054 苦境のなかで見えたもの
「ヒデトの相手は、なんとフィリップ王子本人! いくら事前の要求があったにせよ、王族が冒険者と試合するとは異例のことです」
「あ、両チームのメンバーも出てきました。控室にも窓はありますが、大将戦くらい近くで応援するんでしょう」
「さあ泣いても笑ってもこれが最後、第七試合開始です!」
会場のボルテージは最高潮、空気が震える大歓声で試合開始の宣言も聞こえない。俺と殿下は二メートル半ほどある試合用の槍を手に、ゆっくりと間合いをつめてゆく。
実際に持ってみると分かるが、木でも金属でも長い棒というのは結構しなる。
ゆらり、ゆらり。
二本の槍が相手の隙をうかがって動くさまは、二匹の蛇が牙を剥こうとにらみ合う姿のようでもある……
「はっ!」
先に動いたのは殿下だった。かけ声とともに突き出された一撃が、まるで生きているように軌道を変えて俺の喉を狙う。
が、俺は愛用のものに近い十文字タイプの槍を選択していた。横に突き出た部分を相手の槍にからめ、上に逸らす。兜をかすめた殿下の槍がうなり、風が頬を撫でた。
(速い、鋭い)
攻撃はなおも続く。今度は足を狙った凪ぎ払い。俺は小さく後ろに跳んで回避しつつ、光弾の魔法二発を放ち牽制する。
しかしこれは撒き餌だった。制御のきかない空中を狙って、殿下は負けじと同じマジックミサイルを放つ。
(な!?)
同じ魔法でも方向性はさまざま。殿下のは散弾タイプのようで、狙いは甘いし曲がりもしない。が、その数なんとジョゼットさんを上回る七発!
二発は相殺したが残りが迫る。全身に衝撃が走った。
「あーっとヒデト被弾! 判定は!?」
「ノーダメですね。鎧の硬い部分で受けました」
だが安心する暇はない。着地した俺に、殿下はさらなる猛攻をかけてくる。
「そうだ! 未来の婿どの候補なら、そのくらいはしてもらわないとな!」
流れるような槍の連続攻撃。俺はそれをさばきつつ反撃のチャンスを狙う。今は耐える時だ。
「ふっ!」
前方に踏み込んでくり出される殿下の突き。
ここだ。俺は再度十文字槍を絡め、今度は横に逸らす。そのまま槍を上に放りつつ、勢い余ってつんのめった殿下の胴を、すれ違いざま横から覆いかぶさるように掴んで……
「身体強化!」
一瞬だけ強化をかけ、体をひねって投げる!
母さんがサイドスープレックスと呼ぶ技だ。頭から落とす変形バージョンは使い手にちなんでカレリンズリフト。
「あーっと、防戦一方だったヒデト、ここでカウンターの投げ! 殿下が地面を転がるっ! 試合でなければ無礼討ち待ったなしの一撃だぁ!」
「技の瞬間だけブーストをかけてますね。魔力の消費を最小限に抑えつつ攻撃力を高めました。師匠であるお母様も余分な力は使わなかったと聞きますが、そういう戦い方を教わってるんでしょう」
「きゃあぁっ! お父さまぁっ!」
貴賓席から可愛らしい声で悲鳴が上がる。アニス王女とて、父親が水切りの石よろしく地面を転がれば心配でないわけがない。
しかし決着がつくはずもなく、殿下はすぐ立ち上がる。俺は落ちてきた槍をキャッチして投げつけ、それを追いかける形で突進した。
(槍が当たる必要はない、防御させて隙を作れればいい。本命はその後!)
カァン、と乾いた音を立て、殿下の木剣が槍を払い落とす。だがその間に、俺は木刀の間合いに入っている!
