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戴冠式は早く終わらせたい。

 (落ち着け・・)


 壮麗な魔法火で照らされた控えの間。

 厚い絨毯に一組の椅子とテーブル、壁には時を知らせる魔時計に、反対側の壁には一面をほぼ覆う一枚の絵、他にはなにもなし。

 何度も見慣れている場所なのに、いつもと違うのは、ここからでも感じる地鳴りのような歓声。


 (落ち着け・・私・・・!)

 

 どうしようもなく沸き上がってきた感情が震えとなって両の手を襲う。むず痒い気分になる。

 きゅっと唇をかみしめる。

 一分の隙もなく整えられた衣装にはシワ一つつけられない。

 一分の隙もなく結い上げられたプラチナブロンドの髪をいじることは許されない。

 あと少しの辛抱。こんな私が、ようやくここまで来たのだから。


 ガラスが砕ける音を立てて、両の手に知らず知らず出来上がった氷が床に散らばる。手を緩く一振りして、氷を消す。


「あぁ・・・」


 もう!と叫びだしたい気持ちをこらえ、沸き上がってきたものを抑えるように、息を一つ吸う。

壁にかけられた時計をみる。

 半メル(1時間)後には、戴冠式だ。

 地鳴りのような歓声が徐々にそのヴォルテージを増していく。


 あぁ、こんな式典は早く終わらせたいとリーナディアは思う。そして、ほんのひと時でよいから、心の整理をする時間が欲しい。


 ふと、壁にかけられた絵を見る。鮮やかな新緑の丘、雷鳴が鳴り響きそうな厚い雲が青空を覆いつくそうとしている。

 新緑の丘には、大きな旗が一流たなびき、旗の竿を左手で握って立ち、右手の剣をかざして彼方を見つめる銀色に輝く鎧を着た一人の女性。


 私はあの方のようになれたのだろうか、と思う。いや、歴代の殿下たちのようになれたのか、と思う。


 陣頭指揮により、シンフォニアを撃破したシエラレオネ・ノヴィカ・ニル・フォン・レオルディア。

 教育において改革を種々のなしとげたノエルレット・グランデ・エル・フォン・レオルディア。

 いずれも皇女殿下の頃からその才能を発揮してこられた方々である。


 (私はなにもできていない)


 できていない。何一つも。そして、何一つなしえないまま即位しようとしている。

 地鳴りのような歓声がひときわ高くなった。

 ふたたび沸き上がってきたものは、今度は前のものよりも強く身を震わせしめた。

 地が崩れる、そう思った。


「御姉様、そろそろお時間ですわーー御姉様っ!!」


 悲鳴と共に、自分の体が起こされたのを、リーナディア・トレン・イル・フォン・レオルディアは感じた。大丈夫、と言おうとしたが、身をよじるようにして代わりに出てきたのは鮮やかな赤だった。


「御姉様、血が・・誰か、侍医を!」


 しばらく意識がぼんやりとして、ふと、目に入ったのは、壮麗なレオルディアの紋様装飾の天井と、自分に瓜二つの顔をした女性だった。緑の瞳にエメラルドグリーンの涙が宿っている。


 手当てをしていた医師は、リーナディアの意識が戻ったことに気がつくと、女性と数語言葉を交わし、伏し目がちに一礼すると、退出していった。


 そうか、とリーナディアは悟り、血に染まった白い手袋の手を伸ばし、そっとその涙を拭いとった。

 涙を流していても、悲痛な顔をしていても、そこには自分にないものがあった。こんな自分には到底手に入れられないものが。


「もう、いい」


 独り残り、両の手をかざし、必死に回復魔法をかけていた自分の半身は怒ったような顔をした。


「なぜですの!?此度の戴冠式は、御姉様にとって、やっと・・やっとめぐってきた到達点でしたのに」


 リーナディアは、かすかに目を見張り、そして微笑を浮かべた。

 戴冠式に出ること。病弱な自分にとって、一つの目標だった。そんなことを口に出すことは許されるはずもなく、ひたすら秘していたつもりなのに、目の前の半身は知っていた。


「お前、知っていたのか」

「良くも悪くも御姉様とは双子。生まれ落ちた時からのつながりがありますもの。だからこそ、もういいなどとおっしゃらないで!今、別の侍医が参りますわ!」

「私の思うところなど、国益の前ではどうでも良いことだよ」


 リーナディアは、天井を見つめた。レオルディアの紋様が無表情に見返してくる。


「お前、体は大丈夫か?我慢していることはないか?日頃から八つ裂きにしてやりたい奴はいないか?」


 唐突な問いかけに、相手は身動きを止めた。


「今は関係ないでしょう!」

「あるさ」

「御姉様ーー」

「後四分の一メルもしないうちに、お前がレオルディアの皇位を継承し、私はお前をいたわれなくなるからだ」


 悲鳴のような叫びを自分の半身は押し殺したのがわかった。


「あまり時間がないから良く聞け。一つ、話しておきたいことがある。ごく少数な者しか知らぬことだ」

「・・・・・」

「お前が皇位を継承するに足るまで、表舞台の俳優として振る舞うこと。これが私に求められた役割だ。病弱な私としては上出来だろう?」

「・・・何をおっしゃっているのか、わかりませんわ」

「私達は双子なんかじゃない。私は・・・」

 


