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鮮やかな世界を信じて  作者: assalto
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第9話

 激しい雨の音が屋根を叩く。そんな中で微かに寝息だけが耳に届く。静けさの中で盛大な溜息が隣で零れた。

「君は、シェスが言っていることが分かるのか?」

「いや、あいつはただ混乱してるだけだろ。心の奥底ではこの雨と一緒でゴーゴー吹き荒れてるだろうな」

「だが、そのようには見えなかった」

「お前、あの惨劇を見てどう思った。目を瞑りたくならなかったか?」

 少なくとも自分は目を逸らしてしまいたい気分だった。強いとか弱いという問題ではなく、あのドロドロした惨劇に近寄りたくないと思った。それでも見届けたのは自分たちがしたことに対してのケジメだ。自分たちの行動によって何が引き起こされ、どういう結果が残されるのか、それを知るのは義務だと思ったからだ。

 けれど、シェスは違う。俺たちが勝手に立てた作戦に担ぎ上げられた形だ。全部を見る必要はない。だが、結末をハドリー家の生き残りとして知る必要はある。

「目を瞑るべきではないことは分かった。何より、同じ領主の息子としての重責も知っているつもりだし、彼の言葉を私だけでも理解しなければいけないと思ったからね」

「そうだな、お前さんにはその強さがある。覚悟もあるしな。だがこいつは違う。領主としての重責もなければ、ただ甘やかされて育ったお嬢様だ。そこまで強くないだろ。いつか現実逃避からは目覚めるだろうが、今くらいは許されるだろう」

「そういうことであれば、シェスの面倒はこちらで見よう。その代わり、君に頼みたいことがある」

 一体何を頼まれるのか、こんな時だからこそ言われなくても分かっている。そして、性格は全く違うが、シェスを大切にしているということでは俺もこいつも似たもの同士だ。だからこそ、こいつに頼まれるなんて役はごめんだ。

「俺はあんたに頼まれたから探すんじゃねー。俺が探したいから探すだけだ。だから、あんたからの頼みごとは遠慮する」

 そして、思考は近いところにいるからこそテオフィルは苦笑を浮かべた。

「おや、僕のほうが先んじれると思っていたんだがね」

「冗談じゃねーよ。あんたに先手を取られるつもりは全くねーな」

「だろうね。分かってはいたよ。それでも、僕にシェスを預けると?」

 不安が無い訳じゃない。けれども、自分が出来ることとテオフィルが出来ることは違う。悔しいことにこの男にはそれだけの財力と何よりも安全がある。シェスの気持ちという意味では全く安全では無いが、フェアじゃない勝負は嫌いじゃない。

「どちらがより向いてるか、という話なだけだ。本来ならシェスを引き摺ってでも旅に出たいところだが、あいつに向いてる旅じゃねーし」

「汚い自分を見せたくない、と?」

「……お前に言われたくねーな」

「まぁ、そうだろうな。だが、君がいない時にも僕は引くつもりは無いな」

「そりゃあ仕方ねーだろ。引けるならとっくに引いてるだろ。こんな下らねー勝負」

「下らないかい?」

「あぁ、下らねーな、愛だの恋だの、それじゃあ飯も食えねー。まぁ、お坊ちゃんには分からんだろうが」

 隣で肩を震わせて笑っているテオフィルがいる。付き合いは短い。だが、有言実行で信頼は出来る。何よりも領主として領民が慕っていることを街の人間から幾度となく聞いた。恐らく、上に立つことに向いている男なんだと思う。

「俺はティルに到着したら、母さんと一緒に荷物を纏めてすぐに出る。ブレロに母さんを送った後は旅に出ることになる。お前に願い事すんのは癪だが、頼みたいことがある」

「別に構わない。好きに持って行くといい。僕の手元にあっても布なんてただのゴミだ」

「……俺はまだ何も言ってないんだが」

「間違えてないだろ? 親孝行は親が生きている内にするべきだ。亡くしてからでは何もかもが遅い」

 テオフィルに言われて、改めてこいつの両親がすでにこの世にいないことを思い出す。こいつは一年前に領主になったばかりだけど、その頃の自分とこいつの年齢差はたった二つ。自分はあと二つ年を取った所でこいつのようになれるかと考えると、とてもなれるとは思えない。基本、テオフィルは激昂するようなことは無い。面倒くさそう、という仮面を被りながら冷静に相手の態度を見ている。

