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鮮やかな世界を信じて  作者: assalto
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第1話

 眠りから目が覚めたのはいつもとは違う肌寒さのせいだった。ゆっくりと目を開ければそこには暗闇が広がっていた。暗闇なのはいつものことだけど、寒さと足裏に感じる冷たさに日常とは違うものを感じて手を伸ばす。けれども、肘を伸ばすよりも先に何かに指先が触れて慌てて手を引っ込める。背中に感じる冷たさと固さに一瞬身震いする。でも、このままという訳にもいかず、再び手を伸ばし、触れた先のものに触る。

 少し触れるとその冷たさと固さは鉄だと分かる。指で辿っていけば、どうやら自分が箱状のものに入っていることだけは分かった。一体、自分に何が起きたのか分からない。

 昨日は舞踏会があって、いつもよりも遅くまで起きていた。それでも、いつものようにラナに本を読んで貰って眠りについた気がする。そう、いつもと変わらず普通に自室の寝室で眠ったはずだ。それが何故こんな所にいるのか自分でもよく分からない。

 身体を起こそうにもこの狭さではどうにもならず、どうにか腕を伸ばして上にある物を押してみるとゆっくりと外の景色が見えた。隙間から見えたのは空。雲に覆われた空は見慣れたもので、曇っている時と代わり映えもない。行儀が悪いと思いながら足も使ってどうにか上にある鉄板を押せば、派手な音を立てて鉄板が無くなり一面の空が視界に入る。

「一体、何なのよ」

 一人呟きながら寒さに凍える身体を起こせば、見たこともない風景が広がっていた。

「な、に……これ……」

 あちらこちらに燻る火が残り、黒い煙が細く上がっている。所々には人が倒れていて、それは見るも無残な姿になっていた。余りにも現実離れした光景に足が竦む。

 瓦礫になった中には見慣れた紋章があり、ここがどこだか物語ってる。でも、こんな風景は知らない。

 震える足で箱から出ようとすれば、足裏に熱さが伝わり慌てて足を引っ込める。焼け付くような痛みが確かに足裏にあって、夢なんかじゃないと分かる。だとしたら、何で私はこの場所にいて箱の中に入っていたのか分からない。そして、一体ここはどこなのか。

 視界の端に見慣れた色が目に付いてそちらへと視線を向ければ、昨日、姉様が舞踏会で着ていたドレスが見える。そして、その横には眠る前にみたラナのスカートと足が見えた。でも、その足は血に塗れていて、見ない方が良いと思っているにも関わらず足は箱の外へと踏み出した。さき感じた熱さは麻痺してしまったのか、どこか遠くに痛みを感じながらも一歩一歩近付く。瓦礫が多くてゆっくりとしか進めない足を止めることはない。ラナの足元まで辿り着くと足を止めた。

「……ラナ」

 呟くようにして呼んでみたけど返事はない。もう一度呼んだけど、やっぱり返事はなく屈み込んでラナの上にある瓦礫をずらそうとするけど、余りの重さに動かない。恐々とラナの足に触れてみれば、人間とは思えない冷たさだった。触れたその手を慌てて引っ込めたけど、足が震えて近くの瓦礫に縋りついた。

 死んだ人を見るのは初めてじゃない。けれども、身近な人の死を感じたことは一度もなく、とてつもない恐怖が襲ってくる。

 父様は? 母様は? 姉様は? みんな一体どこに……。

 視線の彷徨う先に見つけたのは、すでに息絶えているだろう人の山。その中には見慣れた顔も多く身体の震えを止めることができない。それでもどうにか歩みを進めれば、すぐに見慣れた姿が目に入った。瓦礫に下半身を潰されるようにして横たわっているのは、姉様に見える。

 いや、ただの見間違いかもしれない。そんな願いを胸に瓦礫を越えて辿り着けば、見違える筈のない姉様でしかなく、勿論息があるようには見えなかった。そして、そのすぐ横には父様と母様の姿もあった。

「嘘……こんなの、嘘よ――――っ!!」

 叫びは虚しく響くだけで、父様も、母様も、勿論姉様も目を開ける筈もない。溢れる涙もそのままに、その場に崩れるように座り込むと、穏やかな顔をする姉様の顔から目を離せなくなる。

