077 非運の大魔法使い
オアシスの市場は眠らない。夜間に旅する交易商人を相手にするため、薄暗いうちから活気に満ちている。
討伐したモンスターを換金し、食べ歩きなどを楽しみ、さて次は物資の調達だと思っていたら……
不意に、女性の悲鳴が聞こえた。続いて下卑た笑い声が上がる。何事かと見れば、武装した戦士の一団が物売りの中年女性を足蹴にし、屋台の果物を取りあげてかじっているではないか!
陣羽織の図柄から、エスパルダ王国の兵と分かった。国交が回復してから、この国の主だった都市にはエスパルダの官吏と守備隊が駐留している。
しかし、あの振る舞いは正規軍のそれではない。破落戸だ。見かねて、俺とフィーネが割って入ったが……
「む? エスパルダ王国の騎士とシスターか? 見ない顔だが旅の人かね」
「ああ。つい先ほど来た者だ」
「なら黙っていてもらいたい。遍歴の騎士よ、これは部外者には関わりないことだ」
お決まりの台詞。だがこちらとて簡単に引くわけにもいかん。
「関わりならある。我々は旅に必要な物資を調達するために市場に来たのだ。そこで暴れられては困る」
「それ以前に、神の僕としても女性としても放ってはおけませんわ」
「律儀なことよ。だが、これは我らの当然の権利なのだ。なんとなれば、こやつらがのうのうと暮らせるのは、我らのおかげなのだからな」
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彼らの話は要約するとこうだ。
リンゲックもそうだが、ダンジョン近隣の町にとって避けられぬ災害である魔物の大量発生、通称スタンピード。半年ほど前、この町もその危機に見舞われた。
本来なら籠城すべきだったが、功を焦った領主は討って出てあえなく戦死。マウルード王国の部隊も甚大な被害を出してしまう。
絶体絶命のピンチ。しかしここで、エスパルダ王国からやってきた大魔法使いアンドレなる人物が魔物を撃退し、町はどうにか壊滅を免れた。
さらに、防衛戦力が減ったため盗賊などの襲撃も相次いだ。新領主と補充の兵が来るまで、それを防いできたのもアンドレである……
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「アンドレ? もしかしてアンドレ・フォン・バルジャンか?」
「ジェイク、知っているのか?」
「個人的な面識はないがな。宮廷魔法使いの先代団長だ。魔法使い界隈じゃ有名人だぜ」
これに彼らはドヤ顔。
「そういうことだ、青いローブの魔法使いよ。今日この町があるのは、ひとえにアンドレ様の働きによるもの」
「だが、いかなあの方とて、前衛で盾となる戦士がいなくば力を発揮すること叶わぬ」
「その戦士が我らだ。なので、こやつらが生きていられるのは我々のおかげと言ったのさ。我らがいなくば、とっくに魔物か賊に蹂躙されて死んでいたのだ、この程度どうということはなかろう?」
周囲に訊ねたところ、彼らの言っていること自体は本当だという。
要は命の恩人だからイキってるわけか。だが、さすがに少し限度を超えてるだろう。ここでアニスも抗議に加わった。
「でも、これはひどすぎです! エスパルダ王国の戦士の誇りはどこへ行ったんですかっ!」
「ははは。お嬢さん、怒るとせっかくの可愛らしいお顔が台無しだぞ? それはそうと、いま言ったように貴君らに指図される謂れはない」
「うむ。我らはこれでも王家の臣ゆえ、な」
あ、なんかプツンって音が聞こえた気が。
「……へぇ。つまり王族の言うことなら聞くんですね? ならここに私がいますっ!」
彼らの悪びれない態度にキレたか、アニスはお忍びなのも忘れ、やおら王家の紋章を突きつけた。あっという間のことで、止める間もなかった。
「そ、それは!?」
「お祖父さま、いえ国王陛下に代わって、この私アニス・ド・シーニュ王女が命じます! 町の人たちにひどいことをするのは止めなさいっ!」
予想だにしなかった王族の登場。これには屈強の戦士もうろたえる。
「まさか、王女殿下がこんな所におられるはずが」
「本当に姫様か? よもや騙り者ではあるまいな?」
……演劇みたいに「ここで死ねばただの小娘」とか言ってチャンバラになったりしないだろうな? しかしその心配は、ジョゼットさんによって杞憂に終わる。
