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数日後。
アーサーデール伯爵家から夕食への招待を受けた。
私は屋敷を訪れることになった。
せっかくの婚約後初めての正式な食事会。
伯爵夫妻とも親睦を深めるいい機会である。
装いは少し落ち着いた紅のドレス。
髪もすっきりとまとめる。
出発前に、執務室で護衛隊長に指示を出す。
「伯爵家は格式こそあるけれど、警備は華奢よ。正面玄関に立つ衛兵は二名のみ」
「了解しました。周辺を三班に分けて遊撃。御身には私を含めて四名貼り付きます」
「――穏やかな社交の夕べになるといいけれど、備えは万全に越したことはないわ」
馬車が石畳を滑り出すと、車窓の端に護衛の影が数回よぎるのだった。
アーサーデール家の屋敷に着く。
古くからある由緒正しい建築。
石造りの壁や繊細な装飾が美しい。
玄関ホールを進んでいくと、伯爵夫妻やフィリップが出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました、リリス様。お忙しいところ恐れ入ります」
「いえ、こちらこそお招きありがとうございます。とても楽しみにしておりましたわ」
挨拶を交わし、奥の食堂へと案内される。
テーブルには伯爵家自慢の料理が、上品な香りが漂わせる。
料理人の腕は確かなようで、スープやメインの肉料理も上質だとわかる。
伯爵夫人はにこやかに席をすすめる。
「リリス様はドレスがよくお似合いですね」
私は当たり障りのない応対に徹しながら、穏やかに言葉を返す。
会話の内容はきわめて普通――
貴族の子女が交わす礼儀的な社交辞令が多い。
けれど、フィリップが時折、私の様子をじっと見つめて。
「大丈夫? 疲れてない?」などと口添えする。
私は笑顔で首を振った。
(こういう細やかな気遣いができる人なのね。私より社交が上手なんじゃないかしら)
そんなことを考えながら夕食を楽しむ。
あっという間に時間が過ぎていった。
やがて伯爵夫妻が「少し休んでいってください」と応接間へ私を誘導する。
フィリップも同席する。
私たちはソファに腰掛け、お茶を飲みながら再び雑談を始めた。
「今日の食事はとても美味しかったですわ。メインディッシュのソースが独特で、食材の味を引き立てていました」
「それは良かった。実はあのソース、うちに代々伝わるレシピでしてね……」
伯爵は誇らしげに語り始め、私は相槌を打つ。
その横でフィリップも微笑む。
彼なりに家の伝統を紹介してくれた。
部屋の調度品の来歴や、先祖ゆかりの小話を聞く。
アーサーデール家が大切にしてきた歴史が伝わってくる。
私は優雅な仕草を崩さずに、穏やかな時間を内心で楽しんだ。
……それが、あんな事態になるまでは。
◇◇◇◇
応接間で出された紅茶を味わっている最中のことだった。
扉の外で不穏な気配を感じ取り、ソファの裏へ転がり込む。
すると、私の手元にあったティーカップが鋭く弾け飛んだ。
「――っ!」
一瞬で状況を察し、私は反射的に出入口と窓を確認する。
同時にソファに座っていたフィリップの首根っこを掴む。
半ば強引にソファの裏へ押し倒すように隠れさせた。
「リリス……? な、何が――」
フィリップの声は動揺を含んでいる。
しかし今は説明の暇などない。
(……気配からして、室内には侵入していないが、廊下に少なくとも三人。ああ、外にも一人、バックアップがいるみたいね)
私の思考は冷静だ。
ティーカップを撃ち抜かれたため、私を狙ったものと考えて間違いない。
そしてセキュリティが手薄な伯爵家の夕食の場。
――敵対する組織が私を潰すために仕掛けてきたのだろう。
フィリップは頭を抱え込むようにしながら、私を見上げる。
その瞳には、不安と疑問が渦巻いている。
(ああ……こんなに動揺してしまうと、相手に『舐められ』て、襲撃が有効な手だと考えられてしまうわ)
私は彼の手をギュッと握り、「大丈夫、じっとしていて」とささやいた。
室内にいる伯爵夫妻らは悲鳴をあげて、一斉に床へ伏せた。
あちこちで「助けを呼べ!」「衛兵は何をしている?」と混乱の声が上がる。
しかし、私にはわかる。
相手はかなり手馴れだ。
普通の衛兵程度では太刀打ちできない。
――すると、扉の外で何発もの魔道銃が轟いた。
激しい撃ち合いが行われている気配が伝わってくる。
(私の護衛が応戦している。……これなら多分大丈夫)
私は素早く状況を整理する。
ふと隣にいるフィリップを見ると、彼が小さく肩を震わせている。
無理もない。こんな銃撃戦など、貴族の家にとっては非日常すぎる。
(このまま結婚なんてすると、伯爵家への襲撃が増えそうね……)
そう考えた瞬間、外からの銃声がピタリと止んだ。
しばしの静寂。
私はフィリップに目配せしてから、そっとソファの裏から身を起こす。
「リリス、危ないよ……!」
「大丈夫。今のうちに状況を確認しておきたいの」
扉をゆっくり開けた矢先、「動くな!」という声が室内に響く。
廊下から姿を現した男が、私に向けて魔導銃を突きつけてくる。
すぐにフィリップが私の前に立ちはだかった。
「……っ、リリスには手を出すな!」
その声は震えていた。けれど、彼は必死に私を庇う。
私は、そんな彼の背を見つめて少し複雑な気持ちになる。
(弾が残っているなら、男はすぐに撃ってきたはず。撃ってこないのだから、恐らく弾切れね。怯えるほどのことじゃないわ)
そう瞬時に判断した。
しかし――
フィリップが身を挺してくれている姿勢はなかなかに感動的だ。
(あ、このシチュエーションはちょっと素敵かも……)
こんな状況で何を考えているんだか……
我ながら呆れる。
とはいえ、いつまでも茶番を続けられない。
私は落ち着いて後方に控えている護衛に目で合図した。
すると、護衛のひとりが素早く男の懐へ飛び込み、強引に腕をひねり上げる。
ガシャン、と銃が床に落ち、そのまま男は身動きのとれない状態へ追い込まれた。
「こいつは生け捕りにしておいて。できるだけ情報を引き出しなさい」
私が淡々とそう指示すると、護衛たちは慣れた手つきで男を拘束する。
「あと、倒れている者にも一応、頭部と胸部に追加で一発ずつ入れなさい」
「はっ!」
護衛たちが声を合わせ、迅速に散っていく。
呆然と見ていたフィリップや伯爵夫妻。
その光景に言葉を失っているのだった。
ーー私は、リリス・ヴォルテクス。
裏社会において膨大な資金や物流網を握る組織の実質的トップ。
父から引き継いだこの『事業』を、飛躍的に発展させたのは私。
世間では『悪役令嬢』と揶揄されることもあるのだ。