「俺は初めてお前が年上だってことに気付いた」

「おや、今頃気付いたのかい? 随分おバカな頭をしているようだ」

「悪かったな。ただ、まぁ、今回のことはお前に感謝はしてるよ。俺一人でどうこうするには限界があったし、結果はああなったけどなるべくしてなった結末という気がしないでもないからな」

「君から見てイヴァンは公平だと思うか」

 思っていたよりも真髄な目で自分を見るテオフィルに少しだけ笑う。キリルの手前、あぁ言ってしまったことを色々と考えているに違いない。

「正直言って公平だとは思うが、上に立つ器かどうかは分からんな。ただ、そこまでお前が責任持つ必要は無いだろ」

「……君に気遣われるとは思わなかったよ」

「お前、本気で失礼な奴だな」

 つい呆れた目で見遣ればテオフィルはゆっくりと外へと視線を向けた。ガラスに映る表情は普段と変わらず冷静なもので、そこから感情を読み取ることは出来ない。

「素直に感謝しておくよ。取り合えず、ダリンとの条約だけは結んでおかないとな。戻ればやることも山積みだ」

 こうしてこいつが愚痴を零すことは珍しい。けれども、シェスを挟んで変な共有感があるのは確かだった。

「まぁ、何かあったら力になってやるよ。そんなことは百に一もないだろうけどな」

「その時には遠慮なく声を掛けさせて貰うさ」

 そのままお互いに黙り込むと俺自身も窓の外へと視線を向けた。外の嵐は収まる気配も無く、ただ雨が叩きつけてきて外の様子は殆ど見えない。雨音響く馬車はダリンに向かう時よりもゆっくりとしたスピードでティルに向かっている。そして、ティルについてから自分が向かうべき場所を幾つか候補に上げながら目を閉じた。雨音だけがやけに耳障りだった。


* * *


 温もりに包まれて浮遊感と共に目を開ければ、そこは見慣れない天井だった。身体を起こして辺りを見回したけれども、そこには誰もいない。ただ、ぼんやりと回りにある物を見ていれば、カーラが作ってくれた布袋が近くにあることが分かる。そしてベッドサイドに置かれた時計などの調度品でここがティル城なのが分かった。

ぼんやりとしていれば、一分もしない内に扉が開き、ぼんやりとしていた視線はその勢いに扉へと吸い込まれる。そこに立っていたのは、珍しく慌てた様子のテオフィルで、人の顔を見るなり大きく溜息をついた。

「目が覚めたましたか、お嬢様」

 そう言ったテオフィルの顔はいつもと変わらない笑みを浮かべていて、溜息をついた。

「ようやくね。おはようございます」

 わざとらしくも深々と頭を下げれば、それに習ってかテオフィルも頭を下げた。

「おはようございます、お嬢様」

「そのお嬢様ってやめてよ。いつもみたいに名前で呼べばいいじゃない」

「気軽に呼んでいいものか悩む姿をしているものでね」

 テオフィルが何を言っているのか分からずに首を傾げれば、ベッドの傍へと歩いてきたテオフィルはベッドサイドの引き出しから手鏡を取り出すとそれを差し出してきた。どうやら見れば分かるということらしく、自分の顔を覗き込めば、そこには自分とは似た、けれどもあきらかに自分の姿よりも年齢を重ねた少女が映ってる。

「君が眠っている間にグングン成長してね、今なら少なくとも十五の少女に見える」

「十六歳に見えないところが問題ありね。でも、どうして? 一週間でこんなに成長するっておかしいと思うんだけど」

 ありえないと思うのにちょっと冷静な自分がおかしい。けれども、確かに鏡に映る自分は自分で、変な感じがする。思わず頬を撫でてみたりするけど違いは余り分からない。

 手近にある椅子へテオフィルは腰掛けると枕元へと手を伸ばした。手に取ったそれを私の掌へと落とす。それは姉様が大切にしていたネックレスだった。

「推測になるが、神器が揃ったことで、君の成長が促されたということかと。影響を受けるというのはこういうことなんだと君を見て実感した」

「それは揃うべきものが揃ったから成長した、ということ?」

「そうだと思う。勿論、詳しいことは分からない。ただ、君のゴブレットとこのペンダントになっているコイン、これが揃ったことによるものだろう。眠りから覚めたのであれば回復も早いだろうし、きちんと食事を取ればすぐに散歩なども出来るようになるだろう」

