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5. 世界は足の速さでできていた① ◆

メルギウスの過去になります。

メルギウスは、落ちぶれた侯爵家の次男として生まれた。

かつて栄華を誇った競争馬を輩出した家系でありながら、ルイネッタ侯爵家はここ二代ほどはろくな戦績を残せていない。

血筋はよいのに、勝てない。

それはただ血筋が悪いものより残酷だった。努力が足りないのでは、甘えているのでは、と中央貴族の中では嘲笑の対象だった。

『サボるとルイネッタみたいになるぞ』

そんな揶揄いが出るくらいに。


このままではルイネッタ侯爵家の血そのものが駄馬の烙印を押されかねない。

そのことを恐れた祖父は借金をしてまで血統のよい娘を買いあさり、レースに勝ったこともないどころか呼ばれもしなくなった父やその兄弟に与えた。少しでも足の速い子を成す。それが、ルイネッタ侯爵家の至上命題だった。


メルギウスは、二番目に『買われた』父の妻から生まれた。

他の兄弟たち、従兄弟たちより、ほんの少し、足が速い程度だった。

けれど、祖父も父も、メルギウスに全てを賭けた。

その期待の大きさは異常だった。


金を積めないので、一昔前の指導方法で倦厭され、年のいった調教師を雇い、朝から晩までとにかく走らせ続けた。無理だと言えば調教師から理不尽な暴力にさらされ、頭から水を浴びせられて冬に一晩中走らされ続けたこともある。


『根性が足りないんだ、お前たちは!俺が性根を叩き直してやる!!』


それが調教師の口癖だった。


『お前はクズだ!いいか!勝てない馬はいらないんだ!自分がクズだと認めろ!甘ったれた根性を治してやってるんだ感謝しろ!!』

『走れ!とにかく走れ!止まるな!走らないならお前は無価値だ!』

『足が痛い?そんなもの根性が足りないから感じるんだ!もっと走ったら感じなくなるぞ!!』


何度も助けて、と家族に縋った。


けれど、祖父も父も同じように「根性なし」と罵り、メルギウスを殴った。

時折「お前には期待をしているから厳しいんだ」「勝てばお前の望みを叶えてやる」と甘い言葉をかけて。

祖母が牝馬のショーレースで表彰台に登ったことのある血筋のしなやかで美しい容姿の母は、いつだって冷たい目でメルギウスを見て、褒めるどころか触れることもない。

爪に塗ったばかりの赤いマニキュアをふう、と吹いて「一番を取ったら褒めて(キスして)あげるわ」とそう言われたのが、唯一の優しい記憶だった。


家族に褒められたい。

その一心でメルギウスは歯を食いしばって必死に耐えた。


増えていくばかりの練習メニュー。水を飲むことも許されない罰。容赦なく飛んでくる罵声に拳、鞭。

悪夢に何度も魘された。


そこまでしても、メルギウスは10歳から全員参加となる幼少馬のレースで、三位が最高順位だった。


ポディウムに上がったこともない父は「次のレースに出られる権利を得たのだから頑張りなさい」と殴りはしなかったが、美しい母は完全に失望したらしい。

その場で父を「あんたの血が悪いから!」とひどく罵り出した。

メルギウスはあんなにも恐ろしく歪んだ母の顔を見たことはなかった。あんなにも口汚く罵る言葉を聞いたことがなかった。ようやくもらった一番とは比べ物にならないほどの小さな盾を壊して、母は般若のような表情で「もうこんな陰気臭い家は真っ平!所詮、逆転なんてできやしないのよ!」とメルギウスを憎々しげに睨みつけて居間を出ていった。


翌朝、母が実家から連れてきていた従者とともにいなくなったと聞いた。

引き攣った顔で「まああいつは我儘で金食い虫だったからちょうどいい」と笑った父だったが、メルギウスは自分が一番を取れなかったからだと傷ついた。

それでも、成人になったばかりの頃に、ルイネッタ侯爵にお手軽な値段の娘と買われた母が、せめて幼馴染とか従者とか母自身を大切にしてくれる人と幸せになるなら、と必死で呑み込もうとした。

だが、数ヶ月後、母は当時、常勝をしていたアンダルセン公爵のハーレムに入ったと、ニヤニヤといやらしく笑いながら近づいてきた公爵子息の取り巻きたちに聞いた。


アンダルセン公爵子息は、メルギウスが出たレースで一位だった。だから、母を足目当ての卑しい牝馬と罵られたって、メルギウスは何一つ反論できなかった。


そこで、パキン、とメルギウスの心は残酷なまでに砕けた。


所詮、女は速い足の子を産みたいだけなのだと。

メルギウスは足が遅いから、ただただ、価値がなく捨てられたのだと。レースで勝って金を稼げる見込みがないからもういらないといわれたのだと。


けれど三位という中途半端な成績は、メルギウスを周囲の期待から解放してはくれなかった。

その後も苛烈を極める一方の調教。「悔しくないのか、母親を見返せ」という父からの厳しい責任転嫁。

そんなものが一年以上続き、ついにメルギウスは限界を迎えた。

倒れたのだ。

幸い骨折には至らなかったが、医師がメルギウスに休息を勧めた。

すると、家人も調教師も、その興味は、手のひらを返したように下の兄弟に移った。


メルギウスは、また、捨てられたのだ。今度は、世界から。


せめてもの情けだったのか身の回りの世話をする数人の使用人だけつけられて11歳で片田舎に追いやられた。療養という名目だったが、走れない馬が、家にいるのが恥ずかしかったのだろう。

