第4話
そろそろ起きなくちゃクラウに怒られるかもしれない。そう思うのは瞼を閉じていても感じる陽光の眩しさから。でも、ぬくぬくとした毛布の中から出るのが勿体無くて、ついぐずぐずとまどろんでしまう。そんな中で部屋の扉が開閉する音が耳に届き、叩き起こされる前に起きるべきか悩んでいた所で、日が翳った。
ん? そう思った次の瞬間に、自分の上に圧し掛かる重みに気付き慌てて目を開けた。
「おはよ〜」
やたらと爽やかな笑みと明るい声はクラウのものである筈が無い。目の前数センチにいるのはつい先日前に出会ったばかりのロゲールで、何でとか、どうしてとか、全てを通り越えてその距離の近さに思わずその横っ面を張り飛ばしてしまった。でも、頬を打たれたロゲールは少し顔を顰めただけで、すぐにその表情には余裕とも取れる笑みが浮かぶ。
「お嬢さん、その挨拶はどうかと……」
「な、何でロゲールがここに?」
ジリジリとロゲールの下から逃れようとするけど、捕まれた両手首がそれを許さない。辺りを見回してみたけどクラウの姿はどこにもない。危機感をヒシヒシと感じながらもロゲールは目が合うと更に笑みを深めた。爽やかなだけに、このシュールともいえる展開にちょっとついていけない。
「大丈夫、クラウなら」
ロゲールの声と重なるように物凄い音を立てて部屋の扉が開き、思わず扉へと視線を向ければそこには無茶苦茶怒っている顔をしたクラウが立っている。
「ほら、来た」
「お前、ここで何してる」
「んー、シェスを起こしに」
「襲いに、の間違いだろ」
話しながらも近付いてきたクラウは容赦なくいつも持っている剣のを少しだけ抜くと、私の上に覆い被さるロゲールに持ち手の部分を突き刺した。確かに剣先を突きつけた訳じゃないだろうけど、ロゲールの表情を見るだけでもそれがかなり痛かったことは分かった。
「少しは遠慮とか、手加減とか」
「そんなもの、お前にくれてやるつもりは全く無いな」
テンポのいい会話を交わしながらもロゲールはベッドの上から降りると脇腹を押えながら椅子に腰掛けた。
「いや〜、クラウが席を外して暇だったからシェスとお話しでも、と思ってさ〜」
「ほぉ、それが何で襲いかかることに?」
「確認。シェス、やっぱり女の子だよね。いや〜、クラウとの会話を聞いてても女の子みたいだと思ってたから、ちょっと確かめてみただけだって」
隠し通せているとばかり思っていたから、突然の指摘に頭が真っ白になる。言い訳を考えてみても働かない頭じゃ何も思いつかない。
「まぁ、シェスも否定しなかったし。それにね〜、さすがにあの距離で触れたら男か女かくらいは分かるくらいの経験はあったりする訳だ」
「否定? 否定も何も聞かれてないよ!」
「まぁ、質問はしてないかな。シェスが聞き流しただけで。言ったよね、お嬢さんって」
言われて気付いてしまえばぐうの音も出ない。確かに言われたし、自分もサラリと聞き流した。最近こそ言われてないけど、昔からお嬢さんなんて言葉は何度も言われ慣れて耳に馴染んだ言葉だったから。
「……で、気付いたから何だ」
「シェスティン・ケイリー・ハドリー。ティルの領主が探しているハドリー家の生き残り。違う?」
「もしそうだったとしても、当たりと言うと思うか?」
「まぁ、言わんでもいいさ。で、これからどうするつもりだ?」
何か話しは進んでいるけど、全くもって話しがよく見えない。何でロゲールは私をシェスティンだと分かったのか、あれだけ毛嫌いしていたロゲールがここにいることをクラウは許容しているのかとか、はっきり言って訳が分からない。
「クラウ、何でここにロゲールがいるの?」
「イヴァンからの伝言役だ。騎士団の連中には頼めない内容だったからな。昨日の男が釈放されたらしい」
「上からの命令だって。イヴァンも悔しがってたけどね。男も黙秘で夜中には釈放だから全然情報は取れてない。でも、イヴァン曰く、釈放までの早さといい、騎士団に内通者、もしくは領主が関わってる可能性が高いと様さか、こんな情報騎士団の連中に伝言させる訳にもいかないから俺がココへ来たという訳。理解して貰えたかな〜?」
