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さて、どうやってあのボルコフとかいう商人を捕まえ、情報を吐かせるか。
滞在先の宿の一室で、私は窓の外に広がる灰色の北の海を見つめながら、思考を巡らせていた。
隣国から流れる不審な金の受け皿となっている、あの肥え太った小物。
ウィリアムに通じている可能性は無視できないけれど……。
(ああ、それにしても……)
どうにもやる気が出ない。
先日見かけたあの男の、欲望に忠実で、それでいて底の浅い瞳。
あんな小物が、あのウィリアムと直接繋がっているとは到底思えなかった。
私の組織を使えば彼の身柄を拘束することなど造作もない。
けれど、あんな小物のために、私の優秀な部下が一人でも怪我をするなんて考えただけで腹立たしい。
「効率的に、後腐れなく処理したいわね……」
私がそう独りごちた、その時だった。
テーブルの向こうで、私が持ち込んだ高級ワインを水のように呷っていたディノが、ニヤリと歯を見せて口を挟んできた。
「リリス、そんな小物のことで悩んでんのか? 俺にいい方法があるぜ!」
その、自信に満ち溢れた声。
私の胸に、一気に不安が広がっていく。
隣にいた海賊の首領、レイヴンも面白そうに口の端を上げた。
「ほう? 聞かせてもらおうじゃねぇか、ディノ」
「おうよ!」
嫌な予感しかしない。
けれど、無下に断るような理由もない。
私は、仕方なく先を促す。
「……聞くだけ聞いてあげるわ」
私のその言葉に、ディノは待っていましたとばかりに胸を張った。
彼が語り始めた作戦は、私の想像を遥かに超える、稚拙なものだった。
まず、私の諜報員の部下を使い、「北の海で古代の財宝が発見された」という偽の情報を、ボルコフの耳に入れる。
「欲に目がくらんだあのデブのことだ。誰よりも先にそれを手に入れようと、オンボロの調査船で自ら海へ出るに違いねぇ」
「そこを、待ち構えていたレイヴンの海賊船で拿捕するんだ。簡単だろう?」
……は?
私は一瞬、自分の耳を疑った。
あまりに単純で、穴だらけで、そして相手を馬鹿にしきった作戦。
「……本気で言っているの?」
「おう、本気だぜ!」
悪びれもせずに頷くディノと、楽しそうに喉を鳴らすレイヴン。
私はこめかみを押さえた。
「あなたね……。ボルコフも、そこまで愚かではないでしょう。そんなもので捕まるなんて、光に引き寄せられる蛾と同レベルだわ。芸を覚えた猿の方がまだ利口よ」
「……」
「私の部下が、万が一にもそんな作戦書を提出してきたら、その場で解雇を言い渡すレベルね。あなたのその作戦、北の氷河が覆う海よりもお寒いわよ?」
私の辛辣な評価に、さすがのディノも少しだけ気まずそうに顔をそむける。
しかし、彼は諦めなかった。
「まあ、騙されたと思って見てなって! 絶対うまくいくからよ!」
そう言って、彼は私の返事も待たずに部屋を飛び出していった。
レイヴンも面白そうにその後を追う。
「やれやれ……」
私は深々とため息をついた。
……まあいいわ。
どうせ失敗するに決まっている。
その時は、私が別の方法で片を付ければいいだけのこと。
私は窓辺に腰掛け、冷めた紅茶を一口含んだ。
そして、その数時間後。
私は、自分の常識が、根底から覆される光景を目の当たりにすることになる。
港の一角で、ボルコフが目を血走らせながら、船乗りたちにがなり立てていた。
「早くしろ! ぐずぐずするな! 財宝はこの私が一番乗りで手に入れるのだ!」
彼はおんぼろとしか言いようのない小型の調査船を用意し、自ら乗り込もうとする。
その姿は私の酷評した通り、光に群がる一匹の醜い蛾そのものだった。
「そ、そんな馬鹿な……!」
私は、窓枠を掴んだまま、呆然とつぶやいた。
(こいつ……頭の中は夢と希望だけで満たされているのかしら……?)
