009 井の中の蛙、大海を理解(わか)らせられる
第四試合までが終わり、残るは俺、フィーネ、そしてリーズの三人。そろそろ出番だ。
「第五試合はタッグ戦! フィーネさんとリーズさんの幼なじみコンビと、この二人の対戦です!」
おっと、俺は最後か。
そこで控室から出てきたのは……
「へっ、どうせならあっちの優男をボコってやりたかったがな」
「だがまぁ、女相手も一興か」
あいつら……きのう素材買い取りのとき絡んできた二人組じゃないか。
対戦カードを決めるのはギルドだから仕方ないが、本人がああ言っているなら、今からでも俺に変更して欲しいくらいだ。一対二のハンデ戦で構わん。それなら俺の剣がインチキでないことを、直接証明してやれたのに。
「現在売り出し中の兄弟戦士! 登録して日が浅いためランクこそまだDですが、実力はそれ以上と言われています! 格上を相手に、美少女コンビはどう戦うのでしょうか!? 双方に注目の一戦です!」
似てると思ったがやはり兄弟だったか。ともあれ、両チーム四人は審判団を挟んで向かい合う。
「ひゅ~! こいつぁ上玉だなぁ! お嬢ちゃん、今夜空いてるかぁ?」
「俺たちがパーティ組んでやろうか? 手取り足取り教えてやるぜ、昼も夜もな! ギャハハ!」
昨日の一件でも分かるが、いささか品性に欠けると言わざるをえないな。知らない人なら「試験官の役目として、冷静さを失わないかを見るため意図的に挑発している」と思ってくれるかもしれないが。もちろんフィーネとリーズは動じない。
「いただけませんわね、その態度。懺悔するなら聞きますよ?」
「女性には、もっと優しく接したほうがいいと思います……」
「優しくしてやるさ、ベッドの上ではな!」
「俺たちの『剣』でヒィヒィ言わせてやるぜ~」
大声で下品に笑いながら腰をカクカク動かす二人。はっきり言ってうざい。
「そのくらいになさい。試合を始めるわよ、両チームともスタート地点へ」
見かねたマスターが嗜める。立場は中立だが、単純に女性として不快だったのだろう。それにしてもあいつら、女性上司の目の前で堂々とセクハラとか……。多少腕が立ってもあれじゃなあ。
試合開始に向け、それぞれの位置へ向かう四人。
その時、兄弟の口がもそもそと動いた。
声は聞こえなかったが、俺は読唇術(唇の動きで何を言っているか判別する技術)も習得している。不謹慎な内容ゆえ口にする気にはなれないが、獣人のフィーネを差別する内容だった。
(とにかく他人を見下したい、蔑みたいタイプか。珍しくもないが……)
かつて彼女ら獣人は、ライカンスロープという人から獣へと変身するモンスターに近い種族と誤解され、奴隷として迫害を受けていた。
現在は研究が進み、生物学上まったく別の種であることが判明しているが、長年に渡って培われた偏見は根強く、当時ほどではないにせよ差別が社会問題となっている。
あの二人も「そちら側」の人間なのだろう。買い取りの時といいセクハラといい、ただでさえ悪かった印象がさらにダウンしてゆく。面識のあるなし以前にフィーネとリーズを応援したい気分だ。
そのフィーネとリーズの距離では聴こえていたのか、それとも雰囲気で察したのか。二人の端正な顔が、かすかに怒りに染まるのを俺は見逃さなかった。
「ヒャハハ! 世間知らずのお嬢ちゃんたちに、戦いの厳しさってもんを教えてやるぜ!」
「その後は、ベッドで男の味をたっぷり教えてやるけどな! ああそうだ、依頼を出す側のやつらはよく見てな! あっという間に終わっちまうぞぉ?」
言うまでもないが、この模擬戦は試験官側の冒険者にとっても依頼人へのアピールとなる。二人は富裕商人らしき人たちへの売り込みに余念がない。
「……もう勝った気でいるみたいですわね」
「私にだって、相手を選ぶ権利くらいあるんだけど」
フィーネとリーズは不快感を滲ませ、憮然とした表情で試合開始を待っている。
二人とも冷静になれよ。挑発に乗るな……。
━━━━━
まさかこんな結末を見せられるとは。
「弟よ、開幕ダッシュだ! 一気に決めるぞ!」
「合点だ兄貴! ベッドで可愛がる時間を残しておかなきゃならねぇもんなぁ!」
マスターの開始宣言と同時に、兄弟は二手に分かれ、兄がリーズに、弟がフィーネに向かって突進した。
午前の部で攻撃魔法を実演したとき分かっているが、リーズは発動は遅いが強力な「一撃必殺」タイプの魔法に長ける反面、威力は劣るが発動は早い「牽制の小技」的なものはあまり得意ではない。