 薄日が差していた筈なのに、気付けば辺りもどんよりと暗くなり姉様の顔に水滴が一つ落ちた。続いて二つ、三つと落ちてきて、ぼんやりと空を見上げれば頬に雫が一つ落ちてきた。先程まではなかった重苦しい雲が全てを覆っていて、日の光はもうどこにもない。

 どうしていいのか分からず、姉様の傍らに座り込んでいたけれども、いつまでもここままじゃいられないことは分かっていた。震えの収まらない身体をどうにか起こして立ち上がると、服の裾が泥と煤で汚れているのが見える。そこで初めて自分が着ていたものが寝着であったことに気付き、自分が眠っている間に、誰かの手によってあの箱の中に入れられたことが分かる。

 どうすればいいのかなんて分からない。箱に戻れば全てが巻き戻ってくれるような気がして自然と元居た箱へとよろけながら近付いた。箱に視線を落とした所で箱の中に何かが残されていることに気付いて、もう一度箱に足を踏み入れると屈み込んで手に取った。

 それは私がいつも持ち歩いているレースのたっぷりつけられた布袋だったけど、その布袋はいつもよりも重い。不思議に思い袋を開けてみれば、その中には数枚の金貨と幾つかの宝石、そして銀に輝くゴブレットと父様がつけていた指輪。少なくとも私には入れた覚えのないものが多く入っていた。

「何で、どうして……」

 呟いてみても答える声はない。ただ、呆然と布袋を手にしたまま箱の中に立ち尽くす。もう、これ以上動きたくはない。何もしたくないし、見たくもない。

 そう思っているにも関わらず、背後から聞こえた瓦礫の崩れる音に顔を向ければ、少し強張った顔をした男の人と視線が合った。

「お前、ここで何してるの」

「……何してるんだろう、私」

 見たことの無い服装とその顔は、姉様と同じくらいの年齢の男の人。散々、男の人には気をつけなさいと言われ続けていたけど、今はそんなことどうでもよかった。

「風邪、ひくぞ」

 徐々に近づいてくる人影に、普段だったら警戒するべきなのに、今は何の感情も追いつかない。ゆっくりと近づいてきたその人は私の前に立つと、ゆっくりと膝を折って視線を合わせてくる。

「雨宿り、しよう」

首を横に振ったけど腕を捕まれ強引に引かれて痛みに顔を歪める。小さなうめき声に気付いたのか、彼は足を止めると振り返った。私の顔を見て、そのまま視線を落とし足元を見ると顔を顰める。

「やけどしてるな。痛いだろ。ちょっと我慢してろよ」

 言うと同時に屈み込むと膝裏に手を回したと思った時には抱かかえられていた。

「やめて! 離して!!」

「あー、暴れるな。雨が当たらない場所に移動するだけだ。余り暴れると落とすぞ」

「だったら落とせばいいでしょ!」

 私の言葉に溜息とついたその人は、私から視線を上げるとそのまま歩き出す。文句を言っても聞き流してるのか、歩く速さは変わらない。瓦礫の小山を幾つも越えると、そこに広がるのは見たこともない風景だった。

「な、に、これ」

 草原が広がる先には広大な砂が地平線まで続いている。少なくとも小さい頃に遊んだ砂場とは大きく違うその景色を呆然と眺める。

「あぁ、お前、もしかしてあの城から出たこと無かったのか? 草原は分かるか? あっちは砂漠っていう砂が続く地帯だ。因みにあっちは森だ」

 草原は何度も遊んだから知ってるし、森は父様に狩りへと連れて行って貰ったことがあるから知ってる。でも、砂漠なんてものはあそこには無かった。少なくとも、あの城壁に囲まれた場所には。ただ見たこともない砂漠に視線を向けている間にも抱えられたまま場所を移動すると、森へと入っていく。

「少し行った所に洞窟があるからそこで休む。そのままだと風邪ひくだろ」

 指摘されて、改めて自分がどんな格好をしているのか思い出しジワジワと顔が赤くなってくるのが分かる。

「やっぱり降ろして! 第一、こういう格好したレディに触れるなんて失礼だわ!」

「失礼ねぇ、俺はガキに興味ねーけど」

 言うにことかいてガキ。失礼にも程があるってものだ。少なくとも他人にこんな言われ方をされた記憶はない。

「最低! 早く降ろしなさい」

 私が暴れるのなんてものともせずに、顎でちょっと先を示し「あそこだ」と口にする。言われるままに視線を向ければ口を開けた洞窟がそこにあった。足早に洞窟へ駆け込むと、私を降ろしてからその人は背負っていた荷袋から厚めのタオルを取り出した。

