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私の絶叫が廊下に響き渡った後、そこにあったのは死んだような静寂だけだった。
決裁を求めて殺到していた各部門の長たちも、泣きついていたアレクシス王子も、まるで時が止まったかのように動きを止めている。
「……」
誰もが一様に恐怖の目で私を見つめている。
私は大きく息を吸い込み、限界まで冷静さを装って命じた。
「今日この瞬間より、私の執務室への入室を、鳥類と人類問わず一切禁ずるわ」
「「「は……?」」」
「聞こえなかったのかしら? この紙の山、鳩のフン害、そしてあなたたちの無秩序な行列。私の気分は最悪よ。これ以上の侵入は許可できない」
私は書類が雪崩のように堆積する執務室の入口を指差す。
「この部屋が本来の機能を取り戻すまでの暫定措置よ。異論は認めないわ」
有無を言わせぬ響き。
私のその宣告に、部下たちは顔面蒼白になりながらも頷くしかなかった。
彼らの頭の中では「執務室に入れない=決裁が貰えない=業務が滞る」という絶望的な方程式が完成しているのだろう。
――知ったことではない。
私の決定は絶対だ。
その日から私の執務室の扉は固く閉ざされた。
護衛が二人、まるでケルベロスのように扉の前に立ち、いかなる者も通さない。
予想通り、組織の機能はあちこちで麻痺し始めた。
部下たちは恐怖で震え上がりつつも、決裁が下りないために身動きが取れず右往左往している。
泣きそうな顔で遠巻きに私の様子をうかがう者もいるが、私は一切無視した。
非効率だわ……
このままでは組織そのものが崩壊しかねない。
だが、あの書類の山に再び埋もれるのは絶対に御免だ。
私は新たな指令を出すことにした。
「全ての報告を規定の用紙一枚に要点をまとめて記載すること。そしてそれを指定された箱に投函しなさい。私が目を通し、必要であれば指示を追記して返却するわ」
各部門の前に頑丈な木箱が設置された。
報告書の様式も私が作成したテンプレートに統一させる。
これにより、無駄な美辞麗句や冗長な説明は一切排除された。
報告は極限までスリム化された。
最初の数日は上手くいった。
書類の山に物理的に圧殺される恐怖からは解放される。
しかし、新たな問題が発生するのに、そう時間はかからなかった。
「リリス様! 各地の投函箱がすでに満杯で溢れかえっております!」
「箱に入りきらない書類が廊下に山積みになり始めており……!」
……そう。
根本的な業務量が減ったわけではない。
報告の形式を変えたところで、情報の総量は変わらない。
執務室が書類で埋まる代わりに、今度は王国中に設置された箱がパンクし始めたのだ。
「これでは埒が明かないわ……」
重く見た各部門の幹部たちが、私の知らないところで密かに動き出したらしい。
数日後、私の元へジェームズ・ニットが深い隈を目の下に刻んでやってきた。
「リリス様。幹部の皆様から泣きつかれまして……箱の中身を最速でリリス様のお手元へ届ける方法はないものかと……」
私は思わずこめかみを押さえた。
なんか、ジェームズが私の技術開発部みたいな扱いになってきたわね……
まあいいわ。
彼なら何とかしてくれるかもしれない。
「……何か良い案があるというのなら聞きましょう」
私の許可を得て、ジェームズは待っていましたとばかりに目を輝かせた。
そして、彼が数日徹夜して練り上げたであろう計画を語り始めた。
「はい。 まず、私が開発した『魔導エンジン』を搭載した、超高速輸送馬車を開発します」
「それに加えて、王国中に張り巡らされ始めた鉄道網も最大限に活用します。ハロルド殿の会社と連携し、全国に集配拠点を整備。専門の配達人も育成します」
彼の計画は壮大で、そして緻密だった。
魔導エンジン馬車と鉄道網。
二つの最新技術を組み合わせ、王国全土を網羅する情報伝達のハイウェイを築き上げるというのだ。
「これならば、王国中の箱に投函された書類を一日もかからずにリリス様のお手元へ……」
その熱弁に、私はただ静かに頷いた。
「……よろしいわ。すぐに着手なさい」
私の承認を得て、計画は驚異的な速度で実行に移された。
ジェームズの工房はフル稼働し、ハロルドの会社は組織の総力を挙げてインフラ整備と人材育成にあたる。
そして、わずか数ヶ月後。
王国には、かつてない超高速の郵便網が完成したのであった。
各地から集められた報告書は魔導馬車と列車によって瞬く間に王都へ、そして私の元へと届けられる。
書類の滞留は解消され、組織の機能は以前にも増して円滑に回り始めた。
ふふ、結果的に、さらなる効率化を達成してしまったわね……
これでようやく、執務室を埋め尽くす書類の悪夢から解放される。
私は一人、ほくそ笑む。
かくして、人類と鳥類の執務室への入室禁止の令は解かれた。
「リリス様、万歳!」
「これで仕事が進められます!」
部下たちは安堵と歓喜の声を上げた。中には涙ぐむ者さえいる。
彼らにしてみれば死活問題だった。私の不在がいかに組織の機能を麻痺させるか、身をもって理解した一件であった。
私はようやく片付いた執務室の椅子に深く腰を下ろした。
これで平穏な日々が戻ってくる……はずだった。
だが、私はまだ知らなかった。
この完璧なはずの超高速郵便網が私にとって不本意な出来事を引き起こすことを……




