくばり、完璧に隠れられているはずなのに。


「お前、匂うもん」

「臭いってこと?!」


メルギウスのその言い方にガーンとショックを受ける。少し考え込んだ顔をして、メルギウスはニヤっと口の端だけで笑って答えてくれなかった。


「ねえ!正直に答えてよ!余計に傷つくんだけど!!」


そう言って胸ぐらを掴んだら、「本当にわかんねえの?」と、額に額を重ねられる。

一歩後ろに飛び退いた。けれどメルギウスの腕が伸びてきて、腰の後ろで彼が指を組んで作った輪っかの中に閉じ込められる。


「………なあ、いい加減、思い出さない?」


その輪が狭まって、ぎゅっと胸と胸がくっついた。ギャッとセレンの喉から潰れた短い悲鳴が漏れる。

できる限り海老反りしたセレンに対し、メルギウスは背中に手のひらを沿わせて強制的に引き戻してくる。

力が強いな!とセレンは、ぶすくれた。

ふは、とまたいつもの笑い方でメルギウスが笑って、それから、急に真顔になって顎を指で挟むように掴んできた。


「本当に、覚えてない?俺の髪の色、そこそこ珍しい方と思うんだけど」

「え?珍しい?黒髪が?シュロル家はみんな黒髪だけど。ベルフに会ったでしょ?」


セレンは首を傾げた。メルギウスのようにサラサラでツヤツヤの美しい光沢のある黒髪と違って、超重量馬のシュロル家は櫛がとおりにくそうなもっさりとした大量の毛量で長めの髪だが、みんな黒髪だ。

幼馴染のベルフは編み込みをたくさんして少しでも爆発した髪をすっきりと見せたがっている。サラサラの栗毛がとっても可愛いリンシアに、(多分)おしゃれに見られたいがために。それならあの分厚い前髪を一番最初に切ればいいのに。前髪ないと人と直接目が合っちゃうじゃん!とブルブルしている大男が、メルギウスと対峙して、その美しい黒髪を「なんて羨ましいサラサラ髪……」と涙目で見ていたことを思い出した。

たぶん羨んで涙目になるべきなのは、髪ではなくて体格だと思う、あと顔かな、とセレンは隣で憐れんだものだった。


「………………あいつ、お前のなんなの?」

「え?隣の領の幼馴染って紹介したでしょう?」


ふと、メルギウスの声が低くなる。ずいと覗き込んでくる今日も最上に整った顔が、不機嫌ですと明らかに伝えてくる表情になっていた。


「何、急に怒ってるの?」

「お前がいつまでも思い出さないから」

「だから人違いだと思うのよ。知らないもの、そんな都会からきたお坊ちゃんのことなんてなーんにも。両親だって知らなかったわ。侯爵家のお坊ちゃんなんてのが来たら絶対に領主に連絡があるはずでしょ?」

「それは……、お忍び、だった………怪我をしていること、を知られたくなかった、から……」

「リンシアだって、ベルフだって、私がそんな子と会ってたって話を聞いてないって言ってたわ」

「俺が、怪我のこと言うなって。他のやつに見られたくないって、その子にしつこく言ってたからだろ?」

「うーん?…………全然、覚えてないわ」

「全然?本当に?」

「………うん、そう。全然」


セレンはむむむっと眉を顰めてから、やっぱり綺麗さっぱり存在しない記憶に、首を縦に振った。

メルギウスは深く眉間に皺を寄せて怒ったような顔をしている。いや、でも、眉毛の端がちょっと下がっている。

もしかして、悲しいのかもしれない。

その子がセレンだと言い張ってでも、その、初恋の女の子に会いたかったんだろう。


ーーそもそも、セレンが指摘するまで、彼は初恋ってことすらわかってなかったみたいだけれど。


「じゃあ、今日の罰ゲーム。キス、ね」


だが、急にそんなこと言い出したメルギウスに目を剥く。


「は?何言って……?だから私はあなたの初恋相手じゃな……んっ」


喋っている最中なのに口をふさがれた。一方的が過ぎる。罰ゲームだから文句は言えないのかもしれない。

けれど、初めて、だったのに。

でも、22歳にもなって後生大事に取っておくようなものでもないような気がするので、ここで大騒ぎしたら自分だけが馬鹿を見ると思う。だってメルギウスは同じ年ですでに十四人も妻がいて子供もいるらしい。絶対に絶対に「はぁ?」ともんのすごく馬鹿にされると思う。

