066 山脈の王者ベイリン
「ほう、そなたが愚息の鼻っ柱をへし折ってくれたヒデト殿か。なるほどいい面構えをしておる。それにどことなくジュリア殿の面影があるな。血が繋がっておらずとも心が繋がっていれば、人は自然と似てくるものよ」
羊皮紙を丸めながら笑みを浮かべるのは、アルゴよりは少し低いものの、それでも百七十はある巨漢のドワーフだ。
深紅の鎧は異国の様式を取り入れた、母さんが言うところのナンバン胴で、露出している二の腕は息子に負けず劣らず太い。傍らの兜も俺の頭形兜と同じ東方様式の、ただしもっとパーツが細かい筋兜で、俺のと同様に仮面のようなフェイスガードと首を守る装甲板、そして取り回しを考慮していざという時は取れるダミーではあったが、異国の伝説に登場する聖獣「麒麟」の角と、鬣のようなウィッグ? がついていた。
「母をご存じで?」
「当然だ。彼女の剣を作ったのは儂だよ」
「そうでしたか。無銘だったもので存じませんでした」
「銘を入れるのは好かんでな。武器は使い手の腕ひとつ、制作者の名など役に立たぬ」
そう言って、彼は格闘の邪魔にならぬよう短く切り揃えられてはいるが、手入れの行き届いた赤茶色のヒゲを撫でる。
偉大な体躯、牡牛の逞しさと豹のしなやかさを兼ね備えた筋肉。射抜くような鋭さの中に知性と優しさを感じる眼差し、骨までずんと響く、よく通る野太い声。
ただそこにいるだけで、場の空気を支配する存在感がある。味方の勇気を奮わせ、敵の戦意をくじくオーラがある。これがアルゴの父ベイリン、ドワーフのチャンピオンか……。
「女王陛下の命令書は確かに受け取った。本格的な戦闘を目前に、そなたらのような豪傑が加わるのは喜ばしいことだ。が、まずは休息して鋭気を養うといい。存分に戦うためにもな」
「お心遣い感謝いたします、ベイリン様」
「さて、それでは鼻っ柱を折られた愚息に喝を入れてやるとするか」
「ふん、息子の力量も見抜けぬとは、親父どのも耄碌したか?」
「抜かしよる」
俺たちはアルゴを残して野営地へ移った……親子水入らずを邪魔するほど野暮ではない。
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「しかしまあ、よくぞここまで色んな奴らを集めたな」
「だね。まるで洞窟に住むモンスターの見本市だよ」
一夜明け、俺たちは軍議の末席に加わり、敵の情報を確認していた。大魔法使いザラターとやらはどんな手を使ったのか、あらゆる種類のモンスターを配下にしているという。
毎度おなじみゴブリンにオーク、鬼のたぐい、支配下に入ったゾロア、大コウモリなどの非人間型モンスター、その他もろもろ……あげくの果てには、地方によっては岩魔神などと呼ばれる岩石の巨人までいるらしい。
「だが、相手がなんであれ戦の基本は変わらん。多人数による一斉攻撃、地の利を活かす、敵の情報網や補給路を絶つ、そして最後にものを言うのは一人一人の心身の強さ。では作戦の概要を説明しよう。意見や要望があれば遠慮なく言うように」
副官のドワーフが地図上に敵味方を示す駒を置く。意見もなにも、これを見る限り当面の作戦に迷うところはない。
「当然、まずはここが攻撃目標だ」
指し示された地点は現在地の近く、小規模ではあるものの複数の通路が合流する鍾乳洞だった。簡単な図にすると、
┏━━交戦地点A━味方の勢力圏D
敵前線基地━鍾乳洞━交戦地点B━味方の勢力圏E
┗━━交戦地点C━現在地
といった感じ。交戦とはいうものの、実際には鍾乳洞を騙し討ちまがいの奇襲で占領された後は大きな衝突は起きておらず、にらみ合いと小競り合いが続いているという。
蟻の巣のように通路や部屋が繋がった洞窟という性質上、移動の選択肢が少ないため作戦はシンプルだ。
まずC地点の敵を現地の味方とともに撃破する。そののちC地点の残存戦力とともに鍾乳洞を奪還し、ここを敵前線基地から守りつつA、B両地点の味方と挟み撃ちする形で敵を殲滅。
