014 決戦! ヒデト対フィーネ
リーズが脱落し、俺とフィーネの一騎討ちとなった。ラストバトルだ。
「ヒデト? 私言いましたわよね? リーズを泣かせたら承知しないって」
「いや、これは試合なんだからしょうがないだろう」
「ふふ、冗談です。ただ……仇は取らせていただきますわ」
フィーネがゆっくりと近づいてくる。その威圧感はすさまじく、向き合っているだけで体力と気力を削られるようだ。
しかしここで怖じ気づくなら武芸者になどなってはいない。俺も拾った木刀を正眼(両手で剣を持ち、切っ先を中段前方に向ける基本的な体勢)に構える。
「参ります!」
「応ッ!」
俺たちは互いにダッシュ、瞬時に一足一刀の間合いに入るや、激烈な打ち合いを展開した。
左へ左へ。時計回りに。俺は例によって盾の防御範囲の及ばない側へ回る。
しかしフィーネのフットワークはアルゴとは比較にならぬほど、なんなら単純なスピードに関しては俺より速く、なかなか思い通りのポジションを取り、有効打を加えることができない。
それどころか、彼女の攻撃に対処するだけでも容易なことではなかった。時には小刻みな神速の突きが鎧をかすめて火花を散らし、時にはその鎧ごと骨を砕くであろう豪腕の一撃がうなりを上げる。さらには得意のシールドバッシュやキック、あげく頭突きまで繰り出してくる。
上品な口調に似合わぬ、情け無用の喧嘩殺法だ。一瞬でも集中を切らしたら、次に目覚めるのは医務室のベッドの上だろう。
流れるような動きで目まぐるしく位置を変える俺たちの闘いは、観客の目には一流のダンサーによる円舞のように見えたかもしれない。
強い。間違いなくアルゴと同等、もしかしたら彼以上かもしれない。この若さでこの強さ……天才とか、世界に選ばれたスペシャルな存在ってのは、フィーネみたいなのを言うんだろうな。
だが。
そのフィーネを前にしてなお、俺の中で勝利の予感が芽生えつつあった。
(勝てない相手じゃない。確かに強いが、母さんに比べたら攻撃力もスピードも、技の切れも落ちる。いや、物理的な力や速さだけならアルゴやフィーネのほうが上かもしれないが……)
ミリ単位の絶妙な間合い、紙一重で避けたり受け流したりする胆力と技量。相手の攻撃をさばき、「自分は安定しているが相手は体勢を崩した状態」や「自分の攻撃は当たるが相手の攻撃は当たらない位置」に誘導する戦いの上手さ、駆け引きの巧みさみたいなものが違う。
それはハイレベルな次元の、わずかな差ではある。しかし隔絶とした差だ。絶対に超えられない壁だ。
母さんとの模擬戦で、どんなに優勢であっても決してぬぐい去ることのできなかった、ひとかけらの違和感。
(有利と思っているのは自分だけで、罠に誘い込まれているのではないか)
(向こうには俺の考えなどお見通しで、自分は掌の上で踊らされているだけなのではないか)
(俺は一生、この人に勝てないのではないか……)
そういった得体の知れないものを、「この人はまだ決定的ななにかを隠しているかもしれない」という、底の見えない不気味さ――事実、母さんとの模擬戦にはまだ勝ったことがない――を、アルゴやフィーネからは感じないのだ。
恐るべき強敵だ。だから当然怖くはある。
ただ、わけの分からない不安感はない。
怖いことは怖いが、理解の範囲内の怖さだ。
そこが母さんとは根本的かつ決定的に違う。
(いける)
勝利の予感が、確信に変わる。
俺は一気呵成にフィーネを攻め立てた。
「くっ!」
回転を上げた俺の攻撃を、徐々にさばき切れなくなるフィーネ。その端正な顔に、わずかな動揺の色が浮かぶ。もしかしたら母さんと戦っていたとき、俺もこんな顔をしていたのかもしれない……
「このぉっ!」
フィーネの突き。しかし彼女にしては狙いが甘いし威力もない。
苦し紛れの攻撃だ。焦ったな!
