表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/13

10. 最後の勝負

本日二話目の更新です。

「セレン」

「な、なに……?」


お前、ではなく、ふとしたときに、名前を呼ばれるだけでもドキっとするのに、普段は明るいテノールがずいぶんと重低音で呼びつけてくるのでますますドキドキする。

知らず、ベルフの腕を掴んで爪を立てていた。


「求婚されている未婚女性が他の男と密室で二人きりとはどういうつもりだ。いくら幼馴染とはいえ」


じろ、と青みがかった黒い瞳がベルフを睨む。

体はベルフのほうが明らかに大きいし人相もベルフの方が悪いが、その迫力のある視線に彼はビビッて震えていた。

「しっかりしなさいよ」とついセレンはベルフの脇を小突く。

するとズカズカと近づいてきたメルギウスがセレンの腕をがしりとつかんだ。そのまま引っ張ってセレンを立たせ、腰を抱くようにして引き寄せてくる。


ふわりと嗅ぎ慣れてしまったメルギウスの爽やかな匂いがした。この距離はいつもの破廉恥行為のときと同じだ。だから一気に頬に熱が集まる。


「ひゃ、なに……」

「気安く他の男に触れるな」

「ん?」


しかし、明らかにメルギウスの情緒がおかしかった。

なにか怒っている。唸るように低く、いつものへらへらと明るい感じがない。

頭の後ろに手を回され強い力で彼の肩に押し付けられていた顔を上げれば、燃え盛るような彼の怒りがその瞳の中に見て取れた。


「お前は今は俺の求婚相手だ。他の男に媚びるな」

「は……?」


その言葉の強さにセレンは驚いた。


「媚び……、何……?」

「尻軽だって言ってるんだよ、仮にも貴族の端くれだろ?ルールは守れよ。………それともお前も他の女と一緒ですぐ男を比較してちょっとでもいい条件キープしときたいってやつ?カウントダウン迫ってきたから怖くなってきた?二年後に備えてってやつ?」

「はあ?」


メルギウスが何を言ってるのだか全然わからない。

ただひどく侮辱されていることに腹を立てたセレンは咄嗟に言い返した。


「あのねえ!勝手にやってきて勝手に求婚してきたのはそっちでしょ?尻軽って何よ!そもそも割り込んできたのはそっちよ?本当はベルフと結婚する予定だったんだから!」

「せ、せれん……?」


その話は全く同意してない、というベルフの非難めいた視線を気にしないようにして、ぎろっとメルギウスを睨みつける。


「二年後の話なんかしてないわ!どうやってこの話を潰すかを考えてたのよ。横槍ダサ男!」

「…………は?俺よりそのもっさい筋肉バカ種がいいって?」

「はあ?種族でバカにするのやめなさいよ。周りの女の子たちが血統と足しか見てないってことにうんざりしたって言いながら、結局そうやって人を見下してるのはあんたも同じじゃない」

「な………」

「毎日トレーニングしたり、汚れても構わないからって汗水垂らしていろんなことして笑ってるのはちょっとはいいところあるかなって思ってたけど、所詮同じ穴のムジナね。そんなところにしか、やっぱり価値を持てない男なんてダッサイ!真っ平ごめん!」


メルギウスの唇が動いた気がしたが、いつもマイペースで話す彼にしては珍しく何の音も返ってこなかった。


セレンはついでとばかりに言い放つ。


「そもそも勃起不全治したいからって理由だけで人に求婚する時点でサイテーの人種ってわかってる?なにその自分勝手な理由!治ったらまた好きなようにハーレムで遊びたいだけでしょ?それを今になって初恋って言い張りだして、恋って言葉汚してるのわかる?人に尻軽って言いながら、節操なしキノコ胞子撒き散らすことに巻き込まないで………んっ、んんっ?!」


突然ガッと両頬を掴まれて唇を塞がれた。

唇を噛まれ舌で歯をノックされ、耳殻を撫でさすられると何故だか男に口腔を明け渡してしまう。

くちゅ、ぐちゅ、といやらしい水音がし、柔らかな粘膜がこれでもかと吸われてくすぐられ、メルギウスの匂いが鼻腔いっぱいになると、ついトロンとしてしまう。上手すぎる。腰が震えて全身に心地の良い痺れが広がっていく気がした。

