「AIが仕事を奪う」という話と「労働者不足」を語る矛盾
ここ数年、「AIが仕事を奪う」という言葉をよく耳にする。
これは完全に誇大広告であると、個人的には考えているが「仕事の中身が変わる」というのなら、それには同意する。わざわざ人間がする必要のない計算や、コーディングをAIが代わりにやってくれるのなら、その合間に人間は「別の作業」をするといった具合に。
AIの進化が進めば、ホワイトカラー人材の必要性は、大きく絞られる。有能な人間は複数のAIの「管理者」として振舞い、そうでない人間は、ブルーカラーへと変色する。
昨今、労働者不足の観点から、外国人労働者の受け入れ政策が取られ、それに伴う苛立ちから、ヒステリーを起こしている人々を多く見かける。ここでいう労働者の大半は、「ブルーカラー人材」であるが「国民の老朽化」を考えれば、致し方ない面が大きい。
将来的には、おそらく国内の人間だけでも、ブルーカラー人材を賄える日が訪れる。国民の大半が、いわゆるブルーカラー堕ちするからだ。問題は、そのタイミングで、転換期に中高年を迎える人々の大失業時代が訪れるという点だ。
日本語が使えるのなら、年を取った日本人労働者よりも、若い外国人労働者を選ぶ。すでに現在でも、これに近い状況が発生しているように思えるが、これはこの後、おそらく大波として直面する問題ともいえる。
容易に予測のつく未来予想図であるが、どうにもこういった部分に対するケアを真剣に議論し、政策に盛り込んでいるという気配が、どこにも感じられない。「自分たちが議員でいる間に、そういった事態にならなければ、それでいい」といった「場当たり的」な人間しか、いないようにも見える。
「未来」の話をする時、希望だけを口にしていればいいわけではない。未来から「零れ落ちる人々」をどう扱うかが、政治である。しかし、国民がそこを意識しないのだから、政治家や官僚からしても、そこは論点としなくてもいいという気楽さがある。
「準備方法」の答えは、シンプルであるが、感情が邪魔をするので先送りにする。これが、ここ数十年のフェーズである。
おそらくこれは「夏休みの宿題」と同じで、最終日になっても、解決しない問題として残されることとなるだろう。計画性の欠片もなく、場当たり的に、享楽的に楽しんできたツケの「支払い期限」が、すぐそばにまで来ている。
それが「正しい」からといって、「納得」できるかどうかは、また別の話だ。現実逃避を繰り返してきた結果が、現状の破綻であり、後は机をひっくり返すだけの段階だが、これもある意味、この国に相応しい風景ともいえる。
数自体は、すぐに足りる。
ただ、その労働を好まない者と、適性を持たない者で溢れ返る、「不足と失業の両立」を生み出す土壌が、整いつつもある。
もちろん、それは政府のせいではない。
政府は、常に、この国の大多数によって選ばれ続けている。
責任は、全員にある。
目を閉じたまま、明るい未来を祈り続けた罰ともいえる。




