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036 第3章エピローグ(お母さん視点)

「ふう。そんなに大きな家でもないけど、掃除するとなると一苦労ねぇ」


 雑巾がけを終えて、私は独りごちる。二人で住んでたのが一人暮らしになったわけだから、当然これまで分担してた家事も全部やらねばならない。洗濯物なんかは半分になってるから、楽になったこともあるんだけど。


「さて、後はあれの手入れをして、今日の分は終わりにしましょうか」


 私は壁の刀架とうか(剣を掛けておくハンガーフック)に手を伸ばす。今は脇差だけど、あの子が家にいた頃は片手用の幅広剣ブロードソードを飾っていたものだ。


 あの剣はヒデトにとって、戦いの世界に足を踏み入れた覚悟の証。だから物自体は安価な量産品でも、旅に出るとき持っていったのよね。


(もう、あれから三年、か……)


 ━━━━━


 その日。

 山奥の小屋に珍しく人が訪ねてきた。麓の町の若者が三人。顔と名前が一致する程度だけど、一応みんな知っている。

 ただならぬ雰囲気から、いい話でないことは一目で察しがついた。あ~、こりゃ厄介ごとを押しつけに来たわね。


「……のどかな田舎町で、こんな凄惨な事件が起きるなんてねぇ」

 彼らの話は要約するとこうだ。


 麓の町で殺人事件が起きた。犯人は町で衛兵を務めていた若者。

 交際していた女性の家を訪れた際、別れ話のもつれから口論のすえ彼女を刺殺。その際、悲鳴を聞いて駆けつけた近隣住民、さらに町の入口を警備していた同僚数名を斬りつけ、馬を奪って逃走。

 被害者は交際相手の女性、近隣住民二名、衛兵一名が死亡。重傷三名、軽傷二名。

 牧歌的な田舎町らしからぬ凶悪事件である。そして……


「いち早く関所に通報がいったため犯人は街道を移動できず、近隣の山中に潜伏しているものと思われます」

「ついては、ジュリア様に協力をお願いしたいのです。大した謝礼も用意できませんが、そこをなんとか……」

 ほ~ら、おいでなすった。ったくもー。


 あ~予想どおりの展開だ~。町の衛兵レベルとはいえ、素人が相手するのはちょっと荷が重いでしょうからね。同じ衛兵なら複数でかかればどうとでもなるだろうけど、町をがら空きにもできないし。

 でもさあ、いくら私から見たら格下の相手だからって、タダ同然でやってくれとか虫がよすぎない?


 といって、私に拒否権はない。

 いくら周りから勝手に勇者と呼ばれて持ち上げられていようが、彼らが下手に出ていようが、こっちに来てまだ日の浅い私は、しょせんムラ社会の新参者でしかないのだ。断ったら、食料も日用品も売ってもらえなくなる。あとお酒。


 まあいいわ、今回は利用されてあげる。町の人たちとはそれなりにつき合いがあるから協力するのはやぶさかでないし、個人的な感情もあるしね。


「分かりました。お手伝いしましょう。ああ、あと報酬は要らないわ。それは遺族や被害者の方に分配してあげて。か弱い女性を刺すような男は、女として許しておけないからね。頼まれなくてもやったるわよ」


 当人同士にしか分からないこともあったろうから破局は仕方ないとしても、そのあとがダメだ。潔くキッパリ身を引いて、別れた後でも相手の幸せのために自分にできることをするのが男ってもんでしょう。

 逆ギレして相手を刺すなんて論外もいいところ。そんなだから別れるはめになったんじゃないの?