 ということは、今の自分はそれだけ体力が落ちているということなんだろう。確かに一週間も食事を取らなければ衰弱していてもおかしくない。実際、起きているのが少し辛い。

「まだ横になっているといい。食事は先の者がすぐに運んでくる」

 立ち上がりかけたテオフィルの服を掴むとテオフィルは見下ろしている。それは何かを伺うようにも見える。

「これがここにあるってことは、夢じゃないのね?」

 確認の意味を込めて、テオフィルに聞けば、小さく溜息をついてテオフィルは再び腰をおろした。

「あぁ、夢ではない。全て現実だ。あの後、君に会いにイヴァンとロゲールも来た。ただ、君も眠りから覚めない状態だったので面会は断った」

 夢を見た。自分の知りたいという欲求の為に一つの家庭を壊した。そして犠牲者をも出した。

「ダリンはあの後どうなったの? それにキリルたちは……」

「ダリンは今はイヴァンが取り仕切っている。よくやっているよ。キリルたちはダリン領の一角に墓地が作られ、そこへ埋葬された。犯罪人として処断する話もあったようだが、キリルの事情を踏まえた上でそういう形になったらしい」

「私のせいだね。キリルたちがあんな亡くなり方をしたのは」

「……そうだ、と言ったら君は納得するのか? 君がキリルたちを殺したといわれたら納得するのか? 後悔する必要は無い。キリルたちは悩んだ末に君が現れたタイミングでああいう選択を取っただけだ。君のせいだというのはうぬぼれだろう。側近の者から聞いた話しでは、随分前からダリン家には確執があったらしいからな」

「でも、私が知りたいと思ったから」

「違うな。家族が殺された状況で知りたいと思うのは当たり前のことだ。別に君が悔いる必要は何一つない。もし悔いるのであれば、キリルの最後を看取ることが出来なかった自分の弱さを悔いるべきだろう」

 確かに自分はキリルの最後を看取ることは出来なかった。仲のいい兄弟だったことは覚えている。そんな兄弟の最後を看取ることが出来なかったのは、クラウに隠されてしまったから。

 違う、私がそれを見る強さが無いと判断されたからだ。

「彼はとても領主の息子として立派な最後だったと僕は思う。まさに決死の覚悟だったに違いない。亡くなった者をこういうのは何だが、エヴゲニーは領主としては最悪の部類に入るかもしれない。だが、家庭人だったと聞いている。家庭人である父親を憎むのはどれだけ大変なことか、想像するのは難しいことだが、その痛みは多少なりとも理解出来る。だが、そうさせたのが誰なのか、原因を作ったのは誰なのか、全てはエヴゲニーであって君が出て行ったことは結果論に過ぎない」

 テオフィルが言う通り、確かに大好きな家族を憎むことは辛いことだったに違いない。それでも、キリルはそれを断罪した。それは認めるべきことなんだとは思う。ただ、死という選択は余りにも悲しすぎたが……。

「テオフィルの父上のことは分かったの?」

「あぁ、側近が暗殺したことを認めた。エヴゲニーに家族を盾に取られて脅されて行ったことらしい。尤も犯人は金で雇ったゴロツキらしいがな」

 その口調は穏やかなものだったけれども、どこか憎しみが滲み出ている気がする。それでも、テオフィルは冷静だと思う。あれだけ取り乱した自分に比べてとても落ち着いている。取り乱したことによって、テオフィルにもクラウにも随分と迷惑を掛けてしまった。

「ごめんなさい。テオフィルにもクラウにも随分と迷惑を掛けちゃった」

「別に気にする必要は無い。誰だって取り乱すことくらいある」

 ということは、テオフィルも取り乱したりすることがあるのだろうか。想像はつかないけれども、言い方からしてもテオフィルにも取り乱した経験があるのだろう。いや、もしかしたら、遠回しな気遣いなのかもしれない。

