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鮮やかな世界を信じて  作者: assalto
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プロローグ

ライトファンタジー、もしくはエセファンタジーになります。

 遠くに見えるのは地平線のように目に映る城壁。でも、外に出なければ安全で、私たちはいつもそこに暮らしていた。


 姉様の手が優しく頭を撫でて、その気持ち良さに笑みが浮かぶ。花畑の中でゴロリと転がり姉様に膝枕をして貰う。

「シェス、起きて。お客様の来る時間よ」

「お客様ってダリンの小父様でしょ? 少しくらい遅れても大丈夫だと思うけど」

「よくないわよ。まったく、シェスったら」

 柔らかく撫でていた姉様の手が離れると軽くコツンと叩かれた。諌めるような声の響きに渋々起き上がると、そのまま立ち上がり白い服についてしまった土埃を軽く払う。

 最近は雨も降っていなかったから軽く払うだけで、すぐに元の白さへ戻り、その白さに満足しながら姉様を見上る。姉様の胸元には鈍く光るペンダントが下げられている。

「姉様、またそのペンダントしてるの?」

「えぇ、これは大切なものだから。そういうシェスは?」

「私のは部屋に置いてある。だって、あれこの服に似合わないんだもん」

 途端に困ったような顔をした姉様は、ゆっくりと立ち上がると土埃を払うことなく私の目の前に屈み込んだ。穏やかに笑う姉様だけど、その表情は少し悲しそうにも見える。

「あれはとても大切な物だから肌身離さず身に付けるように父様に言われているでしょ」

 それは口煩いほどに言われてきたことだから今更言われなくても知っている。でも、あの古めかしいデザイン自体が余り好きじゃないし、あれをつけるくらいだったら他のものをつける方が私は好きだ。

「だって、つける意味がよく分からないし。姉様は理由を教えてくれないの?」

 その問いかけに、浮かんでいた笑みすら消えて困ったように私を見ている。この質問が困らせてしまう類なことは知っている。でも、肌身離さずというくらいなら、少しくらい説明があったっていいと思う。

「私からはできないわ。説明したいのは山々なんだけど、父様の言うことを私も余りよく理解していないのよ。だから、どう説明すればいいのかよく分からなくて」

 そのまま言葉を小さくした姉様は小さく舌を出して、少しだけ笑う。その表情が可愛いとか思うのは身内の贔屓目じゃないと思う。

「でも、父様のお願いだし、それくらいは聞いてもいいと思うわよ。いつも我侭聞いてもらってるから」

 父様は好きだ。その父様のお願いだと思えば身に付けるくらいいいような気がしないでもない。父様が私たちに変な物を渡すとは思えないし、何よりも父様は私たちをとても大切にしてくれている。

「ほら、行くわよ」

 差し出された手を繋げば、姉様の温かい体温が心地いい。少しだけ力を込めて握り返せば、姉様が綺麗に笑う。並んで歩きながら城へと戻れば、出入り口で待ち構えていた侍女のラナは私たちを見て溜息をついた。

「シェス様、今日はお客様がいらっしゃるからと何度も伝えた筈ですが」

「だから戻って来たじゃない」

「シェス様、裾と靴をよくご覧下さい」

 言われて視線を落とせば、靴はすっかり泥にまみれ、スカートの裾は泥を跳ね返して見事な水玉模様になっている。それ気付き、チラリとラナを見上げれば、困ったように笑いながら溜息をつかれた。でも、言われるまで全然気付かなかった。

 同じ場所にいたんだから、と姉様を見たけど、姉様の服はどこも汚れていないし靴も綺麗なままだ。

「えー、何で?」

「レイチェル様は歩き方が綺麗だからですよ。シェス様もきちんとモイラ先生のお話しを実践すれば汚すこともないですよ」

 正直、礼儀作法を教えてくれるモイラ先生はいつでも怒ってばかりで余り好きじゃない。でも、姉様は怒られることなんて滅多にない。早く姉様みたいになりたいと思うけど中々難しいことで、そういう意味でも姉様のことを尊敬する。