田舎ーー公国の端っこのディーシナヤ領にやってきたとき、メルギウスの心はボロボロだった。


価値がない。自分には生きている意味もない。

嫌だ、そんなのは嫌だ。もう一度見返してやる。


走ることしか教えられなかったメルギウスは止まることができなかった。

ズキズキと痛む膝を引きずって走ってみようとしたが、走れなかった。それでも、ただただ、ずっと柔らかな牧草地をぐるぐると歩き続けた。さして親しくもない使用人たちは、メルギウスを止めはしなかった。


「ねえ!さっきからずっとなにしてるの?フシンシャ?」


そんなひとりぼっちのメルギウスに、前髪の一房だけが白い赤茶色の髪の少女に話しかけてきたのは、領に来て、何日目のことだったのか。


メルギウスは、その子の顔ももうろくに覚えていない。

けれど、はっきりと話す強い口調は覚えている。


「うるさいな、お前に関係ないだろ。あっちいけ」

「は?関係あるけど?ここ、私の大事な牧場だし。変な人がいたら声かけるの当然じゃない?」

「なんだよ、お前、俺が誰だと思っている?お前みたいな田舎者は口もきけない立場なんだぞ。失礼な。変な人って、失言を詫びろ。まず膝をつけて頭垂れろよ」

「はあっ?何言ってんの?!」


傲慢な言い方に、少女がカンカンに怒ったが、当時のメルギウスにはその理由がまったくわからなかった。

足が速いのが全ての世界。

足が速ければ、どんな理不尽だって許されていた。どれほど虐められても、足が速いやつには何も言えなかった。

次に、大切なのは血統。血統がいいものは大切にされて当然。


だから、こんな田舎者の女なんて、足蹴にしていい存在なのだと、本気で思っていた。

だからこそ、走れない自分に何の価値も認めることなんてできなくて苦しいのに、その価値観しか拠り所がなかった。


「アンタねえ、ばっかじゃないの!!?」


自分を罵る怒鳴り声は物心ついたころからずっとあったが、女の子に陰で嘲笑はされても面と向かって怒られたことはなかったメルギウスにとって、その雷のような大声は、あまりにも鮮烈だった。


「礼儀ってもの習わなかったの!?いい年して!!恥ずかしいと思わないの?!」

「な………お、お前、生意気だぞ!そんな寸胴みたいな体して……っ」


足が遅いに決まってる、レースにも出ない田舎者が何を言うと罵ったメルギウスに、その子はちっとも屈服しなかった。


「足が速いから何なのよ?レースに勝つ勝たないで決まるならそんなに足の痛そうなアンタなんて走れもしなくて一番しょうもないじゃない?なのに口だけギャンギャン言って、ダッサ!」


だれもはっきり言わなかったことを突きつけられて、メルギウスはワナワナと震えた。

けれど、その次の瞬間、その子は持っていた水筒から白い飲み物を出して突きつけてきたのだ。


「これ、隣の国から輸入してる牛の乳なの。骨が丈夫になるんだって。足が痛いなら飲んだら?」

「は?なんだそんな得体の知れないもの。飲むわけないだろ?」


それでも、コップを叩きつけたメルギウスは嫌な奴だった。

だからその子は怒って、駆けっこ勝負を申し出てきたのだ。煽りに煽られて競争して、どう考えても走り方のなってない女の子に負けた。

泣きそうなほどにショックを受けながら「何でもしてやるよ」と負けを認めたメルギウスの口にその子は牛乳を無理矢理突っ込んで。


「あなたの理屈だと負けるなんて本当ダッサ!でもさ、そんな足だからナシって言い訳しないのは私の理屈だとかっこいいって思うよ?」


明るい太陽を背中に追って、彼女が笑ったのがわかった。

その日、メルギウスは初めて空はこんなに青いものだったのだと、広いものだったのだと、気がついた。


走るよりちゃんと足を治した方がいいよ。

その方がもっと、かっこよくなるよ。


メルギウス自身もわかっていて受け入れられなかったその事実を受け入れたのは、目に眩しい太陽の光と綺麗な青い空と、彼女のかっこいいの一言だった。


それから毎日牛乳を持ってくる彼女と、きちんと医師に言われた通りのリハビリをした。

ちょっと鶏の世話をしてくる!とかちょっとじゃがいも剥く手伝いしてくる!とかよくいなくなる彼女。

この牧場で働く小間使いの子かと思った。

だから、メルギウスはその子と話すときの不思議な心持ちについてよく考えることもなく、使用人の名前も知る必要はないなんて傲慢に思っていた。

名前を名乗らないこの女が無礼なんだ、こっちが聞いてやる理由はないと思っていた。

向こうがメルギウスの名前にすら興味がなさそうだったので、意地だった。


しかし、ある朝、父が危篤との連絡があり、慌ただしくディーシナヤ領を立つことになる。

捻くれていたメルギウスは待ちぼうけを喰らうだろう格下の彼女に自分が(ことづ)けをする必要なんてないんだ、と帰り道に何度も何度も自分に言い訳をして、鈍色の空が広がる首都に戻った。


明日もメルギウスの過去です。

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