025 南地区の教会にて
今日は用事があるので普段より早い。窓の外を見れば、空はうっすら払暁の明かりに照らされる頃だった。
ベッドから出た俺はささっと部屋を掃除し、柔軟運動から軽めの鍛練という朝の日課をこなす。そして汗を流し、ちょっといい服に着替えたら準備万端、いざロッタを迎えに彼女の宿へ。
デートという訳ではないが、いちおう女性と一緒に出かけるんだから、このくらいはな。ていうか母さんがこういうのに厳しかった。やっぱ自分が女だから、自然とそうなるんだろう。
「えっ、噂の竜殺しじゃん。ロッタ、やるぅ~!」
「デートぉ? 帰ったら話聞かせてね!」
「もう、そんなんじゃないってば~」
コミュ力お化けのロッタだけあって女友達も多いようだが、やはり女性陣は恋バナが大好物とみえる。まあいいさ、人の噂も七十五日。
「すまないな、変な誤解をさせてしまって」
「ふふ……私は誤解じゃなくてもいいんだよ?」
だからその上目遣いはやめろロッタ。男の理性を過信しすぎだぞ? あと、美少女である自覚を、もう少し持ってくれ……
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そして「樫の梢亭」でフィーネ、リーズと合流。料理が得意なフィーネはあらかじめ作っていたようだが、途中で追加のお菓子などを購入しながら南地区へと向かう。
さてその南地区は、西地区と並んで……いささか語弊はあるが、経済的に恵まれているとは言いがたい人の多い居住区となっている。理由はこうだ。
リンゲックの町は、大雑把に言うと北東から南西に向かって大きな河川が流れており、街のほぼ中央で西と南に枝分かれする。
疫病防止の観点から下水が完備されているため川や運河の水質は保たれているが、それでもやはり下流に近づけば水が澱む。なので必然的に地価が安くなるためだ。
そのあたりを意識して見れば、なるほど建造物は他の地区に比べて安普請の木造が多い。商店も店舗持ちではないのか、街路にも広場にもリヤカーの屋台や棒手振り(天秤棒を担いだ物売り)、あるいは露店が目立つ。
また、無理矢理増築したのか路地の上でアーケードのように家屋がくっついていたり、建物の屋上が家庭菜園や通路になっていたり、あげくの果てには屋根の上にテントが張られているなどの珍風景もちらほら。例によって階段や裏路地も多く、案内がないとすぐ迷ってしまいそうだ。まさに迷宮都市の面目躍如(?)である。
しかし皆の顔は明るく、地区全体に活気があった。
城壁の内側に合法的に住める時点で極端な貧困層ではないが、それでも決して裕福とは言えないながらも逞しく生きる人々。そのバイタリティを肌で感じる。
実際、水の澱みを逆手に取って、清浄すぎる水質では生息できない種の淡水魚などをあちこちで養殖しており、それらの加工食品は王国第三の都市であるリンゲック市民の胃袋を大いに満たしているのだとか。
「おー、この生臭さ。魚醤だ」
運河沿いの大きな建物が見えてくると、そよ風に乗って漂ってくる独特の香りが鼻孔をくすぐった。
「あそこの養殖場は、魚醤造りの蔵も兼業してますからね。量り売りもしてくれますから、私もよく買いに行きますわ」
料理好きのフィーネは常連客らしい。
魚醤は塩辛く生臭いが、それがまた食欲をそそるのだ。体を酷使し多量の汗をかく冒険者の中には、これで濃いめに味付けした料理を好む者が少なくない。
よし、今日の晩飯は魚醤をたっぷり使って、干し魚と野菜を入れた麦粥にしよう。これ、穀物、タンパク質、野菜をいっぺんに摂れて、しかも使う食器も少ないから野営に最適なんだよ。美味いし。
「ロッタの故郷ランテルナも港町だけあって、真珠や塩の他に魚醤も特産品だけど、淡水魚と海水魚で微妙に味が違うらしいね」
「もちろん蔵によってもね。食べ比べるのも楽しいよ~」
「大食いのロッタが言うと説得力があるな」
その運河には小舟がちらほら。荷を運ぶものや水上の商店がメインで、遊覧用のゴンドラは見当たらない。岸辺には釣り人も多数。身分の上下、老若男女を問わず、釣りは人気の娯楽だ。
