075 第6章プロローグ(フィーネ視点)
お父様は料理人でした。
修行のため旅から旅の生活だったけれど、お母様が私を身籠ったのを機に迷宮都市リンゲックに落ち着き、ささやかな店を持ったのだそうです。
そのお母様の顔は、残念なことに覚えていません。私が生まれてすぐ亡くなってしまいましたから。私と同じ三毛猫の獣人だったとは聞いていますが。
私は、厳しくも優しいお父様からたくさんの愛情を受けて育ちました。ついでに言うなら、料理のスキルもこの頃にみっちり叩き込まれたものですわ。
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ある日。お父様の手伝いで来た街角で、私は女の子の泣き声を聞きました。
途切れ途切れに聞こえる声を辿ってみれば、五、六人の男子が、一人の少女を囲んでいました。どうやら彼女の髪飾りを取り上げ、仲間内でパスしあって囃し立てているようでした……。
「お前らぁ! 何やってんだっ!!」
当時の私は粗野でした。体が大きいこともあって、時たま男の子に間違えられて嫌な思いをしたものです。まあ、その体の一部分がばいんばいんに育った今は、不躾な視線で嫌な思いをしているんですけどね。
数分後、女の子の泣き声は男子どものうめき声に変わっていました。むしろ少女のほうが、必死こいて私を制止していました。
身体能力に優れた獣人、その中でも生まれつき力が強かった私にとって、並の男子などものの数ではありません。正直、もう少しボコってやりたかったですけど。
女の子を泣かせるほうが悪いですわ。ざまぁ。
これが、私にとって無二の、そしてきっと生涯の友となるであろうリーズとの出会いでした。
私は足しげく彼女の実家である「樫の梢亭」へ行き、二人で楽しい時を過ごしました。
なんでもリーズは大人しい性格からか、昔から男子にからかわれがちだったそうです。でも、あるとき強い男の子が現れて守ってくれるようになり、しばらくは平穏な日々を送っていたとか。その子が町を離れたとたんに、再び男子の嫌がらせが始まったらしいのです。
私が不埒者どもをブチのめしましたから、再び平穏な日々が戻りました。でも後から知ったのですが、彼らの中にはリーズが好きだった子もいたそうです。彼女、あの頃からとびきりの美少女でしたもの。
理解に苦しみます。好きだから気を引きたくて意地悪しちゃう? 何ですかそれ? 自分に危害を加える相手を好きになるわけないでしょう。アホですか?
それはともかく、今度は私の平穏な日々が終わりを告げました。
思い出したくもない、でも忘れもしないあの大火。お父様は逃げ遅れた人を何人も救出しましたが、崩れた瓦礫の下敷きになって……
天涯孤独となった私は、南地区の教会に併設されている孤児院に入り、料理人に代わって僧侶としての修行を始めました。この口調もシスター・マノン、今の院長先生に影響されたものですわ。
孤児院では、裕福とは言えないながらも皆が助けあい、慎ましく暮らしていました。この頃から、私は漠然と考え始めたのです。
悲しむべき運命によって、不遇な環境に置かれている少年少女らの力になりたい。
育ち盛りの彼らに、毎日栄養豊富な食事を、お腹いっぱい食べさせてあげたい。
才能が眠ったまま終わらないよう、充実した教育環境を整えてあげたい、と。
思えば、お父様もそのような子供らに、採算度外視で料理を振るまうことがありました。リーズから聞いた異国の文化でいう「こども食堂」に近いでしょうか。なので、信仰とお父様の遺志を継ぐことを両立することにもなりますものね。
それには先立つものが必要です。私は修練の傍ら、近所の料理屋で奉仕活動しつつ余り物の食材を貰ったりしながら、少しでも皆の扶けになろうとしました。
その想いが神に届いたのでしょうか? 私は何か後天的な力を後付けされたかのように……自分で言うのもなんですが、飛躍的にパワーアップしていったのです。それまでスパーリングで歯が立たなかった院長先生やシスター・エリー、シスター・マルティーヌにも勝てるようになりました。
え? なんで聖職者がそんなことをって? 悪に神罰を下すのも私たちの使命なんですよ。
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そして、一応の成人とされる十六歳を迎えます。
還俗(僧侶をやめること)して料理人になり、お父様の店を再建したい気持ちもなくはなかったのですが、私はより多くの人を救うため、一攫千金を狙える冒険者になりました。正直、リーズが同じ仕事を選ぶとは夢にも思いませんでしたけれど……。
冒険者になる人の多くがそうであるように、私も腕には覚えがありました。正直、同世代なら自分がいちばん強いと思っていました。でも能力テストの日、それが過信にすぎなかったことを思い知らされたのです。
二対一のハンデ戦であったにも関わらず、私は敗れました。その相手こそ、勇者ジュリア様のご子息にして一番弟子、そして、かつてリーズを守っていた少年、ヒデトでした。
これが縁で彼、さらに彼と仲のよい斥候のロッタとは頻繁にパーティを組むようになったのですが……ヒデトもロッタも知らないでしょうね、リーズは私と二人きりのときは、なにかというと初恋の人のことを口にするのです。
親友を取られたようで、ちょっと嫉妬してしまいます。いけませんね、神に仕える身でこんな邪念を抱くなんて。
でも、私が抱いている罪深い考えは、それだけではありません。
依頼で何度も肩を並べて戦ったときや、ジョゼットさんに試されたときの、彼の強さ、頼もしさ、凛々しさ。
剣を鞘に納めているときの信心深さ(私たちは決してお布施を強要している訳ではありません)や、孤児たちに武術や学問を教える同志としての信頼感は、いつしか私の心にさざ波を立てるようになったのです。
これはリーズにさえ言っていません。もし彼女に知られてしまったら、友情が壊れてしまいそうで怖いですもの……。知っているのは、懺悔を聞いてくださった院長先生だけ。
それにロッタもたぶん、ウェンディはもしかしたら、アニス王女殿下とクレアさんに至っては明らかにヒデトのことを……いや、最後のふたりは精神的なものよりエロい欲求(欲望?)のほうが強そうな気もしますが……
まあそれはともかく。
なら、私は親友のリーズをサポートするだけですわね。ライバルの皆さん、悪く思わないで下さいまし。
私は神の僕。院長先生からも言われましたが、これはきっと神が与えたもうた試練に違いありません。
ならば乗り越えてみせます。だから、この気持ちはヒデトにも、リーズにも一生秘密です。
胸の痛み、何するものぞ。メートル超えの重装甲は伊達じゃありませんわ。




