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鮮やかな世界を信じて  作者: assalto
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第3話

 結局、途中でロゲールを投げ捨てるようなこともなく、三日だった筈の旅路は八日目にしてようやくダリンの街へと到着した。ダリンの街は基本的にブレロの街と変わらないように見える。ただ、ブレロに比べると若干、街を歩く人たちに貧富の差があるのように見えるのが気にはなった。

「クラウ、取り合えずこれからどこへ?」

「騎士団の詰所」

「え? クラウ、ブレロの人間なのに騎士団の人に会うの?」

「ダリンとブレロで戦いになることもあるが、騎士団っていうのは余程のことがない限り一般人に手を出さない。騎士団の連中にも矜持ってもんがあるしな。それに、俺みたいに街から街へ移動してる連中には寛大だ。他の街の情報を聞き出すことができるからな」

 よく分からないけどそれはいいことなんだろうか。少なくとも、その街に住む人の情報を渡すことによって生じる不利益みたいなものが無いのだろうか。色々考えてみたけど、クラウはそれ以上何かを説明するつもりはないらしい。

「えー、マジで騎士団に行くのか?」

「当たり前だ。これ以上怪我人背負って歩けるか。ったく」

 クラウはダリンの街へも来慣れているのか、迷うことなく街中を歩いていく。さすがに馬の上に荷物のようにロゲールを乗せていることもあって多少人目は引いてしまうけど、こればかりはどうにもならない。少なくとも、軽口を叩くロゲールだけど既にかなり衰弱していて今更歩くことも出来ないに違いない。

 ブレロと同じように城の近くに騎士団の詰所はあるらしい。ただ、ブレロとは違い、城壁に囲まれた街中にある訳ではないらしいし、街中に塀がある訳でもない。その代わり、騎士団の詰所近くには大きな堀があり、堀の向こう側にはブレロと変わらないくらい高い城壁があり街と城壁向こうを繋ぐ跳ね橋があった。ただ、跳ね橋の向こう側にある城壁の扉は完全に閉まっていて、扉の向こう側を窺い知ることは出来なかった。

「おっさんいるか!」

 詰所の入り口でクラウが怒鳴るように声を掛ければ、詰所内が少しだけざわつき、しばらくしてから体格のいい男の人が出てきた。クラウに比べて横幅も身長も一回り大きく、けれども鍛えられた身体はいかにも騎士にふさわしいものだった。

「クラウ、久しぶりだな。また宝捜しか?」

「まぁな。その前にこれ預けようと思ってな」

 そう言って、クラウは馬の上にいるロゲールを指差した。先ほどまで人好きのする顔で笑っていたロゲールだけど、今はすっかり俯いてその表情は見えない。

「うちのガキ攫おうとして返り討ちにあって、尚且つ返り討ちにあった所を盗賊にやられたらしい。一応、ダリンの人間らしいからおっさんに任せるわ」

「ダリンの? そりゃあ聞き捨てならねーな。おら、顔見せろ」

 少し乱暴にその男の人はロゲールの髪を掴むと無理矢理顔を上げさせる。そして顔を上げたロゲールは幾分引き攣った笑みを浮かべて「ハロー」などと言っている。けれども、男の人の表情は見る見る険しいものになっていく。

「いや、まぁ、色々あってね〜」

「何があってね〜だ。ブレロの元騎士だっていうのに人攫いだと! ふざけんな!」

 鼓膜がビリビリいうくらいの怒鳴り声が辺りに響き渡り、近くを歩く人たちがその足を止めてこちらを見ている。クラウが怒った時も怖いと思ったけど、はっきり言ってそれ以上に怖い。怒髪天を衝くっていうのは正にこのことかもしれない。

「何だ、おっさん知った奴だったのか」

「元騎士団の人間だ。こいつの処分はこっちでする。お前さんか攫われそうになったのは」

 もの凄い迫力のままのその人に頷くことだけで返事をすれば、唐突に声を上げて笑い出したから思わず身体が竦む。

「大丈夫だ、別にとって食いやしないからな。随分小さいな、幾つだ」

「この間、十二になりました」

「お、随分しっかりしてるじゃねーか。身体は小さいがな。クラウよりもずっと立派だ。で、クラウとの関係は?」

 答えていいのか分からずクラウをちらりと見れば、クラウが小さく頷くのが見えた。

「シェス・クローチェ、クラウの従兄弟です」

「俺は騎士団隊長のイヴァン・サウニンだ。クラウと旅してるとなると大変だろ」

 そう言って笑うイヴァンは何だか豪快でライオンみたいな人だ。亜麻色の髪は逆立ってあちらこちらに跳ねていて、体格の良さからもライオンに似ているような気がする。豪快に笑うイヴァンを見ていれば、視界の端からクラウがイヴァンに近付いていつもより潜めた声でイヴァンに話し掛ける。