「ここに座れ。怪我の手当てしてやる少なくともガキ放っておくのは人道に反するしな」

「もういい! 本当にいらない!!」

 足首を掴もうとする手を叩き落すとグラリと身体が揺れ、倒れる前に抱きとめられた。

「触らないで!」

「とは言っても、それ以上怪我しても痛いだけだろ」

 払い除けようとした手は掴まれ、強引に厚手のタオルの上へと座らされた。慌てて立ち上がろうとしたけど、先まで殆ど感じていなかった足裏が急激に痛む。

「痛っ!」

「だから言っただろ。やけど甘く見るなよ。そのままにしてたら足切る羽目になるぞ」

 そんなことは知らないし、どうでもいい。だって、今更歩けるようになっても父様も、母様も、姉様も誰もいない。住む場所だってないし、自分にはどうしようもない。

 先程見た光景を思い出し、グッと唇を噛み締めた。もう十二歳なんだから人前で泣くような無様なことはしたくない。だから唇を噛み締めて涙を耐える。

 その人は小さく溜息をつくと私の視界の端で「動くなよ」言い置き、荷袋から幾つかの草と布を取り出し近くにある石の上で草を潰し始めた。見たことのないその光景を涙目になりながら見ていれば、それに気付いたのか顔を上げた。

「これは薬草。怪我した時とかにつけるだろ。こうして作るもんなんだよ」

 何も言わず作業を見ていれば、布に潰した薬草を塗りつけるとこちらへと身体を向けた。

「少し痛むかもしれねーけど我慢しろよ」

 言うや否や、私の答えも聞かずに足首を掴むと足の裏にペタリと布を貼り付けた。

「痛っ! 痛いってば!」

「そりゃあやけどしてんだから痛いに決まってるだろ」

 当たり前だと言わんばかりの言葉と呆れたその表情を睨みつけたけど、全く気にした様子もなくもう一度薬草を潰し始めた。痛む足裏に気をつけながら膝を引き寄せると膝に顔を埋めた。

 それと同時にフワリと肩に何かが掛けられて顔を上げれば、先までそいつが着ていたコートが掛けられていた。

「それ着てろ。お茶でも用意してやるから」

 既にそいつはこちらに背を向けていて、鞄から取り出した数本の薪を重ね合わせて火をつけようとしている。声を掛けることなく掛けられたコートを手にとるとギュッと握り締める。先まで着ていたからなのか、温もりが伝わってきて涙が出そうになる。

 目覚めてからずっと寒かった。そしていつもとは違う現実にオロオロして酷くみっともなかったに違いない。そんな姿を赤の他人に晒したかと思うと恥ずかしさで火を吹きそうだけど、今はこの温もりが気持ちをホッとさせてくれる。

 しばらくするとパチパチと音を立てて火が上がり、徐々に周りの空気が温まってくるのが分かる。その間、そいつは口を開くこともしなかった。でも、その沈黙に助けられた気分で鼻を啜る。恥ずかしさはあるけど、流れ落ちる涙は止まらなかった。

 手の中にある紐のついた布袋を握り締めても、これからどうすればいいのか分からない。分からないことがこんなに怖いことなんて知らなかった。誰も教えてなんかくれなかった。

「お前、これからどうするつもりだ?」

 現実から逃避しようと思考を横滑りさせたところを見透かしたかのように質問を投げられて、再び現実へと引き戻される。でも、逃避ばかりしている訳にもいかないことは自分にだって分かってる。

「……分からない」

「それなら、今したいことは何だ。昔に戻りたいとかじゃなくてな、今できることでしたいことだ」

 今は正直、何もしたくない。でも、そうはいかない。父様も母様も姉様もいないのだから自分で考えなくちゃいけない。

「……父様と、母様と、姉様と、ラナのお墓を作りたい」

 どうにか思いついたそれを言葉にしたけど、声はすっかり震えていてこれで泣いていることが知れてしまったに違いない。でも、それに対しての言葉はない。

「そうか……。ん? いや、まさか、な……。あー、つかぬ事を聞くけど、お前の名前を聞いてもいいか? 俺はクラウ、クラウディオ・クローチェ」

 他人に名前を聞かれた際には、名前を教えてはいけないと子供の時から言い聞かされていた。だから、聞かれたことにどう返せばいいか分からず口篭もれば、答える前に大きく溜息をつかれた。