「チェストぉー!」
次の瞬間、会場に大きな金属音が響いた。
「ヒデトの突きぃーっ! 殿下、間一髪回避しましたが兜の面頬(フェイスガード)がふっ飛んだぁ!」
「しかし怯まず反撃します! 王子の、いや年長者の意地にかけて、二十歳近くも年下の少年には負けられないっ!」
殿下は再び散弾マジックミサイルを発動! この至近距離では避けようもないが、せめて体を横向きにして盾がわりの肩当てを前に出し、かつ被弾面積を減らす。
「ぐっ!」
それでも数発くらい、俺は後方に弾かれてしまった。
その隙を見逃してくれる殿下ではもちろんない。負けじとブースト、それもフルパワーバージョンを使い、渾身のなぎ払い! 俺も瞬間ブーストを使い木刀で打ち合うも、強化された一撃に耐えられず双方の得物が折れる。
「あーっと、武器を失った両者、ついに素手の格闘戦に突入!」
「能力テストもですが、模擬戦は素手のバトルになりがちなんですよね。試合用の木剣はどうしても折れますから。ああ、そろそろ補充の手配をしないと」
「格闘術も見られるって意味では好都合なんですけどね。で、その素手の戦いは殿下が押しています。さすがのヒデトもフルパワーのブースト相手ではきついか!」
確かに、こちらだけ強化なしでは不利だ。ひさびさにあれを使うか!
俺の全身から、燃え盛る炎のような魔力の光が放出される。フィーネ戦以来の出番、ブースト・フルパワーバージョン!
しかもあの時より少しだが光が強い。俺とて成長しているのだ。
「むう、まさかここまでとは」
「そろそろ決めさせてもらいます!」
俺は左右の掌打を――鎧を着た相手を金属の籠手で殴ると打撃が滑る。また、即座に組みつくためにも平手打ちは有効な戦法だ――くり出し、殿下の防御を崩しにかかる。そしてわずかにガードが開いた瞬間、むき出しになった顔面、顎の先をかすめるようにパンチを放った。
「う……っ」
殿下がよろめく。これをくらうと脳が揺れるのだ。俺はとどめよと組みつくが……
「まだぁ!」
足のふらつきに耐え、殿下は驚異的な粘りを見せる。咄嗟に身を沈め、両足で俺の足を挟んだのだ!
(しまった……カニ挟み!)
危険なため、流派によっては禁じ手とされることもある奇襲技。俺はバランスを失い、前のめりに転倒して背後を取られてしまう。
間髪入れず殿下の両腕が首に巻きついた。さっきアルゴも使ったチョークスリーパーだ! ブーストのかかった豪腕が容赦なく首を絞めるが、俺は顎を引き、かろうじて完璧に「入る」のを防いだ。
が、それでも呼吸が阻害されることに変わりはない。徐々にではあるが、体内の空気が消費に追いつかなくなってくる。このままではヤバい……!
「あああ、兜で見えにくいですが、ヒデトの顔が血色を失ってゆきます」
「マスターがチェック……まだ完全に極ってはいないようですが……」
俺はハンドサインで続行可能の意思表示をするが、殿下もここが勝負どころと一歩も引かず、執拗に絞め落としを狙ってくる。体格もブーストのレベルも俺のほうが勝るため、技を解かれたら逆転されると分かっているのだ。
「どうしたヒデト! お前は俺に勝った男なのだぞ!」
「今が踏ん張りどころですわよ! ヒデト!」
「大丈夫、だよね……負けない、よね……?」
「冒険者の雑草魂見せたれーっ!」
「そうだよっ! 根性見せなっ! 男だろ!?」
「大将が負けたら格好がつかないぞ!」
「そうだとも! 君の敗北は僕たち全員の敗北になるんだ!」
「お前はこんなところで躓く男だったのか!?」
「ヒデト様ぁ! 負けないでっ! お願い!」
冒険者チームのメンバー、それに貴賓席の方から聞こえるのはアニス王女の声か?
