第1章 第10話 魔法訓練
レインの話によると『竜の庭』は、文字通りドラゴンあふれるこの世で一番の危険地帯。
ハウスホールドをはじめとする亜人たちの領域と、人間が支配する南端の都市であるトライベッカとの間を行き来するには、年に1か月ほどある雨期に、両者をつなぐ細い街道をずぶ濡れになりながら、わき目も振らずに駆け抜けるしかないらしい。
ラプトルという獰猛で群れをつくって狩りをする小型のドラゴンや、ディラノと呼ばれる大型の肉食竜がうようよいるせいで、この大森林周辺は誰の手も及ばない空白地帯のままだということだ。
ギルドでララノアから聞いたとおりである。本当に近づきたくないものだとつくづく思う。
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レインのおかげでこの世界への理解もすすんだ。まだわからないことも多々あるが、ゆっくりと調べていこう。何より俺にとっては、フミに加えてレインの存在は大きい。精神的にも大きな支えになってくれそうだ。
ただ、レインに魔法を教えてもらうにしても白紙の状態で行くのは嫌だ。そこで『ハイランダー』でレインと別れた後、ギルドに寄った。
入るとすぐ、ララノアが俺たちを見つけて微笑みながら小さく右手を振ってくれている。
「魔法の使い方を教えてくれる人はいないかな?」
「うーん。普通、ギルドで魔法を教えたりはしませんが……あっ、ちょっと待ってくださいね」
パンフレットのような魔法の教本を2冊持ってきてくれた。
「基本4属性の魔法についてまとめてあります。こっちが初級魔法で、こっちが中級魔法です。よかったらお貸しします。どうぞお持ち帰りください。もっともロディオ様の魔力量なら上級でも余裕で使いこなせそうですね」
「ありがとう」
輝くような笑顔のララノアにお礼を言い、ぶすっとふてくされるフミをなだめながら家路についた。
家に着くなり、フミと共にさっそく教本を読んでみる。この世界では本は貴重だ。ララノアが俺たちに貸してくれたこの教本も薄いものだが、恐らく高価なものだろう。
教本には、火・水・風・土の4属性の魔法についての説明が簡単に載っていた。これら4つの属性は、それぞれが対等という訳ではないらしい。
何といっても風魔法が基本。風が大気を動かすことで、摩擦によって火ができる。圧縮すれば爆発するといった火魔法に発展する。水魔法も同じ。大気を動かし、空気中で気体となった水を集めると液体の水ができ、温度を下げれば氷となるといった具合だ。
更に水魔法の上級者は、体内の水の流れを操ることで、病気やケガ・毒などの治療ができるようになるとも書かれてあった。どちらかというと内科に近いのかも。逆に外科的なものは治癒魔法と呼ばれ、魔法の体系が全く別物で教会とのつながりが強いものらしい。
このように、風魔法は火魔法・水魔法の元ともなる魔法であるが、そこから土魔法へつながっていくということはない。
土魔法は大地の成分から必要なものを生成していくもので、別の系統の魔法だそうだ。
例えばストーンウォールなどは、通常その地の周辺の物質を使って石の壁を作る。砂浜でこれをやれば砂岩の壁、沼地で行えば泥岩の壁というように、場所によって違った種類の石壁が出来上がる。
そして土魔法は、他の魔法に比べて大量の魔力を使うためか、それを得意とする使い手は少ないそうだ。初級らしいが使えるフミはすごいんだな。
フミに聞くと、元々俺はこの本に載っている中級魔法は全て使えていたらしい。今日の所は何もできなかったが、そのうち思い出すかも知れない。レインに教えてもらうことにしよう。
◆
翌日、俺とフミは朝食もそこそこに、地図を見ながらレインの家を目指して歩いていた。
「この角を曲がった後は、確か真っすぐだよな」
「はい、そうなんですが……随分と寂しい所ですね」