「それは分かったけどロゲールって何者?」
「愛の伝道者」
その爽やかな笑顔とは相まって、言っていることはかなり寒い。それとも、本気でそんな職種があるんだろうか。そんなことを考えていれば、視界の端でクラウが動いたかと思うと椅子に座るロゲールに向かって拳を一発突き出した。
「マジで一回死ね」
かなりのスピードだったにも関わらず、ロゲールは軽く避けると笑顔を崩さずにこちらを見た。
「まだ何か質問は?」
「イヴァンとの関係は?」
またはぐらかされると思ったけど、ロゲールは少し大げさに悩んだ様子を見せてからまぁ、いいか、と一人ぼやいてから私と、それからクラウを見た。
「元はイヴァンの直属の部下。元ダリン騎士団、騎馬隊長、って言ったら信じる?」
「信じないからイヴァンに確認する」
「あー、やっぱりー? まぁ、仕方ないけどさ。でも、嘘は言ってないから」
「そういう経緯ならお前が釈放された訳も分かった。で、お前は一体何を追ってる」
クラウの真剣な眼差しにロゲールは小さく溜息をつくと両手を上げた。でも、ロゲールのその顔はどこか飄々としたもので、真面目なものには見えない。いや、それ以前にロゲールの真面目な姿なんてものは一度も見たことが無かったりするけど。
「降参、説明するよ。でも、こっちも情報開示する。その代わりそっちの情報も開示する。それがフェアってもんだろ」
「違うな。今の時点でフェアじゃない。お前がどういう意図で起こしたかは分からないが、今は自由の身だけど犯罪者には変わらない。いざとなれば、こっちが訴えれば」
「あはは、そしたらこっちも声を大にして言うよ? シェスティン・ケイリー・ハドリーがここにいますって。ここはダリン領。分が悪いのはどっちか計算も出来ないかな〜?」
ロゲールの言うようにどっちが分が悪いのか私には分からなかった。でも、クラウの表情を見れば部が悪いのは間違いなくこっちなんだと分かる。
「……全部は開示するか分からん。それはそっちの目的を聞いてからだ」
「んー、今は言えない。時が来たら説明はするよ。今ここにいる理由はイヴァンの頼みだからだ。ただ、こっちにも目的があるからそれを邪魔するなら容赦なく切り捨てる」
そう言い切った時、ロゲールの目は笑ってなかった。そして聞いているクラウは、どこかピリピリした空気をかもし出していて口を挟むことが出来ない。
「取り敢えずこっちが知りたいのは、今問題になってる少女誘拐事件。ダリンだけだと思ったら、ティルやブレロでも起きてる。しかも、狙われてるのは恐らくシェス。いや、正確に言えばシェスティン・ケイリー・ハドリーただ一人だ。今回、クラウがボコったせいで色々問題も起きるだろね。何せ名前がシェスだし、ハドリーと繋がりがある人間ならシェスティンがシェスと呼ばれていたことは知ってる」
「待て、少女誘拐事件の犯人探しが目的じゃないのか?」
「まぁ、目的の一部ではあるけど、最終目的ではないな。ただ、今の時点では最終目的については口にしたくない」
「そこは聞かねー。こっちも突っ込まれると面倒だし。で、ロゲールとしては、いや、この場合、イヴァンとしては餌であろうシェスにくっ付いとけと?」
「ぶっちゃけた話し、そういうこと。ただ、こっちとしても一緒に行動する以上、それなりに手助けはするつもりだし、まだシェスがシェスティン・ケイリー・ハドリーということはイヴァンには報告してない。まぁ、イヴァンのことだから気付いてる可能性もあるけど、この時点では俺の独断であってイヴァンは無関係だな」
何だかおかしな方向に傾いている気がする。餌、ということはロゲールとしては私が餌になりうる何かが近付いてくることを予想しているってことだろうし、クラウもどこか納得している節がある。ということはだ、私がシェスティンということがバレるのは時間の問題と踏んでいるのかもしれない。
「……何か、凄い不味いことになってる気がするんだけど」
