13. 永遠に勝利の祝福を
最終話です!
「えっ?!私、子供の頃に記憶喪失になってたの?」
「えっと、記憶喪失っていうか…………、なんか、よく、わからない、こと、言ってた………時期が……」
対面のソファに座るベルフは、相変わらずゴニョゴニョ言って語尾がはっきりしない。
オドオドした視線がセレンの隣で長い足をどっかりと組んでいるメルギウスに向かっているので怖いのだろう。
威嚇するのやめなさい、とセレンはメルギウスの腕をつねった。
圧倒的に優位者のくせに、メルギウスはベルフを敵視している。セレンが嗜めても、またじろっと睨めつけていた。
「あのね、おじさまとおばさまにも聞いたら、やっぱり11歳くらいのときに1週間高熱を出して、ずっとうわごとで、牛乳飲めとかちゃんと休めとか言ってたらしいの」
ビクッと震えたベルフの隣から、鈴の音のような可憐な声が発せられる。
ベルフの大きすぎる影に埋もれそうな小さな体は半分くらい見えない。それでもベルフの重みで傾ぎそうなソファで彼の隣に座ってもらったのは、セレンからのお詫びだ。
「婚約するはずだった」とかセレンが勝手に言ったせいでメルギウスにはっきり嫌われてしまったベルフへの。
ただ、リンシアには狭くてごめんね、とも思う。
リンシアは決してベルフを嫌いではない。
小さい頃から三人でよく遊んでいた。
ただ、年頃になってからでっかいベルフが後ろからひたすら無言のジト目で見てくるのはそりゃあ怖いしビクッと涙目にもなるだろう。セレンだってごめんだ。
振り返るといつもでっかいのが立っているのである。しかも目が合うとすぐに逃げる。
「嫌われてる……のかなあ?」と定期的にしょんぼりするリンシアをセレンは必死にフォローしてきた。
だから前髪を切って素直に正面からアプローチしろと言っているのに。
「熱?」
「ひぃっ、……え、えっとそのっ」
メルギウスが問い返すと、リンシアはしどろもどろになった。
臆病な気質の彼女は、メルギウスも怖いらしい。嫌われているベルフと違って彼に睨まれてはいないのだが、整いすぎた顔って怖い、あと偉そうでとても怖い、が、リンシアの評価である。
セレンは怖がらなくて本当にすごいね、とリンシアに毎回言われるのだが、メルギウスみたいななんでも出来るイケメンが苦手なら、欠点だらけだが優しいベルフにも僅かながら勝機があるのではと思っている。
セレンは無意識にメルギウスに高い評価をつけていることをわかっていない。
あと、牧場では、セレン以外の全員が、メルギウスに圧倒的な威圧感を感じ、それぞれ程度の差はありつつも、びくつき、ひれ伏していることも気がついてない。
ベルフの影にさっと隠れるリンシアと、リンシアが自分からくっついてきたのでりんごより真っ赤になって硬直しているベルフを見て、メルギウスいい仕事するじゃん、としかセレンは思っていない。
とはいえリンシアを泣かせたら殴るけれど。
セレンは「話に割り込まないで」とメルギウスを黙らせて、リンシアたちに続きを問うた。
そして驚愕の事実を知る。
どうやらセレンは、10年ほど前に怪我した「野生の子羊」を見つけたらしい。
家畜が怪我したときの専門書を貸してと両親にねだり始め、ドクダミやよもぎ、ノイバラなど消炎効果のある薬草をちぎって、包帯とトウガラシスパイスを持って、牛乳を水筒に入れて、秘密の基地とか言いながらどこかに行っていた。
ベルフやリンシアが一緒に連れてってと言っても「怪我してて気が荒い子だからダメ」の一点張り。
元気になったら連れてくる、と聞いていたのに、ある日、セレンが大雨に降られても半日帰ってこず、大人たちは大慌て。暗くなってようやく帰ってきたセレンは濡れ鼠のまま倒れてしまった。
ウンウン唸りながら高熱を出し、その後は「子羊」のことはすっかり忘れてしまったようだった。
医者は熱が高すぎると記憶が混濁することもある、と言っていた。
とはいえセレンはその後ずっと元気だったし、セレンしか知らなかった「子羊」のことをみんなも忘れていった。
まさかそれが人の男の子だったなんて誰も思ってなかったわけである。
「初恋」の話を聞いたベルフが、もしかして、と結びつけなければ、多分一生繋がらなかっただろう。
けれどメルギウスはムッとした顔をしている。
「子羊ってなんだよっ?確かになんかあれこれ色々持ってきてたけど、家畜の怪我と一緒にしてたのか?」
「え、えぇ……?わ、わかんない……覚えてないし……」
