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12. 初恋なんて大嫌い

セレン視点です。

冒頭に最中匂わせている描写です、苦手な方はご注意ください。

あれから何時間経ったのか全くわからない。


セレンの意識はずっと朦朧としていて、高熱が出たときのように全てが曖昧だった。

何を言ったかも何をしたかも分からずに、ただ頭の芯が茹って熱くて、お湯の中でもがいて溺れているようでもある。


ふと、子供の頃にとんでもない高熱を出したときのことが思い出された。

このまま死んでしまうのではと思うほど辛くて苦しくて、助けて助けてと手を伸ばすと、家族の誰かがぎゅっと手を握っていてくれた。


濡れたまつ毛にまた新しい涙を絡めて、鼻を啜って、セレンは手を伸ばした。

すぐに手首を強い力で掴まれ、シーツにまた縫い止められる。


違う、そうじゃない。

手を握ってほしい。怖い。助けて。


セレンは指しかまともに動かない手のひらで空気を何度も掴んだ。

温もりはない。手首を掴む男の大きな手は温もりじゃなくてただの枷だ。

ポロポロと涙があふれる。寂しい。指先から冷えていく。

困惑から始まった体はとっくに気持ちいいことに屈していて、こんなに溶けそうにも熱いのに、あちらこちらから隙間風が入ってきて、すうすうする。

激しい音を立てる心臓は、たくさんの血流を送っているはずなのにどんどん冷えていく気がする。何度息を吸っても肺が膨らまないようで、苦しい。


「まだ逃げる気なのか?」


唸るような低い男の声が聞こえて、はぁ……っと熱い息が唇にかかる。

また勝手に口付けられた。

いつもならキスをする時に指を絡めて手を握ってくれるのにひどい、と、虚なセレンはぐすりと鼻を鳴らして、男を見上げた。


覗き込んできたメルギウスは、怖い顔をしていた。セレンが一番よく見た、揶揄うような笑みを忘れてしまったかのようだ。


「誰に助けを求めてるんだよ。もう俺のものだって言ってるだろ?どこにも行けないんだよ、もう」


パタパタと汗が落ちてくる。


でもそれは、大工仕事で「あっちー」とぶつくさ言いながら子供みたいに目を輝かせているものとも、朝日が昇る美しい空の下で黙々と一人で走っているときの神々しいものともまるで違っていて。


辛そうな、悲しそうな顔をしていて、涙の代わりみたいだなとセレンはしばらく彼を見つめてから思った。


一番勝手をしているのはメルギウスのくせしてなんなのか。

勝手に求婚してきて、勝手に最後の勝負だと言い張って、勝手に薬を盛るなんてめちゃくちゃだ。

自分でこぼれた薬を舐めてまで()()意味はなんなのか。

薬は嫌だったと自分で言っていたくせして。

なんで……。


少しの思考が戻ろうとすると、また引きずられるように意図しない熱に強烈に襲われる。


揺さぶられる体も、勝手に出ていく掠れた声も、溺れた水の中の遠い世界のように感じた。


「なあ……、なあ。俺はさ、俺は……勝利の祝福(キス)をもらいたい……、……きな、女に……」


ごぽごぽとまた意識が深く落ちていく。

そんな中で、メルギウスの小さな小さな呟きが聞こえた。


自信なんてどこにもないような、迷子の小さな子供のような、可哀想な声。


思考の瞼を落としながら、セレンは変なの、と思った。


一番のあなたはいくらでも、どれだけでも、誰からでも、祝福を受けてきたはずなのに、と。


**


「セレン、セレン………っ」


もう何度目なのかなんてわからないけれど、ビクビクと不随意に震えたセレンの体を強く抱きしめて、メルギウスが覆い被さってくる。


はっ、はっ、と切れる息が耳元に掛かった。きっと自分の呼吸も同じように速いのだろうと思いながら、もう体は鉛のように重たくて、どこの筋肉も動かしたくはない。


混ざり合った体温は境界をなくして、汗に濡れた体はべとりとする。

肩にも腰にも均整のとれた筋肉がついた長い腕が回るのに、セレンの手のひらは相変わらず何も掴めない。

カサカサの喉が痛い。


少ししてから、ごそりとメルギウスが起き上がった。唇からまた温い水が入ってくる。

少し警戒したが、乾いた喉には抗えなくて、ごくりと飲み干した。苦い味はしなかった。


もっと、とばかりに舌を伸ばせば、まるで親鳥のように何度も飲ませてくれる。


ようやく人心地をついて、自分がちゃんと息をしていることを自覚する。耳鳴りが治ってきてドクドクという心臓の音以外の、男のなんらかの動作の小さな音も拾うようになった。

ほんのすぐそばで覗き込まれなければ何も見えなかった薄闇の霞がかった視界も、ゆっくりと像を結び始める。


そうして、気がついてしまった。


「………………め、る……メルギウス……?」

「なんだ?」


前髪を掻き上げるように額をそっと撫でる男の手のひらは冷たい。

セレンの熱が高いのかもしれない。


ほんの少しだけ、メルギウスが口元に笑みを浮かべたのがわかった。


でも。


(……………なに、泣いてるの?)