「レイチェル様、こちらにいらっしゃいましたか!」

 立ち止まる私たちの前に現れたのは、父様の執事をしているアクトンだ。姉様をアクトンが呼び止める時っていうのは、父様が姉様を呼んでいる時だけだ。でも、この慌てようからいくと父様が呼んでいる訳じゃないみたいだ。

「ティル領からテオフィル様が足をお運び下さいました。婚礼について話しをしたいとのことですが、お会いになられますか?」

「勿論お会い致しますわ。どちらへ?」

「客間の方へお通ししております」

 アクトンとの会話を終えると、姉様は私を呼んで赤いカーペットに膝をついて屈み込み視線を合わせる。いつもと変わらない優しい笑顔は、少しだけ嬉しそうにも見える。

「着替えたらあなたも客間にいらっしゃい。テオフィルにあなたのことも紹介したいわ。ティル小父様の息子さんよ」

 ティルの小父様はいつでも優しくて穏やかな人だ。昔モイラ先生から逃げていた時に客間に匿って貰ったことだってある。あの小父様の子供ならちょっとだけ興味がある。

「分かった。着替えてから行くわ」

穏やかな笑顔で、待ってるわね、と言う姉様に一つ頷くとラナと共に自室へと引き上げた。汚れた服を脱ぎ捨てると客人を迎える為の正装に着替える。後ろに結んであった髪をラナに解いて貰うと長い髪が鏡を通してサラサラ揺れるのが目に映る。淡い栗色の髪は父様と母様、そして姉様と家族で唯一お揃いのものだ。だから、一番気に入っていたりする。

髪に触れるラナの手が鏡に映り、器用に髪を結っていく。耳の横にある髪に紐を編みこみ、所々にパールが輝く。髪の左右を紐で結うと、最後に結んでいない髪の上に軽くまとめてくれる。ラナは私の趣味が分かってるから、こういう時には本当に助かる。

 お礼を言いながらラナと共に自室を後にしたけど、客間へ行く私はラナと廊下で別れた。

 一人長い廊下を歩きながら、時折窓から差し込む日差しに目を細めながら外へと視線を向ければ、いつもと変わらない風景が広がっている。レンガで敷き詰められた通りの中央には噴水があり、取り囲むようにしてある通りは門へと続いている。両脇には緑の芝が広がりどこまでも続く。正門だからごちゃごちゃと物が無いのは分かるけど、はっきり言って面白みなんてものは全く無い。

 それだったら裏側の方が林があったり、厩舎があったり、色々と面白いものが沢山ある。ただ、見つかると凄く怒られるけど……。

 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、エントランスの階段へと辿り着く。足元まである長い裾を軽く蹴りながら階段を下りると、少し歩けば客間に到着だ。

 姉様が私を呼ぶくらいだから、大それた客人って訳じゃない。だったら、少しくらいいたずらしてもいいかな。

 そんなことを思い、一番手前にある客間の扉を少し開ければ、予想していたものとは違う声が耳に届く。

「――――でしょう。今、ティル領は余り芳しくないと聞きます。街の者から不服が出ていたり、何よりもティル領にはモンスターが出没するという噂もあります」

「だが、ティル領のブレソール氏は公明正大な方です。街の者が誤解している可能性もありますし、モンスターの件にしても既に手は打ってあると思われますよ」

「だが、そんな場所へレイチェルを嫁がせるのは不安ではないのかね?」

 とつがせる、ってことは姉様は結婚するってこと? だとしたら、姉様はここを出て行ってしまうの?