「まさかと思うが、シェスティン・ケイリー・ハドリーじゃないか?」

 驚きで立ち上がれば、クラウディオは乾いた笑いを零した後、再び大きく長い溜息を吐き出した。

「お前さん、自分が思ってるよりも有名人だぞ。それに父様、母様なんて大層な呼び方をするのは、階級がある人間だ。さき言ってたラナっていうのはお手伝いさんか何かか?」

「違うわよ。ラナは侍女よ」

「俺から言わせれば似たようなもんだ。はぁ、これはどうしたもんかなぁ」

 その口調からは本気で困っている様子が伺えて、徐々に不安になってくる。ひとしきり溜息をついたクラウディオは、顔を上げると私へと視線を向けてきた。

「俺はトレジャーハンターって言ってな、あっちこっちの遺跡を巡ったりして価値ある物を探すことを仕事にしてる。今回、俺は仕事としてハドリー領にやってきた。一夜にしてハドリー領が滅び、まだ財宝が眠っているかもしれないからだ」

「それって泥棒じゃない」

「だから、滅びたって聞いたから来たんだっての。それなのに、生き残りがいるんじゃ探したって持ち主に返さなきゃいけないだろ。無駄足踏んだ、ってのが正直なところ」

「何よ、それって私が死んでれば良かったってこと!?」

「そこまでは言わないが面倒なことになったとは思ってる。既にハドリー一族は滅んだと言われているだけに、お前さんをどうすればいいんだろうと思ってな。下手な奴に引き渡せば、それこそ幽閉もんだろうし、だからって言ってここに放り出す訳にもいかねーし」

 幽閉なんて普段物語の中でしか聞かないような言葉に思わず身体が強張る。まさか自分がそんな危うい立場になっているとは思いもしなかった。

「わ、私が知っている小父様の所へ行けば」

「それは本当に安全なのか? 俺が聞いた話しではハドリー家は既に一族の血が四人にしか残されてないって聞いてる。恐らくお前さんの父親と母親と姉、そしてお前さんってことだろう。ってことは、小父さんっていうのは赤の他人だ。本気で信用できるのか? それならそこまでは送って行ってやる」

 そう言われると正直、判断するだけの材料もなく自信もない。だって、私はいつも子供相手だからと笑ってくれる小父さんたちしか知らない。信用しているのかと問われると、そういう判断は父様がしていたから私がそんな心配をする必要は今までなかった。

 恐らく、父様が会わせてくれるくらいの人なのだから、それなりに信用足る人物かもしれないけど、一人になった今、誰が守ってくれる訳じゃない。何よりも悔しいけど自分はまだ子供で判断力が甘いことは知っている。

 そこまで考えたら何も言えず黙り込んでしまえば、クラウディオは大きく溜息をついた。

「行くところ、無いんだな。旅の経験は……砂漠見て驚くんじゃねーよなー。領主の娘なら馬くらい乗れるだろ」

 どんなに見栄を張っても意味が無いことくらい自分にだって分かる。でも、いかにも当たり前みたいな言われかたをされると乗れない自分としては言葉にするのも悔しい気分だ。

「え? まさか乗れない、とか?」

 問い掛けてくるその顔は幾分引きつっていて、信じられないという顔をしている。でも、乗れないものは乗れないんだから仕方ない。

「乗れなくて悪かったわね!」

「あー、痛いところをついたな、悪かった」

 怒鳴りつけた手前、余りにも素直に謝られてしまうとこっちとしては拍子抜けだ。

「うーん、仕方ねーな。取り合えず、うちの家に来るか? 母親いるし、色々と女同士の方が気楽だろ。うちの母親、仕立て屋だし服も用意してくれる筈だしな。ただ、ここからはそれなりに歩く。その覚悟があるなら連れて行くけど、どうする?」

