076 月の砂漠をはるばると
「ヒデト、今だ!」
「任せろ!」
アルゴの盾に突き飛ばされ、敵の巨体が無防備によろめく。自分で言うのもなんだが、その隙を逃がす俺ではない。
ひゅん、と小気味よい音を立てて放たれた矢が、寸分の狂いもなく心臓を射貫くと……
ぐえっ、という短い断末魔の悲鳴、そしてどさりと倒れる音を最後に、夜の砂漠に静寂が戻った。
「やはり気温が下がると魔物も活発化するな」
「ああ。そろそろ日付が変わる頃か」
空を見上げれば、時刻は星の位置でおおよそ分かる。
(今の今まで戦っていたのが嘘のようだ)
頭上でまたたく無数のかがやき。それは街道とてない不毛の地にあって進むべき方角を示す道しるべであると同時に、自然という芸術家が生み出した、雄大でありながら詩的な繊細さをたたえた作品でもあった。
満天にきらめく星々は、さながら漆黒のビロードの上にばらまかれた宝石。その幻想的な美しさと、血と喧騒にまみれた戦いのギャップには、奇妙な非現実感のようなものを覚えずにいられない。
それはともかく、討伐したモンスターの死骸が、改めて祖国エスパルダを遠く離れた地であることを思い起こさせる。
「こいつは、たしかグレッチとかいったな」
「ギルドの資料室の本で読んで知ってはいたが、実際に見たのは初めてだぜ」
体長は三メートル弱。保護色なのだろう、全身サンドブラウンのトカゲが二本足で立ったような魔物だ。リザードマンと呼ばれるやつの亜種らしいが、腕に相当する前肢は独特の形状をしている。簡単にいうと手がなく、手首の付け根から極太の鉤爪が一本生えている、と言うと分かるだろうか? この爪は非常に硬く、武具や装飾品の素材になるとのこと。
普段は目だけ出して砂の中に隠れ、生き物を見つけると襲ってくるという。ゴブリンのように略奪や娯楽としての拷問が目的ではなく、純粋に食べるため、生きるためだ。そういう意味では、攻撃的だが邪悪ではない。
本に書かれてたとおり、きわめて狂暴な魔物だったな。獲物の少ない環境ゆえ、狩れなきゃどのみち餓死するので逃げる習性がないらしい。今さらながら、砂漠のなんと過酷なことよ。
「怪我した人はいませんか?」
「大丈夫よフィーネ。全員ノーダメ」
「本隊はどうですか、キュルマさん」
「おかげさまでこちらも無傷だ。死骸の回収はこちらでやろう、君らはその間休んでてくれ」
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昼夜の寒暖差が激しい砂漠では、日中は酷暑による消耗が激しい。したがってやむを得ない場合を除き、旅人は昼間はテントなり町の宿なりで休息し、陽が落ちてから星の位置を頼りに移動することになる。その星明かりの下には、まるで俺たちを誘うかのごとく、街のともしびが淡く浮かびあがっていた。
マウルード王国の多くを占める砂漠の中に、ぽつりぽつりと点在するオアシスだ。
なんでも、隊商のラクダが一日から三日で移動できる距離ごとに、まるで宿場町のように湧き出ているらしい。自然にできたにしては等間隔すぎるので、太古の文明による人工物といわれている。
事実、砂嵐などで地底部分が露出し、千年以上前の都市の遺跡が発見された例もあると聞く。まあ、それは考古学者でない俺にはあまり関係ないが。
そのオアシスは、命あるもの全てを拒むかのごとき不毛の地にあって、人がささやかな暮らしを営む拠点であり、交易商人たちがひとときの安らぎを求めて立ち寄り、また取引をする場所であり……
常に盗賊やモンスターに狙われる宿命を背負った、危険地帯でもある。当たり前だ、悪人や魔物だって水がないと生きていけないからな。
ならオアシスを避けて移動したほうが安全じゃね? と思ったらそうもいかない。町にはマウルード王国の守備隊や領主の私兵が常駐し、彼らは交易ルートの巡回警備も行っている。そこを離れて奥地を進むのは逆に危険なのだ。
