15.「大事な人だから」
三か月の長いようで短い冬が終わり、芽吹きの春が来た。
フレゥールの冬風邪は、例年の半分以下の感染者数となり、患者数も半分以下、死者はゼロ人だった。その理由をダミアンはこう分析している。
「シュゼットの推奨する予防法が功を奏したんだろう。シュゼットの指導のもと、みんなが気を付け、予防をしたことで、感染者が減った。よって、魔法治療を施す病人が減った。そのことで、我々魔法医師が一人ひとりの治療に集中できたことが、死者数ゼロという素晴らしい結果に繋がったのだと思う」
嫌がらせの犯人とその動機がわかったことと、マリエルたちの熱心な説得により、シュゼットは冬風邪の予防を町の人に広めることを決意した。
その結果、町の八割の人々に、ハーブチンキによる冬風邪の予防を教えることができたのだ。残りの二割は、ハーブチンキによる風邪予防ができない人たちと、シュゼットの自然療法に難色を示すごく一部の大人だけだった。
「――すごいな、シュゼット。クロードとの約束通り、町の人の健康を守ったじゃん」
リラックスした表情で正面に座るエリクの言葉に、シュゼットははにかんだ。
「わたし一人の力じゃないけどね。家族はもちろん、マリエルたち友人もみんな助けてくれた。それに何より、植物の力がみんなを守ってくれたんだ」
シュゼットはラベンダーの精油が入った小瓶を手に取った。
「植物ってやっぱりすごいっ」
「キャンッ!」
ブロンは尻尾を振りながら、シュゼットに飛びついた。
「シュゼットって聖女様みたいだな」
「えっ?」と言いながら、シュゼットは微笑みを浮かべるエリクを見た。
「みんなの体を健やかにしてくれる、本の中の聖女様」
「いやいや。すごいのはわたしじゃなくて植物だよ。聖女だなんておこがましい……」
「町のみんながそう言ってるぞ。冬風邪を防いでくれたシュゼットは聖女様だって」
シュゼットは恥ずかしそうに「ええー……」と間延びした声を上げながら、最初の日のことを思い出した。
シュゼットが天命、基、「前世の記憶を思い出した」日のことを。それがすべての始まりだった。
確かにあの日、シュゼットはこの仕事を天命だと思った。
物語の中の聖女は、天命に導かれ、神聖なことを成し遂げている。
――それを思うと、……聖女って、言えるのかな。
そう思いかけて、自分で自分を褒めるような言葉はやはりくすぐったいと思った。
「ありがたいことにそう思ってもらってるなら、いっそう真摯に仕事に取り組まないとね! 褒められて慢心してると思われたら困るもん」
「シュゼットに限ってそんなことは無いだろ」
「真面目だなあ」と言って、エリクは歯を見せて笑った。
「――おーいっ、シュゼットー! シュゼット聖女様ー!」
照れくさい言葉に顔を上げると、頭上にラーロの姿が見えた。
よく晴れた三月の休日、キッチンガーデンに種植えをしているシュゼットたちのもとにラーロがやって来た。
ラーロがキッチンガーデンの端に降り立つと、シュゼットは手袋を外しながらラーロの方に駆け寄った。
それよりも先にラーロに飛びついたブロンは、キャンキャン吠えて再会を喜んでいる。冬の間は、魔獣たちも魔族たちもほとんど訪ねてこなかったのだ。
「久しぶりだね、元気にしてた?」
「元気だったよお。聖女様は元気だった?」
「もうっ、ラーロまでその呼び方するんだね。ありがたいけど、照れくさいんだよね」
「マルルたちも他の魔獣たちもみんな呼んでるよ、『シュゼット聖女』って」
シュゼットは「ええー……」と言って、赤くなった頬を掻いた。
「ところで今日は何しに来たの?」
「山でも少しずつお花が咲き始めたから、降りてきたんだ。街の方はどうかなって。でもシュゼットのお庭はまださみしいねえ」
ラーロは閑散としているキッチンガーデンを見渡して、しょんぼりと尻尾を垂らした。
「種を植えたところだから、直に芽が出て花が咲くよ。それから、この後、温室から植物を出すから、そうしたらちょっとは華やかになるんじゃないかな」