 女の敵は許さん。落とし前はきっちりつけてもらいましょうか。た・だ・し……


 ━━━━━


「俺がその犯人を?」

「ええ。ヒデト、あなたももう十三歳。そろそろ実戦を経験していい頃合いだわ」


 そう、直接手を下すのは私ではない。言い方は悪いけど、犯人にはヒデトの「殺人の練習台」になってもらいましょう。


「今まで修行してきて、あなたはもう相当な腕になってる。けど、人を殺したことはまだないわよね? 何度も話してきたけど、人を殺すのは鶏をしめたり魚をおろしたりするのとは根本的に違うのよ。心理的な壁の高さ、厚さがね」

 まあ、中には私みたいなサイコパスもいるけどね……


「でも、この壁を越えられなければ武芸者としてやっていくのは無理。剣で身を立てるつもりなら、対人戦での命のやりとりは避けて通れないわ。予定よりちょっと早い気がしなくもないけど、来るべき時が来たのよ」


 ヒデトが体を震わせる。いつかこの日がくるとの覚悟はあっただろうけど、いざその時になると、やはり平常ではいられないのだろう。

 いくら私を上回る潜在能力を持っていようと、心は十三歳の子供なのだ。


「もし……もし仮に、俺がその犯人を斬ることができなかったら?」

「その時は私がるわ。ただし、そうなったら私との親子関係はともかく、師弟関係は終わるものと思いなさい」

 人殺しをためらうようなら、もう武芸者としては見込みがないもの。これ以上教えても無駄だからね。


「……破門というか、不合格ですか」

「はっきり言えばそうね。もっとも剣だけが人生じゃないわ。あなたはモンスターや獣をしとめるのはもう本職レベルだから、その時は狩人として生きればいい。人々の食を支える、男子一生の仕事として胸を張れる立派なことよ。吟遊詩人もいいかもね? 声がきれいだし楽器の演奏だって上手いし」


 実際、ヒデトには文武両面の才能がある。こんな世界に召喚されたりしなければ、明るい未来が待っていただろう。私は言葉を続ける。


「むしろ修羅の世界に見切りをつけて、日常の世界で生きるほうが幸せだと思う。武芸者は勝てば勝つほど人の恨みを買い、強くなればなっただけ、名を上げようとする誰かに命を狙われるのが宿命さだめだからね。だからあなたが断っても、私は責めたりしないわ。どうする? 今ならまだまともな人間の世界に留まれるわよ?」


 ヒデトはうつむいてしばらく黙っていたが、やがて顔を上げる。その眼差しには、決然とした覚悟が宿っていた。


「いえ、やります。俺が殺ります。剣に生き、武芸者として身を立てる。それは俺が自分の意思で決めたことですから」

「……後悔しないわね?」

「はい」


 敬語なのは、息子としてでなく弟子として、武芸者としての答えだという決意の現れだろう。その顔は、すでに一人前の男になりつつあった。


 ━━━━━


 戦いの内容は特筆すべきことなどない。


 当たり前だ。犯人は平均的な衛兵、ヒデトは私が手塩にかけた武芸者の卵。しかも相手の武器は剣であの子のそれは槍、普段着で逃走した犯人に対して鎧兜の完全武装、向こうは潜伏生活で疲弊してるけどこっちはコンディション万全。何から何まで圧倒的な差があるもの。ネズミと虎の戦いよ。


 勝負にもならない。あの子の敗北は万どころか億にひとつもない。ないけど、自分がやられないのと相手を殺れるのは別問題なのよね。

 むしろ軽くあしらえる実力差があるから、かえって決め手を欠いている。これが「やらなきゃやられる」という状況まで追いつめられれば、また話は違ってくるのだろうけど。


 ヒデトの素早く正確な攻撃はじりじりと犯人を追い詰めていくけれど、心理的な躊躇から致命傷を与えるには至らない。でも、そんなこと追いつめられて余裕がなくなった犯人に分かるわけがない。


 むしろなぶり殺しにされているような恐怖感と、明らかにもっと強い私が(犯人だって麓の町で暮らしていたから私のことを知っている)後ろに控えている絶望感からか、意味をなさない奇声をはり上げて滅茶苦茶に剣を振り回している。


