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世界を裏で牛耳る 『悪役令嬢』──恋愛だけは迷走中【連載版】  作者: ぜんだ 夕里
自由の船は、彼女の港に寄ることはなく……

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 辟易、という言葉がこれほどしっくりくる旅路も珍しいだろう。


 私は手にした新聞の紙面を眺める。


 『魔導式印刷機』が刷り上げた、インクの匂いも真新しい新聞。


 一面に躍るのは『極東の大国で治安が悪化、交易ルートに懸念』などという、いささかきな臭い見出し。

 ふむ、これは後で情報部門に詳細を調査させる必要があるわね。

 私がそう思考を巡らせた、まさにその時だった。


「リリス様ッ! お願い申し上げます! この決裁を、どうか今日中に!」


 馬車の窓の外から、馬を並走させる部下の叫び声が聞こえてくる。

 見れば、鉱山資源の部門長が汗だくで分厚い書類の束を差し出していた。

 先日も街道で土下座していた男だ。


「……あなた、また来たの?」


「はっ! 申し訳ございません! ですが、この新規鉱脈の採掘権、本日中にサインを頂かねば、隣国の横槍で権利が失われてしまいます!」


 私はもはや抵抗する気力も失せ、深々とため息をついた。

 差し出された書類を受け取り、揺れる馬車の中でサインを書き込む。

 それを窓から放り投げると、彼は涙ながらにそれを受け取り、再び馬首を返して走り去っていった。


 結局、この北方への旅路は前回と何ら変わりはなかった。

 私の動向を完璧に予測した部下たちが、街道の至る所で待ち伏せしている。


 峠の茶屋で休憩していれば、食料の物流を管理する男が泣きついてくる。

 宿場町で一泊しようとすれば、武器密売ルートの責任者が血相を変えて駆け込んでくる。

 私の馬車は、いつの間にか『移動執務室』と化していた。


 その結果、当初の予定より数日遅れて、私はようやく目的地の港町へと到着した。


 北の海から吹き付ける潮風は王都よりもはるかに冷たく、そして荒々しい。

 用意していた分厚い外套を羽織り、冷たい息を吐く。

 寂れた漁村を想像していたが、意外にも港は活気に満ち溢れていた。

 この活気はきっとディノの船団がもたらしたものなのだろう。

 彼の人を惹きつける天性の才覚と、大漁がもたらす富。

 それが、この地の経済を潤しているに違いない。


 私は少しだけ感心しながら町の中心にある酒場へと足を向けた。

 ディノはきっとこの辺りで飲んだくれているに違いない。

 私の予想は、半分当たり、そして半分以上、外れていた。


◇◇◇◇


「うおおおおおっ!」

「いけぇ! ディノ! 潰せ潰せ!」


 酒場の扉を開けた瞬間、むっとするような熱気と、男たちの野太い歓声に包まれた。


 中央に据えられた大きなテーブル。

 その周りを、屈強な男たちが幾重にも取り囲んでいる。

 その中心でディノが上半身裸になり、顔を真っ赤にして腕相撲に興じていた。

 彼の額には青筋が浮かび、鍛え上げられた腕の筋肉がはち切れんばかりに盛り上がっている。


 その対戦相手を見て、私は思わず眉をひそめた。


 日に焼けた肌、無精髭、そして、その眼光の鋭さ。

 腰に下げた長剣と、着古した革のコート。

 どう見ても、カタギの漁師ではない。



 あれがこの辺りの海域を縄張りとする、海賊の首領ではないか?



 ディノの周囲で声援を送る男たちも、そのほとんどが同じような風体の者たちだ。

 私の護衛たちがいつでも動けるように、そっと腰の魔導銃に手をかける。


 だが、その場の空気は、意外なほどに和やかだった。


 勝敗を賭けて金を握りしめる者。酒を酌み交わし互いの肩を叩き合う者。

 やがて長い長い拮抗の末、ディノの拳がゆっくりと、しかし確実にテーブルへと沈められた。

 ドンッ! という鈍い音と共に、酒場は割れんばかりの歓声に包まれる。


「ちくしょう! 負けたぜ!」


 ディノは悔しそうに叫んだが、その顔は満面の笑みだった。

 彼は対戦相手の男の肩を力強く叩くと、ジョッキに残っていた酒を一気に煽った。

 その楽しげな光景に、私は酒場の入り口で呆然と立ち尽くしていた。


 ……私、来る意味あったかしら……?