「そういえばクラウは? どこかへ出掛けたらしいけど」

「彼は旅に出た。いつ戻るかは分からない」

 ついに自分は置いて行かれたらしい。元々、クラウの職業はトレジャーハンターだ。それを考えればおかしい選択ではない。けれども、そんなクラウに落胆する自分がいる。

 そんな中で大げさな程にテオフィルが溜息を零した。何の溜息なんだとテオフィルを見れば、眉根を寄せながらも少しだけ口の端を上げた。

「クラウには言うなと口止めされたが、言わないのはフェアじゃないな。神器は全てで四つ。二つは今君の手にある。そして一つはこの城内で僕が保管している。残る一つを探しにクラウは旅に出た」

「クラウ一人で? そんなの、私が探すべきものじゃない。一体どこに」

「知らない。彼からの連絡は無い。しばらくすれば連絡の一つくらいよこすだろう。その間、僕は君の安全を守るように言われた。しばらくはここで生活して貰うことになる。差し当たり、クラウが戻って来るまでになるかな。ダリンの一件でハドリー家の人間が生きていることは既に色々な地域に流れ初めている。それと同時に、エヴゲニーが持っていた神器も君の手にあることも情報として流れている。それだけ君の身は安全とは言い難い。クラウやカーラに心配させない為にも今はここにいるのが安全だろう」

 確かにダリンの領主が亡くなっただけではなく、一家が滅んだのであればその情報自体がセンセーショナルなものに違いない。しかも、死んだと思われていた自分が神器を保有し尚且つ生きているとなれば、かなりの速さで情報は巡るだろう。

「カーラは?」

「ブレロへ戻った。君のことを酷く心配していた。もう少し元気になれば手紙でも書くといい。それに、君の服をカーラに作って貰わないことには着る服も無いからな」

 改めて自分の格好を見れば、サイズの合った寝衣を身に付けているように思う。それなら、これは一体、誰のだというのだろう。

「それはカーラが出立前にそれだけ急ぎで作っていた。元気になったらまたここへ来てシェスの服を作ると張り切っていたが」

「じゃあ、早く元気になってカーラに服を作って貰わないとね。ところで、先言ってたけど、もう一つの神器で何でテオフィルが」

「あれは父が君の父上に譲られた物だ。それを僕は引き継いだにすぎない」

「私に返してくれるつもりは?」

「今の所無いな。それを渡してしまったら君がここで大人しくしてくれるという保証も無いのでね」

「それって人質じゃない。この場合は物質? どうでもいいけど、普通持ち主に返してくれるものじゃないの?」

「勿論、時が来れば返すさ」

 それは先程言っていたように、クラウが戻って来た時に返すということなんだろう。恨みがましい目をテオフィルへ向ければ、テオフィルはどこか楽しげに口の端を上げる。

「まぁ、君に元気があるのであれば城内を探してみるといい。君が宝捜しをするにはこの城くらいの広さが最適だろう」

 それは世界で神器を探しているクラウと比べての発言だということはすぐに分かった。けれども、この城の広さはもう知ってる。どういう物かも知らずに探すにはこの城は私にとって広すぎた。

「元気になったら探すわよ」

「好きに探すといい」

 どこか挑戦的なテオフィルの表情に口を尖らしながらもフイと窓の外へと視線を向けた。先程まで雨が降っていたのか木々に茂る葉から雫が落ちている。そしてその合間から木漏れ日が映る。

「僕は仕事に戻る。何かあればメイドに言いえばいい。食事も届けさせよう。しばらくはベッドの住人になっていてくれたまえ」

「はーい、仕事中にありが……そういえば、随分ここへ来るのが早かったけど」

 そこですっかり背を向け扉へと歩き出していたテオフィルの足が止まる。それからゆっくりと振り返ったテオフィルの表情は酷く不服そうなものだった。

「雨が突然上がったから、君に何かあったのかと思ってここへ来た」

「心配、したり?」

「したら悪いのか?」

 酷く不服そうなその顔は、もしかして、もしかすると、テオフィル流の照れ隠しなのかもしれない。それに気付いた途端、自然と笑みが零れた。

「ありがとう、心配させてごめんなさい。もう、大丈夫だから」

「……ここにいる分には好きにするといい。仕事に戻る」

 テオフィルにしては酷くぶっきらぼうにそれだけ言うと部屋を出て行ってしまった。それと入れ替わりにメイドが食事を持って入ってきたけど、一度笑い出してしまうとその笑いを中々止めることは出来なかった。