「はっ!」
これを下から跳ね上げるように打ち返すと、カァァン、という乾いた音を立てて木剣が宙を舞った。
「てゃぁぁーっ!」
勝機は今。俺はとどめよと裂帛の気合いとともに突きをくり出す。
しかしフィーネは体をひねってこれを回避。そのまま遠心力を活かし、盾を叩きつけてきた! 俺はこれを受けるが、後方に大きく弾き飛ばされてしまう。
その間に彼女は盾を装備解除し、投げつけるというより前面を向けたまま押し出すような感じで、俺の視界を遮るように放ってきた。
俺は木刀でこれを叩き落とす。
(!!)
開けた視界に飛び込んできたのは……素手の格闘戦に持ち込むべく突進してきたフィーネの姿だった!
━━━━━
「はあぁぁぁッ!!」
「むうッ!」
ここまで近づかれたらもう木刀の間合いではない。俺は得物を放り投げ、フィーネと素手で組み合った。
お互いに右手で相手の首の後ろを、左手で相手の右上腕部を押さえる。俗にロックアップと呼ばれる体勢だ。
最初の数秒こそ互角だったが……
(ぐっ! お、重い! 動けん!)
わずかだが俺の肩が下がる。体重では勝っているはずなのに……それを差し引いても、パワーではフィーネのほうが上か!
それでも俺は必死にこらえ、なんとか体勢を維持する。
彼女は猫の獣人だ。聞いた話だが、ネコ科の生物は総じてスピード型でスタミナはそれほどないという。
タイプ的には獣人も同じはず。攻め疲れを待って反撃だ。しかし次の瞬間……
ブッ!!
「うわっ!」
一瞬、視界が真っ赤に染まったかと思うと、目の前が真っ暗になる。
(な、なんだ!? 目が見えん! こ、これは血の匂い!? まさか)
そのまさかだった。フィーネは犬歯で自ら口の中を切り、血を吹きかけて目潰しをしてきたのだ!
喧嘩殺法の本領発揮。一瞬力が抜け、俺はたまらず片膝をついてしまう。
間髪入れず、彼女は左手で俺の右手首を掴んだ。先の試合でも見せたすさまじい握力に、重装甲の籠手がひしゃげる。
そして左腕一本で、俺をブンと振り回す。一瞬、世界から重力が消滅し、装備を含めれば百二十キロほどある俺の体が、フワリと宙を舞った……
右腕が引っ張られ、体に強烈なGがかかった。見えないが感覚で分かる、フィーネが俺を引き寄せたのだ。涙で血が洗い流され視界が回復すると、右腕そのものを棍棒のように振りかざし、わずかに曲げた肘の裏側を俺の首に引っかけるように叩きつけてくる彼女が見えた。
母さんがアックスボンバーと呼んでいた技だ。手首を掴まれていては避けるもへったくれもない。
「だあぁぁぁっしゃあぁぁあ!!」
フィーネが吼える。
「きゃあぁぁーーーっ!」
観客席から響く無数の声の中から、なぜかロッタとリーズの悲鳴だけがはっきり聞き取れた。
(カクテルパーティー効果だっけ? あれ、なんで俺、こんな時にそんなこと考えてんだろ。走馬灯みたいな?)
