17. 崩壊する盾
「………んっ……なに?」
姉と共有の2階の一室。ベッドの上でフワァ〜と欠伸をしながら起き上がる黒ローブを着た黒髪の少女。
いけない!私寝ちゃってた!……折角たくさん練習しておにいさまを驚かせようとしてたのに……
朝からずっと魔法の練習をして疲れていたのかな?目を覚ますと、窓からは真っ赤な夕日が差し込んでいる。
……それにしてもさっきから何だんだろう?妙に外が騒がしいような……
そう外の様子を見ようと立ち上がった時、バタン!!っと1階から、勢いよく玄関のドアを開ける音が響いた。
「……ッ!なに!?」
ビクンッ!と体を震わせ、ローブをギュッと握りしめる。
おにいさま?……おかあさん?
でも二人ならこんな乱暴な開け方しないし……
布団に包まり、様子を伺っていると――
「ロアー!ロアー居るー?」
お姉ちゃん?……お姉ちゃんだ!……でも、いったいどうしたんだろう?すごく切羽詰まってるような……
その声の主は、勢いそのままに階段を駆け上ってきて……
「――居た!居るなら返事してっ!……でも本当に良かった……」
お姉ちゃんは、私を力いっぱい抱きしめ、とても安堵した様子だ…………いったいどうしたと言うのだろう……。
「……お姉ちゃん?何かあったの?」
「…………ゴブリンよ!……大量のゴブリンが私たちの村を襲ってきたのよ!……でも大丈夫! お父さんのアーティファクトを保管してる蔵なら、内側から結界が張れる!村の女性も子供もここに集まってるわ。……ロアも早く行くわよ!」
…………え?……意味がわからない。ゴブリン?どうしてゴブリンが私たちの村を襲ってるの? ……だっておにいさま達がダンジョンに行ったって……そうだ――
「お父さんは?お母さんは?それにおにいさまは!?……お父さんもお母さんもゴブリンなんか余裕でしょ!?」
お姉ちゃんの肩を掴み、声を上げる。
「……お父さんなら、負けないわ。今も最前線で食い止めてくれてる。……でも、数が多すぎるの! お父さんの剣でも、村全体を囲まれたら守りきれない……!お母さんとドアなら大丈夫だから……お願い、隠れてて!!」
――分かっていた。必死に私を抱きしめるお姉ちゃんの体の震えを見れば――。
ただ、ゴブリンに襲われてるって現実を受け止めきれない私の未熟な心が、声を大きくしてしまったんだ。お姉ちゃんは何も悪くないのに……
「時間が無い!早く蔵に行くわよ!」
私の手を強引に引っ張り、急いで階段をドタドタと降りていく。1階にはまだ誰も手をつけていない、冷めきったご馳走――。それを横目に見ながら、開けっ放しの玄関から外に飛び出る―――
「なに……これ。」
至る所から上がる黒い煙――四方から飛び交う悲鳴――そこには、いつもの長閑で平穏なナノン村はどこにもなかった。
不幸中の幸い、家の近くは何事もなく、既に我が家の蔵を目指し、疎らに列をなして女性や子供向かってきている。
……うっ……前に石を投げてきた奴に、悪口を言ってきた奴……それに……それに……。
こんな非常時だと言うのに、村の子供たちのロアを見る視線は変わらない。
その悪意を遮る様にフードを目深に被り、自身の盾に身を隠す。そんな時――
「……っ。」
繋いでいた手が、一度だけ、痛いほど強く私の手を握りしめ――
「じゃあ……ロアはあの子たちと一緒に隠れてるのよ!」
そして、無理やり引き剥がすように、スルリと手が解かれる………
「……え?お姉ちゃんは?……お姉ちゃんも一緒に避難するんでしょ?」
「……ごめんね……ロア。それは出来ないの。ここには、まだ避難しきれてない人が沢山居る。
それを助け、ここまで誘導する。それがお父さんから託された私の使命――。
……だからロアとはここでお別れ。……大丈夫。その内、お母さんもドアも帰ってくるわ!……だから大丈夫。大丈夫、だからね……」
大丈夫……そう何度も繰り返し囁きながら、優しく私の頭を撫でてくれるお姉ちゃん。……でも、その大丈夫は私によりも、自分自身への暗示のように思えた。
「じゃあねっ!」
エリシアはキュッと強く唇を結ぶと、心に迷いが生じる前に駆け出した――
あんなに震えてまで私を想い、一人で行くと決めたお姉ちゃん……。村の人を守る……これは大事だと思う。……だけど! 私は……私を嫌う村の人達よりも、たった一人のお姉ちゃんを守りたい!
