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超高速郵便網により、山積みだった書類の雪崩は制御されて私の元へと流れ込む。
これにより、王都の執務室でようやく全ての決裁を終えた。
東の大国ではウィリアムに後手を取った。
だが、次はこちらが仕掛ける番だ。
『毒の国』
ウィリアムの力の源泉。
魔薬の生産拠点。
あの男とのチェスに決着をつけるには、その心臓部を直接叩き潰すのも一手だ。
すでに部下たちに完璧な準備を命じてある。馬車に乗り込み、私は静かに目を閉じた。
さて、ウィリアム。
あなたの拠点をどのように蹂躙してあげようかしら。
物理的に焼き払うか。
あるいは経済的に掌握し、その流通網ごと乗っ取るか。
どちらにせよ、次はこちらが攻勢に出る番だ。
馬車の規則正しい揺れだけが、私の冷徹な思考に寄り添っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
数日後、私は目的の国へと足を踏み入れていた。
国境を越えると、空気はがらりと変わる。
肌を撫でるような温暖な風。道行く人々は皆、浅黒く日に焼けた肌を晒し、色鮮やかな布を身にまとっている。
私がイメージしていた『毒の国』
それは、ウィリアムが魔薬の製造拠点として選んだ場所。
東の大国で見た光景――人が虚ろな目で路上に転がり、甘ったるい異臭を放つ、退廃しきったこの世の終わりのような場所。
そう、確信していた。
しかし、私の目の前に広がる都の光景はその予想を鮮やかに裏切っていた。
通路は掃き清められ、市場には活気ある売り声が響き渡る。軒先には見たこともない色とりどりの香辛料や薬草が吊るされ、食欲をそそる不思議な香りが漂っていた。
「……」
人々は皆、朗らかに笑い合い、その表情は明るい。どこを見ても、魔薬に汚染された人間の姿など見当たらない。
どういうことかしら?
私は内心で多少困惑する。
護衛と共に事前に手配していた情報屋との接触場所へと向かった。
案内されたのは路地裏にある薄暗い香辛料の店。強烈な匂いが鼻をつく。
店の奥、ビロードのカーテンの向こうに通されると、痩せた男が水煙管をくゆらせていた。
「……あんたがリリス・ヴォルテクスか」
「あなたが情報屋ね。早速だけれど聞きたいことがあるの」
私が席に着くと、男は値踏みするように私を一瞥した。
「ここは『毒の国』と呼ばれているはずだけれど随分と活気があるのね。私が想像していたものと随分と違うようだわ」
私の言葉を男は鼻で笑った。
「あんたもよくある勘違いをしているクチか。……いいかい、ここは『毒の国』だ。だが、あんたが想像するような毒に侵された国じゃねぇ」
男はゆっくりと煙を吐き出し、言葉を続けた。
「この国は昔から薬草の栽培で生計を立ててきた。薬草の中にはもちろん猛毒になるものもある。だからこそ、この国は毒に対して世界のどの国よりも意識が高いのさ」
「意識が高い?」
「ああ。この国で毒を使った暗殺なんぞやらかしてみろ。本人はもちろん、一族郎党皆殺しの上、本人は一ヶ月にわたる過酷な拷問の末に殺される。国が定めた、絶対の掟だ」
その言葉に、私はわずかに眉をひそめた。
私の組織でもそこまで過激な処罰はそうそうない。
「それだけじゃない。毒物の販売経路は全てを国が厳格に管理している。どこで生産され、誰の手に渡り、何に使われたか。その全てが記録される。仮にこの国で毒殺を犯して海外に逃げたとしても無駄なことだ」
「……どうしてかしら?」
「国の暗殺組織が地の果てまでも追いかけて、必ずその首を狩りに行くからさ。……そうでなければ、安心して毒物を輸出なんてできないだろう?」
男は当たり前のことだと言わんばかりに肩をすくめた。
私はその言葉に内心で深く感嘆していた。
――なるほど、合理的ね。
毒物・薬草を生産している国だからこそ、その管理体制は完璧。
乱用を防ぐための徹底した仕組みが、この国の基盤そのものになっているというわけね……
私が黙り込んでいる様子を見て、情報屋が鋭い視線を私に向けた。
「……まさかあんた、国の流通管理を介さずに毒物を買いたいってんじゃないだろうな?もしそうなら、この話は降りさせてもらうぜ。俺も命は惜しいんでね」
「あら、誤解よ。そんな危険なことをするつもりはないわ」
私は優雅に微笑んでみせる。
「ただ、ある物の情報を探しているだけ。強い『多幸感』を感じさせると聞いているわ」
カマをかけてみた。
実際はウィリアムの部下から得た情報で、具体的な農場の位置も出荷する港もすでに把握している。
けれど、この国の人間がウィリアムの『魔薬』をどう認識しているのか。その情報を探っておく必要があった。
私の言葉に情報屋の目が光った。
「……複数の原料を混ぜて作るのか?」
「どうかしら?混ぜていてもおかしくはないわね」
私の曖昧な返答に、男は何かを思いついたように指を鳴らした。
「多幸感、複数の原料、ってことは配合があって……。ははぁ、あんた『あれ』のことか!」
男は膝を打ち、嬉しそうに笑った。
「確かに、この国の香辛料を秘伝の割合で調合したあれは、一度味わえば人生が変わる。食べた者は皆『天国を見た』って言うぜ。あんたもよく調べてきたもんだ」
香辛料?食べる?
(……何か違う話をしているわね、この男)
しかし、私がそう指摘する前に男はさらに話を続けた。
「長老のじいさんは激怒するだろうが……まあいい。あんたみたいな大物が目をつけるのも当然か。ついてきな」
情報屋はそう言うと水煙管の火を消し、おもむろに立ち上がった。
「どこへ行くの?」
「決まってる。『料理人ギルド』のじいさんのところさ」
「……料理人?」
私の疑問を意にも介さず、情報屋は店の出口へと向かう。
「待ちなさい。私が探しているのは料理ではなくて……」
「分かってる、分かってる。あれはもはや料理なんてもんじゃねぇ。料理の域を超えた、芸術であり、奇跡であり……そして禁断の果実だ」
情報屋は振り返り、うっとりとした表情で言った。
「料理とは思えないほど、素晴らしいからな」
……だんだんと雲行きが怪しくなってきた。