ばきん。
「がはっ……」
死刑執行人の斧のごとき豪腕アックスボンバーの直撃を食らい、目の前と頭の中が真っ白になって一瞬意識が飛ぶ。おぼろげに回復した視界の隅で、ふっ飛んだ兜がすぽーんと宙を舞っていた。俺はそのまま仰向けの体勢で地面に叩きつけられる。
「おらおらおらぁっ!」
そこへフィーネは追撃のストンピング(踏みつけ攻撃)連打! しかも足の裏でなく踵。ほとんど殺意すら感じる容赦のなさだ。
俺は朦朧とする意識を辛うじて繋ぎとめ、彼女の手を払いのけ横に転がって逃げる。そして素早く立ち上がり、ひとまず間合いを取った。
「正直言って信じられませんわ。並の戦士なら失神してもおかしくないはずですのに」
「並で失神どころか、ほとんどの戦士が首の骨を砕かれて即死だと思うぞ。俺も一瞬意識が飛んだよ……。だがこの通り、俺はまだ立っている。勝ち名乗りはまだ早いぜ、フィーネ!」
数秒のにらみ合い……
(今が勝負どころか)
はっきり言ってダメージの蓄積は俺のほうが多い。長丁場は不利だ。ここで決める!
「身体強化ぉぉーッ!」
残った魔力を解放し、ブーストの魔法をフルパワーで発動させる。ブーストというより全能力解放、あるいは限界突破と言ったほうが近いだろう。最後の切り札だ。
そしてフィーネも。俺たちの体から、今度は燃えさかる炎のような魔力の光が放出される。だがそれは俺のほうが少しだが大きく、強い。
この魔法は、身体能力を「○○ポイント追加」ではなく「○○%増幅」という感じで強化する。したがって元のフィジカルが弱ければほぼ意味はない。
だが俺のパワーは、フィーネより劣るとはいえ太刀打ちできないほどの差はない、俺は母さんから、そんな甘っちょろい鍛えられ方はされていない。ブーストの魔法レベルで上回っていれば、強化されている間だけは逆転できるはずだ。
(百の二倍より九十の三倍! もう小細工はいらない、体力と魔力を総動員しての真っ向勝負だ!)
「行くぜ! これが最後だ!」
「望むところですわっ!」
再びロックアップ。だが今度は俺が押している!
「くっ!」
フィーネがわずかに体勢を崩した一瞬の隙を見逃さず、俺は彼女の腕をそれぞれ脇に抱えた。
「むんっ!」
そして腰を落とし、綱引きの要領で後方に体重をかけ、全身全霊の力を込めて投げる! 閂スープレックスという、相手の肘を痛めつけつつ投げる技だ。
「あぐぁっ!!」
悲鳴に混ざって、パキッ、という乾いた音が聞こえた。同時に、硬いものが破損する感触が伝わってきた……フィーネの肘が折れたのだ。
彼女は勢いよく飛んでゆき地面を転がるが、この程度で倒せる相手ではもちろんない。俺は追撃をかける。治癒魔法をかける時間を与えてはならない。
「ま、だ……ですわぁぁっ!!」
両腕を使えなくなったフィーネは、しかし最後の力を振り絞って突進、俺のどてっ腹に体当たりしてきた! カウンターをもろに食らい、槍が突き刺さったかのような衝撃に背骨が軋む。だが俺はたたらを踏んで耐えた。
「ううっ!?」
彼女の声音に、今度こそ明らかな動揺、そして怯えの色が浮かぶ。おそらくは俺が母さんに対して感じていたのと同じ「自分の力はこの相手には通用しないのか?」という不安が頭をよぎったのだろう……
ブーストの残り時間はあとわずか。
決着の時だ。
俺はフィーネの胴を上から抱え込みジャンプ。
最高高度到達地点でその体をひっくり返し、彼女を仰向けにする形で右肩に担ぎ上げて固定する。
そして勢いよく落下……
「うおおぉぉーーーっ!!」
着地と同時に、フルパワーでその背中を地面に叩きつけた!
サンダーファイヤーパワーボム!
「涙のカリスマ」と呼ばれた戦士が使った技という。
━━━━━
「がはっ……げほっ! げほっ!」
フィーネが端正な顔を歪め、血を吐いてむせる。意識はあるのか、ないのか……
「それまで! ヒデトさんの勝利ですっ! 医療班、急いで!」
マスターが両手を交差させると、観客席からは今日一番の歓声が沸き上がった。