089 港湾都市の風
あのゴブリン戦以降これといったトラブルはなく、メイベルという不穏分子を抱えつつも、俺たちは港湾都市ランテルナへの旅路を進む。
やがて、山間をつらぬく街道沿いの木々を揺らす風の中に、ほのかな潮の香りが混ざり始めた。海が、目的地が近い。
そして……
「あれがランテルナの町か」
周囲からも歓声が上がる。海神様に祈る人も少なくない。
森を抜け、最後の坂を上りきると、眼下の草原を街道がつらぬき、その先にはリンゲックに負けぬであろう堅牢な城壁に囲まれた港町と、夕陽を浴びてオレンジ色にきらめく海が広がっていた。静かに波打つその水面には、黒い点にしか見えないものから形がはっきり分かるものまで、大小さまざまな船が行き来している。
町はそろそろ灯りがともり始める頃で、遠目にもぽつり、ぽつりと光点が増えてゆくのが分かった。名物の灯台が、もうすぐ彼方を照らすことだろう。
なんという絶景! 緑豊かな山、穏やかな海という雄大な自然と、計算し尽くされて造られた港や城壁といった、人の叡知と技術との融合と調和。海流や風の影響で波が荒れにくいことに加え、良質な木材を豊富に産する山に近く造船に適していたことが、このランテルナを大陸有数の港湾都市としたのである。
エスパルダ王国、いやノルーア大陸に生まれたならば、死ぬまでに一度は訪れたい町と言われるのも納得だ。潮風に乗って港の喧騒が、荒々しくも誇り高い海の男たち、気っ風のいい港町の女たちの声が、ここまで聞こえてくるようだった。
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「俺はほとんど記憶ないけど、ロッタにとっては久しぶりの里帰りだな。んー、塩味が効いてて美味い」
「うん。三年ぶりだよ。懐かしいなあ、ぜんぜん変わってない……。まあ、三年でそこまで変わるものでもないけどね。あ、おばさんもう一本」
全員分の手続きを待つ間、俺とロッタは魚の塩焼きをかじりつつ、しばし周囲を眺める。
既に日暮れだが、どこもかしこも活気に満ちていた。例によって鍛冶屋を始め、靴の修理屋や宿屋といった町外れ定番の店が軒を連ね、城壁裏にへばりつく増築家屋もリンゲックと変わらない。ただ、鍛冶屋の店先に並ぶのが銛や錨だったり、屋台で売っているのが海産物だったりするのがそれっぽい。
さて、滞在期間は予定だと一週間ほど。そのあいだ護衛依頼は中断され、俺たちも自由行動でよいという。街道はともかく都市内での安全確保は領主の責任ってわけね。
「といっても、まず行くところは護衛対象の皆さんと一緒だけどな。まずは海神さま詣でだ」
「そだね。ランテルナに来たら、何はともあれ神殿に行かないと始まんないよ」
海洋貿易の要衝だけあり、この町、この地方は海の神様への信仰が強い。それゆえ小さな祠から大きな神殿まで多数の施設があり、人々の暮らしに溶け込み、根づいている。中には来訪直後の旅人のほか、夜や早朝に船を出す漁師たちのため、二十四時間ずっと開いているところもあるそうな。
むろん大地も太陽も人の暮らしに欠かせないので、邪神でないなら全ての神様を同時に崇めてよいし、またそれが理想の信仰とされているわけだが、やはり土地柄というものだろう。
僧侶のゴーティエはもちろん、リュカや兵士の皆さんもご一緒。さすがのメイベルもこれだけは同様だった。
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「よし、これでひとつ用事は済んだね」
「しかし商魂たくましいっつーか、お守りといってもいろんな種類があるもんだなあ。船に錨に操舵輪、魚やカモメ、灯台。リュカが買ったのは……なんだそれ?」
「イルカだよ。ゴーティエは?」
「わしは貝殻にした。真珠はここの特産品だからな」
同期が集まると自然と話も弾む。ロッタは先輩だけど。
さて俺は出発前、リンゲックに残っている皆から、代わりに参拝するよう頼まれていた。それぞれから預かったお金を寄進し、護符、母さん風に言うなら御朱印を授かってミッション完了である。
宿に向かうリュカたちと別れて。
「これでしばらく暇だね」
「ロッタは実家で過ごすんだろ、送っていくよ。もし迷惑でなければ、俺もご挨拶しておきたい」
「うん、ありがと……。なんだか、初めて会った日を思い出すね」
「そうだな。早いもんだ、もう一年か」
夜の街特有の、どこか浮かれた喧騒。俺たちが出会ったときもこんな感じだったっけ。あの日より少し長くなったロッタの三つ編みお下げが夜風に揺れ、甘い芳香と潮の香りが混ざって漂う。
(思えば、前からそうだったけど……)
小柄で華奢な身体、酒場の店先に吊るされたカンテラの灯りを反射して輝く琥珀の瞳。すらっと鼻が通った端整な顔立ち、ぷくっとした薄紅色の唇。
(見た目は幼いのに妙な艶っぽさを感じさせるあたりは、なんだかんだ言って年上のお姉さんなんだな)
心なしかあの夜よりオトナっぽく見えるのは、一年のあいだ苦楽を共にし、心の距離が縮まった――少なくとも俺はそう思っている。自惚れかもしれないが――からだろうか?
