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気づけば、参加者もほとんど残っていない。
(こんな光景、貴族の婚活パーティーとは思えない。これで残っているのは何人かしら?)
周囲を見渡すと、まだひとりだけ残っている男性がいた。
長身で銀髪がややくしゃっとしている青年だ。
彼はまるで先ほどまでの騒動を認識していないかのように、ぼんやりしていた。
少し前まで女性陣と楽しそうに話していたようだが、もう皆逃げてしまった。
どうするつもりなのかと思っていると、彼はこちらを振り返り、近づいてくる。
「やあ、リディアさん。なんだかみんな急に用事があるとかで出て行ってしまったね。残念だ。せっかくの機会なのに」
その言葉を聞き、私は微妙な気分になった。
なぜなら彼の表情はきわめて暢気だったからだ。
命がけの場所に放り込まれたとは微塵も思っていないようだ。
「あら、そうね。でもあなたは大丈夫なの?」
私がそう尋ねると、彼はにこやかに頷きながら答える。
「俺はハロルド・エイムズ。料理と掃除が得意なんだ。実は主夫志望でね。君が稼いでくれるなら、俺は家事全般を頑張りたいと思ってる。もちろん子どもができたら育児も俺がするよ。だから……もしよければ結婚してほしい」
あまりにあっさりした求婚に、私は返答を忘れてしまった。
まさかここまで軽薄な言葉を真顔で言われるとは予想外だった。
「料理と掃除、得意なのね。それは……まあ、助かることではあるけれど」
「そうだろう? それなら決まりだ。君も働くのが好きそうだし、稼ぎの心配は要らないよね?」
あまりに率直で脳天気な発言。
(最後に残ったのはただ鈍感で脳天気な男だったか。でも、恋愛対象としてはちょっと……)
せっかく潜入したというのに……
恋愛はおろか、会話としても噛み合う気配がなさすぎて、私は深い失望を覚えた。
「ええと、悪いけれど、私には用事があるの。だから失礼するわ」
場を持たせるのも苦痛だったので、私はそう言い残して会場を後にした。
◇◇◇◇
翌日、部下がやってきて昨日の報告をしてきた。
「リリス様。昨日、隣国のスパイが四名、暗殺者が二名、そして債務者が三名、処理済みでございます。おかげで彼らを一網打尽にできました。さすがリリス様でございます」
部下は上機嫌だが、私は心の中で溜息をつく。
やはりあの場にいた者たちはほとんど敵対する連中だった。
案の定というか、仮名パーティーでも無駄だったというか……
「そう。被害状況はどうなっているの」
「こちらの被害は軽微です。……ああ、ちなみに、リリス様に無礼を働いた不届き者も拘束しております」
部下の言葉に、私の頭の中にあの長身の青年がよぎる。
もしやと思っていると……
案の定、虫の息のまま引きずられているハロルド・エイムズの姿がそこにあった。
頬には殴打の跡が残っている。
体も痛めつけられたようで震えている。
「や、やめて……お、俺はただ……主夫に……」
ハロルドのうめき声を聞いて、私は焦りを感じた。
このままでは『あのパーティーの参加者で生存できた者はいなかった』ことになる。
これでは、私が悪鬼羅刹のようではないか!
「やめなさい! 彼を治療しなさい。すぐに医療班を呼んで」
私の命令に、護衛たちは一瞬驚いた表情を見せる。
が、すぐに恭しく頭を下げる。
「かしこまりました、リリス様。ご安心ください」
すぐさま治療の手配が行われ、ハロルドは奥の部屋へと運ばれていく。
その背を見送りながら、私はなぜか奇妙な罪悪感に苛まれていた。
「死なないで、ハロルド……生きて!」
思わずそんな声が漏れてしまった自分に、少しばかり恥ずかしさを覚える。
まるで演劇のヒロインのようではないか。
けれど、私が悪いわけではないが。
心のどこかにうしろめたさがあるのは事実だった。
その後、ハロルドは懸命な治療によって一命を取り留めた。
完全に回復するには時間がかかるものの、早い段階で歩けるようになる。
すると、さらに問題が浮上する。
『彼をどうするか』だ。
既に私の素性や組織のことを相当見聞きしている。
この軽薄な男は、放っておけばいずれ口外するに違いない……
だからといって、彼を闇に葬るのはあまりにも可哀そうだ。
私は迷った末に、ある提案を思いついた。
「組織内の施設や屋敷で働いてもらうしかないわね」
護衛や部下たちも一瞬は驚いた様子だったが、私の言うことに異論は唱えない。
ただ、ハロルド本人が納得するかどうかという問題があった。
