第1章 第1話 社畜転生 ☆
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「勘弁を……」
何とか乗れた終電に揺られながら、ボソッと呟いた。
俺の名前は、須黒英雄。身長172センチ体重60キロ。少しやせ型。47歳の独り身。現在50連勤中のサラリーマンである。ちなみに容姿・体力・性格とも英雄には程遠い。
今勤めているのは、中堅建設会社。名前を聞くとたいていの人が知っているような会社の下請けである。ちなみにブラック企業でもある。あまりにも真っ黒すぎて、今ではもう、辞める気力すら無くなってしまった。極度の疲労とストレスは、前向きに生きようという心すら刈り取るのだ。
30連勤を超えたあたりで、両肘がびりびりと痺れてきた。劣悪な労働環境は、まず労働者の体を蝕む。40連勤を超えると耳鳴りがし出した。程なくして右耳が聞こえなくなった。円形脱毛症も進行してきた。腹がきりきりと痛む。そういや十二指腸潰瘍と診断されてたな。
日常生活にも支障が出てきた。とにかく家事など自分のために使える時間がない。少しばかりの自由時間は、体を休めることに充てられるからだ。
まず、クリーニングや部屋の掃除が滞る。そして散髪は10分カットの店で素早く済ますようになる。食事は外食かコンビニ飯。恋愛やファッションもどうでもよくなった。酒は大好きで毎日飲んではいるが、せいぜい家飲みである。
これで給料が良ければいいのだが、少ない。おまけに親睦費など、訳の分からないものが給料から天引きされている。俺は会社の懇親会なんて、新入社員の時以来行っていないぞ。前に一度拘束時間で時給計算してみたら恐ろしい額だった。俺のこれまでの人生、搾取され続けてきたよな……。
かつてエジプトでの話だ。ピラミッドを造るのに現場で働いた労働者は、奴隷じゃなく労務管理をされたサラリーマンだったらしい。なんでもきちんと自分の働きを塩=サラリーで賄われていたという。彼らは、今の日本の俺より待遇はいいんじゃないだろうか?
経営者、もしくは研究者や開発者が寝食を忘れて働く、あるいは研究するのと社畜とは根本的に違う。前者は何かを夢中で追いかけ、結果的に仕事をしたことになっている人。もしくは、すきなことと仕事とが、たくさん重なっている人。彼らには、精神的なストレスは、ほぼ発生しない。
それに対して社畜は、仕事に追いかけられ、ノルマを課せられている。働いている時間が仮に同じだったとしても、社畜の精神にはストレスが澱の様に沈殿していくのだ。
やりがい搾取とでもいうんだろうか。夢と希望をとき、若者の頑張る姿を応援する。なんてことを真顔で言う奴には反吐が出る。
……思わず上司や管理職の顔が浮かんでしまった。
疲れた。とにかくゆっくりしたい。もし、時間ができたら、のんびりしよう。生まれ変わることができるなら、次はホワイトな職場で働きたいな。
先日、新たに配属先として決まった所が、リゾート開発の部署だなんて笑えない冗談みたいだ。俺も客として温泉につかってゆったりくつろぎたい。
そう思って目を閉じた。電車の振動が小気味いい……。
……。
足元で「どさっ」と、いう物音が聞こえ、何かが足に当たったような気がするが、程なく意識を無くした。俺が“元の世界”で覚えているのはここまでである。
◆
あれ……明るい。
やけにクラシックな雰囲気の部屋で目を覚ました。
俺さっき……。
50連勤で終電に滑り込んで、席を確保して、とにかく座って電車に揺られていたような……。
……そして、座席に座って目を閉じたと思う。
しかし、今見えているのは少し古風なペンション風の天井。明るい陽射し。白く清潔なシーツ。
……倒れてどこかに運ばれたのだろうか?
体がすっきりしているし、疲れも抜けている。肘にも違和感がない。さっきから小鳥の鳴き声が両方から聞こえるんだから、耳も大丈夫だ。
そして俺は少しごわごわした服を着て、ベッドの中。布団はふかふか。お日様のいい匂いがする。
部屋は、木の柱に白い壁。木製の机と椅子にサイドテーブル。簡素で落ち着いた部屋。
どこだ? ここは?