走れないのはカッコ悪いから人に言うな、と散々言いつけたのは少年のメルギウスであったが、そんなことは気にしない身勝手な男である。
「本当に覚えてねえの?全然?」
「……………さっぱり?」
「マジか……どうなってんだ、お前の頭?鳥?」
「熱だから仕方なくない?!」
鳥頭と馬鹿にされたセレンは怒るが、メルギウスも不満顔だ。しかし、リンシアがベルフの影からおずおずと伝えた言葉で一変する。
「あのね……私も頑張って思い出したんだけど、確かセレン、すごくうなされていて、それで、なんで来ないの?どこ行ったの?ってずっと言ってたの。それで、おじさまたちが、きっと子羊がどこかに行っちゃってずっと探してたのかも、いなくなったのは悲しいから思い出さない方がいいかもね、って。それで、話にも上がらなくなったんだと思うわ」
「あ……っ」
メルギウスが狼狽えた声を上げたので、セレンは隣を見上げた。手で口を覆っている上にパッと視線を逸らせたのでやましいことに違いない。
なに?と鋭く追求する。
「いや、その……、黙って、帰ったなと……」
「黙って?」
「父が病気で倒れて……それで、急いで何も言わずに家に戻った…………いや、誰かに託けようとすればできたんだが、その……、なんで俺がわざわざそんなことをしなきゃならないんだって……」
「「「…………それは」」」
あなたが悪くない?という三つの視線が、気まずそうなメルギウスに突き刺さった。
「し、仕方なくないか?なんで名前も教えない女に俺が……家に帰らなきゃいけなくなったとか、そんなこと……大体それを言って何になるんだよ?」
「少なくとも待ちぼうけ食らわされて、一週間も高熱を出すことはなかったと思うけど?あとメルがこだわってた思い出ってやつも忘れなかったのでは?」
「……………」
セレンの冷めた声に、メルギウスはわかりやすくそっぽを向いた。
セレンはメルギウスの太ももに乗り上げて肩に手を置き、その視線の先を追いかけた。無言でじいっと見下ろしていると、ものすごく長い沈黙の後に「悪かったよ」と小さな声が返ってくる。
セレンはにんまり笑って艶やかな黒髪を撫でた。
その様子にベルフとリンシアが唖然と顔を見合わせていたが、セレンはメルギウスにお返しとばかりに膝の上でぎゅうぎゅう抱きしめられていたので知らなかった。
なお、メルギウスはベルフに対する見せつけ確信犯である。
**
あの夜、もう一度、とにかくねちっこくされて気を失ったセレンは、目を覚ますとすっかり正気に戻っていたので、開口一番にメルギウスに説教をした。
なんで薬を盛ってまで無理やりするんだ、それにやりすぎだ、こちとら初心者なんだから労って、腰が抜けてる、と、とにかく怒った。
けれど怒られているのにメルギウスはなぜかずっと機嫌が良さそうに笑っていて、セレンを抱きしめる腕を離さなかった。
『責任はちゃんと取る。一生。絶対、責任を取る』
あとお金はどうせ普通に生きていく分にはまだ使いきれないほどにあるし、セレンがこの地にいたいなら俺もここに住むし、他の妻には事前に財産分与してあるからもう会わない予定だったし、子供は俺の子ってだけで国から保護対象で自分が育てなくても構わないから、セレンだけしかいらない。
もうセレンしか抱けない。
セレンしか本当の妻にしない。
そんな勝手なことを言いながら、ぐりぐりと押し付けられる頬はもう冷たくなかった。あんなに冷たいと思った手のひらも、セレンの片手と指を絡めて繋いでいるからかポカポカと温かい。
弾んだ男の声はセレンに都合のいいことしか言わない。それはそれで不誠実ではなかろうかと思いつつ、ついには怒り切れなくなり、唇を尖らせるだけになった。
そんなセレンに、浮かれた男はチュッチュと何度も口付けて、そのうちにまたそういう雰囲気に流されそうになったので、慌てて引っ叩いた。
メルギウスの魔の手を、どうにかこうにかかわしながら、ねじくれている彼から必死に言葉を引き出したところによれば、舐めとったあれくらいの薬の量ではもう一切反応しないから自分自身の反応だったこと(回数おかしくない?と震えた)、セレンがベルフのことを好きだと思ってとにかく怒れたこと(そんな話どこにあった?と首を傾げた)、セレンをとにかく合法的に手に入れたいことで必死だったこと(追いかけっこはまだしも勝手に薬を飲ませるのは合法的だったのか?と眉を寄せた)、でもセレンにすごく嫌がられていると思って途中で萎えたこと(それで泣いたのか?とびっくりした)、デキて嬉しいとセレンが泣いたことでセレンが自分を受け入れてると理解して嬉しかったこと(いやそんなこと言ったっけ?!と否定した)を聞いた。
