第1話 レベッカ視点 いつもと同じやりとり
「あっ」
焦ったような短い悲鳴のあと、がちゃん、と鈍い音がした。それを耳にして私は慌てて立ち上がって近寄りながら、しゃがんで割れた瓶に手を伸ばす姿に怒鳴る。
「触るなっ。ふー。危ないから、触らないで。ほら、私が片づけるから」
思わず強い言葉が出てしまった。だって、もし怪我をしたら大変だしつい。でもよくはなかった。息をついて反省しながらも、涙目で見上げてくるエミリーの頭を撫でて慰めてから、その背中を押して遠ざける。
「カウンター行って」
「……はい」
エミリーはしょんぼりしたまま、言われた通りにお店のカウンターにはいった。それを確認してから大きなガラスの塊をとって、小さいブラシで大まかな水分ごと細かな欠片を回収し、最後に雑巾で拭き上げる。
片づけ終わったので、残りの無事な瓶もさっさと移動させてしまう。エミリーはドジだけど、別に馬鹿ではない。基本的に真面目だし、片付けが特別下手とかそういうことはない。だけどうっかりぶつかったり、うっかり手が滑ったりすることが人より多い。
毎日軽くぶつかるくらいはよくあって、こうして物を壊すようなのは月に一回程度だ。掃除だって普段は任せている。例えば私が壊してしまった時などはガラスがあってもエミリーに片づけを任せても問題ない。だけどこうしてエミリー自身がミスをしてしまうと慌ててしまってうっかりを連続させて怪我をする可能性が高い。
よっぽど高価なものは自分で運ぶし、たまにこのくらいのミスをされたくらいで傾くような経営はしていない。
ここ、薬屋『右の棚』は私の家が代々経営してきた店だ。四年前に両親が亡くなってしまった際にはまだ学生だったので困ったけれど、税金を払って休業扱いにしてもらい無事、一昨年に経営再開してからかねてからの常連客に戻ってきてもらえていて、安定した経営を行っている。
二人分の生活費を賄うだけでなく、十分に余裕をもった経営をできている。そしてそれはエミリーが働いてくれているおかげでもあるのだ。一人ではさすがに手が回らないことも多い。
だからそんなに気にしなくてもいいのに。とはいえ、心配だからとはいえ怒鳴ってしまったのも事実。気まずい。
「、いらっしゃいませ」
「あ、い、いらっしゃいませー」
と思っているとドアベルがなって来客をつげたので、私は反射的に声をあげた。それにつられるようにエミリーも声をだしたので、私はタイミングよく作業が終わったのもあり、すっとエミリーに近寄り顔を寄せる。
「お客さんも来たし、切り替えてね。私は製薬に戻るけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫。切り替える」
私の小さな声での確認に対し、エミリーはやや表情をこわばらせながらも声を震わせずにそう返して小さなメモを渡してきた。二人きりならともかく、お客さんの前ではとっさに取り繕える。それはエミリーが毎日真面目に働いてくれている証だ。
私はそれに薄く微笑みながらメモを受け取り、カウンター裏の扉を通り、リビングを通って地下室へ向かった。
薬の保管や製薬によいので私の仕事部屋は基本的に地下室だ。先ほどは出来上がった追加の薬を品出しするために一時的に出ていただけだ。
その際に手が上の棚に当たって別の薬をエミリーが一つ駄目にしてしまったけれど、ちゃんとそれ以外の品出しや販売状況の確認もしてくれているので、メモをもとに追加で作成する薬を確認し、作業を始めた。
薬と一口に言っても色んな種類があり、作り方も様々だ。今日すぐにつくれるものもあれば、下準備もいれて何日もかかるものも少なくない。塗り薬もあれば飲み薬もあり、同じ症状に対してでも使用法が違えば使う材料も異なる。
必要なものを必要な数、出来上がるまでを逆算して作っていかなければならない。なれた作業ではあるけれど、それなりに頭を使う。
地下室で集中していると、すぐに時間がたってしまう。時間を忘れないためのアラームが鳴って、私はハッとして作業の手をとめた。
それから慎重に、区切りのよいところまで行ってから、本日のお仕事を終了する。
「エミリー、終わった?」
「あ、レベッカ、今、あっ」
店舗に続く扉をあけて声をかけると、それに振り向いたエミリーが手から鍵を落とした。窓はカーテンをかけられ、閉店作業は完了しているらしい、とさっと目を走らせて確認してからエミリーに近寄る。
片手で抱えるように外にだしていた立て看板を持っているエミリーはどうやって拾おうかと慌てているので、鍵を拾いながら笑いかける。
「ごめん。声かけるタイミングが悪かったね」
「ううん。私が悪いの……ごめんね。いつも、ドジで」
「鍵を落としたくらいでおおげさ」
「……でも、さっきはうがい薬をひとつ壊しちゃったし」
「もう忘れてたよ」
そう苦笑しながら鍵はポケットにいれて、立て看板を受け取って定位置に戻す。そして振り向いてぽんと落ち込むエミリーの肩を叩く。