「かなり苦しい状況です……! くっ! 実況としては中立でないとダメとは分かっていますが、あえて言わせてもらいます! ヒデトっ! 負けないでぇーっっ!!」
「わ、私だってっ! 後でマスターに叱られようが知ったことじゃないです! ヒデトさん、立ってくださいっ!!」
(あーあ。ロッタとクレアさん、揃って職務をほっぽり出しやがったよ。でもやべーなコレ、落ちる、わ……)
その時。
苦しい呼吸、朦朧とする意識の中、ふとあの人の背中が見えた気がした。
身長も体格もとっくに俺に追い越されているのに、なぜか大きく見える背中が。
(そうだ、負けられない。俺の敗北は、すなわち俺を鍛えあげた母さんの敗北、武芸者でなく指導者としての敗北になる。俺の名誉はともかく、あの人の顔に泥を塗るわけにはいかない……!)
俺は奇妙にも、未知の力が体内から湧きだして……いや違うか? まるで周囲からエネルギーが注ぎこまれるような? まあそれはいい、とにかくすごいパワーを感じた。
「まだ、やれる……!」
俺は地面に手をつき上体を起こす。会場から歓声とどよめきがまき起こった。
「ああっ! なんとヒデト立ち上がるっ! 信じられない底力! これが勇者の息子、いや新しい勇者の力なのかぁ!?」
一瞬でお仕事モードに戻るロッタの精神力すげー。それは置いといて、俺は悠然と立ち上がり、殿下の腕をがっしと掴んだ。握力に耐えきれず、強靭な魔法銀の籠手がへこむ。
「ぐぁっ! な、何だとっ!?」
さしもの殿下も驚愕を隠せない。俺はそのまま力任せに技を解く。
「おぉぉーっ!」
そして腕を掴んだままグルリと横回転し、これまた力任せにブンと放り投げる! 殿下は宙をすっ飛び、すさまじい勢いで背中から壁に叩きつけられた。
「ふぅ~。やっと呼吸が楽になったぜ」
「し、信じられん。これが勇者を、あの方を継ぐ者か……!」
ヨロヨロと立ち上がった殿下に、初めて動揺の色が浮かんだ。そりゃ平静ではいられないだろう。
絞め技からの脱出、そして今の投げ。そこには技量も戦術もなかった。ただ純粋な、そして圧倒的な力でねじ伏せただけ。
だからこそ勝機が見えないのだ。ここまで単純な戦力差があると、もはや上手さや運でどうこうなりはしないのだ。兎が工夫しても虎には歯が立たないように……
「信じられないのはお互い様ですよ殿下。並の戦士なら今ので失神してます。でも! 今度こそ終わりにします!」
ブーストは残り少ない、これがラストだ。
俺は突進しパンチを、全身全霊の右ストレートを放った。それは殿下の胸板に当たる寸前で止まったが、衝撃波が空気を震わせ、拳の圧力で殿下は再び壁に叩きつけられる。
一拍の間を置いて背後の壁が崩れた。観客席の最前列にいた人たちが慌てて退避する。
「な……」
殿下は瓦礫の中に尻餅をつき呆然としていたが、ほどなく平静を取り戻して立ち上がる。そして闘技場の隅で見守っていた家臣団に向かい、苦笑しながら「やれやれ」といった様子でかぶりを振った。
「寸止めでなければ即死だったろう。かつて伝説の英雄も絶体絶命の窮地で覚醒したというが……どうやら私は眠っていた虎を起こしてしまったらしい。願わくば、その牙が我らに向かないように。すまんな皆。五分の星に戻してやれない情けない主君で」
「こ、これはギブアップと取ってよいでしょう! となると……」
「ああ、マスターが試合終了を宣言! 対抗戦は四勝二敗一引き分けで、リンゲック冒険者チームの勝利です!」
会場が大歓声に包まれ、フィーネにリーズ、冒険者チームの仲間が駆け寄ってくる。職務放棄しやがったロッタとクレアさん、そして護衛つきとはいえ姫様もだ。
こうして激闘は終わった。