* * *


 とてもよく晴れた日だった。シェスに誘われ外で食事を取ると、着替えに行くという彼女と別れた。最初の頃はメイド服を着て何やらしている彼女の様子を伺ったりもしていたが、徐々にメイドたちの明るい笑顔を見るにつれて様子を伺うようなことはしなくなった。メイド紛いの仕事をしていることに最初こそ眉根を顰めたものだが、何もせずにここにいるのは気が引けるからという彼女の希望を遮ることはしなかった。困惑したのはメイドたちに違いない。最初こそ自分と同じで慌てた様子のメイドたちも、シェスの明るさと楽しそうな様子に徐々に様子は落ち着き、今は楽しそうに談笑しながら仕事をする様子を目にするようにもなった。

 メイドたちと同じように一週間に二日は休むと決めたらしく、休みの日には庭の木陰で本を読んだり、城内探索をしたりもしている。日々、楽しく過ごしているように見えた。けれども、時折気が滅入るのか雨が降り、部屋から出てこない日もある。けれども、そんなことは三ヶ月に一日あるかないかという頻度だったこともあり、その時だけはシェスの傍にいて色々と話をしたりした。ただ、共通の話題と言えばクラウやロゲール、そしてイヴァンのことぐらいだったが、それでも彼女の様子は翌日には浮上していた。

 恐らく今日もメイドの真似事をするのだろうと想像しながら執務室へ戻ると、昨日の続きである書類を手にしたところでノックもなく執務室の扉が開いた。訝しく思い扉へと視線を向けるとそこに立っていたのは懐かしい顔だった。

「よぉ、久しぶり」

「あぁ、生きていたんだな」

 相手の顔を見て残念そうに言えば、途端にその表情が不機嫌そうなものへ変わる。こういう所は彼女に似ているかもしれない。

「お前、数年ぶりに会った相手に言う言葉か?」

「二年。お前がここを出て行ってもう二年だ。前に手紙が届いてからは既に半年経つが、そういう相手の生死を問うのはおかしなことかい?」

「ケッ、相変わらず嫌味くせー奴」

 扉を閉めてズカズカと入ってきた彼は、執務机の正面にある椅子に腰掛けると、書類の上に一本のナイフを置いた。

「見つけたぜ、最後の一つ。ちょっと時間は掛かったがな」

 得意げに言う彼は二年前よりも精悍になった様子だった。自分の年になれば早々変化することもないが、シェスといい、彼といい、まだまだ変化が著しい年頃なんだろう。

「そんな訳で、シェス連れて帰るかんな」

 彼は立ち上がると、机に置いたナイフを持ってきた布袋へと入れる。とても神器としての扱いではない。だが、確かに彼にとって然程大切な物ではないに違いない。

「もう、連れ帰る気かい? 僕のために彼女を説得してくれたり、時間をくれたりはしないのかな?」

 少しからかい交じりにそれを言えば、顔を上げたクラウは舌を出して見せる。

「バーカ、誰が恋敵に塩を送るような真似すんだ。元々時間はやっただろ。これ以上はやれねーよ」

 正直、この男から恋敵なんて言葉が出てくるようになるとは思ってもいなかった。それがおかしくて笑ってしまえば、舌打ちする音だけが耳に届く。

「それは残念だな。僕もそれなりに本気ではあったんだがけどね」

「知ってる。知ってるからこそ、絶対にやらねーよ。つーか、本気だからこそ言えなかった臆病者のくせに」

 それを言われるのはかなり痛い。確かに言うべき機会は幾度となくあった。けれども、彼女にとって僕は姉の婚約者であり、仲間でしかないと、彼女の態度からも分かっていた。負け戦に挑むほど間抜けなことはない。いや、それは自分自身への言い訳にすぎない。言ったことで何かが変わった可能性もあったが、こうして彼が帰ってきた今となっては全てが遅いのかもしれない。

