007 三毛のしっぽと黒髪メガネ
エスパルダ王国の気候は総じて温暖だ。ましてや今は蝉の声も響き始める季節。だが、朝はそれなりに冷える。沐浴して身を清めたのち、まだ乾いていない髪を撫でる風が心地よい。
テスト会場となる冒険者ギルドに着くと、開始一時間前というのに、グラウンド近辺は既に賑わいを見せはじめていた。
運営に携わるギルド職員をはじめ、パーティのメンバーを物色する冒険者たち、依頼を出す側とおぼしき身なりのいい人物。単なる見物であろう一般人も多い。リヤカーの屋台や天秤棒を担いだ物売りもいて、商魂たくましいことである。
エマおばさんはリーズも来ると言っていたが、パッと見たとこ俺と同世代で黒髪の者はいない。だが知った顔はいた。ロッタだ。
「おはよう、今日は絶好のテスト日和だね」
「おはようロッタ。すごい人だかりだな」
「いつもはこうじゃないよ。例のドラゴン討伐の影響。町との距離から考えて、キミは今日のテストに参加する可能性が高いだろうってんで、みんな注目してたんだよ」
そういって彼女はぐるりと周囲を見渡す。心なしか視線が集まっている気がするが、その美貌ゆえだろうか。
「そうなのか?」
「そりゃね。冒険者の本場リンゲックでも、あんな大物を一人で倒せる戦士はほとんどいないんだよ? 『不倒の巌』アルゴに『銀緑の剣風』ゾイスタン……あとは冒険者どころか領主様の騎士団含めて二人か、せいぜい三人かな」
「昨日酒場で話してた凄腕の戦士か。武芸者として、いずれ一手のご指南に与りたいものだな」
「さ、そろそろ控室行かないと。それから……これ」
そういってロッタは、小さな護符を手渡してくれた。
「市販品だけど、ちょっとしたお守り。じゃ、私は向こうで応援してるね。頑張って」
「ああ。ありがとう、ロッタ」
観客席、といっても前の方は地面に座り後ろは木箱とかに乗ってるだけだが、とにかくそっちへ向かう彼女を見送り、俺は入口で例のすげえ木札を見せて控室へ入る。
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倉庫を転用している殺風景な部屋には、既に複数の先客がいた。職員さんから聞かされた今日の参加者数からすると、あと二人くるようだ。
褐色肌の女戦士がいる。身長は百七十センチに近い。見た感じ(昨夜ロッタで勘違いしたので自信はないが)俺と同世代、少し波打つ黒髪をポニーテールにしており、瞳の色は青。かなりの美少女だ。黒髪はこの国古来の民には滅多にいないが、彼女ら異民族はこれが普通という。
メイン武器は背中の両手剣、鉄の半首(額と頬を守るヘッドギアのような防具)と胸当てをつけていた。識別のためか部族の色なのか、鮮やかなブルーに彩られた左の肩当てが目を引く。籠手は左右非対称で、左のほうが装甲が厚く頑丈な造り。盾は持っていない。
装備はかなり上等だが、この歳でベテランでもないだろう。俺と同じように、誰かから餞別として贈られた品かもな。
弓の点検をしている革鎧の男性。年齢は二十歳ほど、やや面長の精悍な顔つきと、しなやかで引き締まった長身は狼か豹を思わせる。一見して硬くなっていると分かる指と掌が、修練のほどを物語っていた。一攫千金を夢見て狩人から転向といったところか。
俺と同世代がもうひとり。だがこちらは明らかに素人っぽかった。その辺の農村にいそうな若者だ。
どこで入手したのか、比較的新しいサレット(口元が露出する軽量タイプの兜)をかぶっているが、腰に下げている手斧は薪割り用のものだし、もとは鍋らしき鉄板を縫いつけた古い革鎧に、がたぴしの盾。なにより目線や動きに落ち着きがない。
人間以外の種族が二人。平均身長は百三十センチほどだが屈強なドワーフ族と、一メートル未満の小柄な体で俊敏さが売りのハーフリング族だ。装備を見た感じ、前者は回復や防御の魔法を得意とする僧侶、後者はロッタと同じ斥候系か。
既に登録済みの冒険者もいた。モスグリーンの上衣を着ている男、昨日酒場で見たぞ。
一緒のテーブルに、同じ色の服を着た戦士と魔法使いがいたから覚えてる。固定メンバーのパーティで、敵味方の識別のために色を統一しているのだろう。
その服の下には鎖かたびら。穀竿と小盾、さらに短弓を装備している。なんか装備がチグハグというか、パワー型なのかテクニック型なのかハッキリしない中途半端な感じがぬぐえない。
ともあれ、危険と背中合わせ、荒事上等の世界に自ら足を踏み入れるヤツらである。見るからに一癖ありそうな顔ぶれが揃っていた。
そんな一癖あるヤツらが待つことしばし、ドアの外から足音が近づいてくる。どうやら最後の二人が到着したらしい……
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(でっっっか!!)