 ウィリアムの脅威、魔薬の流入、海賊との闘争。

 そういった最悪のシナリオを想定し、わざわざ王都から足を運んだというのに……


 当の本人はその海賊たちと、この上なく楽しそうに腕相撲に興じているではないか。

 私の気苦労など、この男の前では大海に溶ける一滴の塩水にも等しいのかもしれない。

 どっと旅の疲れが全身にのしかかってくるのを感じた。


 踵を返してこのまま王都へ戻ろうかと考え始めた、その時だった。

 ディノがようやく私の存在に気がついた。


「お、おお! リリスじゃねぇか! どうしたんだ、こんな所まで!」


 私は優雅に微笑んだまま、内心でこめかみに青筋を浮かべた。


 どの口が言うのかしら。

 手紙で私を呼びつけたのは、どこの誰だったかしら?


 私の凍てつくような笑顔の奥にあるものに気づかず、ディノはあっけらかんと言った。


「ああ、そういや手紙で、見に来てくれって書いたっけか! 忘れてたぜ!」


 悪びれもせずに笑う彼に、私はもはや怒る気力さえ失せていく。


 まったく、この男は……。


 彼は人垣をかき分けて、こちらへ駆け寄ってくる。

 その声に、酒場中の視線が一斉に私へと注がれた。

 先程までの喧騒が嘘のように、シン、と静まり返る。


 値踏みするような、あるいは、警戒するような視線。

 その中で、ただ一人。

 ディノに腕相撲で勝利した男だけが面白そうに口の端を上げ、私を真っ直ぐに見つめていた。


◇◇◇◇


 酒場の二階にある、個室。


 私とその男は一つのテーブルを挟んで向かい合っていた。

 ディノはなぜか誇らしげな顔でその隣に座っている。


「こいつがこの辺りの海賊団『黒鴉』の頭、レイヴンだ。見ての通り、腕っぷしは強いが話の分かるいい奴なんだぜ!」


「……お前が、リリス・ヴォルテクスか」


 レイヴンと名乗った男が、低い声で言った。

 その瞳は、私という存在を、その本質まで見透かそうとするかのように、鋭く、そして深い。


「噂は聞いている。王国を裏で牛耳り、逆らう者は容赦なく海に沈めるとか。……ずいぶんと面白い女らしいな」


「あなたは噂通りではなさそうね。この海域で船が避けて通る元凶の海賊。それでいてなぜかディノと酒場で腕相撲に興じている」


「ディノは海を分かっている戦士だ。友として、俺の縄張りに入れてやったのさ」


「へへ、こいつも海賊だなんて言っても、気のいい奴だったぜ!」


 楽しげに笑い合う二人を、私はなんとも言えない気持ちで見つめる。

 私の気苦労はいったい何だったのかしら……。


 レイヴンは、テーブルに置かれた酒瓶を掴むと乱暴に栓を抜き、自分のグラスに、そして私のグラスにもなみなみと注いだ。


「堅苦しい挨拶は抜きだ。ディノの女ってことは、俺にとってもファミリーみたいなもんだ。まずは、一杯やろうじゃねぇか」


 ディノの女ではないのだけれど……


 その無遠慮な物言いに、背後に控える護衛のこめかみに青筋が浮かぶのが見えた。


 けれど私にとって、こういう態度を取られること自体がむしろ珍しいことだ。

 二人の、どこまでも自由で表裏のない様に、私の口元から思わず小さな笑みがこぼれ落ちていた。


(私の日常にはない種類の人間。……意外と悪くない気分ね)


 私は彼が注いでくれた酒を、一口、静かに口へと運んだ。

 喉を焼くような、安物の強い酒。

 だが不思議と、悪い味はしなかった。


 この一杯を飲むためだけに、わざわざこの北の港町まで来たのだとしても、まあ、悪くはないかもしれない。


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― 新着の感想 ―
ディノさんw海賊と戦友に?w それはともかく、リリスさんが居ないと色々回らない!!早急にリリスさんの後継者やら補佐やら、リリスさんが出かけても大丈夫な人材を育てないとですね! にしても、ディノさん、コ…
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