首尾よくいけばD、E地点以降の安全を確保でき、かつA、Bの残存戦力と合流して、味方を鍾乳洞に集中できるというわけである。
「現在にらみ合いが続いているのは、敵がまだ数を揃えきれていないことと、寄り合い所帯ゆえに統制が取れていないことが大きい。つまり」
「時を与えれば、それだけこちらが不利になる訳ですわね」
「そのとおりだ。幸いにして心強い味方が加わったことゆえ、すぐさま作戦を決行したいが、どうか?」
「十分な休息を取らせていただいたおかげで、我らはいつでも行けます。ベイリン様、願わくば先陣をお命じください」
「よろしい。ヒデト殿、勇者の息子の力、存分に振るわれよ」
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ここで少し趣向を変え、久々にオリヴィエ君の従者さんにご登場願うとしよう。もっとも彼の著作はいささか誇張が多く、記録としては眉唾ものではあるが。
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勇者ヒデトが戦列に加わるや、すぐさま戦局の天秤はドワーフの側に傾いた。彼は愛用の槍をりゅうりゅうと振るい、先陣を切って悪鬼どもの群れに向かっていった。
洞窟の暗がりの中で、槍が流星のごとくひらめいた。ゴブリンも、オークも、トロールや単眼巨人さえも、彼を前にしては等しく朱に染まるほかはなかった。
味方は奮い立ち、敵は怯えた。一刻を待たずして戦いは終わった。伝令より大勝の報を受けたベイリン卿はおおいに満足し、先鋒隊に合流すべく進軍命令を下した。
しかし、この戦において、勇者の活躍はここまでであった。
例外なく一撃で倒されていた敵の骸、その傷から分かる鮮烈なる戦いぶりを思うて、将として本陣にいることに慣れ、戦士の蛮勇、戦場のあらあらしい喜びを久しく忘れていたベイリン卿の心は、若き血潮の滾りを甦らせたのである。
ひとたび燃え上がった戦士の魂を鎮めるものは、敵の血をおいて他にない。鍾乳洞の戦いは卿みずからが先陣を務め、勇者は弓でこれを支援した。
互いの武器が打ち合う響きは、すぐ横にいる味方の声さえ聞こえぬほどであった。そこかしこで火花が散り、鍾乳洞の中は星が瞬くがごとく光に満たされた。ドワーフの戦士たちはベイリン卿に負けじと、その勇気と誇り高さとを存分に示した。
敵は徐々にその数を減らし、ついに壊滅に至った。勝鬨が上がり、卿は満足げに笑って戦友らを称えた。なかんずく、勝利の呼び水となった勇者ヒデトは、すべての味方から比類なき尊敬と惜しみなき称賛を集めた。
いにしえの賢人もいう、勇者とはひとり己が武勇に秀でる者にあらず、味方を奮い立たせる者こそ真の勇者である、と。
この華々しい勝利の報に、王宮も沸き返った。麗しきアニス王女は髪を結ぶリボンをほどき、勇者に渡すよう使者に伝えたという。
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さすがに総大将であるベイリンが、興奮のあまり本陣をほっぽり出して突撃したというのは、脚色にしても無理があるだろう。鍾乳洞はともかく、狭い通路で槍が使えたかも疑問が残る。
ただ、勇者ヒデトが鍾乳洞の戦いで弓によるサポートに回ったのは事実で、ここで先陣を切り、華々しく活躍したのはアルゴだったとドワーフの記録にある。彼は自らの武勲で、愚息でないことを証明してみせたのだ。
ところで……
作者の違う別の書物の中には、ヒデトが鍾乳洞では最前列で戦わなかったことが「重傷を負った」と誤って王宮に伝えられ、いてもたってもいられなくなったアニス王女が安否確認のため単身現地に向かい、生き残りの魔物に襲われるも間一髪で勇者に助けられ、そのまま成りゆきで行為に及んでしまうとか、そんな話だらけのトンデモ本もあるという。
彼女の私物の中に。