「偽者などではありません。そのお方は、正真正銘アニス王女殿下です」
彼女の貫禄に気圧され、戦士らは次々に跪き頭を垂れた。エスパルダの民ではないが、町の人たちもだ。
「話は聞きました。あなたたち、アンドレの居場所はご存じですか?」
「し、知ってはいますが……。ご婦人、貴女は?」
「自己紹介が遅れました。私はジョゼット・フォン・メリロー。昔、アンドレの同僚だった者です。彼のところへ案内してください」
「し、承知いたしました」
「ありがとうございます。ああそうそう、姫様? お忍びなのに紋章取り出すなんて、後でおしおきですからね?」
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で、買い出しはロッタやフィーネに任せ、俺もついてきたが……
町外れの小さな家は土を固めた平凡な造りで、大魔法使いの住まいにしてはあまりに質素なものだった。中は研究資料らしき書物が山積みになっているが、家具調度は最低限でほとんど生活感がない。
大魔法使いアンドレ……年長だし宮廷魔法使いの前団長だし、様をつけたほうがいいか。とにかく彼はジョゼットさんと同い年らしいが、見た目は十も老けて見えた。いや、あの人が若作りなだけで、年相応ではあるのだが。
あまり手入れの行き届いていない金髪は、半分近く白いものが混ざっていた。艶は失われているのに、禿げた頭頂部だけテカテカしているのが妙に目立つ。
皺の刻まれた面長な顔と山羊のようなヒゲは枯淡な雰囲気を漂わせ、研究で寝不足なのか、青い瞳は少し充血している。葦のように細い体はいかにも頼りなく、グレージュ色のローブ、擦りきれかけた革のサンダルも安物だ。
正直、見た目は貧相なおっさんである。偉大な魔法使いと言われてもピンとこない。
ともあれ、旧知のジョゼットさんとの思いがけぬ再会、そして戦士らが恣に振る舞う原因となっていることを糾弾され、さすがに動揺を隠せないようだった。
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「……私も、彼らの態度は少々行きすぎとは思っていた」
「だったら、なんで黙認してたのよ」
もと同僚の気安さだろうか。いつも丁寧語の彼女がタメ口なのは初めて見る。
「ジョゼット、君と最後に会ったのは何年前、何があった時か覚えているかい?」
「何よいきなり。四年前、あなたが宮廷魔法使いを引退したときでしょ。それが?」
「マウルードと国交が回復したとき、私は自ら王都を去った。わが国とは違う系統の魔法を研究したかったからだ」
それは部屋を見れば分かる。学術関連の物以外、ほぼ何もない。
「なぜだと思う? 私はね、ずっと宮中で蔑まれていたんだよ。団長になっても、部下たちは皆、陰で……あるいは露骨に、私を見下していた。その理由、君なら察しがつくだろう」
「それは……」
アンドレ様はふと笑みを浮かべた。寂しげな笑みだった。
「そう、エレナ先輩か君が残っていたら、私は団長になれなかったからだ。『上の二人が寿退職したから繰り上げで団長になった余り者』。それが周囲の共通認識だった。時には当てつけるように、ラベンダーが描かれたカップで紅茶を出されたりもしたよ。あの惨めさが分かるだろうか」
エレナ先輩。つまり俺たちが所属する冒険者ギルドのマスターだ。彼女は結婚を機に、ご主人の故郷リンゲックに移住している。
しかし、それはそれとして紅茶の件は嫌味だなあ。
ラベンダー色のローブはマスターのトレードマーク、そして紅茶はあの人の大好物だ。
「だから私は、周囲の目を変えようと励んだ。先輩や君に負けない、部分的には勝っている点もあるつもりさ。君らが妻として、母としての時間を過ごしている間も、私は結婚もせず、趣味ももたず、ひたすら研鑽に励んだのだからね」
「そうね……。確かに今のあなたは、私や先輩と同等か、それ以上の魔法使いかもしれないわ」
ジョゼットさんにここまで言わせるとは……。アンドレ・フォン・バルジャン、おそらくは魔法使いとして世界最高峰といってよかろう。
だがその甲斐もなく、嘲笑はむしろ悪化したという。『そこまでやっても、二人に追いつくのがやっとの無能』と……。そして話は半年前の件へ移ってゆく。
「私が魔物を撃退すると、町の人たちやエスパルダの戦士らは、私を英雄と讃えてくれた。快感だった。長年の努力が、やっと報われた気がしたよ」