 そう考えた途端、扉を閉めることも忘れて少し離れたもう一つの客間へ足を向けるとノックもせずに勢いよく扉を開けた。そこにいたのは驚いた顔をした姉様と、眼鏡を掛けて冷ややかに自分を見つめる知らない男の人がいた。でも、私にとってそれが誰という問題よりも姉様に聞きたいことがあった。

「姉様! 結婚するって本当ですか!?」

「一体だれに聞いたの? 結婚なんて、そんな、まだ……確かに、婚約はしたんだけど」

 途端に顔が朱に染まる姉様を見ていると、姉様の視線はウロウロと彷徨った後、正面に座る男の人へと向けられた。姉様と視線を合わせたその人は、ゆっくりとこちらへと視線を向けてくる。真っ直ぐな目は、眼鏡を見慣れていないせいか冷ややかな物に見えた。

「妹のシェスティンです。妹にはまだ詳しい話しをしていなくて、申し訳ありません」

「いえ、別に構わないです」

 姉様にそれだけ答えると椅子から立ち上がり、私の前まで音もなく歩み寄ると膝をついて屈み込んだ。

「僕はテオフィル・シルヴェストル・ティル。ブレソールの息子で、あなたの姉君の婚約者になります」

 礼儀を欠くことなく挨拶をされたら、こちらとしても礼儀を欠くことなんてできない。だから言いたいことを飲み込むとドレスを軽く摘み軽く膝を折って頭を下げた。

「初めまして、私はシェスティン・ケイリー・ハドリーです。レイチェル姉様の妹になります。ご挨拶が遅れてしまい、また、客人の前でお見苦しい失態を見せまして大変失礼致しました」

 一礼して顔を上げたところで目が合い、テオフィルの口元が微かに上がった。何だか馬鹿にされた気分で睨みつけるとテオフィルは立ち上がり姉様へと視線を向けた。

「詳しい話しは後日にしましょう。今日は妹さんとお話しされるのが最善と思われます。舞踏会の件は父と相談の上改めて返答させて頂きます。僕としても出席の方向で考えさせて頂きます」

 途端に姉様の顔が笑み崩れ、それだけ姉様がテオフィルの舞踏会への出席を望んでいることが分かる。それが何だか面白くない。

「別に無理なさらなくても結構ですから」

 自分で思っているよりも尖った声で漏れた言葉にハッとして軽く口元を押えれば、テオフィルはゆっくりと振り返り自分を見下ろす。少し冷たい目に気圧される気分だったけど、足に力を入れて睨み返す。

 一歩踏み出してきたテオフィルに怒られるかとギュッと目を瞑れば、予想外にも頭へポンという感触と共に「気の強いお嬢さんですね」という言葉が振ってきて慌てて目を開ける。既に目の前にテオフィルの姿はなく、振り返れば扉の前で姉様へ目を向けたテオフィルが立っていた。

「また後日、希望などをお聞きします。それでは失礼致します」

 優雅に頭を下げたテオフィルは一礼すると扉を開けて出て行った。優雅とも言える身のこなしに視線を外せずにいたけど、扉が閉まる音で我に返ると姉様へと視線を向けた。

「姉様、あの人と結婚するの!?」

「えぇ、先も言った通り婚約しているし、このままいけば来年の今頃には結婚することになると思うわ。テオはとても良い人だし、私はこの婚約がとても嬉しいわ。今まで会った男の人の中では父様の次に好きな方よ」

 ここまで言われたら家族として私は祝福するべきなんだと思う。でも、あの冷たそうな目を思い出すとちょっと賛成したくない。

「私は嫌い。あの人と姉様が結婚するのはイヤかも……」

 理由は冷たそうな目だけじゃなくて色々あると思うけど、自分でも頭の中で上手く纏まらずモヤモヤした気分になる。大好きな姉様だから幸せになって欲しいと思ってるけど、姉様の相手ならそれこそ本に出てくるような王子様くらい素敵じゃないと納得できない。