「バカ、気付くのが遅い。昨日の一件が不味かったのは確かだが、今更言ったってどうなるもんじゃない。ただ、今分かってるのはここにいるのは得策じゃないってことだ。……仕方ない、ティル領に行ってみるか、気乗りはしないが」
「俺としてはここにいて貰えると助かるんだけど、まぁ、仕方ないね。お互いに目的が違うんだから、多少の回り道もしなきゃいけないだろうね〜。まぁ、俺も情報収集するのにティルには一回行くべきだと思っていたから、それはそれでありかもね。で、いつ発つ?」
「昼前にはここを出る。長居すれば厄介なことになりそうだ」
「俺にとっては尻尾捕まえるのに最適だけど、君らにとってはそれが一番の選択だろうね。どうする、街の外れで落ち合うか?」
ロゲールの言葉にクラウは口の端を上げた。不敵とも言えるその笑みにはどこか自信が溢れているようにも見える。
「いや、落ち合うのは騎士団の詰所だ。俺はまだお前を信じた訳じゃない。イヴァンに確認したいこともある。それにあそこならいきなり切り掛かられることはないだろうからな」
「信用に足る行動はしてないし、信用されるだけの本音も話していないからね〜。イヴァンへの確認はどうぞご自由に。ただ、シェスを詰所に連れて行くのは反対。理由は二つ。一つ目はもう昨日顔を出してるから遅いかもしれないが、クラウは自分が思っている以上に有名人だってこと。そしてもう一つは騎士団の連中全てが信用出来る訳じゃないこと」
イヴァンとロゲールは騎士団の人間で、ロゲールはイヴァンの頼みで色々探っているらしい。でも、そこに信頼はあっても、騎士団全員が信頼出来る訳じゃないというのは不思議な感じだ。でも、裏を返せば自分だって似たようなものかもしれない。親交があったダリンの小父様や、姉様の婚約者であるテオフィルには直接会おうと思っていない。信頼っていうのは親交があっただけで出来るものじゃない。それが自分以外の評価から成り立つものであれば、疑念を持っても仕方ないことなのかもしれない。
「シェス、宿を出る。これから騎士団行ってイヴァンに会う」
「あらら、俺の忠告無視?」
「無視できない忠告だが、残念ながら今はこれと離れるつもりはない。第一、信用出来る人間がいないからこれを預ける訳にもいかないしな」
偉そうに言い放つクラウは私をしっかりと指差していて、これ呼ばわりされた私としては面白くない。でも、ここで頬を膨らました所で謝ってくれるようなクラウじゃない。面白くないと思いながらもどこか諦めの境地で小さく溜息をついた。
肩を竦めて見せるロゲールを他所に、慌ててベッドから起き上がると布袋の上に置いてあったマントを身に付ける。その足で窓際に干してあった着替えを布袋に入れると鞄を手にした。宿をすぐに出ると言われても、大して用意するものはない。
「んじゃ俺は、用意するもん用意して後から合流することにするわ」
「勝手にしろ。遅ければ置いて行くからな」
それだけ言うとクラウはロゲールの返事も聞かずに部屋を出て行ってしまう。慌てて追いかけようとする私にロゲールは「また後で〜」などとにこやかに笑顔で手を振っている。どう返事をすればいいのかも分からず曖昧に笑うとクラウを追い掛けて廊下を走った。
慌てて階段を降りれば、やっぱり出入り口のところでクラウは待っていてくれて「遅い」とだけ言うと扉を開ける。昼の日差しは眩しくて思わず目を細める。クラウと一緒に厩舎へ行くと、先程の宣言通り馬を連れて騎士団の詰所へ向かって歩き出した。
日差しが強く地面に濃い影を落とす。よく寝たつもりだったけど、疲れはきっちり取れていなかったのか身体が重く感じる。そんなことを考えていると、隣で馬を引きながら歩いているクラウが話し掛けてきた。
「体調は? どこか調子悪いとかあるか?」
「んー別に。ちょっと疲れが取れてない感じがするくらい」
「そうか。少しでも調子悪かったら言え。まぁ、ティル領までは丸一日は掛からないから向こうについたら少し休める時間を取る」