そして、あちこちでゴトゴト音を立てているのが水車。いくらリンゲックが魔法の本場であろうと、河川が下流で比較的流れが緩やかだろうと、年中無休で動いてくれる水車の重要性に変わりはない。
転落注意の看板もあった。なんでも冬に泥酔して運河に落ち、溺死した人がいたらしい。
雑談に花を咲かせつつ歩くことしばし。
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目的の教会は、地面がむき出しの広場に面した、さすがにここは石造りの建物だった。隣接する、比較的新しい木造家屋が孤児院とのこと。
狭くて半端な土地に無理矢理建てた感じで、二階建ての屋根の上には広場から続く階段があり、坂の上の住宅街へと続いてて頭がこんがらがりそうになる。しかし近くで見れば、質素ながらも手入れと掃除は行き届いており、院長先生の人柄がうかがえた。
「あら、いらっしゃい、シスター・フィーネ」
「こんにちは、シスター・エリー。顔見せに参りましたわ」
入口で応対してくれたのは、二十代前半くらいのシスターだった。エリーという名前はエリザベートとかの愛称かもしれない。
ブロンドのストレートヘアは綺麗に切り揃えたいわゆる姫カットで、瞳の色はライトブルー。切れ長の大きな目をしたクールビューティーだ。
「院長先生は個室で告悔(懺悔を聞くこと)の最中ですので、しばしお待ちを」
と、こちらは中にいたシスター・マルティーヌ。歳はエリーさんより少し下かな。ふわふわのミディアムボブは赤毛に近いブラウンの癖っ毛、太くて丸っこいたくあん眉が目を引く。
糸目なので瞳の色は分からない……目を開けたらパワーアップするとかじゃないだろうな? 背が低く全体的にふくよかな体型なので、ドワーフの血でも混ざっているのだろうか。
おおらかな印象のぽっちゃり美人だ。フィーネといいエリーさんといい、ここの関係者は美人しかいないらしい。
で、告悔が終わるまで聖堂で待つことに。ここも質素ではあるが清潔なところに好感が持てる。周りには俺たちの他にも何人かの参拝客がいて、賽銭箱にいくらかの浄財(お布施)を入れていた。
ここで黙って突っ立っているのはさすがにありえない。てなわけで財布をまさぐると、すかさずロッタのダメ出しが。
「キミさぁ……。もう少し自分が注目されてる自覚を持ちなよ。今やリンゲック最強と噂の竜殺しヒデトともあろうものが、ちまちま小銭をつまみ出すなんて」
あ、この冷ややかなジト目、なんか目覚めちゃいそう。
「聞いてる? あいつは強いけどケチだって、す~ぐ噂になるよ? 袋ごとどーんと寄付しなよ、どーんと。お土産買うとき中身出してたけど、普段使いのお金しか入ってなかったじゃん」
さすが斥候というべきか、ロッタのやつ細かいとこ目ざとく見てるなあ。
「そんなもんかねえ」
「そんなもんなの。ほら、つべこべ言わないでこっちによこす!」
そう言って彼女は俺の手から皮袋を取りあげ、中身を全部賽銭箱に入れた。あ、でも袋だけ返して。それ新品なんだよ。
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おや、そうこうしているうちに背後から気配が近づいてくる。どうやら告悔が終わったようだな。
「あなたのご厚情に感謝いたします。神のご加護があらんことを」
そこにいたのは五十歳ほどのシスター。模擬戦のとき観客席にいたあの人だ。身長はリーズと同じくらいで百六十ちょっと、フィーネたちより少しだけ複雑なデザインの修道服を着ている。
年相応に白いものが混ざり始めてはいるが、まだまだ艶を失っていない髪は黒に近いダークブラウン、瞳の色もブラウン。穏やかな雰囲気の美貌のなかに、凛とした気品と知性を感じさせるところはマスターに似ている。さっきも思ったが、ここの関係者は美人しかいないらしい。
「模擬戦の時も顔は合わせましたが、改めて初めまして。私が当教会の責任者で孤児院の院長をしております、マノンと申します」
「初めまして……でいいのでしょうか、武芸者であり冒険者のヒデトです。シスター・フィーネには、いつもお世話になっております」
これが、俺と院長先生の出会いだった。