「一度会っただけの人をいきなり嫌いと言葉にしてはいけないわ。言葉にしたら、それだけで本当に嫌いになってしまうし、素敵なところも見つけられなくなってしまうわよ」

 怒っているのかと思って姉様を見上げたけど、姉様は穏やかに笑うばかりだ。その笑顔は先までここにいたテオフィルとは全然違う、柔らかい笑みそのものだ。

「テオはとても良い人よ。私はあの人に見合うだけの女性になりたいと思うわ。でも、子供のシェスにはまだ難しい問題かもしれないわね。大人になったら、もう少しこの意味がわかるかもしれない。今はまだ、テオのことも知らないから余り嫌いになって欲しくないと思うけど無理かしら?」

 多分、嫌い、ではないんだと思う。ただ、あの冷たい目と、ちょっと小馬鹿にしたような笑みが苦手なんだというのは分かってる。でも、やっぱり苦手な人の元へ姉様が嫁ぐというのはどこか納得できなくて、子供と言われたら否定できない。

 姉様はもう十七の大人で、私はまだ十二で色々なことも父様から説明もされていない。子供だから知らないことだって多分、沢山あるんだと思う。

 ただ、姉様が嫌いにならないで、と言うなら今は頷くしかない。だって、本当に嫌いかどうかも分からないんだから。

「分かった。私が姉様の年になるまで嫌いかどうかは保留にしておく」

 自分でも納得した顔じゃなかったと思う。それでも姉様はクスクスと笑うと、ゆっくりと手を伸ばしてきて私の頭を撫でてくれた。

「あら、随分先の話しね」

「だって、姉様くらい大人にならないと分からない話しだし」

「そんなこと無いわよ。恋はね、大人にならなくても出来るものよ。父様と同じくらい好きな人ができたらそれは恋だと思うわ」

 父様は好きだし、姉様も母様も好きだ。でも、それと同じくらい他人を好きになることなんて本当にあるんだろうか。今は分からないからどうしようもないし、考えても分からないことは知ることなんてできない。

 ただ、恋をしたら父様と同じくらい好きになる人が出来るということだけは分かった。

「まだきちんと分からないけど、分かった。姉様のこと好きだし、姉様が好きっていうテオフィル様については保留。だからこの話しは終わり」

 そんな私の言葉がおかしかったのか、やっぱりクスクスと楽しそうに笑った姉様はもう一度優しく頭を撫でてくれた。

「それよりも、舞踏会の話。姉様、テオフィルが来るから演奏したくないって言ったんだ」

 途端に慌てた様子を見せた姉様は真っ赤になって俯いてしまった。何だかそんな姉様は新鮮だし、いつも大人びて見える姉様だけに可愛く見える。

「私は絶対に演奏した方がいいと思う。勿論、私が姉様のハープで踊りたいから、っていうのもあるけど、絶対に姉様のハープならテオフィル様だって好きになると思う」

「私、下手くそよ」

「そんなことない。だって、下手なものを父様が誉める筈ないじゃない」

 父様は基本的に優しいけど、下手なものを誉めてくれるようなことはしない。もっと私が小さい頃は誉めてくれたりもしたけど、今は下手なものに努力したことは誉めてくれても、その結果を誉めるようなことはしない。それは手放しで何をしても誉めてくれるよりも、ずっと自分を知ることになるからいいことだと思う。

「私、乗馬は誉めて貰ったことないもん」

私の言葉に姉様は少しだけキョトンとした顔をした後、口元に手をあてて吹き出した。

「そうね、シェスは乗馬は苦手だったわね。猟銃の命中率はいいのに勿体無いわ」

「おかげでキツネ狩りも同行できないのよ。どんなにしても馬が歩いてくれないから仕方ないけど。でも、姉様のハープは誉めていたもの。姉様がお嫁に行くまでどれだけ舞踏会があるか分からない。でも、こういう機会は滅多にないから皆の前で弾いて欲しいの」