それが俺たち全員が抱いた第一印象だったろう。
入ってきたのは、黒い修道服の女僧侶だった。
顔立ちはロッタに負けない、「超」がつくレベルの美少女だが、まだ少し幼さが残っている。俺と同い年くらい? だろうか。
頭巾からはオレンジ色の艶やかな髪が覗き、頭の上からは真っ白な猫耳が、腰の後ろからは三毛の長い尻尾が出ていた。太い眉毛は黒なので、耳と合わせると頭部も三毛になる。
ぱっちりした大きな目、瞳は実際の猫にも多い金色。窓が小さく部屋が薄暗いので、縦長の瞳孔が少し広がっていた。
獣人と呼ばれる、人と獣の特徴をあわせ持つ種族だ。一説には太古の魔法文明によって人為的に生み出された合成生物、戦闘用強化人間の末裔とも言われているとか。
その真偽は一介の武芸者にすぎない俺が知るわけもないが、総じて身体能力に優れた種族ではある。彼女は猫系らしい。
背中には長方形の大盾を背負い、腰には簡素だがでかくてごつい鎚矛(なんか割と新しめの血痕がある)が吊るされていた。だが俺たちを一番驚かせたのは、美貌でも服装でも猫耳でも尻尾でも装備でもない。
でかいのだ。いろいろと。
俺も百八十一センチと年齢の割にはでかいほうだが、彼女はさらに五、六センチほど背が高い。体格もがっしりしている。
それにも増して……圧倒的、ひたすら圧倒的なのが……
エマおばさんや母さんをも上回る、胸囲の……もとい驚異の超・重装甲……っ!
猫じゃなくて牛の獣人じゃないのかこの娘……。でも角ないしなあ……。おっと、母さんが言うには、女性はすぐ分かるらしいので気をつけないと。
「どうやら私たちで最後みたいですわね。初めまして皆さん、南地区の教会で見習いシスターをさせていただいている、フィーネと申します。本日はよろしくお願いしますわ」
そういってシスター・フィーネは聖女のごとき微笑みを浮かべ、スカートをつまみ上げて上品にお辞儀する。いかついメイスやでかい盾とのギャップが半端ない。
どうでもいいが、猫の獣人だが語尾に「ニャ」とかはつかないようだ。丁寧な口調は聖職者ゆえか、それとも実際にいいとこの出なのだろうか。
ん、フィーネ?
「リーズ、もう皆さんいらっしゃってますわよ」
(!? リーズ!?)
