078 火中の栗と黄色いリボン
アンドレ様らに見送られ、砂漠の迷宮都市を発って数日。例によってモンスターなどの襲撃はあったものの、俺たちは無事、目的地に到達した。
マウルード王国の首都、名前も同じマウルードである。
しかし、国と王都が同じ名前って紛らわしくない? 意味は「新生児」みたいな感じだから、建国の際に都も生まれ変わるという意気込みを表してるのは分かるけど。
━━━━━
「うわ~、すごいもんねぇ」
「うむ。こんな巨大な都市は初めて見る」
「ウェンディとアルゴは、リンゲックよりでかい都市を見たことはなかったんだっけ。ロッタはランテルナ生まれだけど、どっちがでかい?」
「断然こっちだね。なにしろ人口はランテルナの倍以上だもん。大陸全体で見ても、ここより大きな都市はロブルーファくらいじゃないかな」
砂丘の上から見るマウルードの町は、まさしく圧巻のひと言に尽きた。
堅牢な城壁。無数に立ち並ぶ、日干しレンガや土で造られた家屋。その間には日除けの白い布がこれまた無数にはためいており、遠目には黎明の中で町そのものが波間に揺蕩っているようだ。そのさざめきの合間で存在感を示すのは、大型の風車や玉葱型の尖塔をもつ寺院の数々。
そして中央部にそびえ立つ、純白の大理石でできた巨大な王城。周囲の壕には砂漠地帯と思えぬほどの水がたたえられ、夜明けの光を浴びてきらめいている。まるで、王の権威を誇示するかのように……
城門には、俺がリンゲックに戻ったとき同様、長い列ができていた。ここまで来たならもうお忍びでなくてもよいのだが、俺たちは普通の隊商として並ぶ。
こういうところで聞ける話は、なかなかどうして侮りがたい情報源なのだ。ロッタの受け売りだけど。
噂になっていたのはザラターとの戦いやアンドレ様の活躍、それにアニスのお裁きももう伝わっていた。例の戦士たちへの反感もなくはなかったが、わが国の評判はおおむね良好でひと安心といったところか。
市場であれこれ済ませて城に到着。さすがにここまで来たら身分を明かす。
王女近衛隊が先行して話は通してあり、俺たちも王宮に案内された。女王に謁見ともなれば準備もある、今日はもう休むだけだな。
━━━━━
一夜明けて……
マウルードの女王は、見た感じ五十代とおぼしき初老の美女であった。顔には年相応の年輪が刻まれているものの、手入れがよいのか小麦色のお肌はつやつや、髪も黒々としている。
最上級の絹で織られ、複雑な刺繍が施されたマウルード様式の衣装は鮮やかな緋色、その上に金の装飾品と多数の宝石を散りばめたその姿は、一国の王にふさわしい威厳に満ちていた。
形式どおりの挨拶から、親書や贈答品のやりとり。しばらく無難な社交辞令が続く。ここまでは武芸者の出る幕ではない。
やがて、例によって場は改まった会見から、和やかな宴に移る。ここからは話が変わってくるわけで……
「ドワーフ王国における魔王討伐は、既にこちらにも伝わっておる。さても、剣の名を冠する国の面目躍如よのう。かような偉業を成しとげた勇士と会えて、嬉しゅう思うぞえ」
魔族を敵視するのはこちらも同じ。それゆえ俺たちも盛大な歓待を受け、親善大使の真似事をするはめに。
双方の心象を考慮して、逃げられないのが辛いところだ。欠席したら向こうはがっかりするし、姫様も「王族なのに冒険者の手綱も握れないのか」と侮られ、結局は俺たちの立場もまずくなる。
普通の荷馬車ならともかく、王族の護衛ともなると腕力だけじゃ務まらないのね。母さんも言ってた、武芸者とて社会で生きる以上、ただ強いだけではやっていけないと。
「そなたが、魔王ザラターを討ったヒデト殿かえ。なんとまあ、美々しき若武者よ」
「もったいなきお言葉でございます、女王陛下」
「ほほ、慎ましきこと。なれど、勇名を天下に示すは武人の本懐。若き戦士よ、その勲(功績、手柄)に華を添えてみたいと思わぬか?」
艶然と笑みを浮かべる女王。細められた目の奥で、紫色の瞳が光る。だがその眼差しには、どこか俺を値踏みするような雰囲気があった。
━━━━━
話は要約するとこうだ。
砂漠に点在するオアシスの町は、盗賊や魔物に狙われる宿命を背負っている。それゆえ各都市には守備隊が常駐しているが、少し前、ある地方からの音信が途絶えた。
調査団を向かわせたところ……
なんと、その地方との交通の要衝となる町が、複数の竜の襲撃を受けて壊滅、占拠されてしまったのだという。
移動ルートの拠点を抑えられ、その地方は陸の孤島となってしまっている。空を飛べるドラゴンの行動範囲は広い、一人二人ならいざ知らず、都市レベルの物資運搬となると隠れて行き来するのは無理だ。
このままではじり貧であり、いくつもの町が致命的な被害を被るのは避けられない……
━━━━━
(火中の栗、か)
真の勇士だの武人の本懐だの、美辞麗句を並べて名誉欲をくすぐってはいるが、要は俺たちに討伐を押しつけたいという意図は明らかだった。
露骨な言い方をすると、「あ~、ドラゴンが暴れててこまっちゃうな~。退治してくれたらフィリップ王子を支持してあげるんだけどな~」である。