「ほら、晩御飯にしよう。今日は何にする?」
「……うん。ハンバーグのつもりだよ」
「いいじゃん。早くつくろ」
エミリーはこの家で一緒に暮らしている。同じ街で生まれたとはいえ、どうせ部屋は余っているのだし最初から住み込みの形で住んでいる。
エミリーが料理が上手なので、味付けは基本任せている。エミリーの実家は料理屋だ。なので後継ぎではないエミリーも一通りの料理や接客は自然と身についていた。
私としても店主として開店するにあたりエミリーが店員になってくれたことは非常に助かった。私も料理がまったくできないわけではないのでお手伝いはするけれど。
そうして食事をとってから入浴をすませる。あとは明日に向けて寝るだけだ。薬屋の開店は昼前になる。それまでにもいろいろとすることはあるけれど、食堂に比べたら時間は短い。のんびりと余暇時間を過ごすことができる。
私は元両親が使っていた部屋を自室にし、エミリーに元自分の部屋を譲る形でそれぞれの部屋を確保している。なので一緒に住んでいると言っても、しっかりとお互いのプライバシーは確保している形だ。
「……ねぇ、ちょっとだけ、お話してもいい?」
そうして自室で寝転がって先月発表された新しい薬学書を流し読みしていると、こんこんとノックがされてエミリーの控えめな声が転がってきた。
それに私は慌てて本を置いて、身を正してベッドに腰かけた姿勢になって返事をする。
「どうぞ」
「お、おじゃまします……。ごめんね。ゆっくりしてるところ」
「いいからこっち、座って」
「うん……」
エミリーはまだ気落ちした気持ちを引き摺っているのか、促してもどこか浮かない表情のままゆっくりと私の隣に腰かけた。
「あの、一個だけ、聞いておきたいことがあって……」
おずおずとしながらそう言われてすぐに、あ、あれだな。とすぐに質問内容に予想がついた。
「なに? 遠慮しないでいいから、話してよ」
ついたけど、それを指摘するのも無粋だし、何より恥ずかしくて自分からは言えないので、そう気づいていないような顔をしてできるだけ優しく聞こえるような声をかけた。
「うん……あのね、私のこと、好き? まだ、嫌いになってない?」
一緒に暮らすようになってからこの質問を、何度もされてきた。何度だって答えてきた。それでも私は平然とはしていられない。何度だって緊張してしまう。それを自覚しながらも、私はゆっくりと口を開く。
「もちろん、好きだよ」
声が震えないように意識しながら、私はエミリーをまっすぐに見つめ返しながら言った。
ただのお友達として、親友として、ビジネスパートナーとして、同居人として。そんなただの親愛の感情だ。深い意味なんてない。わかっている。
わかっていても、この質問をされる度、上目遣いでどこか不安げにうるんだ瞳を向けられる度、どきりと胸がときめいてしまう。
私はもちろん、その理由をわかっている。私にとってエミリーはただのお友達なんかじゃないから。誰より大切で、愛おしくて恋しい、そんな人だから。だから違うとわかっていても、好きかと聞かれてドキッとしてしまうし、好きと言う言葉を言うのに恋心が伝わってしまわないか不安で、緊張してしまうのだ。
「よかったぁ。えへへ。ごめんね。また聞いて。でも、今日も失敗しちゃったから、失望されてないか不安になっちゃって」
にぱっと音がするかのように、花が咲いたかのように、ほっとしたように笑顔になったエミリー。その笑顔を自分の言葉で作ったんだと思うと、すごく幸せな気持ちになってしまう。
もちろん、おかしな意味なんてないのだ。私は何度このやりとりをしても浮き上がりそうになる気持ちを抑え込んで、穏やかに微笑んで見せる。
「何回でも聞いていいよ。でも、そんなことくらいで嫌いになるわけないでしょ。ちょっとは信用してよ」
「うん、ごめんね」
「謝らなくてもいいけどさ」
いやなわけじゃない。例え友情に過ぎなくても、好きって聞かれるのも、好きって言えるのも、恥ずかしいけど、少し嬉しくもある。
そんな複雑な感情を言えるわけもなく、曖昧にそう答えるしかできない。空気を変えたくて私はエミリーから顔をそらし、軽く右手の人差し指で虚空を指さすように手を動かしながら言葉を探す。そして思いついたのでその手をおろしながらエミリーを向く。
「あのさ、明日は休日だし、二人で出かけない? たまには遠出して、北東地区の自然公園とか。昔、うちの家族と行ったの覚えてる?」
「……うん。覚えてるよ。レベッカのおじさんとおばさんは私にも本当によくしてくれて、私の両親の代わりに、色んなところに連れて行ってくれたよね」
「そんな大層なことではないんだけど……その、気晴らしになるかなって」
