030 第3章プロローグ(ギルマス視点・少し時間が遡る)
「ふう。やっと終わったわね。さすがに疲れたわ」
たった今まで格闘していた山積みの書類を前に、私は独りごちつつ肩を揉む。やはり還暦も近くなると、体のあちこちにガタが出始めるものだ。
「マスター、それならお茶でもお淹れしましょうか?」
「ありがとう、いただくわ」
秘書役の職員が紅茶を淹れてくれる間ひと休み。いつもは無糖派の私だけど、今はへとへと。久しぶりにお砂糖多めにしましょう。
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(もう、六年になるのね)
甘いお茶を飲みつつ、私は壁に飾られた武具を眺める。
反りが大きく、先端がやや幅広になった薙刀。
東方ふうのサーベル。長さによってカタナ、ワキザシなど呼び方が違う。
シュリケンなる様々な形の投げナイフ。中には十字型や星型などの変わったものもある。回転しながら飛ぶことで、どこかの突起部が刺さる工夫なのだとか。
そして桜色の甲冑。やはり東方の様式で、派手さを抑えたシンプルで流麗なデザインが美しい。その国の戦士「サムライ」のそれを模したものらしく、横長の長方形をした鉄板を革紐で繋げた肩当てとスカートアーマーが特徴的だ。
兜のフェイスガードは額にはね上げる王国式と違い、着脱式の仮面のような別パーツ。そのため額部分に飾りをつけることができ、黄金の日輪が燦然と輝く。
同じくらい目を引くのが左の肩当て。盾の役割を果たすため右とは逆の一枚板で、彼女の二つ名の由来となった桜のエンブレムが描かれている。
かつてこの町、迷宮都市リンゲックを拠点として活動し、数々の英雄的な武勲から勇者と……孤児の男の子を育てていたことから子連れ勇者とも呼ばれた伝説の冒険者、「桜花の剣士」ことジュリアさんの武具だ。来客にギルドの実績をアピールできるよう、もっといい新しいものに総取っ換えした際、気前よく寄贈してくれたものである。
彼女が冒険者を引退し、息子さんと田舎でスローライフするために町を去ったのは、もう六年も前のこと。
(今頃、どうしているかしら)
私たちは公私ともに親しかったため、今も手紙のやりとりはある。でも、直に会ったのは六年前の見送りのときが最後だ。
(まるで昨日のことみたいに思えるわ。ふふ……私も歳ね)
年齢を重ねると、加速度的に時の流れは早くなる。十二歳の子供にとって六年は人生の半分だけど、五十七歳の私にとっては、およそ一割にすぎない。
私の命はせいぜいあと十五年、健康寿命なら十年あるかどうかだろう。
残された時間のうちに、もう一度、彼女に会いたい。
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「例のドラゴンが討伐された!?」
唐突に入ってきたニュースに、ギルドは色めき立った。
近隣の山間部で、巨大なグリーンドラゴンが出現したとの報せが町に届いたのは一昨日のことだった。森の生態系の頂点に君臨し、おそるべき戦闘能力をもつ魔獣である。
反面、ドラゴンは生きたお宝でもあった。角、牙、鱗、お肉、あらゆる部位が超高級素材および食材なのだ。
金策に手間取っているようで、件の町からまだ討伐依頼は来ていない。でもギルドの主だった冒険者たちは準備していたし、中には依頼関係なしに討伐に向かった者さえいる。ところが、当のドラゴンがあっという間にいなくなってしまったとは。
「何があったのですか?」
「それが凄いもんで。実は……」
出入りしている商人さんから細かい話を聞いて、私は年甲斐もなく胸が躍った。
ドラゴンを討伐したのは、たった一人の若い武芸者とのこと。
それだけならまだいい、トップクラスの戦士であれば不可能なことではないから。私の心を揺さぶったのは、その武芸者の特徴だった。
まだ少年の面影を残す若い男性。
エスパルダ王国の民にはほとんどいない黒髪黒目。
長身偉躯の美丈夫。
ジュリアさんのそれを色違いにしたような漆黒の鎧。
やはり彼女の日輪と対になる月の兜飾り。
そして、左の肩当てに描かれていた桜のエンブレム。
(もしかして)
勇者の活躍は、吟遊詩人や劇団によって広く喧伝されており、彼女にあやかってサムライアーマーをまとう戦士は時たまいる。でも、エンブレムまで同じ者はいなかった。遠慮するのが暗黙の了解になっているし、最悪の場合、騙り者として斬られかねないからだ。
なのに堂々と勇者の紋章をつけている。そんなことをする人物に、私はひとりだけ心当たりがあった。
(きっとヒデトくんだ。ジュリアさんの息子さんの)
六年前のあの日、城門まで見送りにいった時の記憶があざやかに甦る。そうだ、あの可愛らしい少年は、今年で成人扱いの十六歳になっている。
時折届く手紙から、彼がジュリアさんから剣を学んでいることは知っていた。そして、成人したら武者修行の旅に出て、リンゲックで冒険者になるつもりでいることも。最強勇者にマンツーマンで鍛えられたなら、現時点で竜を討ち果たす戦士になっていても不思議はない。
(何かが起こる。時代を動かすような何かが)
そんな予感がした。
私は件の武芸者の特徴を、受付の女の子たちに伝えた。そして、それらしき人物がきたら、私が応対するから知らせるように、とも。
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「お久しぶりです、ハミルトンさん。もしかして、まだあなたがギルドマスターを?」
ああ、やっぱりそうだった。こんなに立派になって……
人生も三分の二を終えて、このまま静かに次の世代と交代して消えていくはずだった私。
でも、最後にもうひと波乱あるかもしれないわね。