(エスパルダほどの大国ではないが、マウルードの軍勢は決して弱くないと聞く。中には俺たちと同レベルの戦士だっているだろう)
つまり、その気になれば討伐はできるはずだ。
自分らの損害を抑えつつ、俺たちを試す。
したたかなものだな。この女王様、結構な古狸かもしれん。
見返りがフィリップ陣営への支持である以上、厳密には王子の家臣に言うことなのだろうが、彼女にしてみれば家来も冒険者も大差ない、ていうかどっちでもいいんだろう、退治さえできれば。
もっとも、利用されてやるのは吝かでない。
竜殺しが戦士の誉れ、自ら挑むべき冒険なのは事実だし、武者修行中の武芸者としても戦ってみたい気持ちはある。
利害の一致というやつだ。が……
「今の俺は、アニス王女殿下の護衛に雇われた身。敵が目の前にいて、姫に危害を加えるならむろん戦いますが、今のところそうではない。なので、護衛対象を離れるわけには」
「道理よな。されど逆に言えば、そのアニス王女が許すなら、ということかの? 今の口ぶりからして、そなたは竜とて恐れぬと見たが」
そして女王はアニスに向き直る。
「いかがであろう、麗しき姫よ。そなたの騎士の英雄譚がわが国に轟く、それはそなたの名誉でもありましょうぞ?」
俺は騎士じゃありませんよ陛下。それはそうと返答は察しがついている。
彼女は脳みそがピンク色なだけで愚鈍ではない。自分の役目が「マウルード王国における父の支持拡大」であり、それにはここで……厭な言い方だが恩を売っておくべき、好感度を稼いでおくべきと分かるはずだ。
━━━━━
「さて、と。少し風に当たるか」
俺はバルコニーに向かった。討伐隊の準備で城内が騒がしいのに加え、高揚感から目が冴えてしまっている。
そこには先客がいた。ロッタだ。
「あ、ヒデト」
「よう。ロッタも涼みに来てたか」
「うん。緊張して寝つけなくって」
ふとそよ風が頬を撫で、初めて会った時より少し長くなった彼女の髪を揺らす。
「俺より冒険者歴長いのに、そんなこともあるのか」
「当たり前じゃない。私はキミと違って戦いの専門家じゃないんだよ? なのにドラゴン討伐に参加するんだよ?」
先のザラター戦で活躍したため、今やロッタは相当な強者と思われている。実際には、個人の武力よりも視野の広さや判断力に長けたタイプなのだが。
「いざって時は俺たちがフォローするさ。そのためのパーティだろ」
「それはそうだけど」
「ああそうだ、ならこれやるよ。気休めだけどな」
俺は小さなコインを手渡した。今は使われていない古い貨幣で、縁起物としてどこかの市場で買ったものだ。表には当時の王の肖像、裏には獅子が描かれている。
「胸ポケットにでも入れとけ、もしかしたら攻撃防いでくれるかもしれんし」
「そんなのはお話の中だけだよ。でも……ありがと。なら私からは、これあげる」
黄色いリボンだった。彼女は普段は長い髪を二本の三つ編みお下げにしており、結ぶものを色々持っている。
「ありがとう、ロッタ。さて、そろそろ戻ろうぜ。眠れないのは仕方ないとして、横になって目を閉じてるだけでだいぶ違う」
「そだね。そうしよっか」
寝床に入ったとき、ふと母さんが口ずさんでいた歌が思い出された。恋人の無事を祈る女性が、黄色いリボンを身につけてどうのこうの、って歌詞だったっけ。
そういやフィリップ王子も言ってた。姫様が騎士に与える品の中で、リボンは将来的に婿となる資格をもつ者に限られると……
(まさかな)
俺は毛布をかぶる。
窓の外では明日の出陣を控えて、まだ喧騒が止まない。
━━━━━
「ふう、まさか護衛依頼で、自分からドラゴンの巣に向かうことになるとはなぁ」
「ぼやいてんじゃないよ兄貴。スポンサー様のご意向なんだからさ」
「そのジョゼット様から特別報酬も出るし、討伐の暁には素材とかは全部いただいて良いそうだからな。ひとつ稼がせてもらうとしよう。まあ、実際には被災地救済のために、いくらか寄贈することになろうが……」
マウルード王国の部隊とともに、俺たちはラクダの背に揺られて砂漠をゆく。ジェイク、ウェンディ、アルゴらの顔には、いまやベテラン戦士さながらの風格が漂っていた。
「ターゲットは青竜でしたか。比較的温厚だけど邪悪な種と聞きますし、帰り道で向こうから襲ってくる可能性もありますわ」
「そう考えると、先制攻撃やむなし、なのかな」
フィーネとリーズも。先の上級魔族戦が自信となったのだろう。
「だね。ほっとけば後ろから護衛対象を狙われるリスクがあるなら、その護衛対象である姫様が安全圏にいるうちに叩くのはアリだよ」
ロッタは気丈にも、昨日見せた不安をおくびにも出さない。四人で組むときはリーダーを務める責任感ゆえか。
「ま、戦力の中核は竜殺しの二人に担ってもらうけどな。頼りにしてますよ~、キュルマさん」
「ああ、任せてくれ、ジェイク殿」
そしてプリンセスガード副長のキュルマさん。今回は、史上最年少の屠竜騎士である彼女も討伐隊に加わっている。万全の布陣といってよい。
「今回は俺も前衛で戦う。せっかくベイリン様から賜った業物なのに、ここまで使う機会がなかったが……」
俺は腰の剣を撫でた。待たせたな、もうすぐ出番だぞ。