002 あれが噂の竜殺し
朝イチで宿場町を発った甲斐あって陽はまだ高い。十五時半といったところか。これなら今日中に冒険者ギルドで登録を済ませられるはずだ。
周囲では幾人かが俺のことをチラチラ見ていたり、なにやら小声で話しているが、悪気はなさそうなので放っておく。雨具がわりのマントで隠れていない兜だけでも、俺の鎧は王国様式のそれと大きく異なっている……要は珍しいのだろう。
もっとも、俺だって人様のことは言えないけどな。
確かに大都市で暮らした経験はあるが、それは子供の頃のこと。はっきり覚えているのは、冒険者を引退した母さんのもとで修行に明け暮れた山奥の小屋と、時たま買い出しに連れていってもらった、麓の小さな町くらいだ。端から見れば、さぞや立派なおのぼりさんに違いあるまいよ。
迷宮都市リンゲック。
周辺に複数の地下迷宮があり、エスパルダ王国で三位、ノルーア大陸全体でも十指に入る人口を有する大型城塞都市。そして、母さんが現役冒険者だった頃に主要な活動拠点とし、俺が幼少期を過ごした町でもある。
あれから六年……。
母さんの厳しい修行に耐え、それなりの腕になったと認められた俺は、この国で一応の成人とされる十六歳になったのを機に、武者修行のため、かつて暮らした懐かしいこの町に戻ってきたのだ。
蝸牛のごとき歩みながらも列は進み、城壁が間近に迫ってくる。
堅牢な石造りで、分厚く、高い。籠城の際、敵を袋叩きにできるよう計算された複雑な形と、随所でたなびく領主の旗の色彩の組み合わせは、どことなくモダンアートのように見えなくもない。
過去何度も戦やスタンピード(異常発生したモンスターの襲撃)を経験しながらも、いまだ陥落を知らぬ難攻不落の護りと聞くが、なるほど大したものだ。一般に、力攻めで城を落とすには最低でも守備側の三倍の戦力が必要とされるが、これは五倍をもってしても容易ではないだろう。
そんな城壁の一部には、微妙に周辺と違う部分があった。六年前のスタンピード――これが母さんの、冒険者としては最後の戦いになった――で破壊され、修繕された箇所だ。
あの日、母さんの超人的な活躍により、被害は常識では考えられないほどに小さかったという。俺はまだ戦える年齢ではなかったので、後方に移送されてきた怪我人に、拙い治癒の魔法をかけるくらいしかできなかったが……
おっと、そんなことを考えているうちに順番だ。水滴型の兜(安価なのに加え攻撃を受け流し易いため、これが王国でもっとも普及しているタイプだ)をかぶり、上半身にだけ半袖の鎖かたびらを着た衛兵さんが呼んでいる。
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「よし、次はお前さんか……ん? 黒い鎧、桜のエンブレム……。ああ何でもない、こっちの話だ。名前と必要事項をここに。代筆は要るか?」
「いえ」
俺は母さんから公用語のみならず、複数の言語を教わっている。あの人、武芸者なのに言語学者も真っ青なレベルで語学堪能なんだよなあ。
「ヒデト? 変わった名前だな」
「こっちではね。異国だとありふれた名前らしいですよ」
「なるほど、だから髪も目も黒いし、鎧も変わってるのか。まあいい、入城税として……。城内での注意点は……。城門は日没と同時に……」
手続きは滞りなく終わり、俺は六年ぶりに、懐かしいリンゲックの町に足を踏み入れた。
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入ってすぐの広場は石畳となっていた。しかも随所に石板を埋めて町の案内が表示されている芸の細かさ。小さな村はもちろん大抵の町は地面むき出しなので、いきなり街並みのグレードが違う。
中心部には東方ふうの鎧をまとい、薙刀を手にした女性――母さんの銅像が建っていた。スタンピードの後で造られたらしい。
本当は武装したときは面頬(仮面のようなフェイスガード)で顔は見えないし、後ろ髪も纏めてるのだが、そこは見映え重視のアレンジだろう。凛とした面持ち、なびく髪の躍動感が見事だ。
その広場は様々な種族の老若男女でごった返し、活気に満ちていた。
露店や屋台が並び、威勢のいい声で客を呼んでいる。料理や焼き菓子の香りが、かぐわしく鼻をくすぐる。ガラガラとけたたましい音を立て、荷車がそれぞれの目的地へと散ってゆく。
喧騒に負けじと音楽も絶えない。芸を競いあうのは吟遊詩人や大道芸人たち。
それにしても多種多様な店が揃っているものだ。雑貨屋、靴の修理屋、理髪店に公衆浴場、古着屋。馬宿(馬に乗って旅する人のための、馬小屋を備えた宿屋)もある。
反対側はと見れば、城壁の裏側にへばりつく格好で木造家屋が建ち並んでいた。
なにかと手狭な城塞都市にはよくある光景だった。城壁をそのまま一面の壁にするため安価で工期も短く、資材とスペースを節約できる。防衛に関わるため一般人は立入禁止で、衛兵の宿舎、倉庫、早馬や伝書鳩の飼育小屋などに使われているらしい。
しかし雑多ながら、あちこちに果樹の緑があるので殺風景という感じはあまりない。食用のみならず、根をはることで地面が崩れにくくなり、防災の役割も担っているのだ。
でも多いのは人だけなのがありがたい。田舎の村なんかだと豚や鶏が放し飼いになってて歩くのが面倒なのよ。あいつら人馴れしててぜんぜん逃げないし、皆顔見知りの村では家畜泥棒もいないようで我が物顔だもんなあ。
キーン、キーン。近くの鍛冶屋から、槌で金床を撃つリズミカルな金属音が響いている。騒音および火災対策、また出入りする馬に蹄鉄を打ってもらうなど利便性の面でも、鍛冶屋は大抵町外れにある。
人力車に駕籠かき、飛脚の店もある。そうだ、忘れないうちに宿を手配する手紙を頼まないと。
軽食の屋台を見た時は笑いを堪えるのに苦労した。なんなの勇者飴って。棒状でどこから切っても母さんの似顔絵が出てくるのだが……。本人が見たら「私はもっと美人よ」と怒るだろうか、それとも笑い転げるだろうか? まあそれはいい、俺は地図を広げる。
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相も変わらず難解なパズルみたいな地図だ。リンゲックは人口密度が極めて高く、建物の増改築や運河の拡張を無理やり繰り返したため迷路のように入りくんでおり、それも迷宮都市という通称の由来なんだとか。
さて、目的地の冒険者ギルドは、っと……。結構離れてるな。残念だが今日の町見物は諦めて、少し急がないといけない。
途中で通り雨に遭ったが、濡れるのも構わず早足で歩く。少しせっかちな気がしなくもないが、今日から懐かしい町で新しい生活が始まるのだという不思議な高揚感から、自然と足が早まるのだった。
ほどなく雨は止み、空には虹がかかった。母さんから聞いた話だが、虹は国や地方によっては「神様の弓」などと呼ばれ、戦士に加護を与えるという。
あざやかな茜色に染まりかけた空に輝く、七色の虹。
俺にはそれが、己の前途を祝福する吉兆と感ぜられた。