咄嗟に走った震えを押し込めて、ぎゅっと目も唇も力強く閉じた。

一瞬触れて離れた唇は、表面に吐息をかけて、また柔らかく押し付けられた。


ガチガチに固まっているセレンの背中をそっと撫でてくるくせに、頭を引いて逃げたがるセレンの顎を掴む反対の手は強引だ。

ちゅ、ちゅ、と何度か角度を変えて、温かで柔らかいものがついばんでくる。

まだ終わらないの?と何度も頭の中で秒数を数えながら、硬直したまま耐えるしかない。

ぺろっと唇のあわいを舐められたが、歯を食いしばった。ついでに必死で息も止めた。


「……もしかして、したことないのか?」


さすがにメルギウスが顔を離す。

嫌だと言う意思表示だけのつもりだったのだが、あまりにもぎこちない様子からバレたらしい。でも、セレンは黙った。自認してやるいわれはない。顔が燃えるように熱かったけれど。


しばらく続く沈黙。

手は離してもらえないし、とにかく顔をじっと見られているのを感じる。

目は開けたくない。絶対に絶対に、ニヤニヤ笑っているに決まっている。


しかし、突然、ぐいっと体を反転させられて近くの木に背中を押し付けられたので、さすがに驚いて目を開いてしまった。


「なに、んぅ……っ」


また唇に熱が触れた。今度は表面を舐められるだけではなくて、強引に唇を割り開いて舌が入り込んでくる。舌先が自分のものと違う湿った柔らかいものに触れ、自分と違う匂いが鼻腔をくすぐった。びくっとして、後頭部がごつごつした木の幹に結構思い切りよくぶつかる。

咄嗟に目の前の男の胸を押したが、びくともしない。むしろ体を押し付けられて、木とメルギウスの体との間で前後からも上下からも押しつぶされそうだ。

狭い口の中にも逃げ場がない。

逃げようとした舌を根元から絡めとられて、じゅっと相手の口の中に吸い上げられた。一度捕まってしまうともうどう動いたらいいかわからなくて、なされるがままになってしまう。

強く吸われるとちょっと痛いけれど、例えられないほどの柔らかさと弾力のものに、舌の裏筋から先まで舐めたり擦られたり捏ねられたりと、経験したことがない感覚にぞくぞくと背筋が痺れて、脳が蕩ける。

かぷりと先っぽに軽く歯を立てられるのも、上あごの裏側のざらついた部分を舌でくすぐられるのも、あふれた唾液をじゅっじゅとはしたない音を立てて飲まれるのも、破廉恥で恥ずかしいのに、抵抗ができない。