 確かに服はどうにかしたい気持ちは山々だけど、先口にしたらどうしてもやっておきたいことが出来た。

「でも、私はお墓を……」

「そうやって、自分の知ってる人間全員の墓を作るつもりか? お前さん一人で? どれだけそれが無理難題か分かってんのか?」

「でも、父様と母様と姉様くらいは自分でお墓を作りたいの!」

「その結果ハドリー家が息絶えた訳ではないと敵に知らせることになっても? 俺が聞いてる限りの話しだが、ハドリー家一族は昔から伝わる家宝があると言われてる。それは大変貴重なもので、世界を一晩で滅ぼすことも出来ると言われている物らしい。今回、それを狙う何者かがハドリー家を滅ぼしたという話しだ。まぁ、どこまで信憑性のある話しかは分からない。だが、ハドリー家を滅ぼした奴ってのはお前さんにとって敵以外の何者でもないだろ。そしてその敵さんがお前さんが生きていることを知れば、その家宝とやらを求めてお前さんをつけ狙うに違いない」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな大それた家宝なんてうちには無かったわ。少なくとも私は見たことない、あ……」

 思い出したのは手にした袋の中に入っているゴブレットと、姉様が首飾りにして持っていたコイン。あれは確かに昔から伝わる物だから大切にしなさいと言われたし、何よりも十六の年になった時に説明すると言われていた。逆に言えば、それは説明の必要な物で、子供に説明できないくらい大切な物だった、ということなんだろうか。

「思い当たる節があるみたいだな。まぁ、その家宝を狙う敵さんが、お前さんが生きてることを知ったらどうすると思う?」

「……客人としてもてなす?」

「……本当に世間知らずの甘ちゃんだな。普通なら拷問で家宝について吐かせるな。それでも知らないっていうなら腹を捌く。もしかしたら飲み込んでいる可能性もあるからな」

 想像しただけで血の気が引いてくる。そんな残酷なこと、普通の人が出来るとは思えない。少なくとも私はしたくもないし、されたくもない。

「本当にある話しだし、窃盗団なんかも使う手だ。あぁ、そっちの問題もあったか」

 何やら一人考え始めたクラウディオは、微かに俯くと何やら考えているらしい。それから答えを見つけたのか、顔を上げると再び「どうする?」と問い掛けてきた。

「墓を作って一生追いかけられるか、俺の家に来るか。まぁ、作るっていうんなら手伝ってやらんこともないが、悪いが家には連れて帰れない。それは余りにも俺のリスクがありすぎるからな」

 説明されたことを考えれば、墓を作って匿って貰うにはクラウディオのリスクが大き過ぎることは分かる。でも、感情は中々ついてこない。一生追いかけられる怖さが分からないということもあるけど、判断を下すにはどうにも思考が現実離れしすぎていて追いついていないような気がする。重要な判断は簡単に下したくない。

「待って、ちょっと待って。今考えるから。本気できちんと考えて結論を出すから」

 クラウディオは急かすことなく口を噤むと鞄から一冊の本を取り出し、揺らめく炎を明かりにして読み始める。パチパチと薪の弾ける音と、時折聞こえるクラウディオがページを捲る音、そして洞窟の外から聞こえる雨音だけが全ての音だった。だから、自分に何度も落ち着けと心の中で唱えながら手にしたままの布袋を握り締める。

 これからは自分で答えをみつけなくちゃいけない。答え合わせができる問題集とは違い、ずっと後にしか結果は出ない。一歩、選択を誤れば自分はこの世界で生きていくことは出来ないに違いない。少なくとも城の中で教わったことなんて、城の外では役に立ちそうもない。生きていく為には城の外について詳しくしっている人間を近くに置くしか方法はない。だとしたら選択できる道は一つしかない。

「行くわ。クラウディオ様と一緒に行く」

 本から視線を上げたクラウディオの顔はどこかうんざりしたものだった。やはり面倒に巻き込まれたと思っているのかもしれない。でも、ここでクラウディオの手を離す訳にはいかない。少なくとも今の自分には頼れる者がいないのだから。

「様とか言うな、キモい。鳥肌立ったぞ。その口調で様だけ取って付けられても有難味なんて無いだろ。それにお前さんはそういう生活していたんだろうが、普通は様なんて付けて名前を呼ばない。俺のことはクラウでいい。俺もお前さんをシェスって呼ぶから」