 私は複雑な気持ちでその光景を見ていた。


 今まさに、あの子は血で血を洗う殺伐たる世界と、平凡で幸せな日常の世界との境界線に立っている。

 そしてそれは私にとっても、自分だけが手を血で汚すか、何の罪もない少年に人殺しをさせるかの分岐点にほかならなかった。


 冒険者時代、いずれくる姉さんとの戦いにおいてたのみとはならないと、この世界の戦士たちに見切りをつけた私は、ただひとり自分を超える可能性を秘めたヒデトをマンツーマンで徹底的に鍛える方向にシフトした。


 それは何も知らない少年を復讐のために利用し、人の道を踏み外させようとする鬼畜の所業。


 だから、いつかあの子に真実を教えたとき、私とたもとを分かつなら受けて立つ覚悟はとっくにできているし、復讐を成し遂げた後でなら、彼に殺されたっていい。


 むしろそれが、私にできる唯一の謝罪と償いだろう。

 私が死ねば憎しみの連鎖は終わる……。


 でも十二年も一緒に暮らして、私はもう完全にあの子に情が移ってしまった。

 あなたは私のいる場所に来ちゃだめ。普通の人として平穏に暮らし、私が叶えられなかった、ごくありふれた幸せを掴んでほしい。そういう想いが芽生えている。

 その一方で、彼を一人前の男として認めつつあるのも確かだ。その男が――たとえ私に操られてであろうと――己の意思で決めたことなら、もう口を差し挟むべきではないという気持ちもある。


(なにが勇者よ)


 私はなんて身勝手な女なんだろう。なんて情けない半端者なんだろう。自分のエゴで彼に殺しの技術を叩き込んでおきながら、土壇場になって揺れ動いているなんて。


(今ならまだ間に合う。いっそ『もういい、私がやる』と乱入して止めるべきなのかしら? あの子は挫折感を味わうだろうけど……)


 でも遅かった。


 ヒデトが意を決して繰り出した槍の一撃が犯人の胸に深々と突き刺さり、その心臓を貫いた。貫いてしまった……。


 この瞬間、二人の人間が、後戻りできない一線を超えた。

 一人は、初めて人を殺したヒデト。もう一人は……


 いたいけな少年を殺戮の世界に引き込んでしまった、この私だ。


 ━━━━━


 犯人の遺体は収納魔法のお札に入れられ、その日のうちに麓の町に移された。広場に晒されるのだ。


 ヒデトの希望により、犯人の持っていた剣は彼が戦利品として受け取ることになった。初めて人を殺した記憶の、戦いの世界に身を置く覚悟の証として。

 犯人の私物だったので、これはあっさり了承された。そしてあの子が武者修行の旅に出るまで、我が家のリビングを飾ることになるのである。


 その夜、私とヒデトは何年かぶりにひとつのベッドで寝た。

 まだ幼さを残す少年が、私の胸に顔を埋めて泣きじゃくっている。


 初めての人殺しの感覚――得物ごしに伝わる命の灯が消える震え、恨めしげににらみつける眼差し、耳の奥にこびりつく断末魔、ねっとりした血の匂い――が、今になって甦ってきたのだろう。この子は私と違って善良だから、心の傷は比較にならないほど深いはずだ。


 私はヒデトを抱きしめ、彼が泣き疲れて眠るまで、優しくなだめ続けた。


「ごめんなさい、秀人ちゃん……」


 ふと私は目元が熱いことに気づいた。泣いていた。こんな腐れ外道に涙が残っていたなんて驚きだ。


 ━━━━━


 手入れを終えた脇差を鞘に収めて刀架にかけ、私は窓の外に佇む小さな墓標を見る。


「あなた……きっと、今の私を見たら軽蔑するでしょうね」


 私にはもう、あの人に愛される資格はないのだろう。

 そもそも私の行き先は地獄だ。だからもう会えない。

 それでいい。復讐が夫への愛に殉じることになるのなら、私はいくらでも血塗られた道をきましょう。


 たとえそれが、間違った愛の形であったとしても。

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