039 第4章プロローグ(お母さん視点)
「ん~、そろそろ刈り入れどきねぇ」
私が住んでいる小屋は山奥ではあるけど秘境ではないので、麓の町は肉眼で見える。視線の先には金色の絨毯のごとく豊かに実った麦畑、自然の恵みと人の努力が合わさって生まれる光景が広がっていた。
綺麗。
素直にそう思う。自分でも家庭菜園を作って、僅かなりとも農業の苦労を知ったからかもしれない。
いつぞや王様を呪った魔法使いをボコった謝礼として、私はちょっとした貴族並みの土地を貰った。別に催促はしてないんだけど、ケチだと王のメンツが立たないんだとか。
で、その土地は今見てるとおり農地や牧草地として使われてるわけだけど、私は上がりの九割、あの子が武者修行に出て一人になった今は九十五%を作業に携わる皆さんの取り分にして、残りを貰っている。ま、私だって霞を食べて生きられるわけでなし、少しはね。
でもこの割合は、彼らには夢のような話らしい。
なんでも四公六民ならいいほうで、強欲な地主だと六割以上も容赦なく搾り取るんだとか。こっちも同じねぇ。
私は五%で十分よ。冒険者時代の蓄えもあるし、勘が鈍らないように時たま遠征してドラゴンとか狩ってるし、そもそもこの取り分でも、一人暮らしの未亡人には多いくらいだもの。
彼らの夢はこれに留まらない。私が死んだら、土地はそのまま皆さんのものになるよう手続きを済ませてるのだ。
子孫のために美田なんぞ買ってやらん。つまり、たぶんあと五~六年もすれば、晴れて土地持ちってわけね。
そんなこんなでひっそり暮らしてる私だけど、たまには町に行くくらいする。目的は主に二つ。
まずは物の売買。家庭菜園で作ってるのは野菜と豆だけなので、小麦粉やお肉、調味料などは買ってこないといけない。もちろん衣類や日用品もね。
逆に売るのはモンスターの素材に、趣味で作った織部や黄瀬戸っぽい器、円空さんを真似た木工品、あるいは北斎や玉堂をパクっ……リスペクトした絵など。これが、なぜか売れちゃったりするのだ。
素材はともかく、作品のほうは素人の趣味の域を出ない。だからタダ同然で投げ売りしてるんだけど、周りは私のことを勝手に勇者だなんだと持ち上げてて、その勇者様の手作りってのが付加価値を生むらしい。
聞くところによると王家にも献上され、恩賞としても使われているとか。信長かよ。
もうひとつの理由は情報収集。いくらスローライフといっても世間と無縁でいられるはずもなし、まめにニュースは拾わなくてはならない。
いつ姉さんがこっちに戻ってくるかも分からないしね……。
さて、と。そろそろ出発しましょうか。今日はどんな話が聞けるのかしら~ん?
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まずは、その場でさばく新鮮なお肉が目玉の食料品店。
「おお、ジュリア様。相変わらずお美しゅうございますな」
「そ~んなこと言っちゃって。おばさまに言いつけますよ~? あ、コレ山道で偶然出くわした猪。催眠と麻痺かけてあるだけなんで、まだ息がありますよ。買い出しリストはメモっといたんで、代金の足しにしてください」
担いだ猪を下ろし、メモを手渡す。猪ちゃんは悪く思わないでよね、あなたから突っかかってきたんだもの。
「ところで、最近何か変わったことありません?」
「変わったこと……でもないですかね、予想どおりのことなんだから。ヒデト君、王都でも名が売れてきたみたいですよ」
「ほうほう」
「例の仇討ち、あれが芝居になって大ウケしてるとか。早くも勇者の後継者なんて言われてるみたいですねぇ」
うわー。仇討は知ってたけど劇かぁ。あれ、ニュースも兼ねてるから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、される側はむっちゃ恥ずかしいのよねぇ。
「あら、あの子もやるようになったじゃない。ついこないだまで、怖い夢見た夜は一人で眠れなくて、私の胸に顔を埋めてた気がするけど……。はぁ、そりゃ私もトシを取る訳だわ」
「ご冗談を。十歳は若く見えますよ。さて、代金は猪の分を足したらこのくらいですか」
「ありがとう、それじゃまた」
てな感じでもろもろ済ませて、最後は町でいちばん大きな酒場。ここは大都市でいうところの冒険者ギルドと、ちょっとした仕事を斡旋する口入れ屋(仲介業者)も兼ねている。
テーブルでは、腰にピースメーカーならぬ長剣を下げた若者たちがチェスやカードで遊んでいるし、楽器なんかもあって西部劇の酒場みたいな雰囲気だから、私もよく歌うのよ。モンローを気取ってさ……。
あらら? いつもは賑やかなのに、妙に静かで重っ苦しい雰囲気……。何かあったのかしら。
「こんにちわ町長さん。どうしたんです? みんな神妙な顔してますけど」
「おお、ジュリア様。実はこちらの行商人の方から、聞き捨てならないニュースが入ってきたのです」
ふむ。これはただ事じゃないわね。私は金貨をテーブルに置く。
「そのお話、詳しく聞かせていただけるかしら?」
「実は、国王陛下が生前退位のご意志を示されたのです。具体的には六十歳の誕生日で引退する、その時に後継者を発表すると」
「……なるほどね」
「荒れますな、これは。まだ一年以上ありますから、今日明日の話ではありませんが」