 伺うようにして姉様を見上げれば、少しだけ考えた様子の姉様は笑みを浮かべた。先のように仕方ないという笑みじゃない、晴れ晴れとした笑みだ。

「そうね、父様からのお褒めの言葉を頂いたハープだし、私も弾くことはとても好きだわ。こんな機会はそうあることじゃないし、弾いてみることに決めたわ」

 喜びで姉様に抱きつけば、先程のように優しく抱きしめてくれて、それからゆっくりと頭を撫でてくれた。舞踏会までの数日、お互いに頑張りましょう、という決意して時間の合間を縫って練習することになった。


* * *


 舞踏会当日、着替えた私の横で姉様が小さく溜息をついている。原因は何だか分かってる。先日会ったテオフィルがまだ会場に来ていないからだ。

「姉様、出席はするって返事があったのでしょ?」

「えぇ、でも、忙しい方だから難しいのかもしれないわ」

 その顔には落ち込んだ様子が見えて、明るさのない姉様の姿に少しだけ苛立つ。

 折角姉様からの誘いなのに、テオフィルってば何をしてるんだか。来れないならこんな思わせぶりなことしなければいいのに。姉様にこんな顔をさせるなんて本当に頭にくる。

「姉様、余り気乗りしないなら今回の演舞はやめましょうか?」

 気乗りしない姉様に無理強いするようなことはしたくない。

「そんな訳にはいかないわ。色々な方に伝えてしまった後だし、何よりもシェスが楽しみにしてるでしょ? 私がこんな顔をしていてはいけないわね。折角だから楽しむわ」

 先程よりもずっと明るくなったその声にホッとしながらも、椅子に座る姉様の髪飾りに手を伸ばした。

「姉様、少し曲がっているわ」

 そう言って小花を束ねた髪飾りを指先で少し整えてから直す。いつも着ているカラフルな服とは違い、今日はクリーム色と淡いピンクを彩った細身の服を身につけている。でも、その服はいつも以上に姉様のスタイルの良さを際立ている。

 お礼を言う姉様は穏やかな笑顔で、そんな姉様との対比に思わず溜息をつく。

「あら、どうかしたの?」

 目ざとく気付いた姉様に、上手く言葉が出てこなくて少し口篭もると、諦め気分でもう一度溜息をついた。だって、姉様に隠し事を出来た試しなんて一度だって無かった。

「姉様はスタイルがいいからそういう服が着れるんだわ」

「でも、シェスだってあと三年もしたらこういう服が似合うようになるわ」

 そう言われても、本当に三年もしたら姉様のように服を着こなせるとはとても思えない。

 不意に扉からノックの音がして、姉様と共に扉へと視線を向けた所で扉が開いた。そこに立っていたのはラナだった。

「大広間の用意が出来ましたので、お嬢様方も大広間へ移動して頂けますか」

 ラナに答えるように椅子から立ち上がった姉様につられるように、自分も高めの椅子から飛び降りるようにして立ち上がる。そのままラナを先頭に姉様と二人で大広間へと移動する。部屋に入ると、いつもよりも煌びやかに飾り付けられていて、宮廷楽団が演奏をしながら客人を迎えようとしている。

 まだ大広間に客人の姿はなく、大広間正面にある大きな出入り口の所には父様と母様、そしてアクトンが客人を出迎えるために待っている。私たちに気付いた父様が優しい笑みを浮かべ、続いて振り返った母様が優しい笑みを浮かべてくれる。ささやかなことかもしれないけどそれが嬉しくて三人の元へと駆け寄った。勢いのままに父様に抱きつけば、父様はよろけることなく抱きとめてくれる。

「とても綺麗だよ、シェス」

「ありがとう、父様。それよりも姉様がとても綺麗なの!」

 そう言って後ろから歩いてくる姉様に視線を向ければ、ゆっくりとこちらへと歩いてくる姉様の姿が映る。近くで見ていた時も思ったけど、あのドレスを姉様が着ると凄く映える。今日の舞踏会ではあのクリーム色が一層際立つに違いない。