クラウがこういう気遣いをするのは珍しいかもしれない。もしかして、自分はそれだけ情けない歩き方をしているのか。そう思ったら先よりも少し背筋が延びた。
「それから、ショール巻いてできるだけ顔隠しておけ」
それは先程ロゲールの言っていた言葉を聞き入れてのことかもしれない。確かに、昨日騎士団へ顔を出した時もショールで顔半分を隠していたから、半分とは言えども顔を隠すのは有効に違いない。慌てて馬の背に乗せた布袋からショールを取り出すと早々に巻きつけてしまう。途端に首筋に汗が噴出してくる気がしたけど、暑さごときで安全性を捨てたくはない。だから、ジリジリと照りつける太陽を恨めしい気分で少しの間睨みつけた。
騎士団の詰所へ到着すると、クラウは早々にイヴァンを呼び出した。呼び出されたイヴァンは昨日よりも足早に現れると騎士団の詰所前から脇道へと私たちを促す。イヴァンに促されるままにクラウと二人脇道に入ると、イヴァンは小さく溜息をついた。
「お前ら、早々にここを出た方がいい。クラウ、お前とシェスにどうも懸賞金が掛けられたらしい。まだ、表立って出てきた情報じゃないが、恐らく一両日中には腕のある連中に出回るに違いない」
「懸賞金? 支払い元は?」
「不明だ。うちでも探ってはいるが、調べるにも時間が掛かる。とにかくどこか他の領にでも身を隠せ」
「どっちにしても、もうここを出るつもりだ。出る前に確認したいことがある。あのロゲールって男はどこまで信用していい」
途端にイヴァンの目は優しいものになり、大きな手でクラウの肩を二回叩く。
「お前が奴を信用出来るか俺は知らん。だが、俺にとっては一番の部下だ。今でもな。腕も立つし、お前らにとっても十分役に立つ男だと思うぞ」
「奴は目的を明かさなかった。どうしてだ?」
「俺からも言えない。ただ、この領は今狂ってる。それがヒントだ」
イヴァンが何を言いたかったのか分からないけど、クラウにはそれだけでどういう意味だか分かったらしい。一つ頷いたクラウに、イヴァンは懐から袋を一つ取り出した。
「薬草と一週間分の肉と魚の干物だ。あいつに随分使ったらしいからな。足しにしてくれ」
「有り難く貰っとく。ところで、ここで俺たちとロゲールは落ち合う予定だが、ロゲールに報告を求めるのか?」
「いや、今のところ報告はいらんな。目的に対してある程度まで駒を進めたら報告するようには言ってあるが、あいつは現時点で報告なんてしてこないだろう様、好きなようにやれって言ってあるし、あいつなら好きなようにやってもヘマはせんだろうからな」
「それだけ信用してるってことか……俺は全面的におっさんを信頼してる。だからあのロゲールっていうヘラヘラした男も信用してやる。ただ、おかしな行動したら殺すからな」
冷めた口調でそう言い放ったクラウの目は真剣なもので、その視線はどこか鋭利な刃物を思い起こさせる。それに対してイヴァンは苦笑してその視線を受け流す。
「好きにしろ。出来たら殺さずにいてくれたら俺としては助かるんだがな。まぁ、あいつがそんなヘマやらかすとも思えんがな」
苦笑しながらもその口調はどこか自信に溢れていて、言葉からもロゲールに対するイヴァンの信頼が見え隠れする。それはクラウも読み取ったのか、先程までの鋭い視線を一転、呆れたようにイヴァンを見上げる。
「……あんたのロゲールに対する信頼は予想以上に絶大だな」
「当たり前だ。こっちだってヤバい橋を渡ってるんだ。信頼出来る部下にしか調査は任せられんさ。このまま裏道を真っ直ぐ行け。恐らくロゲールも街の外れでもう待機してる筈だ。俺もこれ以上身を隠してたら立場上ヤバいんでな」
「……おっさんも気をつけろよ」
「お前らほど大変でもないさ。ほら、早く行っちまえ」
イヴァンに促されるままにクラウは馬へと跨ると、私はイヴァンの手に担ぎ上げられて馬へと乗せられた。
「急げ、早く街を出ろ。そして死ぬなよ」
その言葉にクラウは頷きだけ返すと、馬の腹を蹴って走らせた。振り返ればイヴァンが軽く手を上げていて、その姿は徐々に小さく見えなくなった。