「何か情報ある?」

「無い訳じゃないな。今晩酒場にでも来い。そしたら情報の一つや二つ流してやる」

 クラウだけじゃなくイヴァンの方も豪快さを潜め、小声でクラウに答える。どうやら思っていたよりもクラウとイヴァンの繋がりはあるらしい。

「酒場か……なら、あれ連れて来てよ。何かあったらおっさんが護衛するってことで」

 他の騎士団の人間にロープを解いて貰ったロゲールは両脇を抱えられ歩いていく後ろ姿に対して、クラウは顎でロゲールを指し示す。クラウ言葉にイヴァンは途端に眉を顰め横目でロゲールをチラリと見遣る。

「護衛? あのバカ、護衛が必要なことやらかしたのか?」

「まぁ、詳しいことはそいつに聞いて。あいつが主犯って訳じゃねーなと思うけどな。夜にはこれ連れて酒場に行くわ。取り合えず、これから宿探さなきゃならねーし」

 それだけ言ってクラウはイヴァンに背を向けると軽く手を振る。慌てて頭を下げれば目の合ったイヴァンは笑顔で頷いてくれた。

 イヴァンと別れてからすぐに宿を見つけたクラウは宿が開いていることを確認すると馬を宿の人間に預ける。荷物を持って二人で宿に入ると入り口にあるカウンターでクラウは紙に何かを書いて宿屋の主人へと渡せば、代わりに宿屋の主人が鍵を渡してくれた。不思議に思っていれば宿帳だと教えてくれて、イヴァンと二人で宿屋の二階へと上がった。

 一番端にある部屋には二つのベッドが並び、それ以外には小さな机と椅子が備え付けられているだけだった。クラウは荷物を床に置くとすぐにベッドへと転がり目を閉じた。

「一時間だけ寝る。風呂に入るなら入っておけ」

 それだけ言うと、十秒もしない内にクラウの口からは寝息が聞こえ始めた。恐らくロゲールと一緒だったこともあって、移動中は大して睡眠を取れなかったに違いない。クラウの隣にあるベッドに座り込もうかと思ったけど、汚れた身体が気になり鞄から着替えを取り出すと備え付けの風呂に入ることにした。

 そういえば、マントを脱ぐこともなくクラウは寝てしまったことを思い出して少しだけ声を潜めて笑ってしまう。あんなクラウを見たのは初めてのことだった。

服を脱ぎ捨てると頭から水を被れば、砂が床に落ちていく。初めて見た砂漠は壮大で綺麗だと思ったけど、予想以上に過酷な場所だった。身体は疲れで重く感じ、髪や身体を洗うと早々に風呂を出てた。

 タオルで身体を拭くと備え付けの鏡の前へ立つ。鏡の中には、十二にも満たない子供の自分が映っている。まだ城にいた頃と変わらない顔立ちと、少しカールのかかった髪。何故成長が止まってしまったのか、自分でもよく分からない。城にいた頃からほとんど体格が変わっていないことを理解すると再び長く大きな溜息が漏れた。

 この際、男装しているから胸なんて必要ないから、せめて身長だけでも欲しかった。姉様との身長差を考えたら家系で大きくならないということはないだろうし、何故自分がここまで成長しないのか不思議で仕方が無い。少なくとも身長がもう少しあればクラウにゆっくり歩かせる必要だって無いし、もっと大きな布袋を担ぐ事だって出来たに違いない。

 無い物ねだりをしても仕方ないけどやっぱり出てくるのは溜息で、諦めの境地で長い髪を拭っていく。成長していくのは髪の長さばかりで身体には余り成長の後がない。

 いつまでも鏡を見ている訳にもいかず洋服を身に付けると、今まで来ていた服を手早く手洗いしてしまう。最後に残った帽子を洗うか迷い、出かけるだろうことを考えそれだけは洗わずに砂埃を落とすと部屋に戻り日当たりのいい窓際へと置いた。ただ、誰か部屋に来ても困るので髪を纏め上げるとタオルで巻いておく。