こんなに全力で嫌がっているのに流される。今までどんだけしてるのよ、と思うとモヤっとした。


「ぷはっ、なに、さいって……」


ようやく唇を離されて当然の抗議をしかけ、そこで喉奥で言葉が止まった。


両側から押さえつけられたまま間近で見るギラギラとした黒い瞳は、青い炎が内側で燃えているかのようだった。流石に大口を叩きすぎたかと、ぞっと全身に鳥肌が立つ。


「………わかった」

「な、なにが?」

「明日で最後にしよう。最大のハンデをやる。単純な話だ。30秒間、400メートル差。俺の全盛期でもギリギリの差だ。それで俺が負けたら潔く引いてやる」


何を言い出したのかさっぱり分からない。全盛期みたいにはもう走れない、と自分で言ったのではないか。


「え………いや、負け……それだと財産没収……?そもそもこんな求婚は不成立にしたらいいだけなのでは……もう婚約してた、ことにして、とか」

「は?一度乗った賭けから降りるなんてクソダサいことできるかよ。これ以上、お前にダサいって言われてたまるか」

「そ、そういうことではないかと……」

「代わりにお前も覚悟しろよ、セレン。負けたらぜってぇ俺のものにする。もう手加減しない。どんなに嫌がってもだ」

「なっ、んでそんな話に………だいたいあんたできな……」

「ごちゃごちゃ言うな。覚悟、しろ」


そんな話に乗る理由はどこにもないはずなのに、メルギウスの迫力に負けてセレンは何も返せなかった。今まで()()()彼を舐めていたのだ。恐ろしい。

これが勝負の世界で生きる男なのかと慄き、しかし、何でこんなことに、と混乱もする。

何で、今まで体をまさぐられてもちっとも反応しない相手に、財産かけて執着するのか。


そう問い返す前に、メルギウスはセレンから手を離し出て行ってしまった。

へなへなと崩れ落ちたセレンの背中に、ベルフの泣きそうに震えた声がかかる。


「何故、煽る……?あんな……あんな、怖い人……」


あんな目をすると思わなかったの、とは情けなくてとても言えなかった。


***


翌日の天気は雲ひとつない快晴だった。風もなく穏やかな、走るにはぴったりの日。

二人だけでなく、ディーシナヤ牧場で働くほぼ全ての人が観覧に集まっていた。


ーー30秒間で400メートル差スタート。


きちんと測られたその距離を、昨日うんうんと唸りながら計算したところ、ほぼ不可能ではというハンデであることをセレンは理解していた。


どんなに早いサラブレッドでも、30秒で500メートル行くか行かないかだ。アスターラス記念で優勝したメルギウスの記録を計算したって、トップスピードでだいたい一区間200メートル9秒5。

足に怪我をしたメルギウスがそんなスピード出るわけがないし、ここは牧場でいくら平坦な場所を選んだからと言っても競馬馬と違って整備された土地じゃないし、そもそも単純計算でのそのスピードを維持できない。それにいくら足が遅くたってセレンだって逃げるために全力で走るのだ。


なんでそんな無謀な賭けを衆人環視の中でやるのか。まるで本気のレースのようにピッタリとした短い襟なしのシャツに動きやすい伸縮性のあるズボンを履いて柔軟体操をしているメルギウスを盗み見た。笑みを浮かべない真剣そのものの顔は何を考えているのかわからない。ただその青い炎を宿したようなぎらつく瞳に体が熱くなった。


動揺するな、とセレンは自分に集中する。はしたないと言われようがセレンは短いズボンに足に張り付くほどのレギンスを履いていた。

セレンだって人生がかかっているのだ。

換算して20秒200メートル走り切るスピードで走れたら絶対に勝つ。それくらいなら走れる。


何でこんなことをするんだろう、はもう考えるな。

俺のものにするって、どうせアンタ勃たないじゃんはもういい。

考えすぎた寝不足も忘れろ。


セレンは、何度も目をつぶって自分に言い聞かせた。


「位置について、よーい……」


ふわりと風が吹く。ドン、で、前だけを見た。

そこからは無我夢中。耳に聞こえるのは先程とは違うビュンビュンという風の音。自分の鼓動。切れた息。それでもとにかく乗ってきたスピードを落とさないように走る。腕を振る。


ふと、「早く走るにはどんなに苦しく立って脚を上げるんだよ」と笑ったメルギウスの声が聞こえた気がした。息ができないやめたいと思ってもそれでも前だけを見て掴み取るその瞬間を、自分の限界を超えられた時が一番快感なのだと。

もうあんなふうに走るのは辛いし死んでもごめんだと言いながら、それでもひどく楽しそうに。


これで勝ったらメルギウスのあんな顔はもう間近で見られないのか。


急に、はっ、と肺から急に大量の息がこぼれ落ちた。


何故か突然、いくつかの場面が脳裏をよぎっていく。いつだってその中でメルギウスはニヤニヤと楽しそうに笑っていた。あんな真剣な怖い目ではなくて。なにせどちらもとんでもない顔面の美しさだけれど。

笑ってる方がいいな、と思った瞬間。


ガッとものすごい力で肩を掴まれて、体が後ろにつんのめった。そのまま首に、しなやかな筋肉に覆われた腕が巻き付いてくる。


「………つかまえた……っ……」


ぜいぜいと荒い息が耳にかかる。いつもの追いかけっこと違い、彼の体が燃えるように熱い。少しするとメルギウスが顔を埋めた右肩にパタパタと汗の粒が落ちてきた。


「う、そ………だって、前みたいに走れないって……」

「は……、この、足で……むしろ……はぁ、新記録、だろ……っ」


まだ息が整わないメルギウスの手がセレンの顎を捉えた。そのまま、喉を晒して後ろに向かされて、口付けられた。


ぜいっ、ぜいっ、と荒い息のなか、触れるだけの口付け。

ピューと指笛がたくさん吹かれるなか、セレンは呆然としたまま、ただ、嫌がりもせずに、彼に勝利の祝福(キス)を捧げる形になっていた。


メルギウスにとって走ることは己の全てを賭けることと同じな意味があります。

捕まってしまったセレンはどうなるのか?


明日はメルギウス視点になります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