だから――――
ダッ!と避難の列を逆走し、遠ざかる大好きな背中を追いかける―――
―――
――――
「………皆さん!!……今、父が……Bランク冒険者がゴブリンを食い止めています!! この間に急いでセアの家まで向かってください! 慌てず、戻らずに向かってください!」
列の最後尾、村の中央広場まで行くと、ガンガンと鳴り響く鐘の音に負けないぐらい、一生懸命に声を張り上げているお姉ちゃんの姿――
――すごい迫力。こんなお姉ちゃん初めて見た!
「大丈夫!セアの家に着けば安全です!あともう少し、頑張ってください!諦めないでください!」
中央広場を通り、我が家の方向へ慌てて駆ける村の女性や子供たち。彼女らの横を通り過ぎ、お姉ちゃんの元へとようやく追いつくことができた
「慌てず、押さず、決して戻らない…………ッ! ロア!?……どうして……どうしてこんな所に居るのよっ!蔵で待っててって……後からみんな来るから大丈夫だって……あれほどッ…………なのに…………ありがとう……ロア……。」
東の方向から聞こえてくる激しい剣撃の音に悲鳴――そして、風に運ばれてくる錆鉄の匂い――そんな地獄のような場所で、優しく安心したような微笑み――
「お姉ちゃんを独りになんてしない。私もお姉ちゃんを守りたい!」
驚いたように見開かれる瞳、そして――
「ふふっ……今朝……ドアにも同じような事言われちゃったわ。……私は二人のお姉ちゃんなのに……。私が頼りないばかりに、二人にいつも心配かけちゃってごめんね……。」
そう自嘲気味に笑うお姉ちゃん。
「お姉ちゃんは頼りなくなんかないよ。さっきだって大きな声ですごくかっこよかった。」
「……ありがとう。……ロアが一緒なんだから、お姉ちゃん、頑張らないとね!……だけど、ここら辺はもう大丈夫だから、もう少し西の方、一緒に見てみましょうか!」
ぎゅ――っと二人で手を握ったその時――――
「うそ!……ゴブリン!……どうしてここまでッ……数が多すぎる……。それに、何よあの化け物……」
村の大人たちや父が戦っているはずの東側。その建物の隙間から次々と現れる、眼が赤く充血し、涎を垂らした異様なゴブリンの群れ。そして、その中心には、一際大きく、裂けた皮膚から赤黒い魔力を煙のように吹き出しているホブゴブリンの姿。
「お、お姉ちゃん!ゴブリンが!……ゴブリンがたくさん!どうするの!?」
「……どうするって、逃げるしかないでしょ!……でも、私が……私達が逃げれば、避難している途中の人達が襲われちゃう!……だから、私が奴らを引きつける! ……ロアはその隙に逃げて!」
多数の異様なゴブリンを前に抜剣し、目立つように駆け出すお姉ちゃん。――迷うのは一瞬――
「だめ!私もお姉ちゃんと一緒に行く!」
ここで行かなきゃ永遠の別れになる、そんな予感がして慌てて追いすがる――
「…………ッ……じゃあ、絶対に私から離れちゃダメよ!!」
東から来るゴブリンを北の我が家へ向かわせない為に、南へと走り出す――
チラリと後ろを振り返ってみれば、赤い眼を狂気的にギラつかせ、喚き声を上げながら追ってくる多数のゴブリンたち。……だがそのどれもが――
……あれ?私のこと見てる?……ううん、気のせい……だよね……。
雑念を振り払い、地獄と化した村を必死に走る――地獄の中で唯一温かな姉の手に引かれながら――
―――だが、相手の方が速かった
――村外れの広場、門を近くにして、赤黒い魔力を吹き出す異常なホブゴブリンを中心に、10匹を超えるゴブリンに追い詰められる。
「門までもう少しなのに……外に出れば――……ロア……下がって。私が……お姉ちゃんが絶対に守ってあげるからね……。」
明らかに異様なゴブリン等を前に両手で剣を構えるお姉ちゃん。……だけど、私は知っている。お姉ちゃんが1年前からゴブリンにトラウマを抱えていることを――。本当は今すぐにでも逃げ出したいであろうことを――。それなのに、必死に震えを押し殺し、守ろうとしてくれている。
……こんな時、おにいさまならどうする?
