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3. 古の求婚方法

セレンの田舎での平和な暮らしはそこから崩れた。


「いやぁああ、追いかけてこないでーーー!!!」

「なんでだ?追われると女は嬉しいものだろ?こんないい男に」

「嫌って言ってるでしょぉおおおーーー!!」


すでにレースは引退したとはいえ、トップオブトップの脚力に、駄馬のセレンが敵うわけがない。

土地だけはある広い広い牧場内で、セレンはメルギウスに毎日追いかけ回されていた。


ーー(いにしえ)の求婚方法に則って。


ヘヴォスト公国貴族には古くから正式な求婚方法がある。

手袋を投げつけたら決闘、と同等のガチンコのやつだ。


それが『追いかけっこ』である。何せ足が速い男がモテにモテにモテる価値観なので。


男が跪いて手を取り求婚し、女が二週間逃げきれればその求婚を断ることができる。

逃げきれなければ強制結婚というなんとも恐ろしい古の儀式。

ただし、男の方もリスクはある。まず申し込みに財産の半分を女の親に差し出し、婚姻成立に至れなければ、全財産を相手の親に没収されるのだ。

また、追いかけっこに勝って娶ることができたとしても、二年経てば女から離縁の申し出が可能となる。なお、婚約者がいる場合は申し込み自体が成立しないので横恋慕も禁止されている。


いくらギャンブルが一大産業のこの国とはいえ、足が速い男はそんなことをしなくてもモテるし、足が遅い男はそこまで裕福でもないのに財産半分差し出して二年だけ嫁を買うなどということ今どき流行もしない。

ゆえに廃れた制度だったのに、メルギウスは、なぜかこれをごり押ししてきた。もはや脅しだった。

泣きそうになりながら、必死で足を動かすセレンの脳裏にあの日のことが蘇った。



「は?十五番目の妻?何言って……おっしゃってるんですか?あまりの臭気に気でも狂ったんですか?早くお風呂に入りましょうよ。しゃっきり目が覚めますよ」

「俺は正気だ。白い前髪の女、嫁に来い」

「いや死ぬほどご乱心ですから。まずは身を清めてきてください」

「……まあ、いくらこの俺様とは言え、さすがにこれはないか」


俺様。自分で自分のことをそう言う男、初めて見た。

セレンはドン引きしながら、メルギウスを浴槽……というか、「外で釜茹でじゃねえか!」とメルギウスが叫んだ場所に案内した。


ひょえっと思いながら、「まあまあこちらお湯は直焚きですので、冷めずに長時間あったかいですよ。なんてったって都会はバスタブにお湯を運ぶ方式ですからすぐ冷めるじゃないですか?五右衛門風呂のいいところはいつまでもあったかいことでして、薪もいい香りがしますし、なんと!いまなら!この春の気持ちがいい絶景を!裸で!眺め放題!……の解放感がたまらないわけですよ!」ととりあえずヨイショしてみた。

ものすごく胡乱げな目で見られたが、とりあえず、営業スマイルでニコニコしてみた。


ため息を吐かれたが、メルギウスは案外珍しいもの好きだったようで、タオル一枚になった彼をせっせとセレンが体を熱心に洗ったのち、木でできた浮き蓋に乗ったあたりからなんだかちょっとそわそわしていた。長身の彼にはこのお風呂はどうにも狭いようで、膝を曲げても入るのが大変そうだ。

いやつくづく面目ないというか、申し訳ない。というか足が長すぎではなかろうか。


なお、傅かれるに慣れている(だろう)男は、うら若き乙女とは言わないが婚礼適齢期とは言えるだろうセレンを前に惜しみなく裸体を晒し、あまつさえ、洗わせてもなんとも思っていないようだ。

確かに都会のお貴族様の生活という本で読む限り、バスタブの中でお貴族様は体を洗うらしい。それで湯をせっせと使用人が変えるとか。そんな面倒なことできるかい、と思ったセレンは、できる限り意識から追い出して、羊かというほど泡をもこもこにして洗ってあげた。