「そっかあ。楽しみだなあ」
種植えを終えたエリクとアンリエッタもやってくると、ラーロは「そうだ!」と大きな声を上げた。それと同時に、ラーロの羽がバサッと左右に広がった。ブロンが「キャウッ!」と驚きの声を上げる。
「ぼく、今日はここでやりたいことがあったんだ!」
「やりたいこと?」とアンリエッタ。
「うん。ぼくの蹄のこと知ってる?」
ラーロがヒョイッと右の前足を上げると、シュゼットは「えっ!」と言って、目を輝かせた。興奮で手が震え、全身が熱くなる。
「も、もしかして……」
「そうだよ! このお庭に祝福を授けに来たんだ!」
そう言うと、ラーロは羽を大きく一つ揺らし、空高く飛び上がった。
空の上で踊るようにクルクルと旋回すると、その勢いをそのままに地上に向かってきた。そして着地と同時に、蹄でトンッと地面を蹴った。
すると、シャランと涼やかな音が鳴り、まるで石が投げられて揺れる水面のように、一瞬地面が揺れた。その感覚は、春一番を全身で浴びた時に似ていた。
シュゼットは目を見開いて、そのすべての行動を目に焼きつけた。
祝福を授けたラーロは、得意げな表情でちょこちょことシュゼットに歩み寄ってきた。
「どう、シュゼット? これでこのお庭は、元気できれいな植物を育てるよ」
シュゼットはガバッとラーロに抱き着いた。
「ありがとう、ラーロ! すごくすごくうれしい!」
「本当に! よかったあ」
その後、シュゼットたちはラーロと一緒に昼食を食べた。まだ新鮮なハーブはほとんど手に入らないが、乾燥させたハーブでもラーロは十分喜んでくれた。
「あ、そうだ。ラーロが来たら聞きたいことがあったんだよ」
アンリエッタが席を外すと、エリクはフォークを置いて、ラーロの方を見た。
「人を攫うような魔法を使う生き物って魔獣か魔族にいるか? 伝承では精霊や妖精がそういうことをするって聞いたことあるけど、実際にいるかどうか、ラーロなら知ってるかと思って」
「うーん。ぼくもちゃんとは知らないけど、気に入ってる人間にいたずらしたり、気に入らない人間をからかったりする子はいるよ」
ラーロは「ぼくはどっちもしないよ!」と言って、褒めてほしそうに上目遣いをした。すぐにシュゼットが「偉いね」と言って首をホリホリとなでる。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、秋ごろに一度、シュゼットがそういう目にあったんだよ。間一髪で助けられたし、その一度きりだから、気にしなくて良いのかもしれないけどな」
――クロードもそこまではやってないって言ってたから、別の誰かの仕業ってことだもんね。
ブロンはシュゼットにすり寄りながら、心配そうに「キューン」と鳴いた。
「フーン。その一回だけなら、気にしなくて良いんじゃない?」
「キャンキャンッ! キャンッ!」
ブロンが突然立ち上がり、ラーロの足元で尻尾をピンッと立てて喚いた。
「なるほど。ブロンは心配なのかあ」
「家族が急に宙に舞ったら、そりゃあ心配になるよね」
シュゼットは「ごめんね」と言って、ブロンを優しく抱き上げた。それでもブロンの興奮は収まらない。
「もう少し用心棒するか?」
シュゼットはパッとエリクの方を見た。その顔には優しい微笑みが浮かんでいる。
ブロンはシュゼットの手から逃れ、エリクの手に飛び込んだ。エリクは「そうして!」と言わんばかりにキャンキャン吠えるブロンを撫でまわしてから、シュゼットの方を見た。
「ブロンはもちろん、アンリエッタさんも心配するだろうし」
「……良いの?」
「前にも言っただろ。シュゼットは俺にとって『大事な人』だから、護らせてもらえるなら嬉しいよ」
シュゼットの心臓がドキッと跳ねた。
――……この気持ちは、たぶん、そうだよね。
シュゼットは気恥ずかしくなりながら、うつむきがちに「よろしくお願いします」と答える。それにエリクが「また敬語だ」と笑った。
シュゼットのエリクへの思いの蕾は、美しい白い花になって、胸の奥でふわりと咲いた。