エミリーの家は料理店で決まったお休みの日がない。だから私の両親が保護者替わりとして幼い頃は一緒に休日を過ごすことは少なくなかった。だけどそれは一人っ子だった私にとっても嬉しいことで、そんな風によくしてくれたとか必要以上にもちあげることではない。
そう思いながらも、まあいい思い出にしてくれているなら悪いことでもない。私は頭をかきながらもそう続ける。
「お弁当でもつくって、たまにはのんびり太陽の光でもあびるのもいいんじゃないかな」
「ふふ。そうだね。レベッカは特に、地下に籠ることが多いし」
「そういうことでは……まあ、そういうことか。うん。どう? 疲れてるなら、また今度でもいいけど。それか、ちょっと子供っぽすぎるなら別の、エミリーの行きたい他のとこでもいいけど」
言いながら途中で不安になってしまって、なんだか言い訳するようにそう続けた私に、エミリーは微笑みながらそっと私の手をとった。
「ううん。嬉しい。レベッカとなら、きっととっても楽しいと思う」
「……」
それにはっとした私と正面から見つめあいながら、エミリーはさっきまでとは違う落ち着いた声音で優しくそう言ってくれた。
かーっと体温が上がる。ただの慰めのつもりだった。軽い気持ちで、子供の頃みたいな気持ちでの提案だった。だけど、なんだか、まるでデートするみたいな気分になってしまう。
「えっと……じゃあ、明日、お弁当は私がつくるよ」
「一緒につくろう。その方が、きっと楽しいよ」
「あ、うん……」
デート、なんてきっとエミリーは考えていないだろう。ふんわりといつも通り柔らかな笑顔で自然体だ。そうだとわかっているのに、私は意識しはじめてしまう。
このデートで私を意識してもらおうとか、あわよくば恋人にとか、そんなことは望めないとしても、めちゃくちゃ楽しいデートにすればエミリーが他の人に告白されたりしても、でも私と遊ぶ方が楽しいからなと抑止力にくらいはなるかもしれない。
「ねぇ、レベッカ」
「え、なに?」
なんていう、卑しい欲望が湧いてきてしまい思わずぼうっとなってしまった私にエミリーがどこか伺うように声をかけてきた。できるだけ動揺を誤魔化しながら問いかけると、エミリーは握ったままの私を手をもちあげて両手でぎゅっと握って引き寄せるようにして、どこか気弱げに顎をひいて上目遣いの可愛い表情になる。
「今日、一緒に寝てもいい?」
可愛い。と見とれる脳みそでは一瞬理解できないことを言われた。
「……だっ、駄目」
理解すると同時になんとか断る言葉がでてきた。馬鹿になってしまうかと思うほど衝撃で、うっかり了承してしまう可能性もあった。危ないところだった。
「えー……どうして?」
「どうしてって……そんな年齢じゃないでしょ。駄目。ほら、明日お弁当一緒につくるんでしょ? はい、そろそろ寝るよ」
どうしても何も、一緒に寝るなんて今よりもっと幼い頃のお泊り会くらいだ。久しぶりのお出かけのお誘いにそんな気分になったのかもしれないけど、子供じゃないんだから本当に、勘弁してほしい。
これ以上おねだりされたらどうなってしまうか自分でもわからないので、私は立ち上がって繋がってる手のまま引っ張って立たせ、強引に部屋から押し出す。
「……意地悪」
「意地悪じゃないの。おやすみなさい」
「……はーい。おやすみなさい」
拗ねたように唇を尖らせるエミリーの可愛い表情から目をそらし、私は挨拶をしながらドアを閉めていき、不満そうな顔をやめて苦笑するように笑いながら返事をするエミリーを確認してから、頷きを返してドアを閉めた。
これは意地悪どころか、エミリーの為ですらある。いやもちろん、本当に寝たとして不幸な事故は起こらないだろう。自分の理性を信用しているとかではなく、単純にそんな度胸はないし、嫌がるエミリーに無理やりできるほど悪人ではない。でも間違いなく寝不足にはなるし、とにかく無理だ。
「………はぁ」
足音がしてエミリーが戻ったのを確認してから、私はベッドに戻って転がりながらため息をついた。
いっそ本当に一緒に寝て、我慢できなくなったら、私の気持ちは伝わるだろうか。好きだと言ったって伝わらないこの気持ち。
なんて、わかっている。本当に伝えたければ、恋人になってと。恋愛感情で好きなのだと言えばいい。私の意気地がないだけだ。だけどなかなか、告白のタイミングは難しい。
考えてみても欲しい。もうすでに同じ家で暮らしていて、家族みたいな距離感なのだ。フラれてしまえば、この生活はどうなるのか。というかエミリーからすれば、私は雇い主でもあり家主でもあるのだ。その時点で告白されて心のままに断れるかと言うと厳しいだろう。
今の状態で告白するのは、私の勇気だけでは難しい。せめてもう少し、エミリーに自信がついたなら。最悪他でも働いて行けるのだと自覚できる程度にはならないと、無理強いさせてしまうかもしれない。
……なんていう考えも、言い訳に過ぎないのかもしれないけど。そう思いながらも、私は目を閉じた。明日のお出かけが、少しでもいいきっかけになるよう祈りながら。