「ちょっと! その名前を呼んでいいのは父様と母様と姉様とラナだけよ!」

「だったら何か偽名でも考えろ。その代わり、その偽名で呼ばれても無視するようなヘマはするなよな」

 そこまで言われると正直自信はない。それなら呼ばれ慣れている名前の方が数倍マシだ。

「……シェスでいい」

「そうしてくれ。それから、お前さん、これ被れ」

 そう言って渡されたのは一枚布。これを被れと言われても訳が分からない。広げてみたところでこれといって飾りがある訳でもないし、何がある訳でもない。

 首を傾げて一枚布を見ていれば、再び大きな溜息と共にクラウは立ち上がると手の中にあった布を掴み頭に巻いていく。

「ちょ、ちょっと!」

「女連れだと色々と面倒なんだよ。その長い髪を切るってんなら被る必要なんてないが、切る気がないなら被ってろ」

 最後に後ろでギュッと結ばれると、背中を覆うくらいまで長かった髪は布の中で押し込まれ長さが分からないようになっている。

「それは私に男装しろってこと?」

「そうだ。ここから村まで然程遠くはないけど、それでも半日も歩いていれば盗賊に会う可能性がある。そのまま盗賊に売られても構わんなら勝手にしろ」

 そこまで言い切られてしまえば、抗える筈もなく被された布から手を離す。

「問題はその服だな。そのままだと襲って下さいって言ってるようなもんだ。近くに村もねーから、俺のコート着てくしかないな」

 文句は言いたい。でも、出来る限りの妥協をしてくれているのは分かるし、クラウにとって私を連れて歩くことは面倒なことに他ならない。それでも連れて行こうとしてくれているのだからこれ以上の文句を口にすることは出来なかった。

 クラウは鞄の中から何かを無造作に取り出すとこちらに放って寄越す。手にしたけど、それが一体何なのか全く分からない。

「……食べ物?」

「干し肉だ。まぁ、お前さんは食ったことなんてないだろうが、旅の必需品だ。近場に食える物があるとは限らないからな。肉を塩漬けにして干したもので、日持ちするから非常食みたいなもんだ。この天候で生肉を手に入れられる程腕はよくないんでな」

 言われて洞窟の外へと視線を向ければ、先までの叩きつけるような雨は止んでいたけど、代わりに深い霧に覆われ少し先にあった筈の大木を確認することも出来ない。

「それ食って少し寝て、体力回復したら出発するぞ」

 一つ頷くと手にしていた干し肉に視線を落とす。見た目からいって食欲をそそるようなものには見えない。少しだけ悩んでみたものの、食べなければ人間は生きていけないことくらい自分だって知ってる。だから、勢いよく干し肉に噛み付いてみた。思っていたよりも固く、私が知ってる肉とは随分違う。

「あれ? 固いけど、意外と美味しいかも」

「そりゃあそうだろ。酒のつまみに食う奴もいるくらいだしな」

 固さに苦労しながらも、徐々に手の中の干し肉は小さくなってくる。既に食べ終わっているクロウを横目でみながら食べ終えると小さく溜息をついた。思っていたよりもお腹が空いていたのかもしれない。大きさの割には十分満腹感はあった。

食べ終えると一枚の毛布を投げ渡され、言われた通りに寝るべきか少しだけ悩む。

「ねぇ、何もしない?」

「するか! つーか、アホか! 俺がお前に一体何をするんだ!」

「え? 置いていったりしない?」

「……しない。言っただろ、きちんと家まで連れてってやるって」

「そっか、そうだよね」

 今日会ったばかりの赤の他人なのに、もう置いていかれることに怯えている自分がいる。そんな自分を情けなく思いながらも、ゆっくりと横になると「おやすみなさい」と挨拶をして目を閉じた。それからすぐに眠りの底へと落ちていった。


* * *


 目が覚めると火を挟んでクラウが本を読んでいる姿が目に付き、ホッとした気持ちでゆっくりと起き上がる。それからはクラウが荷物をまとめて快晴になった空の下、洞窟を後にした。途中、何度か休憩は取ってくれたものの、歩きなれない道ということもありすぐに足は傷だらけになった。

 傷の手当てをしてもらって布を巻いて貰ったけど、今度は肉刺が潰れ散々だった。でも、クラウには野宿という選択は無かったらしく、半ば強引にクラウの家へと急いだ。最後にはクラウに抱えられて街に入る有様で、小脇に抱えられた自分としては恥ずかしさでちょっとだけ死にたくなった。

 街に入る頃には既に日も沈み、所々に明かりが灯るだけの薄暗い道を抱えられながら進む。何度が路地を曲がり、大きな看板の出た扉の前に立ったクラウは、扉の横にある呼び鈴を鳴らした。中から誰かと確認する声にクラウが答えれば、扉は最初細く開き、一回閉まってから大きく開いた。