それに収納魔法のお札やポーチを使っても、持てる物資には限界がある。遠回りするなら当然それだけ余分に水や食料を持たねばならず、そうなると交易品に割く容量が削られて儲けが減るわけで、何のために旅をするのか分からない。
てなわけで、問題や不都合がないではないが、昔からこのルートでやっているという訳である。
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その交易ルートを行くこと数日。ここまでは特筆するほどの危険に見舞われてはいない。むろんグレッチのほかバジリスク(トカゲの魔物の一種)やサンドワーム(巨大なミミズのような魔物)など野生モンスターの襲撃は何度かあったが、それは予測の範囲内だし、そもそもドラゴンや魔王に比べたら弱いし。
むしろ、厄介なのは町に着いてからだった。
ただでさえザラターのせいで日程が遅れているのに加え、王族の身分を明かせば厄介もあろうとお忍びの旅となっているが、例によってアニスは嫌がらず、目をキラキラさせて異国の街並みに興味津々。
日干しレンガの家屋、乾燥地帯独特の動植物。水分の蒸発を防ぐため地下に設置された井戸。言葉も衣服も違う人々、市場に並ぶ見慣れない品々……。多感な年頃の少女にとって、本では得られない刺激や感動があるのだろう。
まあここまではいい。
が、衣料品を扱う店を覗いたとき、「万一に備えて、変装用にこの国の服も買っておきましょう!」なんて言い出した。
百歩譲ってここまでもいい。
が……その服ってのが、よりにもよってヘソ出しの踊り子衣装。だぼだぼのズボンを足首で絞ったやつ。母さんはアラビアンパンツとか呼んでたっけ。
アラビアってなんだ? 女性デザイナーの名前か? オリビアさんの姉ちゃんか?
そして宿に着いたらコスプレショーの始まりときたもんだ。異国の非日常感で浮かれるのは分からなくもないが、ちょっとハメを外しすぎじゃないですかねえ、お姫様。
ちなみに各人の反応は……
ノリノリ→アニス、ウェンディ、クレアさん
まあ普通→フィーネ
恥じらいつつも空気は読む→リーズ
胸囲の格差社会にぐぬぬ→ロッタ
であった。
六人とも「超」がつくレベルの美少女(クレアさんだけは年齢的に美人と言うべきか?)、それがちょっぴり扇情的な衣装をまとい、艶かしく身をくねらせる。彼女ら、とくにノリノリ組の三人は気づいていないかもだが、若い男には少々刺激の強い光景だ。
ジェイクは「見てるこっちの腰がおかしくなりそうだわ」と笑ってたけどな。気をつけろよ、姿勢が悪いと若くても腰痛になるんだぜ。
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さらに数日して、国境からマウルード王国の王都のほぼ中間地点にある町に到着する。
リーズやジェイクはもちろんのこと、アニスにジョゼットさん、王女近衛隊の魔法使い組などが、強い関心を寄せていた町だった。なんとなれば、ここは砂に埋もれていた旧市街が出土した、まさにその場所だからだ。
しかも遺跡には地下迷宮があり、冒険者やマウルード王国の調査隊によって、日々探索が行われているという。
水の豊富なわが国と違い、面積の多くが農業に適さない乾燥地帯のこっちではダンジョン資源の重要性がより高いので、力の入れ方は相当なものらしい。むろん様々な魔法の品も発掘され、研究も盛んだ。
要は俺たちの活動拠点、迷宮都市リンゲックのマウルード王国版である。知識の探求者たる魔法使いとして、気になるのも当然といえるだろう。
ところが……
町の様子が、俺たちを見る目がどうもおかしい。妙によそよそしいというか、警戒心がにじみ出ているのだ。いったいなぜ?
ともかく、俺たちは宿の手配を済ませると市場に向かう。討伐した魔物の素材を売り、その金で必要物資を調達しなければならない。
そこで思わぬトラブルに巻き込まれることになるのだが、この時点でそれを予想していた者はいなかった。
踊り子衣装、半裸レベルで露出度高いのはともかくアラビアンパンツなら主人公以外の男が見ても問題ない、と思う。上半身に着るものによっては肌ほとんど隠れるし。