知らない部屋だが、どことなく懐かしい。見覚えがある気がする。
……自分にも違和感がある。
俺は、47歳独身。身長172センチ体重60キロ。少しやせ型……。年齢=彼女いない歴を更新中だったはず。
それが……自分が自分でない様な気がする。手だってすべすべだし、顔の感じも、どことなく違う気がする。鏡は? ああ、あった。ベッドのサイドボードに小さな手鏡らしきものを見つけた。
「なんじゃこりゃ~!」
ベッドの上で上半身を起こして、思わずつぶやいた言葉が大声になって部屋中に響いてしまった。
誰? 俺? 若っ! 20歳くらいか? 顔はどことなく俺? 風みたいな若いイケメン兄ちゃん。
だけど決して他人じゃない。今までの俺とは全く違うが、これは間違いなく自分だと根拠もなく確信できる。絶対に俺だ。
例えて言うなら、古いアルバムにあるセピア色に焼けた幼少期のスナップ写真を見て、自分のものだと認識することに少し似ている。だけど俺の20歳の頃よりは断然男前である。
体は少し贅肉が減って引き締まった感じ。腕や胸板も、以前より若干厚みが増してたくましくなっている。あれ、背も少し高いかも知れない。詳しくはわからんが。
しかし、中身が中年のおっさんなのに無駄にイケメンの姿がもったいないというか何というか……。
体が誰かと、いやどこか別の世界の俺と入れ替わっているみたいだ。ならば、俺の今までの肉体の方はどうなった?
俺の体はズタボロのはずである。今朝も、トイレに行くと尿がコーラみたいだったしな!
窓から外を見ると、昔のヨーロッパの様な街並みが広がっていた。どこかの古びたテーマパークみたいだ。行き交う人たちが見える。あの物売りの女の人は、緑の瞳で銀髪。黒を基調としたスカートに白いエプロン。伝統的なアルプスの民族衣装みたいな服装をしている。
しかし……。
……耳がとがっていた! まるでファンタジー世界に出てくるエルフみたいだ。見間違いか? しかし、よく見ると一定の割合で、犬や猫やキツネの様な耳と尻尾を持つ人もいる。
ここは一体どこだ?
頭の中に『異世界』とか『転生』といった言葉が思い浮かぶ。あまりの衝撃的な光景に呆然としていると、部屋のドアが突然開いた。
「ロディオ様!」
ドアを開け、部屋の前で立ち尽くしているのは若い女の子。俺より小柄。色白で透き通るようにきれいな肌。少し茶色がかった黒髪がさらさらで肩より少し長い位。二重で大きめの黒目は濡れている。黒のふんわりしたミニスカートに白いエプロン。白いカチューシャ。これっていわゆるメイド服かな。足は長くてすらっとしているけど、胸や太ももはなかなかのボリュームです。
……ってか、何! このとんでもない美少女。俺には全く縁がなさそうな女の子です。
そのメイド? はその後、泣きながら思いっきり俺にダイブしてきた。
「ごほっっ」
俺は鳩尾にカウンターで頭突きをくらった格好だ。しかしメイドは全く気にする様子もなく、俺の胸に頭を押し付けてきた。
ふるふるふるふる……俺の胸元で顔を左右に勢いよく振り続ける。
「ロディオ様……」
おいおいおいおい……どうなってんのこれ。慌てて、俺にしがみついて泣きながら「よかった、よかった」と繰り返す彼女に質問する。
「ち、ちょっと待って」
「……?」
不思議そうな顔で俺を見上げて、小首をかしげる女の子。
「ここ、どこ?」
「君、誰?」
「俺は終電で寝てたんだけど……」
矢継ぎ早の俺の質問にきょとんとした顔の彼女。
「おーい。もしもし……?」
俺のほうが困っているんだけれど……。
「私はフミですが……ええっ! 覚えてらっしゃらないのですか?」
どうやら俺は、高熱を出して何日もの間意識を失っていたらしい。そして、俺の部屋から叫び声が聞こえてきて、フミはびっくりして飛んできたんだそうだ。
(四月咲 香月 さま より)