「ハロルド、あなたはこのまま外へ出て行ってもいいのだけれど、私の組織の秘密をあちこちで喋ることになったら困るの。だから、ここで働く気はある?」
少し脅しの響きを含ませて問いかける。
彼はしばらく黙り、少しかすれた声で答えた。
「……外に放り出されるよりは、ここにいるほうが安全そうだ。俺としては稼ぎのいい仕事よりも、料理や掃除をやる場があるならそれで十分なんだが……」
「わかったわ。なら今日からあなたは、ここで清掃係兼料理人として働きなさい。勝手に外には出られないけれど、そのぶん材料や器具は惜しまないようにするわ」
そう言うと、彼は一瞬目を瞬かせ、そして笑みを浮かべた。
「清掃係兼料理人か……案外、悪くないかもしれない。ありがとう、リディ……リリス……様?」
「普通にリリスと呼んでも構わないけれど、好きにしてちょうだい」
◇◇◇◇
こうしてハロルドは私の屋敷で生活を始めることになった。
彼は慣れない裏社会の面子に囲まれた環境で生き残ろうと必死に働いた。
瞬く間に部下たちから一目置かれる存在になる。
主夫としての才覚も発揮し始めた。
結果、私の投資を受けて「ハロルドクリーンカンパニー」を設立した。
屋敷で培った清掃と料理のノウハウを貴族社会へ外販する形だ。
サービスは評判を呼び、あっという間に一大事業へと発展する。
このハロルドカンパニーは――
裏組織の資金や人材の流れを隠す格好のフロント企業としても機能しはじめた。
その影響で、組織の一部はいつしか「掃除屋」と呼ばれるようになる。
部下たちは得意げに私を讃えた。
「ハロルドを婚活パーティーの場でヘッドハンティングなさったのも、隠れ蓑づくりを見据えてのことだったのですね。リリス様のご慧眼は冴えわたっています」
事実は単なる行き当たりばったりだが、私は表情を崩さず頷くしかない。
恋愛運を上向かせるつもりが、またしても事業だけが肥え太った。
(本当に、どうしてこうなるのかしら。少しだけでもいいから、この事業運を男運に振り分けてほしい……)
諦観混じりに嘆きつつも、ふと別の算段が頭をよぎる。
(もうまともな恋は難しいとして、いっそこの事業の成功を踏み台に王子様とでも結婚してみせようか……)
◇◇◇◇
「リリス様、先月の収支報告です。新規顧客との契約に成功しました。これで王都の主要貴族の半分以上が我々の顧客です」
ハロルドが涼やかな顔で告げる。
その手腕は評価している。組織への貢献度も計り知れない。
ただ、問題は報告が終わった後に必ず付け加えられる、余計な一言だった。
「――つきましてはリリス様、そろそろ私と結婚して、主夫にしてはいただけませんか?」
来た。
私は内心で深く、深くため息をつく。
ハロルドは出会った頃と何も変わらない、暢気で真剣な瞳を私に向けていた。
(鬱陶しい…… 本当に、どうしてこの男はこうなのかしら!)
「ハロルド。その話は何度目かしら? あなたは今や一大カンパニーの代表でしょう?」
もはやハロルドカンパニーは私の組織と有機的に結合している。
彼に今さら代表を辞められては困る。
しかし、ハロルドは私の言葉に悪びれもせずに首を振る。
「ご心配には及びません。後任はすでに育成済みです。俺の夢はあくまで、家事全般を完璧にこなす『主夫』になることですから」
私の部下たちは、このやり取りを遠巻きに見ながら。
「また始まった」とでも言いたげな生暖かい視線を送ってくる。
それがまた、私の苛立ちを増幅させた。
(この男の脳内はどうなっているのよ……)
私はこめかみを押さえながら、いつも提案するのだった。
「……カンパニーの代表としてなら、結婚してもいいわよ?」
「いや、それでは結婚する意味が……俺は仕事から解放されて、家庭に入りたいんです」
(だから、その話が噛み合っていないのよ!)
彼の瞳には、権力や財産への欲は微塵も感じられなかった。
ただひたすらに、『主夫』という一点のみを目指している。
鬱陶しい……
「……報告は以上ね。下がってちょうだい」
「承知いたしました。ですがリリス様、俺は諦めませんから」
ハロルドはそう言って、優雅に一礼すると執務室を後にしていく。
その背中を見送りながら、私は再び重い溜息を吐き出した。
(なぜ、まともな男は寄ってこず、こういう変な男ばかりが……)
恋愛運を上げるために参加した婚活パーティー。
結果的にビジネスパートナーを手に入れてしまった。
ただし本人は主夫志望……
どこで間違えたのか。
そして、主夫だけが生き残った…… ~生存率10%以下の婚活パーティー~ 完
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