「そろそろ客人をお通し致しますが、宜しいでしょうか?」

 アクトンの声に私と姉様も父様と母様の横に並ぶと、父様はそれを確認してからアクトンに一つ頷いて見せる。アクトンが扉を一つノックすると、扉は大きく開け放たれた。大広間と続き部屋になっている小広間には、既に多くの客人で賑わっていた。

 それぞれに挨拶をして大広間へと招き入れると、最後に父様たちと一緒に高段にある親族席へ腰を落ち着けた。父様の挨拶があり、それから宴が始まる。今日は立食式の舞踏会だから、部屋の周囲にはテーブルが置かれ、そこには私たちが普段食べる物よりも豪勢な食事が盛り付けられている。シルバー類は綺麗に磨きこまれ、父様はこの舞踏会の為に狩りに出かけ、鴨とキツネを狩ってきた。

 適度に食事を取った者から中央にある空いたスペースで、それぞれ宮廷音楽に合わせて踊り始める。それを見ていると踊りの好きな私も浮き足立ってくるけど、ここは我慢。

 そんなことを考えていれば、すぐ横に座る姉様が母様と何か小声で話しているのが耳に届く。でも、音楽鳴るこの環境ではその言葉までは聞こえない。

 話しを終えて席を立った姉様に声を掛ければ、そろそろ楽器の用意をしてくる、ということだった。だとしたら、私ももうそろそろ準備をしてもいいのかもしれない。母様に一声掛けてから席を立ち上がると高座から降りる。それに気付いたのか、客人の何名からか手を差し出され、笑顔でその手を受け取った。基本的に父様と同じくらいの年齢の人が多かったけど、それでも踊れることは嬉しかった。

 しばらく踊りを楽しんでいれば、宮廷音楽が徐々に小さくなり、それぞれが一旦踊りを止めた所に姉様がハープを持って登場した。その登場は拍手で迎えられ、姉様がハープを鳴らせば会場のあちらこちらから感嘆の溜息が漏れた。その溜息は舞踏会での演奏を勧めた私にとっても非常に嬉しいことだ。

 そんな演奏の中で席を立った父様は、私の前に立つと膝をついて手を差し出した。

「一曲いかがでしょうか、お嬢様」

 いつもよりも茶目っ気のある父様の言い方に笑いそうになるのを堪えると、ふんわりとしたスカートを軽く持ち上げて腰を屈めた。

「ぜひともご一緒させて下さいませ」

 答えてから父様と目を合わせれば、穏やかな顔で笑みを浮かべる父様がそこにいる。父様の差し出す手に自分の手を乗せると、大広間の中央に立ち、姉様の奏でる曲に合わせて軽くステップを踏む。踊りは好き。でも、こうして好きな人と踊るのはもっと楽しい。チラリと姉様や母様に視線を向ければ、二人とも私たちを見て穏やかに微笑んでいる。そして見上げた父様もやっぱり穏やかに笑っている。そんな状況が凄く嬉しくて、とびきりの笑顔を父様へ向けた。

 曲が静かに終わり、父様と離れた所でもう一人、私の足元に膝をつく人がいた。

「私とも一曲お願いできないでしょうか」

 そう言って手を差し出してきたその人は、テオフィルその人だった。思わず姉様へと視線を向ければ、穏やかに微笑む姉様は一つ頷いて見せてくれる。それは、この人と踊れということだ。少なくともここで断ったら幾らなんでもテオフィルの立場が無いし、普通に考えても断れる筈もない。さらに姉様が踊って欲しいということであれば、既に断るなんて選択肢は無いも同然だ。

 どうにか笑顔を取り繕って「こちらこそ、お願い致します」とスカートを軽く持ち上げ会釈すれば、少しだけテオフィルが笑う。でも、その笑いがちょっと意地悪く見えるのは気のせいなのか。

