4. 7連敗中
伝家の宝刀ーー強制結婚へのキチガイベットたる追いかけっこ求婚を提示された。
この事実とざっと提示された譲渡財産額に泡を吹いて倒れる父。
セレンには好きな相手もいないし、こんなイケメンと正式な結婚なら十五番目でもマシなのではと錯乱に至った母。
この国で最速の称号を持つコル・ランフェクトの男が自らの財を投げ出してまで情熱的な求婚することに憧れ、すげえすげえ姉さま見初められすげえというアホな7つ下の弟。
絶っっ対にいやぁあああ!!!と叫んで暴れるセレンの左手を右手でがっちり掴み、さらに包み込むように自身の左手を乗せた状態で無理やり前に跪く、美しい男。セレンを見上げるその顔は嫌がるセレンか楽しくて仕方がないという傲慢なニヤニヤ笑いが浮かんでいた。
『我が全てを賭けて最上の愛を捧げる。この情熱をその身を持ってとくと知れ』
そのまま古めかしい言葉での口上と共に、必死で引っ張り出そうとしていた手の甲にチュッと口付けられた。
人生終わった……と白い灰になりかけているセレンに対して、やっぱりものすごく楽しそうなメルギウス。
もはやカオスの極みだった。
しかし、貴族は貴族のしきたりに従う必要がある。
たとえ廃れていたとしても法は法である。
とんでもない悪法を放置するなとセレンは立法院への嘆願書なんてものを初めてしたためたくらいだ。
こうして、時代遅れの求婚『追いかけっこ』の火蓋が切って落とされたのである。
***
「ほら、捕まえた。ハンデが足りないか」
「……っ、ひゅ、は……はひ……ひ………っ」
ゼエゼエと汗だくで肺が痛いほどに息を切らせているセレンに対して、汗一つかかずにしれっとしてセレンを後ろから腕に抱くメルギウス。
胸の前で組まれた腕に、足が浮くほどに持ち上げられたセレンは、首を回してメルギウスをキッと睨み返した。
頭の高い位置で結ばれた小さなポニーテールがわざと男の顔に当たるように振り回し、ハイウエストズボンと柔らかく軽い皮靴の足をばたつかせる。いずれも何の意味もない。
そのまま荷物のようにいつもの人気のない木陰まで運ばれていくだけだ。
メルギウスが提示した条件は、3つ。
1.二週間、毎日15分だけチャレンジ。一日でも捕まらなかったらセレンの勝ち
2.ハンデとしてメルギウスは、5分後に追いかける。隠れることも認める
3.捕まったら花嫁の準備として15分、恋人らしいことをする
つまり今からは罰ゲームである。
恋人らしい、というのは一体なんなのか。
毎回羞恥に耐えかねるセレンに、メルギウスは「嫁入り前には手を出さないよ。お前、いきなり蹴り飛ばしてきそうだし」と余裕の表情である。
一日目、手を繋いだ。それもわざわざ指を絡めるやつ。地元のお祭りのフォークダンスでは異性と手を繋いだことくらいあるけれど、こんな手のひらをぴったりとくっつけて、スリスリと指の間を何度も擦らなくたっていいではないか。
背の高さと比例するように大きな手はセレンの手をすっぽりと包んでひんやり冷たい。離れられないのでじっと手を見つめていると爪先が全て丸く綺麗に整えられていて、ささくれどころか荒れたところが一つもないつるりとしな長い指。
指の腹がガサガサしていて、あかぎれやささくれは当然、令嬢らしからぬ短い爪はなんとなく恥ずかしくなる。
パッと顔を上げれば熱心にセレンの手を見つめる伏せられた長いまつ毛が見える。メルギウスはすぐにセレンの視線に気がついて、セレンをその青みがかった黒い瞳で見つめ返してくる。
ぞわぞわ、くすぐったい気分からいたたまれない気分になって、息を止めたら鼻を摘まれた。
酷いと怒れば、また「不細工な顔」とふはっと笑った。
二日目、正面から抱きしめられた。背中にまで簡単に回る男の腕が落ち着かない。どっどっどっどっととんでもないスピードで走る自分の心臓の音ばかりが耳に響いていた。
身長差で顔を埋めることになるメルギウスの胸元からはいい匂いがする。朝のピンとした空気のような爽やかさのあとでほんのり鼻をくすぐるバニラのような甘い匂い。
全力で走ってたはずなのに彼はさほど汗もかいていない。
悔しいと思うよりも、とにかく落ち着かないし逃げたい。ピンと直立したままでそわそわとしていると、肩に腕を回してきたメルギウスが「なにそのウブな反応。こっちが恥ずかしいんだけど」とちょっと眉を寄せてセレンの顔を覗き込んできた。そのとき、自分の顔が茹でだこもびっくりなほど真っ赤に染まっていたことをセレンは知らない。
三日目、肩を抱かれた。曰く、「お前は触れ合いに慣れてなさすぎ」とのこと。ぴったり左半身がくっついても嫌がるなと言われ、そのまま引き回された。足の長さが違うので歩きにくいと思えば、「ん」と反対の手をセレンの前に差し出してくる。