「ふっ、ぅ……んあ……」


ようやくメルギウスの舌が唾液の糸を引いて出て行ったときには、セレンは息も絶え絶えだった。

走っているときよりもよほど苦しい気さえする。

手を離されると、そのまま、木の幹に沿ってずるずるとへたり込んでしまった。


「……かわいいな」


沈んだセレンに視線を合わせるようにメルギウスがしゃがみ込んできて、頬を撫でた。そのままこつり、と額を合わせて呟かれた言葉は、嫌味や揶揄いには聞こえない。

え?と小さな声を上げたセレンに、メルギウスはなぜかパッと起き上がり、自分の口を手で覆っていた。

耳が赤い。どういうことかわからない。


「なあ、……その、やっぱり、思い出さないか?」


けれど、セレンの顔の横に手をついて、セレンの顔を覗き込んで、また問いかけられた言葉に、セレンはムカッとなった。


「だからッ、私はあんたの初恋の白い前髪の子じゃないって言ってるでしょ!こういうのはその子としなさいよ!!不誠実極まりないっての!!」


代わりにされた、という怒りがセレンの中に強く、明確に、芽生えた瞬間だった。


**


セレンがメルギウスの『初恋』について知ったのは、無茶苦茶な求婚をされたその日だ。


そもそも、セレンは、最初に対応を完全に間違えていた。

自動的に成立してしまうこの求婚の事実を握りつぶそうと、図々しく男爵家に居候することを要求した男の客間に、初日にフライパンを持って客間の寝室に忍び込んだのだ。

メルギウスの記憶を飛ばせないかと思って。追いかけっこできなくならないかな、と思って。

今考えれば完全なる悪手であるが、そのときのセレンはとてもとても焦っていた。

しかし、容赦なく鉄の塊を振り下ろしたセレンはあっさりと捕まえられた。

とても面白そうに笑ったメルギウスに。完全に寝たふりに騙されていた。しばらく部屋に潜んでじっと起きないか観察していたのも、毛布の中でせせら笑っていたのだろう。

そのまま、ベッドに引きずり込まれ、「そっちが忍んできたんだからなんら問題はないだろ」と容赦なく体をまさぐられた。


けれど、セレンがすぐにぐすぐす泣いたのを見て慌てたように手を離したのだから、メルギウスはーー滅茶苦茶だし嫌味な奴だけれども、悪い奴ではない。

それは出会った(馬糞をぶっかけた)瞬間からずっとそうだ。

「初対面の男の布団に引きずり込まれたなんてもうお嫁に行けない……」と鼻を鳴らすと、「だ、だから俺が嫁に取ってやる。戸籍上は十五番目だけど……」との戯言を言われたので、勢いで頭突きしてやったけれど。

額に輝く星型の痣の周りの肌が赤くなったのを見て、自らの額の尊い犠牲にも構わず、涙目のままふん!と鼻息荒くにらみつけた。

ちょっとおたおたしていたメルギウスは、ぽかんとしてから、爆笑した。


『あーほんと、おもしれえの。計算でなく媚びねえ女っていいなあ。……なんでコレでも反応しねえんだろ』


記憶を飛ばさせるところか、がぶりと血がにじむほどに左の薬指を噛まれて、求婚の状況を示す歯形を付けられたのは不覚だった。もうだいぶ薄くなったけれど、一週間がすぎてもまだほんの少し赤い痕が残っている。


それでもジンジン痛む指を抱える手を握って抱き起こされ、ベッドを椅子かわりして並んで座りながら、反応しない、の意味を、聞いた。


頂点に立ち、全てを手に入れたのに、だからこそ国の義務に苦しめられ、男としての機能も自信も失ったというのは流石に可哀想に思う。


だからと言って、ふと思い出して夢で生理反応した「足の速さだけで見ない生意気な女の子」なら、薬がなくても()()()かもしれないと思って探しに来た、という言い草は最低だと思う。

サイテーと半眼になったセレンだが、「本当生意気だったんだよな」としみじみと言うメルギウスの顔が、今まで見た彼の表情のどれとも違う、本当の本当に優しい顔をしていて。


「ねえ、それって………単に初恋の相手だったんじゃないの?」


けんもほろろな言い方でやたら詳細に語る彼の思い出に、セレンが名前をつけてやると、メルギウスは虚をつかれた顔をして、それから何故か「そんなわけないだろ!」と真っ赤な顔をしてセレンを睨みつけてきた。

そして、そのままぽいっと部屋から文字通り、()()()()()()


絶対の絶対に図星だったな、とセレンはため息をついて、その日はそのまま自分の部屋に戻った。


彼の無自覚な、不器用な初恋が、まさかセレン自身のイライラに繋がるなんて、この時は全く思ってもみなかった。


本日は夜にも更新します。

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