沈黙が流れた。数秒して、アニスがそれを破る。
「だ、だからといって、町の人にあんなことをするのを放っておくのは……」
「そうですね、よくありません。彼らの行為は二国間の軋轢を生み、また彼ら自身の不名誉にもなりますから。なにより、若者の間違いを正し、善き方向に導くのは大人の責任です」
「そこまで分かってて、どうして」
アンドレ様はふう、とひとつ息を吐き、しばし眼を閉じる。
「私が弱かったからですよ。彼らに注意したら、『せっかく大きな顔ができるのに、年寄りが口出しするな』と手のひらを返されそうで、また悪意に晒されそうで怖かったのです」
「アンドレ……」
「……いや、それだけではありません。私は、戦士たちから『さすがアンドレ様』と言われるのが嬉しかったのです。彼らが、好き勝手に振る舞うために私を利用しているのは知っていた。それでもなお、ちやほやされたい欲に負けたのです。よし、それが愚かなことであっても……」
さっきより、さらに重い沈黙が部屋を満たす。
長年、不当に冷遇されていたアンドレ様。その苦痛がどれほどのものだったかは想像もつかない。
そして今、おそらくは初めて受けた正当な評価。それを失うのが怖かったとて、誰が責められようか……
やがて彼はアニスに向かって跪いた。
「王女殿下。この老骨にお裁きを」
「……戦士たちの行動を制止しなかったのは問題があったかもしれませんが、町の防衛に貢献したことは認められるべきです。よって咎めはしません。アンドレ・フォン・バルジャン、大義でありました」
「姫様……!」
王女直々のお誉めの言葉に、老魔法使いの目が潤む。
「ただ、もと宮廷魔法使いとして、また年長者として、戦士たちが善き行いをするよう導くことを望みます。力にすり寄られる存在でなく、徳を慕われる存在となったとき……あなたはきっと、本当の意味でエレナ様に追いつくことができるでしょうから」
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アニスの人情裁きはすぐ噂となり、やんやの喝采を浴びた。
そして日を改め、領主の館で歓迎の宴が開かれた。ザラターのせいで日程が遅れているので、こうした長逗留を避けるためのお忍びだったのだが、心象はアップしたので良し悪しといったところか。
その席で、戦士たちには厳重注意と、必要に応じた賠償が命ぜられたが、反面、友好国の危機撃退に貢献したとして恩賞も授与された。そして、今後は両国の架け橋となることで名誉を回復せよ、とも。
彼らは王都ロブルーファを筆頭に主要地域での任務から外され、いわば左遷された戦士たちである。祖国を遠く離れ、手柄を王に伝える者もない閉塞感、華やかな宮廷とも無縁の疎外感が、弱者への八つ当たりとなって暴発したのだろう。
要は認めて欲しかったのだ。努力と功績を正しく評価して欲しかったのだ。アンドレ様も、戦士たちも……
王女であるアニスから称賛されて、彼らの屈折した承認欲求もいくらか満たされたろう。町の人たちとの関係修復には、いま少しの時を要するだろうが。
翌日、俺たちは町を発った。目的地はまだ遠い。
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ここで一旦物語を離れ、久しぶりにエスパルダ王国年代記を見てみよう。
アンドレは研究一辺倒の生活を改め、その偉大な魔法を民のために使うことが増えたという。また、この一件からアニス王女の父フィリップ王子に傾倒し、マウルード王国における同陣営の支持拡大に影響を与えた。二度の人魔戦役でも活躍している。
戦後ほどなく病没するが、研究は母国の後輩や「近代教育の母」ことリーズに受け継がれ、数世代をかけて大成をみた。
総じてマウルードの魔法は、戦闘スキルとしてはエスパルダ王国式に劣るものの、水属性のものや、長期的な治癒においては優れていた。気候の関係で水魔法の重要性が高く、また薬草栽培に適さないのを魔法で補うためであろう。
この研究はエスパルダ王国の平均寿命を十年延ばしたといわれ、彼は今日においても魔法医学の始祖と讃えられている。
よし
ここでは「たとえ」という意味。たとえ愚かなことであっても。
それはそうと姫様の脳ミソ、エロい妄想以外でも機能したんだな……