これがエスコートなのだと理解した。
地面の段差でしかない土階段を、片手を握られながら、反対側の肩をがっちり掴まれて降りる。なぜかそのままの姿勢で十五分、昨年刈り取った藁草の山の周りをぐるぐる回った。ほぼ無言で。じっと見られながら。時折、どうやって干し草を出荷しているのか聞かれて。シュールが過ぎた。なにこれ。
四日目、急に「こっちまで照れるからいい加減慣れろ!」「調子が狂うだろ!」となぜか理不尽なことを言われ、木陰で胡座をかいた膝の上に乗せられて後ろから抱きしめられた。
そんな!お代官様の大事な大事な足の上に乗るだなんて!?と逃げ出そうとしたが、セレンの腰をがっちり掴んだメルギウスに何度も引き戻されて、結局、自分の肩にメルギウスの顎を乗せられて抱っこされるのに耐えた。
五日目、またお膝抱っこだった。今度は横抱きで。曰く、「お前は重い」。とりあえずぶん殴ろうとした。そりゃあ、スラリと細いサラブレッドに比べたら太っている。彼女たちだって走る筋肉はしっかりあるはずだけど、セレンはそれに比べて贅肉も少し……もうちょっと……それなりに、ある。横抱きだとお尻がスポンと胡座の間に嵌って、なんとなく恥ずかしい。あとなんだか、足の位置が悪いとか言って何度もズボンの上から膝や膝裏を触られるのも気がそぞろになる原因だ。モゾモゾするセレンに最近、大工仕事に嵌り出したメルギウスがサウナを作りたい、釜茹で狭い、とかいう世間話を始めた。モゾモゾ落ち着かないのは自分だけみたいでなんとなく悔しくなった。
六日目、腰を跨いで向かい合って座れと言われた。三回聞き直したが、同じ答えだった。膝下に座ろうとしたら「俺の繊細な足を折る気か」と言われた。どこが繊細だ。セレンは真っ赤な顔で半眼になりながら睨んだが、もうメルギウスは気にもしなかった。
仕方なく太ももの上に対面になるようちょこんと座った。
体重をかけ過ぎないように地面についた膝で支えていたら、ぐっと腰を持たれて、膝が浮いた。お腹がくっくつほどの場所に座り込む結果になる。
位置的にお尻でアレを潰しているのでは?とそんなことを思って慌てて離れようとしたのに、やっぱり腰をがっちり掴まれているから逃げられない。
せめて潰さないようにとメルギウスの肩に手を置いて掴まった。一度だけ彼の肩がぴくりと跳ねた気がしたが、それからは無言で背中から腰をひたすら撫でられた。正面から首筋に当たる息がくすぐったくて何度も唇を噛み締めた、長い長い十五分だった。
そして今日、七日目。
「ちっ、ちか……!?」
「お前さあ……本当に俺と同じ年なわけ?」
慌てて逸らそうとした顔を、両頬を掴まれる形でぐいっと引き戻される。メルギウスのバサバサの長いまつげが自分のまつ毛に触れそうな位置にあった。何なら鼻先はもう触れている。息だってはっきりと唇にかかっている。
ーー何食べたな。野イチゴかな。そういえば、あとでジャムを作ろうと思って置いておいた籠の中が結構減っていた気がする。つまみ食いか。追いかけっこ前に余裕だな。甘くていい匂い。くっ、ずるい。我慢していたのに。
そんなことを考えていないと、頭のなかがくらくらとして倒れそうだった。
昨日と同じで、メルギウスの膝の上に向かい合って座らされているセレンは、逃れられないイケメンのドアップに目を潤ませた。今日の罰ゲームは『見つめあい』だ。
逸らしたらそのままキスするぞ、と脅されたので、必死で閉じそうな瞼をぐぎぎぎと開いている。
しかし、それにしたって。
「なんでこんな……っ」
「これは正当な条件、だろ?セレンが俺の足が速いのはずるい、ハンデをつけろと言った。だから俺の言うことを聞くならって。優しくないか?俺。ハンデやるからいきなりヤらせろなんて言ってないだろ?」
「だ、だ、だからって……これ、何の意味が……っ」
喋ると野イチゴの匂いが。つまみ食い泥棒め。泥棒のくせにほっぺたを撫でまわすな。もちもち?悪かったわね。私は別に走る必要がないから糖質節制もしないの。
セレンは心の中で罵りまくりながら、メルギウスをどうにか薄目で見つめ続けた。顔中の筋肉がひきつっていたと思う。
(すごい楽しそう……)
メルギウスはずっと笑っていた。
いったいこれの何があるんだろう、と思ったが、十五分間は息継ぎを最小限にしていたせいで苦しくて、うまく罵れなかった。
顔がいいのに照れたからでは、決してない。
遊ばれているセレン?
ここまでお読みいただきありがとうございます!
明日はメルギウス視点です。