お嬢様がそんなことをしなくても!と古参の従業員たちが飛んできたが、メルギウスに逃げるなとばかりにがしりと手を掴まれていたのである。覚悟を決めるしかなかった。

なお、いかがわしい部分は汚れてないはずだからとタオルは取らなくていい!と顔を真っ赤にして厳命した。くつくつ笑っていたので、絶対からかわれていた。


そんなこんなで初めての釜茹でならぬお風呂タイムが終わり、その間に男爵家で一番足の速い丁稚が隣のシュロル準男爵領から一般男性以上の大きなサイズの服をもらってきて、ははーとばかりにメルギウスに差し上げた。さすがに世界最大の重種馬の血も引くシュロル家の服は、背の高いメルギウスにおいても大きかったらしい。横幅がぶかぶかだった。でも手足の長さだけ合うって怖い。

さすが走るのに特化した侯爵家のお血筋。すんごいスタイル抜群。


まだ手を掴まれたままだったセレンはそうして思考を逃避した。

だって、異臭がやっととれたのに、「じゃあ仕切りなおして。お前、俺の女になれ」と言われたのだ。

魂が出て行ったって仕方がないではあるまいか。


「絶対に嫌です」


しかし、そこはクレーマー対応にも慣れている客商売。

にっこり笑顔で、ドきっぱり断った。

メルギウスはすごくムッとした顔になったが、当たり前ではなかろうか。

何故であったばかりの男に、十五番目の妻、とか、俺の女とか言われなければならないのだ。

いくら中央貴族だとしても、いくらコル・ランフェクトの称号を持つ最速馬だとしても、セレンがそれにへこへこする理由はない。


「じゃあ慰謝料だな」

「ひっ」


そう、馬糞ぶちまけ事件さえなければ。

こればかりはセレンに全面的な非がある。


「まあ、ダメになった服はいい。本当は特注で作っていたものだがそんなみみっちいこと言うつもりはねえ。ということで、精神的苦痛か。なかなか算定が難しいけど、肥溜めに突き落とされるのって結構ないじめだよな。それも俺、単に泥棒を捕まえようとしただけだってのに。見事なまでの巻き込まれ事故だよな。知ってるか?コル・ランフェクトは大公にも無礼な口をきいても手打ちにされねえくらい治外法権な地位にあるってこと。不敬罪って言葉もあるよな?」

「ひ、ひぃい……!」

「あとは、そうだな。思い切り樽に曳かれたから背中と肩が痛え。俺の体がどれほど価値があるものか知ってるだろ?」

「も、も、もうレースは引退したのではっ?」

「……、そりゃあそうだが。それだってまだ、国に請われたら表に出る仕事は持っている。なにせ、顔もいいから、俺。つまりお前はそんな大事な俺を負傷させたわけだ」

「ふ、負傷など、していませんよねっ?」


先ほど洗った限りにおいて打撲傷はどこもなかった。

どうせなのでチェックしていたのだ。

けれど、しれっとメルギウスは言う。


「いや、明日には内出血になってるかもしれない。いや、そうならないかもしれないが、俺は痛いし。高貴な俺の筋肉って繊細だし」


なんて嫌な奴だ!とセレンは憤った。検証ができないことで脅してくるだなんて!

じろりとにらみつけるような視線になったセレンに、メルギウスはふはっと笑う。


「すっげえ不細工な顔」

「はっ?!」

「はは、俺にそんな顔する女なんて珍しくて。明らかに媚びられるか、怯えられるかしか記憶にねえから」


どんだけ不遜。いやこの国最高の駿馬に上り詰めた男だ。そりゃあみんな目をハートにして寄っていくか恐れ多くてひれ伏すだろう。

セレンのようにレースと人生で一度たりとも関わりなくく生きていて、へー、程度の感想しか出ない無関心女でなければ。


そんな無関心女に求婚するこの男の目は節穴にも程がある。


サラブレッドは当然のようにハーレムを持つ。優れた次代を作る責務があるからだ。しかし駄馬との間に子供はいらないはずだ。

そうなると、……………なんだろう。妻という名の愛人?