 鞄の中から水筒を取り出すと、最後に残っていた水を全て飲み干してから一息ついた。ベッドに座ろうかと思ったけど、そのまま寝てしまったら困るので椅子に座ると頬杖をついた。窓際にある机は小さく、少し背筋を伸ばせば街の様子が少しだけ伺えた。

 見た目は確かにブレロに似ているけど、どこか違うように見える。最初こそ違いは分からなかったけど、しばらく見ていればブレロの街に比べて活気が無いことに気付く。あの小父様の街だと思うと、何だか不思議な気がしないでもない。いつも陽気で冗談を言っている小父様だったけど、小父様の雰囲気とダリンの街の雰囲気は随分違って見える。

 ただ、私が知っている街なんてブレロしか無いからそこしか比べようがないけど、必ずしも領主の雰囲気イコール街の雰囲気では無いのかもしれない。少なくとも私は数年ブレロに住んではいたけど、ブレロの領主には会ったこともない訳だからブレロの領主と街の雰囲気がイコールなのか、そうじゃないのかも判断できない。

 しばらく色々と考えている内に一時間は経ってしまい、クラウの枕元へ立つ。起こすつもりで立ったものの、余りにも気持ち良さそうに眠っているクラウを起こすことに躊躇する。でも、クラウは一時間だけ寝ると言っていたから起こさない訳にもいかない。夜まで時間もあるし、クラウにはやることがあるのかもしれない。そこまで考えると、渋々クラウの肩に手をあてると軽く揺すってみた。

 クラウの寝起きはいいらく、少し揺すっただけで目を開け、私を確認すると上半身を起こしてから大きく伸び上がった。着替えもせずに寝たクラウのベッドにはかなりの砂が転がっていた。

「あぁ。風呂は入ったのか?」

 それに頷きで答えれば、クラウはベッドから起き上がった。

「だったら、お前も少し寝とけ。恐らく今日はここへ戻って来るのも遅い。疲れてる状態で外に出て背負って帰って来るのはごめんだからな」

 確かに身体は重くて休憩を欲しているけど、少なくともクラウに比べたら疲れたなんて言える状況じゃない。

「それならクラウももう少し寝てれば」

「いや、少し俺も頭の中整理しねーとおっさんからの情報も入れられなくなりそうだからな。それに俺も風呂くらい入る。それとも俺の裸が見たいのか?」

 からかうようにニヤニヤ笑うクラウを睨みつけると、椅子から立ち上がりベッドで横になった。私の反応が面白かったのか、クラウは喉で笑いながら鞄から着替えを出すとすぐに風呂場へと消えていった。

 重かった身体はベッドに吸い込まれるような勢いで起き上がる力を奪っていく。遠くから水音が聞こえてくるのを聞きながら目を閉じれば眠りの入り口はすぐそこだった。


* * *


 遠くから誰かの声が聞こえる。耳慣れた声が自分の名前を呼ぶのを聞いていれば、急に息苦しくなって目を開けた。顔が何かで覆われていることに気付いて慌ててそれをよければ、クラウが楽しそうにこちらを見ている。

「ようやく起きたか。もうすぐ出るぞ」

 言われて窓の外を見れば、あれだけ高くにあった太陽は身を隠し、既に外は闇に包まれていた。それでも、街中だからなのかあちらこちらから家から漏れる明かりがチラチラと見える。身体を起こせば寝る前よりかは格段に身体は軽くなっていて、疲れが抜けていることは分かった。そして、自分の上に毛布が掛けられていたことに気付く。

「これ、ありがとう」

 毛布の端を持ってクラウに声を掛ければ、一瞬こちらを向いたクラウは「あぁ」と短く返事をしてすぐに鞄へと向き直ってしまう。クラウは鞄から小袋を取り出すとポケットへとしまいこんでから立ち上がった。