「随分と自信があるんだな」

「無い。けど、あんたに易々譲る気もねーよ。グズグズしてた奴に勝機を譲るほど甘くねーし」

「中々辛らつな意見だが、覚えておこう。だが、どうして僕が彼女に告白してないと分かった?」

「あんたなら、最初からそういうことは言うだろ。妙なところで律儀だからな。まぁ、俺がいないから遠慮してたのかもしれねーが、遠慮なんてした時点であんたの負け」

「気持ちを伝えるためにあと一日くれと言ったら?」

「言っただろ。やんねーって。信用はしてるけど、あいつを挟んでの勝負はイーブンだと思ってるから、もう絶対にやらねー」

 彼から見ればイーブンの勝負だったらしい。だとすれば、やはり自分は伝えるべきだったに違いない。見誤ったのは自分か、彼か。だが、今さらそれを言った所で彼は言葉通り譲るつもりは無いだろう。

「残念だな」

「あんた、その無表情で損するタイプだな」

 呆れたその表情と声に苦笑するしかない。自分は子供の頃から感情を表に出すことは良しとされていなかった。そういう意味で彼やシェスに憧れに似た気持ちが確かにある。けれども、自分はこういう生き方しか出来ない。そして、彼らに成り代りたいとは思ったことも無い。

「まぁ、仕方ないだろうね。得をすることもあるのだから、損ばかりを語っても意味が無い」

 クラウへ語りながらも机の引き出しから一本の棒を取り出すと机の上へ置いた。

「何だ、この棒っきれ」

「それは僕が持っていたハドリー家の神器の一つだ。君からシェスに渡してくれ」

「……あんたが渡せばいいだろ。これを渡すくらいで文句を言ったりしねーし、そこまで心狭くねーよ」

「いや、君に言われなくてもシェスには文句言われるのでね。これを探すのであれば城内好きに探せばいいと言ったが、ここへの出入りは禁止している。そういう訳でここへ隠すのはルール違反なことは言われなくても分かっていることだ。だから、これは君から返して貰えると助かる」

 もしかしたら、それは言い訳かもしれない。恐らく、こんなことをして後悔することになるかもしれないが、今はそれで構わないと思えた。

「で、結果は教えて貰えるのかい?」

「上手く行った時には精々自慢してやるよ。結婚式の招待状は送ってやるから」

 自信が無いと言っていたけれども、どうやら勝算はあるらしい。それとも、これは彼なりのはったりなのだろうか。分からずに返事に詰まれば、途端に彼は口を尖らせた。

「おいおい、冗談くらい付き合え。俺の立場がねーだろ」

「冗談ならもっと分かり易いものにして欲しいんだがね。自信ありげに見えたから、勝算があるのかと思っていたよ」

「先言っただろ。勝算なんてねーよ。でも、言わなきゃ何も始まらねーだろ。だから俺ごときに臆病者とか言われるんだよ、あんた」

 俺ごとき、その発言は意外なものでクラウをマジマジと見れば、クラウは顔を見られたくないのかそっぽを向いてしまう。

「あんた、前にも言ったけど領主としては最高ランクだよ。少なくとも俺よりもずっとスゲー奴だと思ってるし、あんたがシェスに何も言ってないことにラッキーと思うくらいにはな」

「買い被りすぎだ」

「あんた相手にお世辞なんて言わねーからな。もう行くぜ」

 最後は照れ隠しなのか酷くぶっきらぼうにそれだけ言うと、今度は扉まで歩き出す。その背中は二年程前よりも随分と大きく見える。この男相手であれば、自分は諦めもつくに違いない。言い訳に近いものがあるかもしれないが、それで構わないような気がした。

「時折、ここにも顔を出してくれると嬉しいんだが」

「それくらいしてやる。シェスも一緒にな」

 そう言って振り返ったクラウの顔は笑顔で、しっかり大人の男の顔になっていた。もう、二年前のような少年っぽさは見当たらない。彼にだったらシェスを預けても後悔することは無いだろう。上手く行くのであれば……。

 彼の背中が扉の向こう側に消えると、置いていたペンを再び手に取る。しばらく会っていないシェスに会った時、あの男は一体どんな反応をするのか。それは想像すると思っていたよりも楽しいもので一人偲び笑いを零すと、次の書類を手に取った。

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