『それって、なんか………私のことを、好き、みたい?』
ムズムズしすぎて、渇いた笑いと共に、また彼の行動や気持ちに言葉を当てはめる言葉が勝手に出てきた。言ってしまってからすぐに、セレンは下を向く。言うんじゃなかった、と心臓が嫌な音を立てた。
それって初恋って言うんじゃないの?と、どうしてあんなに軽く言えたんだろう、と不思議なくらい、そんなわけないだろ!と言う言葉が今は怖い。
でもメルギウスは「そうだけど?」と今度はあっさり認めた。
ん?とセレンは首を傾げる。
メルギウスも、首を傾げた。
『言っただろ?俺のものだって』
『………それは好きとは言ってなくない?!』
『そんなん、わかるだろ?だってお前にしか反応しないし』
『わからないよ!初恋の子はどうしたの?!』
そこから、素直じゃないメルギウスに好きという二文字を言わせるのは結構大変で。
初恋はもういいってずっと言ってるだろって勝手な解釈をするから、悲しかった分、イラっとして。
『一番でなくても、好きになった女から祝福をもらって生きたい。………母親は一度もしてくれなかったから』
でも、ちょっと悲しそうにそう言うからすぐ絆されて。
それでも謝ってと言ってからが、もっと大変で長かった。
本当にメルギウスはプライドが高くて意地っ張りだ。
でも、セレンにだけなら、と最後には真っ赤になって折れた。
『酷いことして、ごめん。………勘違いさせたお前が悪いとは思うけど』
もう、可愛いなんて思ってしまった方の負けだ。
たとえ膝に乗ってくれて、すぐに顔を隠せるように抱きしめさせてくれて、口付けで褒めてくれないと嫌とか言っていても。
『頑張って走って、捕まえてくれて、ありがとう』
なんか理不尽、とも思いながらも、セレンは祝福を与えた。
なお、好き、の一言をしばらく返さなかったセレンも相応に意地っ張りだということを本人は認めていない。
ただ、メルギウスをメルと特別に呼ぶからそれでわかるでしょ!?と、耳を赤くしていた。
**
「セレン、手紙が来てる」
「え?」
今日も明るい青空の下、メルギウスの助言を受けながら首都向け販売用の高級牧草の育成に余念がないセレンが、くわを持つ手を止めて顔を上げる。
視線の先には、麦わら帽子に、首タオル、手に軍手をはめて、前掛けエプロンをするメルギウスの姿。
すっかり見慣れてしまった、都会では絶対に死ぬほど野暮ったい格好。
セレンだっておんなじだ。だって汚れるし。
軍手を脱いだメルギウスが、「お前、立法府の法政室と国務院の戸籍登録係からなんて何やらかしたんだよ?」と怪訝な顔をしている。
「メル!大変!モーニフォルツァ法が悪法として廃止されたから、強制求婚による人権侵害の恐れがある婚姻は遡って無効を認めるって!この書類出せば希望者は無効にできるんだって!」
「あ?」
「すごーい、あんな嘆願書ひとつで法律が変わるんだ!?」
まさかセレンの嘆願書が意味をなすとは。
メルギウスが目の前で苦虫を噛み潰した顔をしている。
「お前って本当、行動力の塊だよな。何、嘆願書って」
「だって一方的に決められるなんて嫌だったから……」
「…………まあ、おそらくは俺が相手だから国も動いたんだろうけど」
「何その俺様発言……………何それ?」
メルギウスの手には手紙の束があった。
「ん?田舎に引っ込んでないで走れるなら第二ランクでもいいからレースに戻れっていう要請書と実家からの当主譲るから戻ってこいっていう嘆願書と足の治療の支援してやるから広告塔になれっていうありがたいスポンサー様の提案書とあとは相変わらずの求婚状の山」
「なにそれ!!!」
「こないだのセレンとの追いかけっこがあっちでもなんでか話題になったらしいんだよな。そんで、走れるなら利用価値がまだあるって思われたんだろ?怪我からの復活とか感動的なエピソードだしな」
確かにセレンとの最後の追いかけっこはとんでもないはスピードだったと牧場のみんなが言ったけど。どう計算してもおかしいスピードだったけど。
「………………戻りたいの?」
「そっちが婚姻無効申立てするなら身の振り方も考えねえとな?なにせ婿入りだし?」
手紙で顔を仰ぎながら、ニヤニヤと笑っているメルギウスに、セレンはムッと頬を膨らませる。