「そろそろ行くぞ。外は寒いからマントを着てけ」

 背を向けたまま言うクラウは既にマントもつけていて、まだぼんやりとした頭でベッドから足を下ろすと靴を履いた。でも、よく考えれば靴を脱いだ記憶もない。ということは恐らくクラウが脱がしてくれたに違いない。少なくとも赤の他人がここに入ることはないだろうし、こうして揃えて置いてくれるとは思えない。

 お礼を言うべきかどうするか、逡巡している内にクラウは扉を開けて部屋を出て行ってしまう。慌てて荷物の上に置いたままだったマントを手に取るとクラウの後を追いかける。階段を下りれば出入り口の扉でクラウは待っていて駆け寄ればクラウは宿の扉を潜った。

 外に出れば思っていた以上に寒く、先日の砂漠の夜と余り代わり映えしない。慌ててマントの襟を立てるとクラウの横を歩く。元々クラウは歩くのが早いけど、今は私の速度に合わせて歩いてくれている。助かるし感謝もしているけど、それと同時に自分の身体の小ささを思い起こしてコンプレックスを刺激される。勿論、それはクラウが悪い訳じゃないし、文句を口にしたところでどうなる問題でもない。でも、何だか釈然としないモヤモヤがあって面白くない気分になってくる。

「いいか、余計なことはしゃべるなよ。面倒なことになるかもしれないからな。ただ、気になったことは覚えておけ。で、宿に戻ってから説明しろ。話しは聞いてろ。でも、興味無い顔でもして飯でも食ってろ」

 注文が多いとは思ったけど、それは自分を守る術になることは十分に知っている。だから頷きながら「分かった」と答えれば、クラウはそれ以上何も言うことなく口を閉ざした。まだ完全に目覚めきっていないのか、気だるさもあってクラウに話し掛けることもなく辺りを見ながら歩く。

 昼の騒がしさとは一転、すっかりどこもかしこも扉が閉ざされ時折明かりが漏れてくるくらいで人気は少なく酷く静かだった。時折すれ違う人たちは既に酒場で飲んでいるのかご機嫌な様子だったり、千鳥足だったりする。夜の静けさは分からなくもないけど、やっぱりどこかブレロの街とは違うように思える。

 余り夜になってから外に出ることは無かったけれども、ブレロの街は夜になればそれなりに静かではあったけど、ここまで静まり返っていなかった。今になって思えば、昼間もそうだったけど、この街には犬や猫の姿が見当たらない。誰に聞いた話しだったか覚えていないけど、犬や猫がいないということはそれだけ領民が貧困に喘いでいるということだと言われた気がする。

 細い道から大通りに出れば、若干明るくなり人通りも多少増える。増えるといっても見た感じでは二、三人しか歩いていないから多いというには変かもしれない。そこから少し歩けば酒場の看板があり、窓から明かりが漏れ影を作っているのが見えた。クラウは酒場の扉に手を掛けると開け放つ。途端に中からはざわめきとぬるい風が足元を通り抜けた。

 クラウと共に中へと入れば、やけに明るい照明の下には幾つもの長テーブルと椅子が置かれ、各々が酒や料理を楽しんでいる姿がそこにはあった。席はほぼ満席だったけど、奥に行けば一つ、二つテーブルが空いていてクラウと共に空いているテーブルに腰を落ち着ける。オーダーを取りにきた店員にクラウは幾つかの料理と酒、そして間違いなく私のためのジュースを頼むと目線だけで辺りの様子を伺い出す。

 恐らくロゲールが言っていた引渡し相手とやらを探しているのかもしれない。ただ、そこにそれらしき相手を見出すことは出来なかったのか、小さく溜息をつくと足を組んだ。

すぐにクラウが頼んだビールとジュースが運ばれてきて、それらで口内を潤す。その間にも頼んでいた肉やら魚、野菜などが運ばれてきてそのまま食事の時間へと突入した。

「そういえば、これからどうするつもり? しばらくはここに?」

「まだ何も決めてない。とにかくここである程度情報集めて、それからどう動くか決めることになるな。もし、おっさんから有力な情報が聞けたら明日にでもここを発つかもしれねーし。まぁ、いつでも出発出来る準備だけはしとけよ」

