055 私を異国に連れてって
闘技場から場所は変わって、領主フェルスター辺境伯の館。俺たちも招かれて宴が始まった。
試合が終わればノーサイド。みな笑顔で酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打ち、そして大いに語り合っている。シルフォード三兄弟は水入らずのひとときを過ごし、先輩後輩の間柄であるマスターとジョゼットさんは思い出話に花を咲かせ……
仕官に興味はないかと聞かれる者、聖職者のフィーネを除く女性陣は、冗談混じりに「息子の嫁に」と誘われる者も。
俺も例外ではなく、入れかわり立ちかわり様々な人物の、今は領主の歓待を受けている。
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「まさか兄貴に勝つとはなぁ。実況のカルロッタ嬢が『新しい勇者』と呼んでいたが、あながちお世辞でもない。これからも活躍してくれたまえ。ときに、今後ジェローム王子とルイ王子も同様にリンゲックを訪れることになろうが、また依頼を受けてくれるかね?」
現領主である伯は、兄貴分のフィリップ王子と昵懇の仲。誰であれ対抗勢力に接近するのは好ましくない。俺にどれほどの利用価値があるかはともかく、探りは入れておきたい……いや、釘を刺しておきたいと言うべきか? とにかく気になるのだろう。
「それに関してですが、この後しばらくは隊商護衛や物資輸送の依頼を重点的に受けようと思っています。なので一定期間町を離れるでしょうから……」
「ほう? それはまたどうして」
伯の声音に安堵が見える。もちろん俺はフィリップ王子につくと明言したわけではないが、ほどなく他の王子も訪れるリンゲックの町を留守にするというのは、つまり二人とは接触しないという意味に近い。
「今回、まだまだ己が井の中の蛙と知りました。近くの村にも弓の達者がいたし、殿下との試合も賽の目がひとつ違えば敗れたでしょう。各地には他にも強者がいるはずですし、風景や文化も知らないことのほうがずっと多い。見たことのない光景、体験したことのない世界を見たくなったのです。行き先は依頼次第ですが」
「そうか。うむ、そうだな。若いうちに見聞を広めるのはいいことだよ」
詭弁である。知らない世界を見たいというのも嘘ではないが、心臓に悪いから王族と関わりたくないだけだ。が、こっちはどうあれ向こうから来るからややこしい。
「ほう、それなら私が指名依頼を出して構わないかな?」
そう言うのはフィリップ王子。
「君に使節団の護衛を頼みたいのだ。贈り物にする物資はもちろん、異国に向かう人員、なかんずくアニスの護衛をね」
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話は要約するとこうだ。
王位継承はエスパルダ王国の内政問題ではあるが、といって国内だけで完結する話でもない。外交というものがある以上、友好国の支持があれば後継者の地位に近づくのは自明の理である。
よってフィリップ王子は、自分を支持するようアピールすべく他国に個人的な使節団を送る。選挙活動だな。
王の承認なくそんなことして大丈夫なの? と思わなくもないが、あくまでも私的な訪問だ。本質的には友人の家に遊びに行くのと同じだから問題ない。これまた詭弁かもだが、政治とはそんなものなのだろう。
しかし別の問題がある。
向かう先は、アルゴの故郷であるガドラム山脈のドワーフ王国、そして山脈の洞窟を抜けた先にある砂漠の国マウルード王国なのだが、この二国はどちらも女王を戴き、女性が政治を司る文化を持つのだ。
文化を知るのは名前から。てなわけで名前について確認しておくと、ドワーフは種族の傾向として「どこそこの一族」という具合に地名で所属を表し、人間のように剣など地名以外の単語を国名とする習慣がほぼない。鉱山に住み鍛冶を得意とする種族ゆえ、特定の土地への依存度、執着が強いためだろう。
なのでガドラム山脈のドワーフ王国。周辺に国レベルのドワーフの集団が他にいないので、単にドワーフ王国と呼ばれることも多い。
マウルードとは現地の言葉で「新たに生まれた」とか「新生児」といった意味。建国されたときの命名で、意図は明白だろう。もっとも二百年近く経った今では、とても新生児ではないのだが。
話を戻して。
ドワーフや砂漠の民は愚鈍でも狭量でもない。こちらとの違いは知っているから、使者が男性でも怒りはしない。が、やはり女性が使者を務めたほうが相手国への敬意を示すことになろう。
そして使者にも「格」がある。こんな重大案件ならば、当然もっとも格の高い者でなくてはならない。そしてフィリップ陣営においてそれに該当するのは、王子の血を引く唯一の女性、アニス王女だ。
両国への親書を携えた姫様と贈答品の護衛。これが依頼内容であった。
もちろん王女近衛隊も同行するが、道中なにが起こるか分からないし、強さ関係なく女性では対処が難しいこともあろう。そこで信頼のおける者を雇いたいとのこと。
