第2章 第8話 エルフ ☆
俺はバランタイン伯の秘蔵のワインをちびちびと堪能しながら、考えを巡らす。
なるほど。俺とフミの働きは固定給で、今回は材料費や諸経費もほとんど無し。4~5日人を雇ったが、それでも人件費を含めた経費は、100万アール程度だろう。皆には多少豪華な食事は出されたが、本来、総事業費2~3億アールで数か月を予定していた工事が、数100分の1程の費用で済んだ。しかも工期は全部入れても10日程。それに加えて石壁以上に便利な運河である。
俺は、浮かれるハープンさんとフミを見やりながら、ワインに口を付けていると、クリークさんと目が合った。
やべ。どうやら俺の頭の中、見透かされてるよ。
「そう、それから、今回の功績は運河だけじゃありません。サンドラからトライベッカまでの街道の補修と整備、そして何より温泉。見事です」
バランタイン伯によると、早速トーチに人員を派遣して開発を始めているらしい。足湯は無料開放し、露天風呂には併設のホテルと厩舎をつけ、さらには酒場も作るそうだ。将来はトーチをサンドラとトライベッカを結ぶ宿場町に育てていきたいらしい。さすがに抜け目がない。まあ、こうなるだろうとは予想していたけど……。
「ところで、私が今日来たのは、このトライベッカから南へ続く街道の整備と運河の南進の工事を頼みたいからなのです。どうでしょう、ロディオ殿、フーミ殿」
「と、いうことは、ハウスホールドと大規模な通商を始められるおつもりですか」
ハープンさんが真顔に戻って尋ねる。ハウスホールドという名を聞いてビクッと反応するフミ。
ハウスホールドとはここから南へ馬車で3日程下った所にあるエルフの国である。数年前に正式に国を名乗った。それまでは、エルフの里の一つだったそうだが、現国王が即位してからというもの、対立していたドワーフの国をはじめ、他の里に住むハイエルフや山エルフなどの同族、更には周辺の獣人族とも交流を深め、急速に発展している新興国家である。
「すでに我が共和国とハウスホールドとの間には正式な国交が締結されています。次は商売でより強固な結びつきを持とうと、政府は考えています」
何か国家レベルの土木工事になりそうだ。
「あの……私は女ですけど、ハウスホールドには入国できますか?」
確かエルフの里は、女性が領内に入ることを禁止していたはず。エルフが他種族とあまり仲が良くない原因の一つだとも言われてきた。
「その点は抜かりありません。ハウスホールドが建国されてからは、だいぶ規制がゆるやかになってきました。実は、まだ一般的には公布されていませんが、各国が発行した入国証があれば、女性の入国を認めるという通達が内密に出されたばかりです。近い将来は男女や種族の別なく、誰でも往来できる国になることでしょう」
バランタイン伯がそう言ってくれるなら問題はないだろう。だが、それはともかく、俺やフミがここまで話に深入りしてもいいんだろうか。
「あの、俺たち、席を外しましょうか」
「何をおっしゃいます。今やロディオ様はバランタイン家において、お館様の右腕です」
いや、それ、右腕は絶対クラークさんでしょ。左腕はクリークさんだよね。
「その通り。そなたの力は、我がよく知るところです」
ハープンさんも満面の笑顔でうんうんとうなづいている。いや、そこは反対して欲しい。恐縮する俺を尻目に、にこにこして、胸の前で小さく両手を叩いて喜ぶフミ。
「今この場にいるのは、我が腹心のみ。皆はバランタイン家の幹部です」
バランタイン伯はそう宣言し、周りを見回した。
「すでにアルカとハウスホールドとの間では話がついています。トライベッカからハウスホールドまでの交易路の敷設は、エルフ王からの要望でもあります」
バランタイン伯は、そう言うと、ちらりと豪奢な装飾の入った柱時計に目をやりながら、つぶやいた。
「実は今日はもう一人、客人を招いているのです。そろそろこちらに来る頃ですが」
◆
しばらくしてメイドに案内されて一人のエルフがやって来た。
「初めまして。トライベッカで商いをさせてもらっている、ソフィ=サーラと申します」
入ってきたのは、とんでもない美人さんだった。こんな商人、いや女性、見たことない。
白く透き通るような肌にサラサラロングのブロンズヘア。パッチリ二重で濡れた鳶色の瞳。鼻筋は小さくすっと通り、まるい唇はぽってりしている。
一般的にこんな美しいエルフは胸が小さく、きりっとクールでとっつきにくいというのが定番だが、ソフィさんは優しい目元ではんなりとした雰囲気。胸はたゆんたゆんの癒し系。これはエルフの新ジャンルか。
ソフィさんは、トライベッカでも指折りの大店のご息女。今は父親の跡を継いで、全体を統括している。普段は店の奥にいて、ほとんど顔を見せることがないそうだ。
「今日は、バランタイン伯のお招きに預かり大変光栄です」
ソフィさんはそう言うと優雅に一礼した。俺、ハープンさん、そして何とクリークさんまでが呆然と見とれているように見える。そんな俺たちを見て可笑しそうに笑う伯爵。
フミはそんな皆からすっと離れて、壁際に立って能面のような顔をしていた。
「今日、わざわざ、ソフィに来てもらったのは、ハウスホールドとの交易に関してです。ロディオとフミにはトライベッカからハウスホールドまでの街道整備と運河の延伸をお願いします」
「ハープンは、冒険者を率いての護衛。そして街道と運河の仕上げを。ハウスホールドとの交渉に関しては、クラークが私の名代として随行する予定です」
「クリークは物資の準備。ソフィも力を貸してくれるそうです。工事の様子も見たいそうなので、ソフィも、ハウスホールドまで一緒に連れて行ってください。今後の貿易には、『サーラ商会』が力を貸してくれます。この工事と交渉が終われば、臨時ボーナスを出すつもりなので、皆、励んでください」
さすがはやり手のバランタイン伯。自らお越しになったのはこんな理由によるものだった。
その後、俺たちは簡単に明日からの予定を打ち合わせて解散した。フミはずっと下を向いていたが……。
「フミ、お休み」
俺の挨拶にも反応せず、フミは無言で自分の部屋に入っていった。
(四月咲 香月 さま より)