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現国王シャルル3世は、地球における同名の皇帝シャルルマーニュ、つまりカール大帝のような英雄でも、フランスのド・ゴール大統領のような偉人でもないけれど、それなりに良く国を治めていると思う。でも、名君だろうが暗君だろうが、ほぼ避けて通れない問題がある。
後継者争いだ。
嫡子だの庶子だの細かいことはすっ飛ばして……母親の身分や後ろ楯の力関係から、王位継承の可能性があるのは三人。
本命は、知勇兼ね備えた逸材と言われるフィリップ王子。温和な性格と端麗な容姿から、老若男女、身分の上下を問わず、幅広い支持者がいる。
何事もなければこの人が次期国王だ。何事もなければね。もちろん他の二人、あとその取り巻きどもが「はい分かりました」と言うわけがない。
対抗は、そのフィリップ王子に負けぬ将器と目され、また並々ならぬ野心家とも噂されるジェローム王子。領土拡大や地位の向上をもくろみ、他国への侵攻も辞さない物騒な連中に人気だ。類友ってやつね。
実は彼、かつて私に求婚した男性の一人でもある。
でも、私の操は今も夫のものだと伝えたら、潔くキッパリと身を引いた。野心家だけど男のプライドはちゃんと持ってて、腕力、権力、経済力、とにかく力ずくで女をどうこうしようとするようなダサい人じゃなかったのは評価していいわ。
大穴はルイ王子。
ぶっちゃけこいつはボンクラだ。強欲、傲慢、好色、短絡的と、絵に描いたような無能なボンボン。直に会ったこともあるけど、だらしなさがモロ体型に出てた。
だからこそ一部の有力貴族や、一発逆転を狙う非主流派の支持が厚い。神輿は軽い方が、操り人形は動かしやすい方が……そして、いずれは簒奪するつもりだろうから、廃位や弑逆(主君殺し)の大義名分を得るなら無能な方がいいものね。もちろん庶民人気はお察し。
こいつが王位についたが最後、エスパルダ王国は暗黒時代待ったなしだと思う。まあ私は所詮よそ者、エマとエレナさんら数少ない友人とその家族さえ無事なら、この国がどうなろうが知ったこっちゃ……
いや、そうでもないか。きたるべき戦いのために、無用の損耗は避けたいものね。いずれにしてもこいつはないわ。
そういや好色ではあったけど私に欲情はしなかったっけ。噂によると処女厨かロリコーンのどっちか(両方?)らしい。
おーやだやだ。キモっ。
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「こんな小さな町ですが、戦に駆り出されないとも限りません」
「でしょうね。この国の歴史は剣によって始まり、また紡がれてきた」
「あなたも無関係ではいられますまい」
「ええ、分かっています」
かつて勇者と呼ばれ、今は隠居暮らしの私だが、すべての勢力から協力を求められることは間違いない。単純な戦力の意味もあるが、なによりプロパガンダのためだ。
エスパルダ王国は、Sランク冒険者のような「特定の主君に仕えていない逸材」の「自発的な参戦」を重んじる。
否応なく上に従わねばならない騎士や兵士と違い、好きな主につける在野の人物が自らの意思で馳せ参じるならば、それは王にふさわしい人徳の証である、という論理らしい。そして実際、「あの人が支持するなら俺も」といったふうに、一定数が馳せ参じることを歴史が証明している。
地球人の感覚で言うと、選挙演説に有名人が応援に来たら浮動票大量ゲットでウハウハ! みたいな感じだろうか?
なので高位の冒険者が負っている、非常時に貴族などの指揮下に入らねばならない義務は、半ば形骸化している。命令すること自体が、協力してもらえる人望がないとされ体裁が悪いのだ。
いつの世も偉い人は見栄っ張りなのである。
「ヒデト君は……」
「フィリップ王子に与することになるでしょう。リンゲックの領主フェルスター辺境伯は、王子と昵懇の仲ですからね。あの子に限らず、リンゲックの冒険者はみんな、建前上はともかく否応なしに動員されるはずです」
「ではジュリア様もフィリップ王子に? ヒデト君と敵対する訳にはいかんでしょう」
そうですね……今はね……。
「さてどうなるやら。あえて違う陣営につき、勝ったほうが負けたほうの助命嘆願をするのも定石ですもの」
「なるほど」
(でも、普通に考えたらフィリップ王子よね。ボンクラは論外として、ジェローム王子は有能ではあるけど、王道じゃなく覇道を行く人だわ)
あの人、王になったら絶対「大陸統一」とか言って他国に進攻するわよね。
(でも姉さんとの戦いが遠からず始まるんだから、国内のゴタゴタはとっとと終わらせて欲しいし、人間同士で潰し合ってほしくないのよ。私は姉さんさえ殺れればいいけど、エマやエレナさんのことを考えるとね)
そんなことを考えているのに気づいて、私はふふ、と苦笑する。
我ながら滑稽な話だわ。復讐さえ遂げられれば、後は野となれ山となれと思ってたはずなのに、いざ戦が近いとなったら、とたんに古い友人が――私に友と呼ばれる資格があるのかは別として――気にかかるなんて。これが私に残った、最後の人間らしさなのかもしれない。
私は窓の外に目をやった。
今はもう秋、海には誰もいなくなってる頃……じゃなくて、木々は美しい紅葉に染まっている。
その鮮やかな赤が、私には近い将来やってくる戦乱の炎と重なって見えた。
ピースメーカー
正しくはコルト・シングルアクション・アーミー。西部劇でおなじみの拳銃。