青い炎を宿したようだと思っていた黒い瞳は、潤んでいた。今にも溢れそうな涙はぎりぎりで下まつ毛に絡んでいる。長いまつ毛はこんなことにも使えるのかとセレンは変に感心してしまった。

きっと強く目を瞑れば、その涙は瞬く間に溢れるだろう。

でも彼はそうしなくて、じっとただセレンを見ている。眉を寄せて、ひどく悲しそうな顔をして。


(なんなの?)


同じように視線を逸らさずにじっと見返すと、メルギウスがまたかがみ込んできて口付けをしようとする。

セレンは奪われる前にちろりとメルギウスの鼻先を舐めた。


「え……?」


戸惑った声を上げ、メルギウスが固まったのがわかった。

黒い瞳が瞬く。思ったとおり、涙がゆっくりと頬を伝っていった。


「………メル……、なんで、………泣いて、るの……?」

「は?」


セレンは、少し首を上げて今度は頬に舌を伸ばした。しょっぱい。一度流れると止まることのない涙は、セレンの顔に、ぽつりと水滴になって降ってきた。


(なにそれ、ずるいよ……何、……傷ついたみたいな顔をするの?加害者はそっちのくせして)


戻ってきた思考は、いつも強気のセレンのムッとした感情を湧き上がらせる。罵ってやりたいけれど、まだ喉は痛いし腕は持ち上がらない。


だから、()()()()()を掠れた声で端的に言ってやった。


「なんで、泣く、の……?偉そう、なくせして………だっさ……いよ……」


メルギウスの顔が、引きつれたように歪んだ。


「ダサいって……、おま、え、そればっかりだな」


また泣きそうだ、と思った。

こっちがいじめているみたい。

彼はダサイと言われるのがとても嫌いらしい。プライドが高いから。きっとセレン以外にはダサイなんて言われたことがないんだろう。


(違うか、初恋のあの子は……)


ダサイって言ったんだった。メルギウスはその子にかっこいいって認めてもらいたいんだった。


ぎゅうっと心臓が痛くなった。

激しい運動や薬の効果ではなく、嫌な音を立てている。

ちょっと気持ちが悪い。

セレンはその子の代わりにされるのが嫌いだ。大嫌いだ。顔もわからない前髪の白い、生意気な、口が悪い、メルギウスの胸の中にいる大切な大切な女の子。


メルギウスが本当に欲しいのはその子だ。


その事実に絶望して、セレンの顔が苦痛に歪む。

メルギウスが、そんなセレンを見て、泣きそうな表情のまま、また強くセレンの手首を掴んだ。

まだするの?とセレンは半眼になる。

でももう無理なようだった。()()してない。

彼も薬が切れたのかもしれない。薬に慣れてるから長くは持たないと言っていた。

体は正直みたいだ。

そこまでして初恋の()()を抱きたかった意味が全くもってわからなかった。


(男の自信ってやつに、巻き込まないでよ……!ほんっとサイッテー!)


セレンの上でクソ、と悪態をついたメルギウスに、セレン自身が舌打ちをしてやりたい気分だった。いや、たぶんしていた。セレンはお行儀よくないから。


それなのに、メルギウスは何故かセレンをまたぎゅうと抱きしめてくる。まるで逃すまいとするように。

その上、頬を重ねるようにくっついてくるので、セレンの頬もちょっと冷たくなる。

メルギウスは汗をかいているくせして、なんで、こんなに手も頬も冷たいんだろう。

まるで興奮できない、冷めた彼の心みたいだ。

胸がギリギリとする。


(……馬鹿馬鹿しい)


何に巻き込まれているんだ。

最初に無礼をしたのはセレンだけど、その代償がここまでだなんて酷すぎる。違うって言う人の話を聞かないから。俺様が、間違いを認められなかったから。


結局、メルギウスだって傷ついているんじゃないか。

初恋の子じゃないから、セレンだから、薬もないと、できないんじゃないか。

セレンの大切なものを奪っておいて、人違いとかありえない。


せめてバカにしてやろうとフッと笑った。


「あは、またふにゃ⚫︎ん。ざまあみろ」

「この……っ!」


メルギウスが怒った。

目を吊り上げたその顔を見て、ふんっと思ったそのそばから、胸が重くなり、今度は悲しくなる。

セレンだって傷ついている。

結局、メルギウスにとって、セレンは彼の自信を取り戻せる「あの子」じゃなかった。

たとえ「あの子」じゃなくても出来る相手でなかった。

その事実に、ひどく、傷ついている。


ぼろぼろと涙が溢れた。止められない、悔しい。

偽物にされた。

きっと、やっぱり違ったって言われるんだ。

それで、いらなかったのにって思われるんだ。


「セレ……、………」


メルギウスが、また泣きそうな顔で、震える唇を噛み締めていた。

何度も冷たい親指でセレンの涙を拭う。必死で止めようとするかのように。


(アンタがそんな顔をする資格なんてない!ない……のに…….)