 こんな事実を認めること自体が腹立たしい。

 そして、怖かった。目の前の半身に知らせることで、どんな反応が返ってくるか。

 それでも、言わなければ。時間がないのだから。


「私は、お前の、代用品だ」


 ただの複製品(レプリカ)なんだ、という言葉は喉の奥で消えた。新たな血が口から溢れたからではない。そんなことは些事だった。

 怖かった。どうしようもなく。どんなに毅然としていても、それ以上言葉を出せなかった。

 

「お前こそが、リーナディア・トレン・イル・フォン・レオルディアだ」


 目の前のリーナディアは、呼吸10拍ほど身動きを止めていた。


「ウソ・・・ですわよね?」


 絞り出されたのは月並みな言葉だった。

 あぁ、とリーナディア・レプリカは思う。こんな疑問を抱くこと自体がばからしいのだけれど。

 自分レプリカともう一人の自分オリジナルどちらが本物のリーナディアなのだろう。

 そして、どちらがレオルディア皇国にとって必要とされているのだろう。


「ウソではないさ」

「聞きたくありません!」

「おいー」

「嫌です!」


 リーナディアは、イヤイヤをするように両の手で頭を抱え、左右にふった。


「目をそらすな」

「私の・・御姉様が・・御姉様でないなどと・・いいえ、そんなー」

「マルトリーテ・・いや、リーナディア」


 発しなれた発音のはずが、異国言葉のようにぎこちなかった。自分がつい先刻まで名乗っていた名前が他人のものになるというのは、不思議な気分だ。

 リーナディア・レプリカはぐいと彼女の手をつかみ、無理やり顔を向けさせた。狼狽と悲痛と混乱がまぜこぜに塗りたくられていた。


「いいか、良く聞け、根性なし・・!」

「・・・・・!」

「私はレプリカだが、それでも、レオルディアの皇室の一員たる気概は持っている。だが、貴様はなんだ!?何様だ!?貴様にできることは、泣くだけか!?」

「・・・・・!」

「私が、愁嘆場を見せるだけの、こんな人間の代わりでしかなかった・・衝撃的だな」

「・・・・・」

「だが、言うべきことは、言わせてもらう。もう、躊躇っている時間などない。リーナディア・トレン・イル・フォン・レオルディア。さもなくばここで死ぬか、いや、死ね!」

「違います!」


 リーナディアはリーナディア・レプリカの手を握りかえしてきた。強い力だった。


「あなたが私のレプリカであろうと、なんであろうと・・・あなたは、私のたった一人の御姉様です・・!御姉様がいなくなれば、私は独りになってしまう・・。私から奪わないで・・!」


 嗚咽混じりに、涙に塗れて、それでも相手(オリジナル)はリーナディア・レプリカをにらむように見つめ続けている。


 ああ、こんな状況なのに、なんと不謹慎で傲慢なのだとリーナディア・レプリカは思う。

 今この時が今までで、一番、幸せだと。どうか少しでもこの時が続いてほしいと。

 リーナディアの父母はすでに他界し、二人は姉妹のように育ってきた。

 ように、ではなく、本当の姉妹だったらと何度思ったことか。


「だから、あきらめないで・・!」


 リーナディアは、また回復魔法を発動させた。


「そんなにーー」


 リーナディア・レプリカの声は不意に開け放たれた扉の音に潰された。別の侍医が来たのか。

 ぼやけた視界のすみに足早に明らかに医師のものではない長靴がこちらに向かってくるのが見えた。

 ぐいと手をつかまれ、素早く、けれど慎重に体を起こされた。


「ここまでか、戴冠式が終わるまではと思っていたが、存外早く電池切れを起こしたものだな」


 冷徹な低い声は、最側近にして近衛の総長であるレイナ・アリマ・フォン・ロイデンテールだった。ほんの先刻までの自分に投げかけるとは思えない言葉。しかし、時が来ればそうなるだろうとリーナディア・レプリカは予期していた。

 皇国の部外秘の中枢を知る存在じぶん。それが、ひとたび不要になったなら、存在自体が害悪をもたらす。ゆえに速やかに消されるべきだ。

 

