072 熱砂の大地に待つものは
「ふう。まったくもう、ジェイクのやつめ」
魔王との戦いに勝利したこと、他国の王女を迎えることもあり、宴は予想どおり盛大なものとなった。堅苦しい挨拶は終わって今は無礼講状態、大広間では人々の歓声、吟遊詩人の歌や竪琴の音が絶えない。
その喧騒をひとまず離れ、テラスで涼みながら俺は独りごちる。祝い酒で火照った体に、ひんやりとした鍾乳洞の空気が心地よい。が……
(酒のせいだけじゃないよなあ)
先ほどの光景が、六人のあられもない姿が頭から離れない。そりゃそうだろう、俺だって健康な若い男だ。そういう欲だって普通にあるさ。
リーズ、フィーネ、ウェンディ、クレアさんはもちろん、初めて会った時もそうだったがロッタは幼い見た目に反して妙な艶っぽさを感じさせることがあるし、姫様だって、十三歳ながら明らかに「女」を感じさせるものが芽生え始めていた。今はまだ幼いが、五年、いや三年後にはどうなっていることか。
俺は厭な考えを払うようにかぶりを振る。
母さんいわく、東方の戦士「サムライ」の理念によれば、武士は修行僧のごとく強い克己心(欲望に打ち克つ心)を持ち、哲学者のごとく真理を追求せねばならぬという。
剣の道を極める、その究極目的は他者を支配する暴力の獲得でなく自己の人間的完成にあり、ひと振りの剣を通じて天地の声を聞き、無我無心、明鏡止水、悟りの境地に達すること……らしい。むろんサムライとて血と肉でできた人間だ、全て理想どおりでもないのだろうけど。
その点、母さんは無欲な人だった。もともと華美を好まなかったこともあるが、金銭は気前よく喜捨(社会的弱者への施し)していたし住まいもささやかなもの。ドレスやアクセサリーも人に会うとき失礼のない最低限しか持っていなかったし、食事だって質素だった。ただし料理や陶芸が趣味なので、味や盛りつけ、器にはこだわった。
あの人が達人の域にあったのは、そういう恬淡(無欲で落ち着いていること)とした生活と無縁ではないだろう。とくに、浮いた話は聞いたことがない。
最強の座を不動のものにしていながら、常日頃から、意図的にではなく自然に節制していた母さん。
対して、修行中の身なのに女の肌に惑わされる俺。動物の本能、アラフォーと十代の差と言ってしまえばそれまでだが、自分がひどく浅ましい存在に思えてくる。
「情けない。こんなことで母さんの域に、勇者に近づくなんて夢のまた夢だ」
そう呟いたとき。
「あなたはもう勇者です。少なくとも私にとっては、出会ったあの日から……いいえ、お会いする前から勇者です」
「姫様?」
アニス王女も宴を抜け出してきたらしい。さすがに彼女はまだ酒を嗜まない、酔っ払いの乱痴気騒ぎについていくのも限度があったのだろう。
「もう。出発前に決めてたじゃないですか。旅の間は呼び捨てにするって」
「それは正体を隠すためで、今は……」
「ア・ニ・ス! そう呼んでくれないと返事してあげませんよ? 砂漠でもいちおうお忍びでいくんですから、慣れておきませんと」
まあ、それはそうだが。
「それに、もうそんな他人行儀は必要ありません。乙女の肌を見られた以上、私は心だけでなく、身体もあなたのものなのですから……。うふふ」
そういってアニスは、瞳を潤ませ頬を染め、おどけるように身をくねらせる。
「いやその、アレは事故というか不可抗力というか」
「ひどい……。私にとっては一生のことなのに、あなたにとってはその程度なんですね。ううう」
今度は、よよとわざとらしい泣き真似。はあ、すっかり玩具にされてるなあ。敵視されるよりマシだけど。
「そういう訳でも」
「ふふ、冗談ですよ。ごめんなさい、ちょっと意地悪しすぎましたね……。あ、そうそう。本題を忘れるとこでした。聞きましたよ、魔王を討伐したあと、ロッタお姉さまとリーズお姉さまにしてもらったこと」
そういって、アニスは俺の首に手を回した。
エメラルドグリーンの瞳がそっと閉じられ、彼女の顔が近づけられてくる。
