3
リリス・ヴォルテクスが工房を去ってから一週間。
私とジェームズは引き続き、寝る間も惜しんで試作機の改良に取り組む。
そしてついに、『魔導式印刷機』の試作一号機は完成した。
「素晴らしい……! フリード君、ついにやったぞ!」
興奮を隠しきれないジェームズが、私の肩を叩く。
明日の朝、リリス様の命令通り、性能試験を兼ねて新聞の創刊号を印刷することが決まった。
――ついに、この時が来た。
私の心に、復讐の黒い炎が再び燃え盛る。
これこそ、あの女の喉元に刃を突き立てる、絶好の機会。
その夜、私は月明かりだけを頼りに、静まり返った工房へと忍び込んだ。
印刷機にセットされた原版。
そこに刻まれているのは、リリスの指示に基づいた王都の最新ニュースと、主要な市場価格の一覧。
私は用意してきた別の原版と、それを手際よくすり替える。
新しい原版に刻んだのは、私が魂を込めて書き上げた告発記事。
『悪役令嬢リリス・ヴォルテクス、その悪逆非道の正体――富の裏に隠された血塗られた真実』
ヴォルテクス家が裏で行っているとされる非合法な取引。
敵対組織を潰した際の冷酷非情な手口。
そして、逆らった者たちが辿る悲惨な末路。
その全てを、扇情的な言葉で赤裸々に書き連ねた。
(明日の朝、この紙が王都に撒かれれば、人々はあの女の本当の姿を知る。求心力は地に落ちるだろう)
物理的な破壊ではない。
彼女が最も得意とする「情報」をもって、その社会的信用を失墜させる。
完璧な復讐の第一歩だ。私は静かな満足感に浸りながら、闇の中へと姿を消した。
◇◇◇◇
翌朝、工房には技師たちが集まり、試験運転は厳かな雰囲気で始まった。
魔導エンジンが低い唸りを上げ、巨大な機械が律動を始める。
やがて、排出トレイに刷り上がった新聞が次々と吐き出されていく。
ジェームズがその一枚を手に取り、満足げに頷いた。
「見事だ! 文字の潰れも滲みも一切ない!」
私も、逸る心を抑えながらその紙面を覗き込む。
そして――愕然とした。
そこに印刷されていたのは、私の告発記事ではなかった。
『ニット伯爵領、驚異の生産性向上! すべての鍵は偉大なる領主と、投資家リリス・ヴォルテクス様の慧眼!』
デカデカと、そんな見出しが躍っている。
本文には、リリスの先見の明がいかにこの領地を豊かにしたか、賛美の言葉が綴られていた。
(……な、ぜだ?)
血の気が引いていくのが分かった。
誰が? いったい、いつの間に?
昨夜、私が出た後、誰かが工房に侵入し、原版をさらにすり替えたとでもいうのか。
警備は完璧だったはずだ。
私の狼狽をよそに、ジェームズは刷り上がった紙の束を抱え、上機嫌で配りに行ってしまった。
私は、その場で立ち尽くすことしかできなかった。
だが、私は諦めない。
一度の失敗で折れるほど、私の復讐心は脆くない。
数日後、私は次の手を打った。
今度は、印刷に使うインクに細工を施した。
時間経過と共に化学変化を起こし、文字がゆっくりと滲んで読めなくなる特殊な魔術薬。
これを誰にも気づかれぬよう、インクの貯蔵タンクに混入させた。
(リリスの名で発行される公式文書や、彼女の息のかかった商会の契約書が、数日後にはただの汚れた紙切れになる。信用は失墜し、事業に多大な混乱が生じるはずだ)
しかし、結果はまたしても私の予想を裏切った。
数日後、ジェームズが血相を変えて私の元へ駆け込んできたのだ。
「フリード君! 君はまた、とんでもないことをしてくれたな!」
(……まさか、バレたか!?)
私が身構えると、彼は満面の笑みで私の肩を掴んだ。
「君がこっそり改良してくれた、あの新しいインクのことだよ! 我々のインクが、なぜか驚異的な耐水性と保存性を獲得したと王都で大評判になっている! 一体、どんな触媒を混ぜたんだ!?」
……触媒?
あの魔術薬が、インクの定着性を飛躍的に向上させる結果になったというのか。
馬鹿な、ありえない!
私の完璧な計算が、なぜこうも裏目に出る。
さらに私は、ヴォルテクス家と取引のある商会に関する偽のネガティブ情報を、印刷物に紛れ込ませることも試みた。
しかし、その偽情報はなぜか巡り巡って競合相手の不正を暴く決定的な証拠となる。
結果的にリリスの商会の株を上げる手助けをしてしまった。
◇◇◇◇
何をしても、だめだ。
私の完璧な計画はことごとく、「リリスの成功」へと繋がってしまう。
――もはや、偶然とは考えられない。
これは、あの女が裏で糸を引いているに違いない。
疑念が確信に変わった頃、リリスが再び工房を訪れた。
私は、彼女の真意を探るべく、意を決して鎌をかけた。
「リリス様。近頃、この印刷機が我々の意図しない幸運ばかりをもたらします。まるで機械自身に、リリス様のお考えを汲み取る意志があるかのようで…… これもリリス様の深遠なるご計画の内なのでしょうか?」
私の皮肉めいた問いに、リリスは心底つまらなそうに、細い眉をわずかにひそめた。
「……何、馬鹿なことを言っているの? 機械に意志? あなた、疲れているんじゃないの?」
彼女は私を一瞥すると、興味を失ったように踵を返す。
「不具合があるなら、さっさと原因を究明して直しなさい。私は、あなたの非効率な妄想に付き合っている暇はないの。結果が全てよ」
その、あまりにも完璧な「無関心」
本当に何も知らないのか。
それとも、全てを知った上で、私という存在を歯牙にもかけず、弄んでいるのか。
分からなかった。分からないことが、何よりも私のプライドを苛んだ。
(……いいだろう。ならば、お前が決して無視できない、完璧な一撃を見舞ってやる)
そのためには、この印刷機を完全に私の支配下に置く必要がある。
外部からの干渉を一切許さず、私の意のままに動く、完璧な復讐の道具へと昇華させる。
私は、再び設計図に向き合った。
より強固な魔術的セキュリティ。
インクの成分をリアルタイムで監視する検知システム。
原版のすり替えを物理的に不可能にするロック機構。
私の復讐への執念。
それが皮肉にも『魔導式印刷機』の性能を押し上げていく。
来る日も来る日も、私は機械の改良に没頭した。
その姿はただひたすらに完璧を求める、狂気じみた技術者そのものだった。