その隣で、いつの間にか戻ってきていたディノが、これ以上ないほどのドヤ顔で私を見ている。
レイヴンも肩を揺らして笑っていた。
……鬱陶しい。実に、鬱陶しい。
やがて、ボルコフを乗せたおんぼろ船は、期待に満ちて沖へと出て行った。
そして、水平線の向こうに消えてから、わずか一時間。
レイヴンの海賊船『黒鴉』が、その哀れな獲物を船ごと占拠したのであった。
結果として、ボルコフは私の前に引きずり出された。
私は、その無様な姿を見下ろしながら、内心で静かに思考を巡らせる。
(幾度も無謀な調査船を出し、多くの人間を死なせてきた男が、自ら調査船を出して難破する。あるいは、この周辺で最も脅威とされる海賊船に拿捕される……)
どちらにせよありそうで、誰も疑わない彼の破滅。
私の存在が表に出ることもない。
ディノの作戦は稚拙極まりなかったけれど、結果としては最良の結末になった、と言えるのかもしれない。
◇◇◇◇
私はボルコフを、海のど真ん中に浮かべた『黒鴉』の船上へと連れ出した。
彼の体は太いロープで縛り上げられ、マストから吊るされている。
「さて、ボルコフ。あなたに聞きたいことがあるの」
「きっ貴様! 一体何を! 私は高名な商人だぞ! 」
まだ状況が理解できていないらしい彼に、私は氷のように冷たい微笑みを向けた。
私は傍らに控えるレイヴンに目配せする。
彼は無言で頷くと、ロープを固定していた滑車を緩めた。
ボルコフの巨体が、悲鳴と共に極寒の北の海へと叩きつけられる。
「ごぼっ! ぶはっ! つっ冷たい! 死ぬ! 死んでしまう!」
数秒後、引き上げられた彼は寒さと恐怖でガタガタと震えていた。
「あなたの金の出所はどこ?」
「し、知らん! 私は何も知らん!」
再び、彼の体は海へと沈められる。
それを何度も、何度も繰り返した。
「やっやめろ! 貴族がこんな非人道的な拷問をしたと知れてタダで済むと思っているのか!」
引き上げられたボルコフが、最後の力を振り絞るように叫んだ。
私は可哀想なものを見る目で彼を見下ろした。
「タダで済むわよ? だって、海賊に捕まって不運にも命を落とした死人に、喋る口なんてないでしょう?」
私の言葉の意味を理解した瞬間、彼の顔から血の気が引いていく。
寒さと恐怖に完全に心を折られ、彼はみっともなく命乞いを始めた。
「たっ助けてくれ! 何でも話す! だから命だけは!」
私は再び、彼を海に浸しながら、辛抱強く情報を引き出そうと試みた。
しかし、どうやら彼は本当に何も知らないらしい。
隣国の誰かから、ただ言われるがままに金を受け取り、それを元手に高利貸しをしていただけ。
本物の小物だった。
私は大きく深いため息をついた。
「あなたをここで消して、あなたの屋敷に強引に押し入って情報を探してもいいのだけれど……。正直、面倒なのよねぇ」
そう言って、私は遠い目をする。
そして、彼が生き残るための提案をしてあげることにした。
「あなたの全財産、そして屋敷。そのすべてを私に明け渡すように遺書を書きなさい。そうすれば命だけは助けてあげましょう」
「そっそんな! そんな横暴があってたまるか! 神が見ておられるぞ!」
ありきたりな抵抗の言葉。
私は、つまらなそうに肩をすくめた。
「まあ、私はどっちでもいいのよ。できるだけ生かしてあげるつもりだけど、こうやって何度も海に浸していればいつかは死ぬでしょうし。決めるのはあなたよ」
私はそう言いながら、再びレイヴンに合図を送る。
ボルコフの絶叫が、灰色の空と海にこだまする。
私はその声を背景に、船室へと入っていった。
温かい紅茶でも飲んで、少し休憩するとしましょうか。
最終的に、ボルコフが命惜しさに、震える手で遺書を自筆したのは、それから一時間も経たないうちのことだった。
全ての処理を終え、私は甲板で潮風に吹かれていた。
手にはボルコフが書いたばかりの遺書。
「ふふ、私のやっていることも海賊と大して変わらないわね」
自嘲めいた笑みを浮かべると、隣に立っていたレイヴンがニヤリと口の端を上げた。
「ディノ。お前の女は確かに刺激的でいい女だ」
「当たり前だ! てめぇにはやらねぇよ」
即座にディノが、威嚇するように返す。
……だから、ディノの女でもないのだけれど。
そのやり取りに、私は思わず小さく噴き出してしまうのだった。