 レオルディア皇国の忠臣は、目の前の状況を把握すると、かねてからの方針に乗っ取り、行動を起こした。


「やめて!!」


 悲鳴が上がる。鈍い衝撃。心臓がいくつか鼓動を伝えたのちに、うろたえた叫び声が上がる。

 リーナディア・レプリカの視力の衰えた眼では目の前の光景を把握することはできない。わけもわからず、揺さぶられるようにして意識が薄れていく。


「御姉様を・・・死なせないで・・・・!」


 その一言が、リーナディア・レプリカの意識を現世に戻させた。気力を奮い起こして目の前の光景を見る。


「姫・・・いや、殿下!!何故・・・」


 レオルディア皇国の忠臣の顔が驚愕と狼狽の色に塗りたくられていた。血に染まった純白のドレスが目の前の床に広がっている。


(血は・・・あぁ、私と同じ・・・・鮮やかな赤色だ)


 リーナディア・レプリカはぼんやりとそれを思ったが、数瞬後にその意味を悟った。流れ出る血の量、そしてレイナの力量からして、リーナディアが致命傷を負ったことは間違いなかった。


「なぜ、私をかばったのだーー」

「なぜ、彼奴をかばったのです!?こんな、用済みのガラクタをーー」


 二つの言葉が控室に虚しく控室に満ちた。リーナディアの想いをくみ取ることができなかったという無念と後悔ともに。


「ガラクタではない、わ・・・!!私の、たった一人の、御姉様を、死なせないで・・・・・!!」


 リーナディアが必死の形相でレイナを見上げた。レオルディア皇国の皇女を弑した大罪人の手で抱えられて。


「戴冠式の前に・・・こんなことが・・・・・」


 レイナはリーナディアに回復魔法をかけたが、無駄だということはこの部屋にいる者はすべてわかっていた。わなわなと手を震わせていた。怒りと失望、それ以上に焦燥と後悔がレイナの顔に張り付いている。


「レオルディア皇国の血筋が・・断たれる・・・・」

「ひとつ、方法がある、わ」


 血に染まった手をリーナディア・レプリカに向けて、オリジナル・リーナディアがほほ笑んだ。


「御姉様が私の代わりに御成りになることです」

「それはーー」


 無理だ、という言葉を喉の奥で飲み込んだ。それを発するにはあまりにも純粋な瞳が自分に注がれている。


「御姉様、あなたに足りないのは、寿命を全うできるだけの体・・・。それは、今御姉様の前にあるではありませんか」

「・・・・・・・」


 レオルディア皇室に連なる者だけが知りえる禁忌の術。リーナディア・レプリカも知っていた。

 それを使うことの代償も、もちろん。


「どうすれば・・・」


 かすれた声はレイナか、それとも自分が出したものか。

 時間がない。時間が欲しい。心の整理をする時間が。いや、リーナディアと話す時間が欲しい。けれどーー。


「御姉様」


 リーナディアは、今度は悲しそうに微笑んだ。同じように横たわった二人は互いの顔を見つめあった。


「残念ながら、思い出話をする時間もなくなってしまいましたわね」


 涙が一筋頬を伝い、控えの間の絨毯を濡らした。


ーーーーー。


「リーナディア・トレン・イル・フォン・レオルディア!!」


 胸に手を当てて瞑目していたリーナディアは、自身の名前を告げられるなり、控えの暗がりから、数万の兵、そして数十万の大観衆が待ち受ける式典場に入っていく。

 一歩一歩、自身の体を、そして意思を確かめるように歩みを進める。その眼は真っ直ぐに、典礼官らが、そしてレオルディア皇国の宝冠が待ち受ける台座ではなく、その先を見通そうというかのように力強くきらめく。


 不意に風が舞い、リーナディアの髪を、衣装を乱し、歩を止めさせる。穏やかな雲が流れる青い空に、リーナディアはもう一人の幻影を見た。


 あぁ、とリーナディアは思う。自分と、もう一人の自分わたし、どちらが本物のリーナディアなのだろう。

 そして、どちらがレオルディア皇国にとって必要とされているのだろう。

 その疑問を思うことこそが、ばからしいと改めて思う。

 なぜならーー。


『ワァァァァァァッ!!!!!』


 リーナディアが、優雅に左手を胸に当て会釈するのと、群衆の大歓声が式典場に満ちたのがほぼ同時だった。大歓声が式典場に反響し、より大きなうねりとなって新たな歓声を呼び起こす。

 今のレオルディア皇国にとって必要なのは、新たなレオルディア皇国皇帝ないし女帝であり、リーナディアではないのだ。

 もっと言えば、血が継承されさえすればーー。


(今の私がオリジナルか、レプリカか、そのようなことはどうでもいいのだ・・・・)


 けれど、とリーナディアは思う。その結論は、あまりにも無機質で冷たい。

 自分にとっての半身、物心ついた時からずっと一緒にいた半身は、もういない。そのことがどうしようもなく切なくて、重たくて、だから歩みを止めさせたのだ。

 

 新たな自分としての一歩を踏み出すこれ以上ない舞台。時間。それなのに。

 あぁ、こんな式典は早く終わらせたいとリーナディアは思う。そして、ほんのひと時でよいから、心の整理をする時間が欲しい。


 リーナディアは、感情を振り捨て、宝冠が待つ台座に向かった。

 

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