弟がフィーネを足止めしている間に兄がスタートダッシュをかけ、魔法を使われる前にリーズを倒す作戦だ。見え見えだが合理的ではある。
しかし。
フィーネもそれ以上のスピードで弟めがけ突進、なんと木剣を放り出し、素手で相手の喉を鷲掴み! そして鉄兜や鎖かたびらで武装している重さをものともしない勢いでぶん回し……
「う゛ぅお゛ぉぉら゛ぁぁぁっ!!」
上品な口調はどこへやら、野獣のごとき咆哮を上げ、弟を兄めがけてぶん投げた! リーズは素早く魔法の盾を――さっきウェンディが使ったのと同じ魔法だがレベルがまったく違う――展開しており、兄は猛スピードで(文字どおり物理的に)飛んできた弟とシールドの板挟みとなって大ダメージを受ける。
「ぐわぁっ! う、うぐぐ……」
「あああ、腕が、腕がぁ」
弟とて無事なはずもなく、両者は地面に倒れ伏して呻く。当たりどころが悪かったのか、兄のほうは腕の角度もおかしい。折れたな。
「誰が! 下等種族ですって!? 神に代わって! この私が!! あなたたちの腐った根性を叩き直して差し上げますわ!!!」
フィーネの怒号が響き渡る。ドスが効いてるのに口調だけ上品なのが逆に怖い。
そして盾を無造作に捨てると二人に歩み寄り、首根っこをこれまた鷲掴みにして、それぞれを片手で軽々と持ち上げた。まるで絞首刑だ。
しかも彼女は身体強化の魔法を使っていない。信じがたい光景の連続に会場がざわつく。
「ぐわあぁぁ~!!」
「ぎゃあぁぁ~!!」
悲鳴を上げる兄弟。フィーネの怪力はすさまじく、今にも首の骨をポキリとやりそうだ。二人は足をバタつかせて抵抗するが、こんな状態で何ができるわけもなく。
審判団も「もう止めるべきか?」という表情だ。ていうかあいつら、言葉になってないだけでギブアップと言おうとしているのでは……?
だが遅かった。
「しつこい殿方は……嫌われますわよ?」
フィーネは一瞬、氷のように冷ややかな目をすると、やおら腕を振りかぶって兄弟を立て続けに、そして無造作に地面に叩きつけた。
「ぶぎゃっ」
「げふぁっ」
踏んづけられたカエルのように情けない声を上げた二人は、大きくバウンドしたのち何度か痙攣し、それっきり動かなくなる。
白目を剥き、口からは血が混じった泡を吹いていた。散乱している白い物体は折れた歯だろうか。
ぐうの音も出ない完全失神ノックアウトだ。あれだけイキってこれは惨めすぎる……。
どちらのものか、フィーネの足元に兜が転がっていた。彼女はそれに足を乗せ、ぐしゃりと踏み潰す。まるで「不埒者はこうなるぞ」と、観客に見せつけるかのように。
「首をへし折ってもよかったんですけれど、模擬戦で人死にを出すのもなんですし。それに、過ちを犯した者を正しい方向に導くのも、私たち聖職者の務めですものね」
そしてマスターのほうを向いた時には、ふたたび聖女の微笑みに戻ってた。いや怖えーよ。
「終わりましたわ」
「あ、はい……そう、です、ね……」
マスターが引きつった表情を浮かべつつ、決着を宣言した。
「悔い改めなさい。汝の隣人を愛するのです。おお神よ、この愚かな迷える子羊どもを導きたまえ。あと子羊ども、今月ちょっとピンチなので教会へのご浄財(お布施)を忘れないように」
フィーネが天に向かって祈りを捧げる。それだけ見れば宗教画の聖女もかくやという雰囲気なのだが、いかんせん目の前には白目をむいてブッ倒れ、治療を受ける兄弟の姿……。あまりにもシュールすぎる光景に会場はドン引きで、水を打ったように静まり返っている。
試合というより蹂躙だった。実際その戦いぶりには、圧倒的な力の差を理解らせて心をへし折ろうとする意図が感じられた。セクハラと獣人差別への「おしおき」ということだろう。
それにしてもこの兄弟、ここまでの無様を晒して、明日から冒険者としてやっていけるのだろうか。もともと好意的には思っていなかったし、フィーネの逆鱗に触れたのも自業自得だが、ちょっと哀れな気がしなくもない。
「うわあ……一方的じゃねえか」
「あのシスター、いろんな意味でやべーやつだわ……」
「たまらん……。罵りながら踏んづけてほしい……」
何やら妙な台詞が聞こえたがスルーだ。これ以上聞いたら、俺まで新しい世界の扉を開いてしまうかもしれん。いや、それはそれでいいのかもしれないけど。