 クラウはそれだけ言うとビールを呷り、大きく息をついた。飲みたいとは思わないけど、クラウが満足そうに飲んでいる姿を見ていると美味しそうに見えるから不思議だ。

「お前、もう食べないのか?」

 持っていたフォークをクルクルと回しているのを見咎められて、皿の上に置いた。

「うん、もういいや。やっぱり余りお腹空いてないみたい」

「お前もしかして――――」

「クラウ!」

 呼び掛ける声にクラウは言葉途中で止めると勢いよく振り返った。そこにはイヴァンとロゲールの姿があり、二人はこちらへと近付いてくると同じテーブルに腰を落ち着けた。クラウと向かい合わせに座っていた私の隣にはロゲールが、そしてクラウの隣にはイヴァンが座った。ロゲールも手当てを受けて、多少よくなったのか先よりかは顔色は悪くない。でも、それでも若干青白い顔をしている気はしないでもないけど。

「こいつに対しておっさん一人か?」

「いや、外に部下が一応待機してる。さすがに一人で連れ出せるだけの権限は持ち合わせてないからな」

「別におっさんだけでもこのへなちょこ程度ならどうにでもなりそうだけど」

「そんなへなちょこなんて酷いなー。俺、やる時はやる男だよ」

「で、遣られる時は遣られる男と」

 クラウの言葉に一瞬ロゲールの顔が引き攣ったように見えたけど、そこでめげるロゲールじゃない。

「まぁ、そういう日もあるよね〜。クラウにだってあるでしょ? ちょっとした隙が手痛いしっぺ返しになっちゃうこと。無いとは言わないよね〜」

 挑発的とも言えるロゲールの言葉にクラウは何も言わずビールを呷る。いつもなら真っ先言い返すクラウにしては珍しいことだった。呷ったビールを叩きつけるようにテーブルに置いたクラウの目は据わっていて、さすがにロゲールはそれ以上何も言わない。ただ、ロゲールはクラウについて何かを知っているらしいことはその遣り取りだけでも分かった。

「さて、言って貰おうか。ここでどうやって引き渡しする予定だったって?」

「別に大した指示は無い。ここでこれ連れて待ってろとしか言われてないからな〜」

 ロゲールは腰につけていた鎖を引き寄せるとその先には懐中時計がつけられていた。蓋を開ければ時間を示していて、今が九時五分前だと分かる。

「あと五分もすれば待ち合わせの時間だ。このまま待つか?」

「それが手っ取り早いな。お前はそこで飯でも食ってろ」

「食ってろって、もう殆ど残ってないじゃないか〜」

 情けないロゲールの声にクラウはイライラした顔つきで投げるようにメニューを渡すと、そのままイヴァンと話し始めてしまう。しばらくメニューを見ていたロゲールだったけど、こちらに視線を向けると見えるようにメニューを差し出してきた。

「もう食べた。お腹いっぱい。それより怪我、大丈夫?」

「大丈夫に決まってるでしょー。情けない姿見られちゃったからなぁ。優しいねー」

 そう言ってヘラリと笑うロゲールは悪い人に見えないから曲者だと思う。あんな出会い方でなければ、ここまで警戒することも無かっただろうし、信用すらしちゃったかもしれない。何よりあの口の悪いクラウと遣り合ってる姿なんて見ていると、影ながら頑張れと応援もしたくなる。

「優しいっていうか、一応原因だし」

「それ言ったら原因は俺の方でしょ。まぁ、クラウも言ってたけどこれは自業自得って奴。シェスの噂は聞いていたけど、おっとりしたタイプだと思ってたから、正直、反撃されると思わなかったんだよね、あはははは」

 よく分からないけど、ここは笑うところなんだろうか。笑うロゲールと一緒に笑う気にはなれず、幾分呆れ気味に小さく溜息をつけばロゲールは更に笑う。途端に前から「うるさい」とクラウの声が飛んできてロゲールは顔を顰めて笑いを止める。急に顔を顰めたロゲールを不思議に思っていれば、テーブルの下からロゲールは足を出すとつま先を撫でさする。その動作はわざとらしいものではあったけど、クラウが踏んだんだと合点がいった。

「彼、気が短いよね〜」

 こそりと言うロゲールの言葉につい笑ってしまえば、ロゲールも楽しそうな笑顔を見せる。そんなタイミングで耳慣れぬ声が降ってきた。

「ロゲール・アイスラーだな。例のモノを受け取りに来た」

 見上げたその先には眼光の鋭い男が一人立っていた。テーブル内で緊張が走り、周りの雑音と相反して奇妙な空間を作り出す。

「誰かな〜、俺の記憶には無いけど」

 そんな緊張感はロゲールに無いのか、相変わらずヘラヘラした笑みを浮かべて答えれば、男がロゲールの前に袋を一つ投げた。中から金属の音が響き、そこに金貨が入っていることは分かった。