フィーネに促されて入ってきた最後の一人は、俺と同じ漆黒の髪をもつ少女だった。
綺麗に切り揃えた、腰まであるさらつやストレート。母親ゆずりの青紫の瞳。黄色いフレームの眼鏡をかけている。エマおばさんに比べると大人しそうな印象だが、整った顔立ちや色白の肌はそっくりだ。
髪の色に合わせたのかフィーネとお揃いなのか、黒いローブをまとっている。大きな三角帽子、腰には革製の小さなポーチ。実家の屋号にちなんだのだろう、樫の木の杖を持っていた。典型的な魔法使いの装束だが、よく見ると帽子の額部分と、ローブの左胸、左上腕部には、あの日くれた髪飾りと同じ図柄が刺繍されていた。
身長はさすがにフィーネより低いが、それでも年齢の割には高めの百六十台前半。体型はすらっとしているが、ベルトでウエストが絞られているせいもあって、服の上からでも豊かな胸のふくらみが分かる。
エマおばさんもそうだが、出るとこは出て引っ込んでるとこは引っ込んでるタイプだ。フィーネ共々、ロッタが見たら「ぐぬぬ」と歯ぎしりするのではなかろうか?
(おばさんが『明日のテストで会える』と言っていたのは、こういう意味だったのか)
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ここで物語をいったん区切り、エスパルダ王国年代記の記述に目を通してみよう。
著者である大魔法使いデルグディアンはいう、英雄はひとりでは英雄たりえないと。
綺羅星のごとき豪傑や賢人たちが、運命に導かれるがごとくその周りに集うからこそ英雄なのであると。
この日のテストに参加した者の幾人かは勇者ヒデトと深い関わりを持ち、のちの王位継承戦争、そして二度にわたる人魔戦役において活躍し、エスパルダ王国の歴史に名を残した。また、近代的な教育や福祉の向上に尽力した者もいる。
だが無論、この時点で彼らがその運命を知るはずはない。
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「えーっと……君は、リーズ……だよな? 『樫の梢亭』って宿の娘の」
「うん……六年ぶりだね、ヒデトちゃん。あ、もう『ちゃん』はないよね。ヒデト……さん?」
「さんはいらない。同い年なんだし」
「うん……分かった。ヒデト」
美しく成長した幼なじみは、しかしあの頃と変わっていなかった。大人しくて引っ込み思案で、俺の後ろをトタトタついてきたあの頃と。それだけに、冒険者になるためここにいるという事実が、まだ信じられない。
無論モンスターが跋扈し、戦乱も絶えない物騒な世の中だ。どこにいようと危険はある。が、当たり前だが城壁の内と外では、その度合いがまったく違うのだから……。
「まさかリーズが冒険者になるとはな」
「魔法研究所とかの誘いもあったんだけど、フィーネが冒険者になるって言うから。守られるだけじゃなくて、私もフィーネを守りたかったの」
ここでそのフィーネが会話に加わる。
「ふうん、その方がリーズの初恋の幼なじみですか」
「ちょ、フィーネっ! ……もう」
リーズは真っ赤になってうつむく。懐かしいな、この仕種も昔のままだ。
「改めて初めまして、ヒデトさん。リーズとは親しくしていただいている、フィーネと申します」
「呼び捨てでいい。昨日エマおばさん……当然知ってるよな、リーズのお母さんが言ってた。君の家にお泊まりに行ってたって」
「ええもちろんお世話になっていますわ。あと、正確には教会ですけどね。リーズはそこに併設されている孤児院で、ときどき勉強を教えているんです。子供らにも『お姉ちゃん』と呼ばれて慕われているんですよ?」
なるほど、その後で親睦会を兼ねてのお泊まりだったわけか。
「……さて、では遠慮なく呼び捨てにさせていただいて、ヒデト」
「何だ?」
「つき合いは私のほうが少し長いですが、出会ったのはあなたのほうが先です。なのでご存じのことと思いますが、リーズはとってもいい娘なんです」
「知ってる」
「私にとって、彼女は大切な親友なんです」
「はあ」
「つまり何が言いたいかというと」
そこまで言って、フィーネは俺の両肩にポンと手を置く。
「リーズを泣かせたりしたら、ブチ殺しますわよ?」
にっこり微笑むフィーネ。だが、その目は笑っていなかった。