「ふふ、どうしたの?」
「いやなに、何でもないさ」
「そう。じゃ付いてきて。ここからそう遠くないから」
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歩くことしばし。
ロッタの実家は港に近い下町の一角、比較的安価と思える集合住宅と、船乗り向けの酒場や安宿が立ち並ぶところにあった。そこかしこから酔っ払いの笑い声や、吟遊詩人の歌が聞こえる。海の男の荒々しい気風を反映してか、喧嘩とおぼしき怒声と、それを囃し立てる声がどこかで上がってもいる。
「ここだよ。住宅の入口はこっち」
たどり着いたのは、一階が酒場、二階から上が住宅という古い石造りの建物だった。構造的にはリンゲックで俺たちが定宿、事実上の下宿としているリーズの実家、「樫の梢亭」と同じだ。
「ああ、カルロッタ! よく無事で……」
「お帰りなさい、カルロッタ。まあまあ、こんなに立派になって……」
「ただいまっ!」
ドアをノックすると、すぐさま感激の涙を浮かべた男女が迎えてくれ、ロッタと抱擁を交わす。
前に彼女が話してくれたことがある。パッと見アラフィフくらいの、娘より少し赤毛に近いふくよか美人がお母様のクラウディアさん、栗毛の天パでやや面長、濃いめの顔立ちをした長身細マッチョのイケメンが兄のピエトロさんだろう。
女性は二人とも背が低く、お兄さんだけ他人みたいだ。なんでも亡きお父様とお祖父様もノッポだったそうで、男女で綺麗に遺伝が分かれた格好なのね。
「あら、そっちの方は?」
俺は兜を小脇に抱え、クラウディアさんに一礼する。
「お初にお目にかかります。娘さんを送ってきたことゆえ、このような時刻に伺う非礼をお許しください。俺は迷宮都市リンゲックの冒……」
ところが全部言い終わる前に。
「もう、そんな堅苦しい挨拶は抜き抜き! お母さん、手紙にも書いてたでしょ、彼がヒデトだよ」
「ええ!? それじゃあなたが、魔王ザラターを討ち取った『桜樹の剣士』様!?」
「勇者ジュリア様のご子息で、王族や貴族からの覚えもめでたいっていう、あの!」
なんとも大袈裟なリアクション。正直、ちょっと面映ゆい。
「どのように伝わっているか存じませんが、たぶんだいぶ尾ひれがついていますよ。改めて初めまして、ご紹介に与りましたヒデトです。カルロッタさんには、大変お世話になっております」
「あらあら~。ロッタ、まるで彼氏を連れてきたみたいじゃない!」
「もう、お母さんったら。そんなんじゃないってば!!」
お決まりのやり取り。さて、家族水入らずを邪魔するのも野暮だ、俺はひとまずここでお暇する。
「明日はランテルナの街を案内しますよ」
「夕食はぜひ、家で召し上がってくださいね」
「承知いたしました。楽しみにしております」
その後少し街をぶらつき、俺はそこら辺の宿に落ち着いた。
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「……良かったな、ロッタ」
冒険者は、言うまでもなく死と隣り合わせの過酷な職業である。本人の選んだ道とはいっても、ロッタやご家族には「もう会えないかも」という覚悟が、当然のこととしてあったろう。
それが今や、上位の魔族グレーターデーモンや砂漠の覇者ブルードラゴンの討伐に活躍したAランク冒険者としての堂々たる帰還だ。喜びもひとしおに違いない。
ただ……
『もう、お母さんったら。そんなんじゃないってば!!』
(男の立場としては、あそこまで強く否定されると、ちょっと傷つくんだがなあ)
そんなことを考えているのに気づき、俺はふと苦笑する。
さ、眠るとしよう。明日も早いぞ。
鎧戸を閉めに窓辺に立つと、灯台に照らされた海ではいくつもの漁火が揺れていた。