「礼金だ。受け取ったら外まで運び出せ」

 ロゲールは袋を手に取ると中身を確かめ、それから私の腕を掴むと勢いよく地面に向かって引き倒した。椅子の倒れる音が鳴り響き、テーブルの上にある物がなぎ倒される音が派手に聞こえてくる。一瞬の出来事に何がどうなったのか分からず見上げれば、男の顔にしっかりとクラウの拳が決まっていた。

 途端に辺りは騒然としだし、周りの空気が一変する。立ち上がり遠巻きにしだす他の人たちを横目にクラウは崩れ落ちた男へと近付いていくと屈み込む。見るからに怯んだ男の胸倉を掴むと視線を無理矢理合わせた。

「誰に頼まれた」

 男からの返答は無く、口を引き結ぶ様子からも言うつもりが無いのは私からでも見て分かる。でも、クラウは容赦しない。男の胸倉から手を離し立ち上がると、床にある男の手に踵を落とした。その瞬間はさすがに怖くなって視線を逸らしたけど、床の鳴る音と共に骨の折れるような音が耳に届いて唇を噛む。聞いてるだけでも痛い音だ。

「もう一度聞いてやる。誰に頼まれた」

「……お前に答える必要はない!」

 ようやく口を開いた男の言葉は間違いなくクラウの逆鱗に触れたに違いない。こういう時のクラウに容赦は無い。それが分かっているだけに、恐怖心と怯む気持ちで手の中にある服を握り締めればその腕に抱き締められた。腕が丁度耳を塞ぐ形になり思わず見上げれば、ロゲールが少し困ったように笑う。あっさりと見抜かれたこと、そして抱き締められていること、その両方が恥ずかしくてロゲールの胸に手をついて引き剥がそうとしたけどその力は強く離れることは叶わない。

 その間にもクラウと男の遣り取りは続き、ガタガタと音は聞こえるけど何が起きているのか分からない。視界の端でイヴァンが立ち上がり、すぐに視界から消えた。途端に音が止み、ようやくロゲールの腕からも解放される。慌ててクラウを見れば、イヴァンがクラウの腕を掴み、二人で睨み合っていた。そして、問題の男は床に突っ伏し動く様子は無い。

「これ以上は止めとけ。こいつにそこまでする必要は無いだろ。以降については騎士団の管轄でやらせて貰う。証人はいるんだしな」

 そう言ってイヴァンはチラリとロゲールを見たけど、クラウの視線はイヴァンから外されることなく睨みつけている。

「……信用していいのか?」

「なぁに、ここにいる連中全員が証人だ」

 しばらくイヴァンを睨みつけていたクラウだったけど、不意にこちらを見た途端、駆け寄ると私の腕を掴んで立ち上がらせる。

「帰るぞ」

 不機嫌さを隠すつもりすらないのか、投げてきた言葉はどこか冷たい響きを持っていた。でも、一人で出て行くんじゃなくて声を掛けて貰えたことが嬉しくて返事をすれば、クラウは引き摺るようにして歩き出した。

「おいおい、もう少し優しくしてやれよ〜」

 背後から声を掛けてきたロゲールにクラウは一瞥すると、何も言うことなく出入り口に向かって歩き出す。途中、外からイヴァンが連れて来たと言っていた部下の人たちらしき数人が店に入ってきたけど、それすら構うことなくクラウは店を出た。

 寒さの中、クラウと二人歩くけど来た時のような穏やかな空気はそこにはない。いつも以上に早く歩くクラウと歩幅は合わず、クラウに腕を捕まれた状態で小走りになるしかない。しかも、捕まれた腕に力が篭っていて結構痛い。

 名前を呼んだけどクラウが振り返ることはなく、もう一度名前を呼ぶ。徐々にクラウの足が緩やかなものになり、一旦立ち止まると振り返った。その表情は今までに見たことのないもので、困っているようにも見えるけど、驚いたというか、とにかく複雑な表情をしていてクラウが何を考えているのか分からない。