……こんな時、御伽噺の魔法使いなら――
私がやるしかない!……いつも、村の人に怯える私を守ってくれたお姉ちゃん。今度は、私がお姉ちゃんを守る番だ!
「……ロア……?」
お姉ちゃんの隣に並び立ち、目の前のゴブリン等へと手を向ける――今日までたくさん練習してきた魔力障壁をいつでも張れるように―――
――いつだったか、おにいさまが言っていた――この世界の魔導師の強みは、後衛故に筋力に〈身体強化〉の魔力を注がなくていい分、脳への〈身体強化〉に専念できることだと。
実戦の時だ――
身体強化を軽く使い、思考速度、動体視力の強化を施す。
準備万端、いつでも襲いかかられてもいいように警戒するが、一向に動かない。
おかしい、よね……前にお母さんから、女性を見たらすぐに襲いかかってくるから気をつけなさいって教えられてきたのに……。それに、私が教えてもらったゴブリンよりもずっと怖く、ずっと不気味。……それに、全員、私を見てる……?
1匹1匹が理性を感じない狂気的な容貌。……だが、姉と自身を前にして止まるという理性的な行動が、より一層不気味さを加速する。……だがついにその時は訪れる――
ガギャウ!……と言葉なのか雄叫びなのか分からない声を上げながら無手のゴブリン3匹が突っ込んでくる。
――速い!!……だけど今の私なら―――
「黒い盾!」
二人の前に現れるは黒い半透明な〈魔力障壁〉。イメージするのは自身とエリシアへと襲いかかる悪意を打ち消し、崩壊させる絶対防御!
私の『障壁』は……みんなみたいに透明で綺麗な壁じゃない。
お母さんみたいに、優しく弾くことなんてできやしない。
……でも、いい。
綺麗な魔法じゃ、この『悪意』は止められないから――
お姉ちゃんを傷つける全部を、闇の奥底へ消し去れるなら……
私は――『化け物』でいい!!
肉の砲弾と化した3匹が黒き板に激突する――
――が、音も衝撃も、そこには何も無い。……そこにあるのは全てを呑み込む絶望のみ。
3匹の体は、黒き盾に触れた部位からひび割れ、黒く変色し、侵食し、ボロボロに崩壊させていく――
それでも尚、黒き盾の奥に居る姉と自身へと既に無き腕を伸ばそうともがくが、崩壊は止まらない――
足元にサラサラと風に吹かれる塵芥――。それは、生命の軌跡であり、生命の終着点である。
「ロア!?何……何をしたの!?……でも、凄い、凄いわ!」
――いける!!……私の……おにいさまが、どいつ語?で名前を考えてくれた『黒い盾』なら!
「私がお姉ちゃんを守る!」
お姉ちゃんを庇うように前に飛び出し、黒き崩壊の盾を翳す。
理性の無いはずの異様なゴブリンでさえ、立ち竦み、躊躇する程の生命の冒涜――だがそれも一瞬のこと―――
エリシアとロア、二人へ向かって一斉に、包囲するように襲いかかってくる。……否、ロアに向かって一斉に――
何匹来ても……どこから来ても、もう怖くない!
「黒い盾ー!」
自身とエリシアを囲む黒き半球。……それは、頑丈な棍棒で打ち付けようとも、村人から奪ったであろう剣で切りつけようとも、全ての衝撃を吸収し、敵を吸い寄せ、崩壊させる。
おにいさま!私、やりました!……あとはもう――
――ドンッ!!っと地面が爆発したかのような踏み込む音。それが聞こえたと同時に、拳を振り上げたホブゴブリンが眼前に迫る――
怖い……だけど!もう1回!
「黒い盾!!」
ホブゴブリンを拒絶する黒き崩壊の盾。それは全ての攻撃を吸収し崩壊させ――
――パリンッ。
ホブゴブリンの拳が届くよりも前に、呆気なく割れる音。
うそ……。どうして……。……っあ、そっか……。今日は朝からずっと魔法の練習してたから――――
――ドゴッ!!
そこには、最強の盾などなく、ただ、7歳の少女の骨が砕ける鈍い音だけが響いた――。




