第8章 第5話 気球
俺の唐突な申し出に、わずかに眉を動かす侯爵様。
「うーん、レインですか」
「ロディオ殿に貸し出すと、取られてばかりですから……。ねえクラーク」
「……」
侯爵に同意を求められて、クラークさんも困った顔をしている。
「実は、これはスタイン領の測量に関する事でして」
「ほう」
「スタイン領は、ほぼすべてが大森林です。ですから、領内を正確に把握できておりません。そこで今回、我々は、ユファインに『気球』をあげ、上空から、大森林全体を調査したいのです」
「何ですかその『気球』というものは」
俺は簡単に気球についての説明をした。上空高く上がるので、ワイバーンなどのドラゴンに襲われるかも知れないし、落下の危険もあるため、上空から大森林を調査できる人材は浮遊魔法が使えるレインが適任であることを力説したのだった。
「なるほど……しかし、気球での大森林の調査は命がけですね」
「どうですか、レイン」
「私はお館様の御指示に従うのみですが」
「わかりました、本音を言って下さい」
「はい……私は、すごく面白そうだと思います」
「……わかりました」
「それでは、先ほどの話、サーラ商会の本店の移転とトーチへの出店は、レインが無事に我が領に戻ってきてくれてからということにしましょう」
「レインには、してもらいたい仕事もありますので、今から10日後でいいですか」
おそらく、レインの芸能活動だろうか。
「ユファインで滞在して仕事をするにしても、一週間で以内にはトライベッカに帰ってきて欲しいのですが」
「お約束します」
「おそらく、マリアも一緒に来たがるでしょう。2人の事、よろしくお願いしますね」
その日は、バランタイン侯爵たちも、『四の湯』のスイートに泊まってもらった。
◆
バランタイン侯爵との約束通り、サラとハープンさんの結婚式から10日後、レインがマリアを伴ってユファインに到着した。俺たちは港の桟橋で2人を迎えた。やはり、レインも俺と同じく、単独行動はまだ許可が下りていないらしく、横にはぴたりとマリアがくっ付いている。
「ようこそ、レイン!」
俺とレインが握手する横で、マリアとフミが抱き合っていた。
「マリアちゃん」
「フミさん」
「お話は聞いています。フミさんもお辛い事でしょうね」
マリアは、綺麗な瞳にうっすらと涙を浮かべて、キッと俺を睨む。どうやら、ソフィの事が気に食わないらしい。
「いや、いいのよ。私もララノアも了解していることだから」
「でも、でも……もし、レイン様が同じことをされたとしたら私……一体、自分がどうなってしまうのか分かりません……」
レインがビクッとしている。無理もない。そして俺も顔を背けるしかない。
「まあとにかく、2人ともお疲れ様、とにかく『四の湯』へ」
俺はそう言って、2人を案内する。
マリアは、俺が婚約者を増やしたことが許せないらしい。俺は、フミを決してないがしろにしている訳ではないのだが、何も言えない。今夜は、温泉と料理で寛いでもらおう。
◆
今回の調査は、ラプトルの皮を隙間なく縫い合わせた気球に乗って上空から大森林一帯を眺め、地形を大まかに把握しようとするものだ。気球に乗るのは、レインと俺。レインによると、浮遊魔法で浮かび上がれるのはせいぜい2~3メートル位だが、上空から落ちても一人くらいなら背負って浮かべるようになったらしい。
試しに俺をおんぶして浮き上がってもらったが、大体1メートル位の高さをぷかぷか浮かぶことができた。念のために街の外壁に上って、浮遊魔法をかけながら、運河に向かって飛び降りてもらったが、運河の水面、2~3メートルの所に浮いている。これなら、例え不測の事態が起きても大丈夫そうだ。
俺たちはこれまで、何度も気球の実験を繰り返し、ようやく自信をもって人を乗せての実験ができるまでになった。この物珍しいイベントに、宣伝なんて全くしていないのにもかかわらず、多くの見物客が集まって来た。ここがトライベッカなら、エールや串焼きの屋台が出ていてもおかしくないくらいである。
基本的に、日本で観光用に使われる気球は高さ20~30メートル上昇するのだが、今回の気球は上空50メートル以上を目指す。
「おいおい、レインはともかく、領主自ら最初に乗るのはさすがにヤバいだろ」
「こんな時こそ、騎士団の勇気を見せる時ではないのでしょうか」
ハープンさんやサラに言われるが、俺はどうしても一番に乗りたくて仕方がない、何とか納得してもらおうと説得を試みるが、頑固な2人。仕方なく、ここは俺が折れることにした。領主として、こんな時は俺が大人にならないといけないんだよな。
最初は、10メートルという事で、葉が付いた木の枝を高く積み上げてクッション代わりに敷き、ギルドの冒険者と騎士団の代表者がそれぞれ1名ずつ乗り込むことなった。
2人の屈強な男たちを乗せた気球は、ゆっくりと浮かび上がり、ロープで印がつけられた高さ10メートル地点まで上昇。しばらく空中を漂った後、火鉢の焚火を消してもらった。
気球はゆっくりと下降し、無事、木の枝の山の上に着陸。
前後左右、それぞれ太いロープで頑丈につながれているだけあって、揺れも少ない。今回の気球調査に関して、俺がこだわったのは安全第一。はっきり言って調査ごときで、けが人なんて1人も出したくない。
「ひゃーっ、たまげた。良い眺めだった」
気球に搭乗した2人は互いに興奮した様子。ところで何か見えたか聞くと、大森林の奥に小高い山があるくらいで、見渡す限りの森ばかりだったそうだ。俺としては、その山の向こうがどうなっているのかが知りたい。
よし、次はいよいよ俺たちだな。
俺とレインが地図を片手に乗り込む。まずは高さ30メートル。炎は、最近ようやく微調整までできるようになった、俺のファイアーボール。レインはいざという時に浮遊魔法を使ってもらうため、気球に乗っている間の魔法は、極力俺が担当することにしている。
俺たちを乗せた気球は、するすると上空へ登っていく。
すごい! 良い眺めだ。パノラマビュー!
目の前には、見渡す限り大森林が広がり、ユファインの街の奥に、遠く山脈がある。山の麓には草原が広がっている。距離はおよそ100キロくらいだろうか。その先は見えない。反対側には険しい山脈が聳えている。ここから見える範囲では我がユファイン領は、森と山だけである。
「そのまま、ロープをゆっくりと延ばしてくれ」
ゆっくりと60メートル上空まで上昇するが、景色は雄大になるものの、森の奥に見える山脈の先は見えず。今日はここまでという事にした。
明日は、運河と街道を挟んで、ユファインの街と反対側にある、東の丘陵地帯に上り、そこから観測をするつもりである。
◆
翌日、俺たちは、丘陵地帯に気球を運び、昨日以上に枝葉のクッションを積み上げる。今回の調査に合わせて、あらかじめ、結構標高が高く、なだらかに開けた場所を見つけていたのだ。
俺とレインが乗り込み、再び上空へ。高さ60メートルを超えた地点から大森林を望む。するすると延びるロープ。次第に冷たくなる風。前回のパノラマを越えて、俺たちは、ゆっくりと上昇していく……。
……と、視線の先にきらきら光るものが見えた。海だ!
「おい、レイン、見たか」
「ああ、海があれば、ユファインは潤うぞ。よかったな、ロディオ!」
早速、距離と方角を計算し、その場で地図に書き込んだ。海へはユファインから推定、100キロ余り。是非、調査をせねば。これは忙しくなりそうだ。