「手が痛い」

 短くそれだけ言えば、クラウは私の手を握り締めている自身の手を見て、それから力を抜いた。でも、その手が離れることはない。

「悪い、ちょっと頭に血が上った」

 それを言うクラウの顔はそっぽを向いていて表情を読み取ることは出来ない。ただ、痛かったことに関して謝っているらしい言葉に頷いて見せる。それからクラウはしばらくこちらを見ることなく無言でいたけど、急に手を離したかと思えば地面に座り込んだ。

「な、何? 突然」

「あのバカが変なことするから、いらんことに気付いた。あぁ、もう面倒くせー」

 屈み込んで頭をガシガシと掻き毟る様子は滅多に見れることじゃない。その様子からもクラウが動揺しているらしいことは分かる。ただ、あのバカが誰を指すのかも分からないし、いらんこと、というのもよく分からない。何か気付きたくないことに気付いたという言葉尻だけを捕らえることは出来た。でも、これじゃあ分からないのと同じだ。

 頭がグシャグシャになる位まで掻き毟ったクラウはいきなり立ち上がるとこちらを向いた。もう、その表情はいつもと変わらないシニカルとも言える笑いつきだ。

「帰るぞ、明日にはイヴァンから話しもあるだろうしな」

 それだけ言うとクラウは歩き出してしまう。でも、その速度は私に合わせたもので、クラウの後に続く。一体何に気付いたのか聞きたい気もしたけど、あれだけの動揺を見せられたら突付くのも微妙な気持ちになりただ黙ってクラウの背中を眺める。

 いつもと変わらない背中は、先程の動揺は微塵も感じさせないよく云えば堂々としたもので、悪く云えば偉そうな背中だ。でも、その背中は腹立たしく思える時もあるけど、信頼出来るもので少しだけそんなことを考えた自分を笑ってしまう。

 何で動揺したクラウを見て弁解してるんだか。でも、多分、信頼はしてるんだよね。

 自分をそう分析すると空を見上げた。夜空には星が瞬き、明るい月が影を映す。吹き抜ける風は冷たいけど、クラウの新たなる一面を見てちょっとおかしく思う自分もいる。

 だって、動揺するタイプだとは思わなかったんだ。いつでもクラウって冷静だし、現実主義者で口も悪いし、何よりあの俺様な態度が崩れることがあるとは思ってもいなかった。

「で、お前はイヴァンの話し聞いてたか?」

「全然。ロゲールが話し掛けてきたからそっちの話しを聞くどころじゃなかったし」

「だろうな。イヴァンが最近聞いた噂話で中々のネタを拾ってきた。ティル領の領主は知ってるか? 一年程前に代替わりしたが」

 正直、自分の生活に精一杯だった自分は、他の領内の話しなんて全く耳に入っていなかった。だから、一年前に領主が代替わりしたことも知らなかった。

「前領主は?」

「死んだ。暗殺されたらしいが、原因は闇の中。領主の息子が殺したんじゃないかっていう噂もあったが、証拠も見つからずに迷宮入り。まぁ、暗殺に荷担した連中も死んだらしいから、原因がどういうものか分からないだろうな」

「そっか。ティルの小父様はよくハドリー領にもいらして下さったの。幼い私から見ても聡明で、父様が言うには公明正大な方だと言っていたわ。多分、代替わりした現領主もその息子だとしたら知ってる。姉様の婚約者だったから」

「あ? お前の姉ちゃんと現領主のテオフィルは婚約してたのか? 領主交代してから、そのテオフィルが今になってハドリー家の生き残りを探してるって噂だ」

「その人と姉様が婚約してた。ハドリー領が襲われた前日にあった舞踏会は今思えば婚約披露の場だったし」

 そして、ハドリー領に住む人たちにとってあの穏やかな時間が終わった夜でもあった。何度も夢に見たあの時間は、もう思い出にしかならないもので、思い出すと切なさも蘇る。夢から覚めると、なくしたものの多さに何度も泣いた。カーラに抱き締められて慰められたことも、もう既に過去のことだ。

「テオフィルか……そういば、舞踏会で思い出した。舞踏会の前に父様とダリンの小父様が変な話しをしていたかも。何だっけ、ティル領から街の人から不服が出ているとか、ティル領にモンスターが出るとか」

