第1章 第2話 スタイン家 ☆
「だーかーらー、俺の名前は須黒英雄だよ」
「はい、ロディオ様ですね」
……。
さっきから、何度も「す・ぐ・ろ・ひ・で・お」と言っているのに、この娘には「ス・タイ・ン・ロ・ディ・オ」と聞こえるらしい。
……いいかげん疲れた。
とにかく俺の正式名は、ロディオ=スタインのようだ。そして彼女の名前はフーミ。「フミと呼ばれています」と本人が言っているから、俺もフミと呼ばせてもらおう。
「ロディオ様! とにかくよかったです」
フミはハンカチで涙をぬぐう。
「フミは、フミは……本当に、どうしようかと……」
フミに俺が記憶がないことを何とか納得してもらった。どうやら高熱の影響で記憶喪失になったと思っているようだ。
フミが言うには、スタイン家は領地を持たない下級貴族で、平民の身分から毎日必死で仕事をし、出世することで爵位を得た。しかしそれは一代限りのもの。代々の当主がそれぞれ自分の代で必死になって働くことで騎士爵家を維持してきたらしい。
俺の父親は、出世と引き換えに体と精神を壊したそうだ。そして無理がたたり、2年前に亡くなった。死因は不明らしいが、亡くなる前は3か月ほど休みを取らずに働きづめだったとか。フミが言うには、俺の父親は亡くなる前、ひじが痺れたり片耳が聞こえなくなったり、毎朝真っ黒な血尿が出るといった症状が出ていたらしいしい。側頭部にはちょうどコインくらいの大きさで髪の毛が抜け、腹痛を訴えることも多かったそうだ。
父親が亡くなったことで、スタイン家は収入が途絶えた。騎士爵という爵位もなくなり、一般の家庭に戻ったそうだ。父の死後わずかな遺産で暮らしていたという。
母は元々病弱でずいぶん前に亡くなった。朗らかで人柄がよく、優しい母親だったらしい。母は生前、奴隷として売られていたフミを屋敷に引き取って育てたそうだ。屋敷に元いたメイドが訳あって退職した後は、幼いフミがメイドとして一人でスタイン家の家事を切り盛りしていたという。
改めてフミを見る。
……正直、可愛いとしか言いようがない。色白な肌に、黒子のアクセントが何とも……。俺は異世界に転生したかも知れない不安より、目の前の女の子にくぎ付けである。
記憶喪失であろう俺を心配して一生懸命話すフミ。少し大きめの耳を赤く染めながら必死に頑張っている。思わず見とれている自分に気付き、いかんいかんと、あわてて頭を振って正気に戻る。
俺が急に倒れて高熱を出して寝込んでいたとき、フミは不安で不安で仕方がなかったそうだ。俺のことをずっと介抱してくれていたという。
「フミ……ありがとう」
俺を見つめるフミの2重で黒い大きめの瞳は吸い込まれてしまいそうだ。すっと小さく通った鼻筋に、かわいい唇……。俺がこんな子と親しく話していることが、今でも信じられない。
フミの髪をやさしくなでる。いい匂いがふわっと広がる。俺の手で撫でられて恥ずかしそうに少し俯くフミ。何かイケメンの様なことを自然にしているぞ、俺。大丈夫か?
フミは一瞬下から俺を見上げた後、おずおずと俺の胸に顔をうずめてきた。
すりすりすりすりぃ~。おおよしよし、かあいいなあ……。フミのさらさらの髪を優しくなでる。
「……すーはーすーはー」
えっ。フミさん。力いっぱい嗅いでいる音が聞こえるんですけど……。
「フミ!」
びっくりして、慌ててフミを引きはがす。
「……あてゃい」
「何、嗅いでんの!」
「……ひゃいっ」
フミは真っ赤になって俺から離れた。少し残念な所もあるメイドの様だ。
◆
ここで俺はあることに気が付いた。いや、ようやく気付くことが出来た。正直言って、フミのあまりの可愛さに思わず自分の意識が持っていかれていたようだ。
「俺、何でこの国の言葉を聞いたりしゃべったりしてるんだろう?」
思わずつぶやいた俺を、フミは不思議そうに見つめている。
この世界(この国?)の言葉は、話し言葉も書き言葉も日本語とはまるで違う。文字なんて、アラビア語みたいな見たこともない文字だ。にもかかわらず、俺は何不自由なく読み書きできている。意識は、現在の日本人なんだが、感覚や能力はロディオのままなのかも知れない。
「フミ、この世界のこと、俺に詳しく教えてくれないか」
フミによると、ここは大陸のほぼ中央部にあるアルカ共和国の首都サンドラ。俺はここサンドラの学校に通う学生の様だ。年齢は21歳。魔力量が多い俺は飛び級しており、現在、魔法学院の4年生。(ってか、魔法あるの!)思わず心の中でつぶやく。暦や学校の制度は日本とほとんど同じようだ。
学校は8月に入ったところで夏休みの真っ最中。魔法学院とは、魔法・武術・座学の3学科から成るエリート養成機関。元の日本でいうところの有名難関大学のようなものだろう。俺は、武術や座学は並。ただし、魔法だけは、優秀だったらしい。
魔法は魔力を使って発動される。魔力の量は髪と瞳に現れ、誰が見ても一目瞭然。何と濃ければ濃いほど多いそうだ。黒目黒髪の俺は、学校一の有名人。魔力量は開校以来1番だそうで、何しろ2年のときからすでに共和国の騎士団からスカウトが来ていたほどらしい。要するに、開校以来俺が最も髪の毛と目の瞳が黒い生徒だったということだろう。
ちなみに共和国の騎士団は、元の世界でいうところの国家公務員にあたり、警察と消防と自衛隊を合わせたような仕事。魔法学院主席の俺なら、新卒でいきなり幹部候補生で、半年以内の隊長級への昇進は確実らしい。給料もいいという。
元の世界では公務員というだけで皆からうらやましがられた。しかも、新卒から半年で、課長職待遇……。公務員の安定と、外資系企業の高給や昇級を足して2で割らずにそのままのような、元の世界では在り得ない好待遇である。
「じゃあ、フミも黒目だから魔力量は多いのかな?」
「多分そうかも知れません。私は家事やガーデニングにしか使ってないからよくわかりませんが。もっとも、私は髪の毛が少し茶色いので、魔力量はロディオ様の半分もないかと思います」
フミは、洗濯や掃除には水魔法と風魔法、料理やお風呂は水魔法と火魔法、家庭菜園には土魔法と風魔法に水魔法……。というように、基本的な魔法を組み合わせて仕事をこなしているそうだ。すごいぞ、フミ!
「じゃあ、俺も魔法が使えるかな」
「はい……と言うか、ロディオ様より魔力の強い人なんて見たことがありませんが……?」
不思議そうに、可愛く小首を傾げるフミ。
これは、まさかのチート展開か? 社畜で独身のおっさんが、異世界で若いイケメン元貴族に転生、そして可愛いメイドと2人暮らし。おまけに魔法まで使えるなんて!
このとき、俺は我を忘れていました。思わずにやけそうになりながらもフミの手前、何とか崩れそうになる顔面を持ちなおそうと必死でした。
次のフミの言葉を聞くまでは!
「……ロディオ様、記憶がないということは……あの事もお忘れなのでしょうね」
「えっ?」
フミは悲し気に顔を伏せ、言葉を続けた。
「スタイン家は、このままではあと1か月で破産してしまいます」
「はあっ?」
(糸 さま より)