第8章 第7話 出発
「ロディオ、お前、日本人だろ」
レインの言葉に俺は言葉を失っていた。いや、実は俺もレインから転生者っぽい雰囲気を感じることもあった。しかし俺の思い過ごしだろうと考えていたのだ。
「そういう、レインも、日本人か」
「ああそうだ。今まで誰にも内緒だったんだけどな」
◆
レインは、元の世界では大学病院に勤める勤務医。日本での本名は、和宮 令。4分の1ドイツ人の血が入ったクォーターである。俺より前に転生していたらしい。スタイン家の近くに住んでいたこともあり、転生前の俺とも仲が良かったそうだ。
彼には元の世界の日本に、奥さんと子どもがいたという。俺からすれば、とんだ勝ち組リア充野郎だが、病院の勤務状況が過酷だったらしい。医者としての使命感と大企業のサラリーマンより少し高い年収とを引き換えに、まさに魂を削るような毎日を送っていたという。
何日もの徹夜を含む長時間勤務。患者や家族への対応、そして病院内での人間関係……。実際に働いた者にしか分からない、勤務医の多忙で困難きわまる仕事は、彼の心身を静かに蝕んでいった。
レインによると、元の世界での記憶は、終電に駆け込み電車のつり革を握った所まで。
「おそらく、あれは心臓発作だったと思う。俺は心臓に持病があったから、発作を起こせば例え近くにAEDがあったとしても助からない。このことは医者の自分が一番よくわかっている。だけど俺はどうしても妻と娘に一目会いたくて、この異世界で可能性を探っていたんだ」
「……で、無理だったんだな。元の世界に帰るのは」
「ああ。俺は元の肉体が死んでいる可能性が極めて高い。せめて幽霊みたいな形でもいいから、意識だけでも元の世界に帰りたいんだが、その可能性さえもゼロだ」
レインは何て立派な奴なんだ。友人として誇らしい。愛する人たちに一目会うためにずっと魔法の研究を続けていたなんて。
ブラックから解放された~♪ などと能天気に喜び、フミやララノア、ソフィたちと楽しく異世界ライフを満喫していた俺とは大違いである。
「ちょっと待ってくれ。俺も山手線の先頭車両で、記憶を失ってこの世界に来たんだ……」
「それは本当か?」
どうやら、俺とレインは同じ電車の同じ車両、しかも、俺の前でつり革を持って立っていた男がレインだったらしい。そんな偶然あるのか? 俺が元の世界で最後に聞いた“どさっ”という音は、レインが倒れた音だったんだろうか?
「そこは、俺もわからない。ロディオが元の世界で本当に死んだのかも、確認する術はないし」
そういうと、レインは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「マリアの事は、俺も憎からず思っていたんだが、何しろ元の世界に帰るための、調べものや研究しか、俺の頭にはなかったからな。だけど、元に戻れないことが分かった以上、俺の事をここまで思ってくれている女の子をそのままにしておけるわけないだろ。侯爵やマリアの実家を含め、周りもみんな祝福してくれているし」
「でも、エルフがタイプなんだろ?」
「……エルフの婚約者が2人もいるお前にだけは言われたくない!」
実はレインは、随分前から俺の事を転生者だと疑っていたらしい。いつから俺の事に気付いていたんだろう。
「『ハイランダー』で、飲んでいたとき、ロディオが今までの記憶がなくなったって言ってただろ。あそこからだな」
「大体、この街なんてどうだ。平安京の町割りに、日本でおなじみの料理とサービス。温泉なんて、日本の温泉旅館そのまんまだろ」
マリアとの婚約や、トライベッカでの豪遊は、元の世界へ戻る可能性を諦めたからだろう。精一杯強がってはいても涙がこぼれそうだよレイン。俺の前くらい素直になっていいよ。
◆
朝食後、レインとマリアを見送った俺に騎士団から遠征の用意が整った旨の連絡が入った。いよいよ明日は、大森林『竜の庭』の奥地へ出発だ。
俺たちは準備を万端に整え、ユファイン奥の城門を出発した。人造湖の周囲を通って、騎士団は大森林の入り口に向かう。一旦整列して点呼。俺は、レインから密かに習った索敵魔法を使うが、反応はない。
サラが前に出て、力強く言い放った。
「我々は、今から大森林に入る。言わずと知れた『竜の庭』だ。今回はお館様がついてきてくださるが、油断はするな」
そして、サラは、全体をぐるりと見渡し、
「それではお館様、お願いします」
俺がフミを伴って前に出る。皆に背を向け、大森林に向き合う。そしてすっと右手を前に出し、静かに魔力を込める。
目の前のジャングルの木々を左右に広げ、地面を平らにしながら、奥へと押しやるイメージ。
……ここまで障害物の多いジャングルでの造成は、初めてだ。魔力がかなり要る。俺は体の中でギアを入れかえる。すると、ゆっくり、ゆっくりと、目の前に道が出来ていく。
「すげえ……」
「さすが……」
こんな声が後ろから聞こえてくる。
「サラ、騎士団には運河を造りやすいように、道路わきの木々を片付けるよう、指示を出してくれ」
さすがに、家臣たちの前で、気絶することはなかったが、10キロ程、道を造っただけで、かなり疲れた。時間は約2時間。その間、同じ姿勢で魔力を出し続けるのは、かなりきつい。騎士団の作業が終わるまで少し休ませてもらおう。
1時間ほど休むと、体力、魔力とも回復した。俺はいつもの様に、道の両サイドに運河を造る。出来たところから、セリアに率いられた工兵部隊が仕上げに入る。反対側の運河は、フミに任せて、俺と同時に造ってもらったのだが、フミもかなりやる。俺が、10キロの運河を造っている間、フミも2~3キロ進めてくれていた。
「ふう、少し疲れました」
それでも俺とほとんど変わらぬものを、これだけ造れるのは立派なものだ。
「フミも少し、休むといい」
俺はフミを休ませ、残りの運河に取り掛かる。
今日は、10キロすすんだ地点でキャンプをすることにした。早速、目の前にラプトル除けの堀を大きめに造る。急ぐ旅でもなく、騎士団の訓練も兼ねたものであるため、初日から飛ばすのもよくない。
騎士団の皆は、「整列」「点呼」「報告」など、サラの号令にきびきびと動いている。今晩も3交代で哨戒にあたるそうだ。
俺は、夕食として、皆でバーベキューでもしようかとサラに言ったが、断られてしまった。
「これは、貴重な野外訓練にもなりますので。騎士団員は、携帯食を中心とした簡素な物で済ますことになっています」
当然、騎士団長たちも一般の団員と同じものを口にする。
ううう……。俺とフミだけ、ごちそうにエールという訳にもいきにくい。
「わかった。ただし、騎士団長は、毎日交代で一人ずつ、俺とフミと一緒に夕食を食べながら情報交換するというのはどうだ。俺からの命令なら仕方ないだろう」
こうして、俺たちは少し不満そうなサラと一緒に、たき火で炙った野菜や肉をチーズフォンデュで食べた。こいつが、冷えたエールとよく合う。
「サラ、今日は無理を言ってごめんな」
食後、デザートとして用意したのは、焼きマシュマロのチョコフォンデュ。何だかんだ言って、サラも、幸せそうに食べている。
そして、俺は、今まで造った道を、石畳に舗装してから眠りについた。