セレンは自分の体を見下ろした。

標準身長はあるし、まあ大きいとは言い難いが胸もお尻も膨らみがあり、幼児体型ではない。ーーそういう変態ではなさそうだ。

雌のサラブレッドと違い、傾斜の激しい牧草地を走り回るためか太ももがやたらむちりとしている。ーーもしやそういう足フェチとか?

セレンはあまり貴族の自覚がなくかなりのお転婆だーー反抗的な態度を取られると屈服させたいドSとか……それならいっそ罵られて興奮するドMのほうが被害が少なくて面白……違う違う。


すぐ頭が現実逃避をしようとするセレンは、ついに、へへーっと素直にひれ伏した。


「うちは見ての通りお金なんてないんで!むしろ財産は腐るほどにあるコル・ランフェクト様に捧げられるものなんてひとっつもないんで!どうかどうか広いお心にて、ここは一つお許しくださいませ!こんな弱小も弱小の貴族を甚振ったところで貴方様の評判は、下がっても上がることはありませんから!」

「脅しか?肝がすわってていいな?」

「まっさかぁ!脅してるのはそっちですよねー?……っとと」


ニヤッと嫌味に笑った相手に咄嗟に軽口で返してしまい慌てて手で口を覆ったセレンを、メルギウスは目を細めて見ていた。それはもうすごく楽しそうに。


(ドSだ………)


セレンは気がついてしまった。

これは、周りにいない女として面白くて興味を引いてしまったのだと。


興味を引いたものを我慢できないギャンブル狂の本能なのだと。


(ヤバい………)


「この家で価値があるものは、お前だろ?だから嫁になれって言ってんだよ」

「……………なにっとぞ、何卒、何卒何卒ご勘弁を!!私、末端貴族ですが、200メートルを17秒かかるんです!お恥ずかしい!こんな駄馬をコル・ランフェクトのハーレムに入れたなんて知れたらそれこそいい恥晒しですから!!……はっ、もしや、陰で甚振られるだけの愛人ですかっ?!絶対絶対絶対嫌なんですが!!!」


土下座しつつ、嫌を連呼するセレンは正直怖いもの知らずである。しかし、メルギウスは時折来る超高圧的なクレーマーより超偉いだろうに、不思議と臓腑が冷え切るような圧迫感も腹の底が焼けつくような怒りも感じない。

余裕。揶揄い。

明らかにそんな雰囲気があるから、セレンとしても嫌だとゴリ押せば行ける、もっと楽しいこと提示したら逃げられると思っている。


「こんな私なんてぜんっぜん!本当なんの価値もないので!!そうだ!代わりと言ってはなんですがアイスという氷菓子とかいかがです?これとっても珍しくてですね、なんとクリームのように甘くのに凍った……」

「代わりは、ない」


しかし、突然ピシャリと降ってきた声は、今までとは打って変わって、有無を言わさない重い響きを持っていた。


「え………」

「お前の価値は俺が決める。代わりは、ない」


どこでメルギウスの機嫌を損ねたかさっぱりわからないが、確実に損ねたことは確かだった。

髪と同じ色の秀麗な眉がぐっと寄って、長いまつ毛に覆われた黒い瞳には強い光が宿されていた。


「そ、う………言われましても……」

「どうしても(おんな)側が拒否するなら、仕方がない。古の求婚方法に則って従わせるまでた」

「古の求婚……?」


そしてまさかの人生を賭けた追いかけっこが始まってしまったのである。


とんでも伝統がある国………。


なお、馬獣人のため、200メートル16〜17秒くらいが平均という世界です。サラブレッドなら200メートル10〜12秒くらい、サラブレッドの血筋を引いてる貴族なら13〜14秒くらいのイメージです。セレンは足が遅い方です。

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