 それでもテオフィルの手を取れば、姉様のハープが鳴りだす。ゆっくりとしたワルツは恐らくテオフィルに合わせた曲なのかもしれない。三拍子のワルツ。舞踏会では定番中の定番だけど、姉様がこの曲を奏でているのは耳にしたことがなかった。

「少し笑顔でいて下さると助かるんですが」

 言われてテオフィルへと顔を向ければ、まるで何事も無かったような顔をしている。勿論、自分も何事も無かったように口を開く。

「遅れてきたから姉様が落ち込んでいたのよ。こういう時には、姉様と先に踊るのが普通じゃないのかしら」

 テオフィルは余り踊りは得意ではないらしく、足のステップがどこか危うい。それでも踏まれることは無かったけど、人前で踊る以上余り無様な姿は見せたくない。少なくとも自分の得意分野では意地があるから、少し強引にテオフィルを誘導していく。

「君の姉君も、僕と君が一緒に踊る方が喜ぶと思うが。それに君と僕がそれなりに仲良しにならないと、君の姉君は不安らしい」

 言いたいことは分かる気がしないでもないけど、でも、無表情な顔でそんなことを言われても困惑するし嬉しくもない。

 二人が会っている余裕は無かったから手紙でも交わしていたんだろうけど、姉様がどこまでこの人に先日の嫌い発言を伝えているのか分からないだけに黙り込んでしまう。

「君の姉君と結婚すれば、君とも義兄弟になる。せめて仲良しぶりを演じることくらいはして欲しいものだな」

「それくらいは分かってるわよ」

「それなら、今笑うくらいの芸当を見せてもいいのでは。大好きな姉君の為にもね」

 思わず出しかけていた笑顔も引きつるっていう言い草だ。この人と話してると腹が立つ。思考を先回りされるような感覚が腹立ちの原因なのかもしれない。人間、図星を指されると頭にくるのと同じ原理に違いない。

 視界の端に映る姉さんは、少し不安そうな顔をしている。それはそうだ。姉さんの結婚相手と睨み合うようにして踊っていたら、それは心配にもなるだろう。でも、やっぱりこの人は苦手だ。

「えぇ、あなたが口を閉じて頂ければ、幾らでも笑ってさしあげますわ」

「ほぅ、それは光栄なことだ」

 そう言って微笑むテオフィルはやっぱりどこか人を小馬鹿にしているように見える。

 一曲を途中から笑顔で踊りきり、最後にお互いに一礼するとテオフィルとは反対方向に別れた。その後どうするのか見ていれば、姉様に近付いたテオフィルは挨拶をした後、何やら話している。表情の無いテオフィルとは違い、姉様は見るからに幸せそうだ。

 願うのは姉様の幸せ。私の感情がどうであろうと、姉様が幸せであるならそれで構わない。それでも、あんな人のどこがいいんだか姉様に問い詰めてみたい気がしないでもない。見かけなら確かに良い方なんだとは思うけど、私ならあんな相手絶対にイヤだ。

 内心舌を出しながら二人から視線を逸らすと、不意に声が耳に届く。

「実際、ご機嫌だって伺うってものだろう。ハドリー領にあれがある限り、他の領主は手出し出来ないんだしな。ティルの領主も上手くやったもんだよ」

 ハドリー家のあれが何を指し示しているのかはよく分からなかったけど、余りいい話しじゃないことは確かだ。そういえばダリンの小父様もティル家に対して妙なことを言っていたような気がする。

 本当にこの結婚はいいことなのか、そんな疑問が浮かびはしたけど、私が思いつくくらいだから父様にだって考えつくことに違いない。だとしたら、私が考える必要はない。

 どこか納得いかない思いが胸の内に燻りながらも、考えている内容を放棄して父様と母様の方へと歩みよった。

初投稿で撃退された小説になります。

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