正直、姫様とこれ以上関わるのは不安しかないが……といって王族の依頼、実際には命令を断る度胸などあるわけもなく。当たり前だ、そんな束子みたいな心臓があったら、そもそもリンゲックを離れなくていいだろ。
指名されたのは俺だけではない。
「ふむ、いい機会だ。ひとつ里帰りといくか」
「ドワーフ王国にしろマウルードにしろ、珍しい交易品とかゲットできるかも」
「異国に神の教えを広めるのも、聖職者の務めですわ」
「砂漠の国は、エスパルダとは違う系統の魔法があるって聞いたことがある……」
「リーズは研究熱心だなぁ~。でもまあ魔法使いとして俺も興味はあるな」
「ガドラム山脈って温泉あるんだよね。行ってみたいなぁ」
アルゴ、ロッタ、フィーネ、リーズ、ジェイク、ウェンディもだ。残念ながらセイン、ゾイスタン、ラウルらは防衛戦力として町に残らねばならないが、なんとなく「いつもの顔ぶれ」状態になってきた。
「私も! 私も同行します! 書類仕事のできる人が必要でしょう!」
クレアさんもですか。
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出発は数日後。詳しい内容の詰めは明日として、俺はいったん宴席を離れ、ひとり中庭で夜風に当たっていた。
「ガドラムか……昔、母さんに連れられて温泉に行ったなあ。マウルードは、当時内政問題でゴタゴタしてたから行かなかったけど。国交が安定したのは何年前だったか」
「四年前です。ジュリアさまが引退した後ですね」
「……姫様?」
何の気なしに独りごちた声に応えたのはアニス王女だった。俺は腰のものを置き、片膝をついて頭を垂れる。
「ヒデトさま、楽になさって。あなたは私を守ってくれるんですよね? だったらその短剣は、私にとっては危ないものじゃないです」
「はあ。にしてもなぜここに?」
「うふふ、あなたとお話したくて」
立ち上がった俺を上目遣いで見つめる、幼いながらも美しい王女。壁際の灯火に照らされて、エメラルドグリーンの瞳が本物の宝石のように輝く。
俺たちはこぢんまりとした庭園――人口密度の高いリンゲックのこと、伯の館とて広さには限度がある――を、とりとめもない話をしながら散歩する。宴の喧騒から遠ざかったところで、姫はつと足を止めた。
「うわぁ……綺麗……」
庭園の一隅に、一本の桜の樹が満開の花をつけている。満天の星のもと、灯火に照らされて淡いピンクの花が宵闇に浮かび上がるさまは、多感な少女はもちろん剣に生きる俺の心にさえ染み入るものがあった……
本来なら今の季節には見られない光景だが、精霊の力が宿る土地ではままあることだった。聞いた話だが、灼熱の砂漠でも精霊が宿っている場所では、一定範囲だけ雪が降っていたりするとか。
精霊は太古の昔には地上に溢れていたが、文明の発達により自然が破壊されたため、人の手が届きにくい地下や僻地に去っていったという。だが、中にははぐれ者もいるらしい。
「あの……ヒデトさま……。腕、組んで、いいですか……?」
アニス王女が頬を染める。この幻想的な光景を見たら、そんな気持ちになってしまうのだろう。
俺は頷く。変に期待させるのもアレだが、といってこの雰囲気で拒絶するのも、専門外なのでよく分からんが無粋な気がするし。
そして彼女は恍惚の表情を浮かべ、俺の腕に身を委ねた。微かに伝わる心臓の鼓動は、普通より少し早いようにも思える……。
「なんだか、おとぎ話のヒロインになったみたい」
姫はうっとりした様子で呟く。
「子供っぽいって笑われるかもしれませんけど、私、そういうの好きでよく読むんです。お姫さまが、王子さまや勇者さまと出会って、色々あってハッピーエンドってお話。昔は、自分もいつかそうなるんだって思ってました」
そしてさらに身体を密着させてくる。夜風に乗って甘い香りが漂ってきた。
「でも、出世のために私と結婚したい人が次から次に現れて、夢から覚めちゃった。お父さまには『結婚しない』って言ってても、いつかは好きでもない、そして私個人を愛してもいない誰かに嫁がされるんだって分かっちゃった……。でも、あなたと出会って、また夢を見られそう」
物陰から刺さる視線が痛い。素人の王女は気づいていないが、当然ながらプリンセスガードが見張っているのだ。
分かってますって、手なんか出しませんよ。しかし、さりげなく戻るにはどうしたものやら……
その時、館の方からジョゼットさんの声が聞こえてきた。
「姫様~! アニス様~! そろそろお戻りくださ~い」
助かった。ジョゼットさんナイス。
「ぐぬぬ……ジョゼットったら、いいとこだったのに」
姫はぷんすかと頬を膨らませる。その横顔はやはり年相応の子供だ。
まだ幼さを残す彼女が、乙女チックなロマンスに憧れるのは分からなくもない。が、なるべく早く自分の立場をわきまえて欲しいものだ。異国で見聞を広め、いい意味で変わってくれることを期待しよう。