身長差は三十センチほど。俺は少し膝を屈めた……
「ほんとは唇に……って言いたいところですけど、抜け駆けはよくないですよね。さ、そろそろ戻りましょう。宴の主役がいつまでも中座するのもなんですし」
恥じらいつつも、満面に嬉しそうな笑みを浮かべて、アニスはそそくさと大広間へ入っていった。
頬に唇の感触を残して、夜は更けてゆく。
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「本当はゴルド・フランメ(黄金の炎)……そちらの言葉だとオルフラムか、その剣を持たせて送り出してやりたいところだがな。ただでさえ外交使節の日程が遅れている以上、ここに留まって武具の完成を待つわけにもいかん。繋ぎだが、今はこれで我慢してくれ」
「いえ、十分すぎるものです。感謝いたします、ベイリン様」
俺は試し斬りを終えて、新品の剣を鞘に戻す。
これまで使ってきた武器や鎧は、ザラターとの戦いで大半が壊れてしまった。なので討伐の恩賞を兼ねて、新しいものを用意してくれたのだ。
で、鍛冶の技術に長けたドワーフは武具製造の第一人者。特注品ではないものの、いずれも以前よりワン、いやツーランク上の業物だった。槍、長剣、短剣、短刀……。弓だけは彼らの専門外なので、出発時に持ってたやつのままだが。
また、これとは別にオルフラムの刀や槍、魔法銀の甲冑などをくれるとのこと。そちらは今造っている最中で、エスパルダ王国に戻るときに受け取ることになりそうだ。
大きな問題はないだろう。どの道、お忍びの旅では目立つから使えないし、そもそもあまり高級品だとかえって気を使ってよくないからな。
いつだったかマスターが話してくれたっけ。昔、魔法の剣を手に入れた戦士がいたけど、その人は剣が抜けない状況でモンスターに囲まれたとき、武器を捨てて逃げる決心がつかずに退却が遅れ、結局、命を落としたと……
俺にはまだ、オルフラムの剣は分不相応かもしれん。やっぱり武具ってのは「いざとなったら捨てても諦めがつくもの」の方が気楽でいいや。
そして鎖かたびらの試着。
「全身に負荷が分散されるプレートアーマーと違って重量のほとんどが肩にかかるから、意外と重く感じるんだよな」
「私の場合、胸が固定されないのが厄介ですわねえ。動きにくいし、二重に肩がこりますわ」
「フィーネ……。それは世の女性の何割かを敵に回す発言だよ……」
砂漠ではこれを着る。プレートアーマーは通気性がないため熱がこもり、戦う前に熱中症でやられてしまうため暑すぎる地域には適していないのだ。
魔法銀の鎖かたびらの上に、暑さ対策として熱を反射する白の陣羽織とマント。これに黒いサムライ兜を合わせるとミスマッチなうえに目立ちすぎるので、お忍びの旅ではありふれた水滴型の兜を使うことにした。
見た目は古式ゆかしい王国の騎士って感じである。
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出発の朝がやってきた。まずはジョゼットさんの訓示。
「……砂漠では馬車は使えませんので、馬やロバもろともここに預けて、ラクダに乗り換えます。つまり、馬車に比べて防備が薄くなるということです。王女近衛隊も冒険者の皆さんも、今まで以上に集中して護衛に……」
確かに彼女の言うとおり、正念場はこれからだろう。みな神妙な顔つきだ。
「ここまでありがとう。戻るまで待っててね」
アニスが馬やロバ一頭一頭に声をかけ、毛並みを優しく撫でてやると、誰いうともなく全員がそれに倣った。
脳みそピンクでポンコツなところもあるが、この辺りはやはりプリンセス。生まれ持ったカリスマ性というか、人を惹き付けるものを持っているんだな。
そして女王陛下やベイリン様らに見送られて洞窟を抜けると、彼方には茫漠たる不毛の大地が広がっていた。
砂漠の王国、マウルードでの冒険が始まる。