クラウは街中だというのに馬の速度を落とすことなく、ただひたすら走らせる。
「クラウ、もう少しスピードを」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
言われた次の瞬間、横から飛び出してきた子供がいて思わず目を瞑る。けれども、背中にクラウの温かさを感じた衝撃の後、奇妙な浮遊感があって目を開ければ馬は高く子供を飛び越えていた。
「な、何、今の!」
「避けただけだ。いいから黙ってろ」
クラウは簡単に言うけど、あんなに急に飛び出してきた子供を飛んで避けるなんてありえない。予想もしなかった出来事に心臓が物凄い勢いで早鐘を打っている。少なくとも、馬がジャンプする生き物なんてことは知らなかった。
勿論、その間にもスピードが落ちることなく街外れに出れば、すぐ横を同じスピードでロゲールが馬に乗って走っている。
「このまま出るぞ」
「オッケー」
奇妙な連帯感を醸し出す二人に訳が分からなくなりながらも、馬は風を切って颯爽と走る。街を出れば草原が広がり、足高の草を掻き分けるようにして駆け抜ける。余りの速さに息苦しさを感じなくもないが、吹き抜ける風は気持ちいい。
しばらく走っているとすぐに森へと入り、暑い日差しは木々にさえぎられ木漏れ日が所々にカーテンを作り出している。どんどんと流れていく視界の中でキラキラした陽光のカーテンを見ていれば、どれだけ走ったのかようやくスピードがゆっくりとなり、軽く走る程度の速さへと落ち着く。
「イヴァンには会えた?」
「あぁ、会った。だが、ヤバいことになってる。悪いことは言わない、お前は別行動の方がいいだろ。俺とシェスに懸賞金が掛かった。下手したら目的以前に巻き込まれるぞ」
「その時はその時だな。少なくとも、目的への近道はシェスの近くにいるのが最短だし〜」
ヘラリと笑うロゲールの表情にクラウはどう思ったのか、背後で小さく溜息の音だけが聞こえた。
「勝手にしろ。何かあっても泣きつくなよ。面倒くせーから」
「勝手にしますよ〜。あ、俺には泣きついていいから。出来る限り手伝うよ〜」
「気が向いたら手伝わせてやる」
「ははぁ、有り難き幸せ〜」
相変わらず偉そうなクラウに対して、ロゲールはうやうやしげに頭なんか下げている。ちょっとしたふざけた空気が漂っているけど、こういう遣り取りを見ていると、実は仲良しなんじゃないかとか思ってしまう。少なくとも以前のような緊迫した空気が無いところを見ると、クラウはイヴァンの言葉で信用する、ということで腹を括ったということなのかもしれない。
「これからティル領に入って何をするつもりなの?」
「取り合えずは噂の検証だろうな。モンスターが出たっていう噂は確かに聞いたことがあるんだが、一体どんなモンスターだったのか、どこに現れたとか、そういう詳しい話しは聞いたことがない」
「そういえば、そんな噂を俺も聞いたことあるけど、怪我人やら死人が出たって言う割にはどういうモンスターなのかは聞いたことがないな。ガセの可能性は?」
「どうだろうな。噂なんて恐怖とバカらしさで広まるもんだし。ただ、意図的に流された可能性も考えられるかもな。そうじゃなけりゃ、ティルの領主がバカな可能性もあるが」
テオフィルがバカ……何だか、あの理知的な顔からは正直想像がつかない。いや、顔で判断するのは間違えているのかもしれないけど、そう簡単に足元を掬われるようなバカをしでかすタイプなんだろうか。少なくとも、人の機微には鋭いタイプだったように思える。
テオフィルに会ってからもう三年以上経っている。それを考えれば、変化だってしているに違いない。領主になって進化したのか退化したのか、会わないことには分からない。だからといって会う訳にもいかない。考えても今は埒も無いということかもしれない。