答えなんてわかっているくせに。
「私以外の祝福はいらないんじゃなかったの?」
そう言って真下から覗き込んで………睨みつけてやる。
メルギウスがヒョイとセレンを抱き上げた。腕の上にセレンを平然と座らせるくらいメルギウスは力が強くなった。
「いらないに決まってるだろ?俺がまた全力で走ることがあるなら、セレンのためだけだからな」
メルギウスを見下ろす形になったセレンは首まで真っ赤になる。
急にストレートに言うのはズルい。
「わ、私だって跡取り婿いないと困るし、もう責任は取ってもらってるし!だから……今更無効にするわけないでしょ!」
「はは、素直じゃねえの。俺が好きだからって言ってくれないの?セレンのためならなんでもしてやる俺が、さ?」
調子に乗った発言と共に、ちゅ、と頬に唇か柔らかく触れる。
それがメルギウスの本気で強請る合図と知っているから。
うう……とセレンは頬を染めて、メルギウスに言葉の代わりのキスをした。
**
その後、何回か介入してくる競馬レース委員のお偉いさんだったりルイネッタ侯爵家の縁の者だったり放置していた他の妻の実家だったりに煩わされることにキレたメルギウスが「ごちゃごちゃ言うな!足で勝負しろ!俺が勝ったら好きに生きさせろ!!負けたらお前らの言う通りにしてやる!!」と人生全ベッドして非公式レースをしたらとんでもない記録を出したとか、「勝手に人生賭けるな、この変態キチガイギャンブラー!!あんた一人の人生じゃないでしょ?!」と珍しくセレンがギャン泣きして祝福でなく頬に真っ赤な手形をお見舞いしたとか、駄馬になんて尻に引かれているのはダサいとメルギウスを負け惜しみのようにみんなが嘲笑したりだとか、駄馬のセレンの血を引く牧場育ちの三男が煽られて出たショーレースで勝ちまくりついにはアストーラス杯で二位になって高貴な血統の異母兄弟たちに勝ってしまったとか、国の血統主義が少し見直され子作り義務が軽減されたとか、色々なことがあった。
それでも、今日もディーシナヤ男爵領の雲ひとつない明るい青空は変わらない。
「メル!大人げないことしないの!普通の馬が生粋のサラブレッドに勝てるわけないでしょ!!」
「うるさい!俺の娘を寄越せって言う男なら俺に勝ってみろ!」
「ふえん、ママぁ!パパをなんとかしてよぉ!荷物引きの馬が走りで勝てるわけないじゃないのぉ!」
「わ、わかってる!もう!年考えてよ!また腰を痛めたらどうするのよ!?」
「またって言うな!一度だって痛めてない!だいたいそのデカブツはうちの娘に相応しくない!潰す気か!?」
「う、うぅ………、ぼ、僕……っ、僕だって好きでこんな大きいわけじゃ……お、お母さんに似なかったから……っ」
「ボソボソ喋るなっていつも言ってるだろ!本当、父親そっくりだな?だいたい、昔はちっこかったくせして、俺よりデカくなるとか生意気な。勝つまでは絶対結婚なんて認めないからな!」
「パパ横暴ーー!!無理に決まってるでしょ?!」
「無理?男なら惚れた女のために勝ち取ってみろよ」
そう言ってニヤッと笑ったメルギウスに肩を抱かれたセレンは、怒るのも忘れて両手で顔を覆ってしまった。
時々本当に恥ずかしいことを言い張る夫を応援してあげるべきか、娘の結婚を後押しするためにつねってやるべきか、いくつになってもセレンは無茶苦茶を言い出すメルギウスに振り回されている。
それでも、セレンはすぐ勝負に持ち込みたがる彼がゴールのたびに笑って「セレン!」と抱き上げるたびに、勝利の祝福をしてあげ続けるのだろう。
(Fin)
ここまでお付き合いいただいた方どうもありがとうございました!
侯爵家のくせに口がものすごく悪くて己の足で人生勝ち取ろうとするメルギウスと男爵令嬢のくせに口が悪くて負けず嫌いのセレンの、意地っ張りな二人のお話になりました。
ちなみにセレンは5人子供を産んで、レーア以外は全部男の子のため、メルギウスはとっても娘を可愛がってます。父親ブロック超激しい。
家族みんな牧場でのびのび生きてます(三男はちょっと都会にも行くけど)。
サラブレッドって引退したら一回いくらで売られて種馬になるんだよねと言うところからできたお話でしたが、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいと思います。
よろしければリアクションや評価⭐︎など反応いただけますと励みになります。
改めましてここまでありがとうございました♪