「ちょっと、今度は何を拾ってきたのよ」

「拾ったといえば間違っているような、いないような……。取り合えず、詳しいことは後で話すからこいつに怪我の手当てと、風呂の用意をしてやってくれないか」

 少ししどろもどろといった感じで答えながらも、クラウはようやく私を降ろしてくれた。

「怪我? どこ怪我してるの?」

 慌てて私の目の前に屈んだ女性は、尖った声から一転、柔らかな声で話し掛けてきた。

「足の裏。傷だらけだし、肉刺も潰しちまったみたいだから。簡単に消毒はしてある。あ、ついでにそいつに合う服も用意してやって」

「服って言っても……そうね、クラウの子供の頃の服があるから後で用意するわ。とにかく怪我の手当てをするからそこに座れる?」

 指差された先にはどっしりとした木の椅子があり「大丈夫です」と返事をしてから椅子に座る。その間に女性は壷から薬草を磨り潰した物を布に塗るとそれをテーブルの上に置いた。一旦、キッチンへ姿を消すと手にはタオルを持って戻ってきた

「コート、脱げる?」

 人前で脱ぐには抵抗があるけど、消毒するには邪魔になることは分かっているだけにイヤとも言えない。渋々コートを脱げば、途端に女性は立ち上がりクラウを呼びつけた。

「んだよ、説明なら後で」

「寝衣のお嬢さんを連れてくるなんて、どういうこと!」

「俺は別に何もしてねーぞ。行く場所のないこいつを連れてきただけだ。ちょっと訳有りでさ説明しない訳にはいかない事情がある。とにかく、先にこいつの手当てと風呂」

「分かったわ、もういい、向こう行ってて」

 大げさな溜息をついたクラウは肩を竦めると、再び奥の部屋へと姿を消した。女性は立ち上がると、棚の中から上着を取り出して私の肩に掛けてくれる。それから頭に被っていた布を取ると、長い髪が肩に落ちてきた。

「ごめんなさい。まさかコートの下が寝衣だとは思わなかったの」

 謝りながらも女性は手早くタオルで私の汚れた足を拭くと、テーブルに置いてある薬草つきの布を貼り付けてくれる。

「こちらこそ申し訳ありません。こんな遅くから他人様の家にお邪魔するような非常識なことをしてしまって」

「いいのよ、そんなに畏まらなくても。どうせ、私とクラウしかいない家だし、しかもクラウも出て行ったら半年、一年帰ってこないことなんてザラだから。今回は随分と早く帰ってきた方よ。お風呂は、うーん、今日は止めておいた方がいいわ。これだけ傷があると熱が出る可能性もあるわ。ベッドを用意してあげるから今日はもう寝なさい、えっと、お名前は?」

「シェスです」

「そう、じゃあ、シェス案内するわ。あぁ、私のことはカーラと呼んで」

 差し出された手を借りて椅子から降りると、先よりもずっと足が楽になったような気がする。女性に促されるまま部屋に入れば、そこにはベッドとクローゼットがあるだけのシンプルな部屋の作りになっていた。

「今日はここのベッドを使って頂戴。一人では眠れないかしら」

「いえ、大丈夫です」

 本当は誰かにいて欲しい気分だけど、気遣ってくれているのが分かる相手にはそれ以上甘えられない。押し込まれるようにしてベッドで横になると、私を見る女性が微笑んだ。

「明日の朝はパンを焼くわ。私が作るパンは美味しいのよ。だからぜひとも食べて頂戴」

「有難うございます。本当にご迷惑を掛けてしまって申し訳ありません」

「いいのよ。今日はゆっくり眠って疲れを取るといいわ。何かあったらこの壁を叩いて。すぐに飛んでくるから。それじゃあ、おやすみ、シェス」

「分かりました。おやすみなさい、カーラさん」

 最後に私の頭をクシャリと撫でると彼女は部屋を出て行った。薄暗い部屋の中には外からの月明かりが差し込み、窓枠型の影を落とす。そして、カーラとクラウの歩く靴音が小さいながらも耳に届き、一人じゃないことに安堵した。

 ――――もう、戻らない。

 目を閉じれば物語のような今日一日に、自然と涙が零れた。けれども、その涙を拭うこともせず、ただ疲れた腕も足もベッドに預けるとゆっくりと思考を手放した。

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