「不服が出るっていうのは、どういう意味だ?」

「それが立ち聞きしたからそこまでは。それに、その後姉様の婚約の話しを聞いて、あの時は頭に血が上っちゃって……」

 今思い返すと何だか恥ずかしいものがある。婚約は反対するし、婚約者は否定するし、姉様が好きだって言うなら私がどうこう言えるような問題じゃなかったのに、子供すぎた自分を蹴飛ばしたい気持ちになる。よく、あんな発言をした私を姉様も大らかに見ていてくれたと思う。恋するのは人の勝手だし、幾ら家族でも口を出すべきものじゃない。何より、あの婚約は本人たちは勿論のこと、両親だって賛成していたものだったから私がジタバタした所でどうなるものでもなかった。

 子供だったんだな、と過去を振り返ることができるようになったのは、どこかで家族を失う悲しさに一区切りできたからなんだと思う。そうじゃなければ、今でもカーラの元であの生活を維持することだけでいっぱいだったと思うし、実際についこの間までは生活を維持することにいっぱいである自分に疑問すら持たなかった。知りたいとも思わなかったし、過去に関することは夢を見た時しか思い出さなかった。でも、今は夢も見ない。

「そういえば、ハドリー領の慰霊碑を建設する際、ティルとダリンの領主が少々揉めた、なんて噂話もあったな。まぁ、大した噂でも無かったから聞き流したけど、多少の揉め事はティルとダリンの間でありそうだな。お前の話しが本当だとしたら、慰霊碑云々の前から揉めていたとも取れる」

「そういう考え方もありなんだ。でも、それって代々受け継ぐくらいの問題なのかな」

「そんなこと俺が知るか。でも、ティルの領主が生き残りを探してるっていうのもかなり臭いな。探すってことは、生き残りがいることを知ってるってことにもなる。それがダリンの領主が探してるってんならまだ理解出来るんだがな」

 何でダリンの小父様が探してるのはいいけど、テオフィルが探してるのは怪しいってことになるのかがよく分からない。分からないことが顔に出ていたのか、振り返ったクラウはまたしても呆れたような顔をしてる。クラウの顔はある意味、心情をとても素直に晒してくれるので分かり易い。この場合、分かりたくないけど……。

「どーせバカだし、世間知らずですよ」

「そう思ってるなら少しは自分で考えろ、アホ」

 バカに続きアホと言われて返せる言葉もない所が本気で悔しい。確かに、考え方が浅いからクラウの考えることについていけないのは自覚してる。だからといって、どうすればクラウの思考についていけるのか未だによく分からない。

「お前、俺より身近にいたんだから情報は持ってんだろ。色々な方向から考える癖つけろ。まぁ、バカだから無理かもしれねーけど」

「バカバカうるさい! で、どうしてダリンの小父様だと納得できて、テオフィルだと納得できないの?」

「簡単な話しだろ。ダリンの領主は慰霊碑を立てた。イコール、ある程度、死体だって埋葬してる筈だ。だとしたら死体が一人分足りないことに気付く可能性はあるだろ。それなのに、何故ティルの領主が生き残りがいるなんて考え出したんだ? それがそもそもおかしいだろ。あの惨状だったんだ、普通に考えて生き残りがいるとは考えないだろ。しかも、あれからどれだけ経ったと思ってるんだ。何で領主交代してから探し始めたんだ」

 確かに、探すならあの後すぐであればおかしくもないけど、今になってというのは少しおかしいかもしれない。でも、テオフィルだって姉様との婚約に反対はしていなかったんだから、姉様を夢見てとか? うーん、でも、あのテオフィルが夢見てとかちょっとありえない気がする。

 思い返せば、出会った時から印象は余り良くない。勿論、子供心に姉様を取られるかもしれないという嫉妬心が先立ったものだと思うけど、あの冷たい目とを思い出すと、とても夢見るような人だとは思えない。

「まぁ、色々あるかもしれねーが、今日はここまでだな。明日、イヴァンからの連絡を待ってからこれからを考えることにするか」

 話しをしている間に宿の前に到着し、クラウはそこで話しを切り上げた。確かに気になる噂ではあるけど、今はそれだからどうするということは決められそうにない。クラウに続いて宿へ入ると、部屋へ戻り早々にベッドへ横になった。

 もう夢は見ない――――。


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