日が落ち、辺りが夕闇に包まれた頃、馬を止めると今日野宿する場所を探し出し腰を落ち着ける。軽く食事を取り、クラウとロゲールは二人で交代時間の取り決めをしている。本来なら自分も交代に混じりたいところだけど、それが無理なことは自分でも分かる。
力が欲しいな――――。
最近、よくそんなことを考えている気がする。考えたところで力がつく訳でもないから無駄なあがきな気がしないでもないけど、それでも欲しいと願ってしまう。そうだな、まずは身長が欲しい。せめて同じ年頃の子たちと同じくらいの体格と身長が欲しい。
「ところで、シェスに聞いてみたかったんだが、今いくつだ?」
考えていたところ、ドンピシャな質問に思わず少し鬱蒼とした気分でロゲールに視線を向ける。
「え? 俺、何か変なこと聞いた? つーか、俺が聞いていたのはハドリー家の次女って、確か今年で十五だか十六になる筈だよな。俺、騙されてたかな〜」
それを聞いたクラウが神妙な顔をしているけど、口元の歪み具合からも笑いをかみ殺しているのだと分かる。
「……もう少しで十六になる」
答えた自分の声はかなり機嫌の悪い時と同じもので、つい、口を尖らせてしまう。それくらいロゲールの質問と、それに対するクラウの反応がイヤだった。
「えっと……ごめんな〜。一応確認しておきたかったからさ。シェスの姉ちゃんなら新聞にも載ることもあったから顔は分かるんだけどなぁ。そう言えば、ハドリー家には一家言でもあるのか?」
「どういうこと?」
「いや、どう言ったらいいんだろうな〜。子供が二人いることは聞いていたんだけど、シェスが表に出てくることは無かっただろ。どうしてだ? 年齢制限があるとか?」
「それはねーだろ。姉ちゃんの方はそれこそ十やそこらで領主と一緒にブレロへ来たことがある。」
「家族の写真の提出を求めて断られたなんて話も聞いたことあるんだよね〜」
「あぁ、実はシェスが拾い子だったとか?」
「そんなことある訳ないでしょ! 一体、何を言い出すのかと思えば」
でも、姉様がブレロに来たことがあるというのは知らなかった。もしかしたら、私が知らないだけでティルにも行ったことがあるのかもしれない。だとしたら、城を出たことが一度たりとも無かった私は一体何なんだろう。
「まぁ、拾い子っていうのは冗談としても、お前については意図的に隠されてたって感じだな。ロゲールに言われるまで気付かなかったが、よく考えればおかしな話しだな」
「でしょ〜。いや、前々からちょっと疑問に思ってたんだよね。ダリンにも来たことがあって、俺護衛についたことが何度かあったんだけど、話題には上がるけど連れて来る気は無いみたいな感じだったしさー、何か訳ありとか思ってたよ。正直、顔に傷でもあるとか、生まれつき問題があるとか、そういうことなのかと思ったけどシェスを見てる感じではこれといって成長が遅いくらいしか無いんだよね〜」
「成長してたわよ! あの日までは!」
「あの一件か……」
そう言ったロゲールはそのまま黙り込んでしまう。いつものヘラリとした表情は影を顰め、酷く真面目な顔で何かを考えている。静まり返った中で梟が遠くで鳴く声が聞こえる。砂漠にいた夜に比べたら温かいにも関わらず、家族に対して芽生えてしまった不信感を拭うことは出来ずに心が冷えてくるのが分かった。
「お前、顔色悪いぞ。もう寝ろ」
クラウに言われて顔を上げれば、真っ直ぐにこちらを見るクラウと、クラウの声に気付いたロゲールが心配そうな顔でこちらを見ている。
「本当だ、ちょっと顔色悪いみたいだからもう寝た方がいいよ〜」
そういえば今日は朝から身体のダルさが取れないまま一日を終えてしまった。もう少し、色々と話しをしたい気分ではあったけど、素直に布袋から毛布を取り出すとくるまって横になる。
「分かった。もう寝る。お休みなさい」
「うん、お休み〜」
ロゲールから返事があったけど、いつもの如くクラウからの返事はない。ただ、クラウが頷くのだけは見えた。
梟が鳴く声を聞きながら目を閉じれば、身体中のダルさで地面に吸い込まれそうな感覚がある。本当はもっと色々考えたかったけど、叶わないまま眠りに落ちた。