ひぐっと喉が詰まった。


可哀想に。

私も、メルギウスも。

なんで、こんなことになったのかわからない。

いや、メルギウスが悪いんだけど。

でも、欲しかったものが手に入らなくて、可哀想に、とセレンはちょっとだけ同情してしまった。


「……………薬、使わないとできない、なら、なんで私に結婚しよって言ったの?………初恋、なんかじゃない……わたし、あなたの初恋の相手じゃないよ………勘違いだから……」


悲しい。悲しい。悲しい。

自分で否定して悲しい。

そうだったらよかったのに。

セレンがメルギウスの初恋だったら。

初恋でなくても、メルギウスがセレンに賭けて抱けるだって言うなら。

しょうがないなあって絆されてあげてもよかったのに。

メルギウスは悪い奴じゃないし、まあちょっとはいい奴とか、すごい奴とかそう思わないこともないし。かっこいいし。面白いし。


でも、違うから。

セレンの思い出の中に、少年のメルギウスはどうしてもいない。

そして、やっぱり、セレン相手じゃあ、メルギウスは薬なしには()()()()、から。


ズルい。

あの子はメルギウスを独り占めしてズルい。


ダサイくらい、セレンだって罵ってあげるのに。

かっこいいくらい、セレンだって言ってあげるのに。

セレンじゃあ意味がない。

初恋の綺麗な思い出になんて勝てっこない。


初恋なんて幻想、大嫌いだ。

初恋だなんて言葉を、つけてやるんじゃなかった。


彼の中の彼女に、なにも敵わない現実。


バカ……っと、セレンは口の中で呟いた。

いつの間にか解放されていた両方の手の甲で目元を覆った。


「………わたし、あなたの初恋相手に、勝てない、のに………、ちょっといいやつ、とか、私とはデキたのが嬉しいとか、………そんなの、馬鹿みたい。本当、アンタってサイテー」


取り繕えなくてダダ漏れていく思考。

子供みたいだと思いながら、それくらい罵ったっていいじゃないか、と捨て鉢な気分だった。

少しは罪悪感を感じろ、バカ!

そんな思いを押し付ける。


メルギウスが、セレンの手を掴んだ。

ぐしゃぐしゃになっている顔を覗き込んでくるからぷいとそっぽを向いた。けれどほっぺたを挟まれて視線を戻される。


ムカついた。


「セレン?いま、なんて……」

「サイテーって言ったのよっ」

「いやその前」


こっちの気持ちがまるで響いてなさそうな呆然とした表情に、セレンはメルギウスへ与えられるダメージはなんなんだろうと思った。

そして自分が満足できる対価はなんなんだろう、と。


「………責任取って」


少し考えて出てきたのはその言葉だった。

違うからってほっぽり出して冷遇なんて許さない。

田舎者の男爵令嬢に対してなんて世間が許したってセレンは許さない。

責任とって、このプライドが高い男に跪いて尽くしてもらわなければ割に合わない。


「いやそんなこと言ってねえだろ」


しれっと返されて、本当にムカつく。

怒りで全身がまた熱くなった。

だるくてだるくて仕方がないけれど、メルギウスの顔をガシッと両手で掴んで引き寄せて、思い切り息を吸って、一気に吐き出した。


「だからっ、責任取ってよ!こんな意味わかんない求婚して、なんか楽しいとかちょっといいかもとか思わせて、いきなり最後のレースとか持ちかけてこれで終わりなの嫌だなとか足が止まりかけたとこを捕まえたうえで、なんか怪しげなもの飲ませてまで処女奪ったんだから、たとえこの先ずっと()()()()()()、最後まで責任取れって言ってんのっ!!」


耳元で怒鳴られ飛び退いたメルギウスが、顔を思い切りしかめたのが見えた。


(ふん、ざまあみなさいよ!十五番目かなんか知らないけど慰謝料がわりにコイツのお金で豪遊して身ぐるみはいでや……)


「ぅ、え……っ、ぐ、ぐるし……?!」


けれど次の瞬間には、セレンはとんでもない力で抱きしめられ、メルギウスに押し潰されていた。

あと、腰に何か……………当たっていた。


セレンは自分の気持ちをちゃんと自覚しているかは微妙です!笑

次回で完結です!

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