フミが言う様に、寂れた荒地が広がる一角である。本当にこんなところに家があるのかさえわからない。
「ひょっとして、あれか?」
粗末なプレハブで出来たような、家というより事務所の様な建物が見える。俺たちが、入り口をノックしようとすると……。
「よお、2人とも。さあ、入って入って」
レインが中から顔を出して、招き入れてくれた。まるで俺たちが来るのをあらかじめわかっていたかのようだ。レインは魔法で俺たちが来るのを探知していたらしい。索敵魔法というものだそうだ。
家の中は、小さなキッチンとテーブル、食器棚と本棚。奥にトイレと風呂場があるだけ。本棚にはぎっちりと高価そうな本が並んでいた。物珍し気に家の中を見回す俺。
「ボロくてびっくりしたろう」
「いやいや、シンプルでいいよ」
「そうです、男の人の一人暮らしなんですから、これもありだと思います。キッチンもありますし、今日のお昼は私が何か作りますね」
何だか俺とフミのフォローも微妙なものになってしまった。
レインは元々、高齢の祖父と2人で俺の家の近所に住んでいたそうだが、祖父の死後この土地を買って引っ越したという。
しばらくしてフミが席を立った間に、俺はそっと聞いてみた。
「それにしても、レインは本当にエルフが好きなんだな」
「……ぶっ!」
俺のつぶやきにコーヒーを吹き出すレイン。
「だってほら、魔法関係の堅そうな本の合間にエルフの本が沢山あるし」
「……あ、あのなあ……。エルフが好きなのは、男ならお互いさまだろ」
「俺は別にそうでもないけど……。あっ、この事はフミには内緒にしとくから。何かあいつエルフを嫌っているんだよ」
3人でお土産のお菓子を食べ、レインが淹れてくれたお茶を飲み干してから、外に出て魔法の練習を開始した。
この周辺の広大な土地は、すべてレインの土地だそうだ。見た感じ東京ドーム10個分くらいある。
「魔法の練習にはある程度広い土地が必要だからな」
高名な魔法使いが、山奥や森の中など人里離れた場所に住んでいることが多いのはそういう理由らしい。レインも魔法の研究が生活の中心らしいが、金が必要になる度ギルドで仕事を請け負うため、ここに決めたそうだ。
魔法か……。コツをつかめば本当にできるんだろうか。呪文や恥ずかしいポーズなど中2病的なことがなければいいんだけど……。
レインに見てもらいながらギルドから借りている魔法の冊子を開く。
最初に試すのは火魔法の初歩『ファイアーボール』
手を前に出して魔力を込める。前に打ち出すイメージか……。どうやら、恥ずかしい呪文はいらないようだ。
…………。
何も出ないぞ。
「実物を想像してみろ。火が出たら熱いし、燃える音がするかも知れない。リアルに五感で感じるように心の中に思い描くんだ」
レインのアドバイスに従ってイメージする。
しばらくすると……。
”ボン!”
いきなり俺の右手の前に直径1メートルくらいの火の玉が現れた。
おおっ、すげー! 本当に出たよ!
しかしすぐに、しゅるしゅしゅ~。としぼんで、ぼとんと足元に落ちた。まるで大きな線香花火の先っぽを落としてしまったみたいだ。
「ま、まあ、一通り試してみたらどうだ?」
「私もロディオ様と一緒に頑張ります」
フミも俺の練習に付き合ってくれる。俺の隣で上手に魔法を操られても、俺はへこむだけなんだが……。
気を取り直して水魔法のページを開く。
……ウォーターボールか。
火魔法の時と同じように右手を前に出し、水の球が出てくるようにイメージする。
うわ……直径1メートルくらいの水玉ができました。そのまま前に飛ばすイメージをするも、またもや、べちゃっと下に落ちた。
「お前、ほんとに忘れてんだな」
かつてのロディオならともかく、俺は魔法なんて使ったことねーよ。しかしながら不完全とはいえ、火や水が出てきてむっちゃわくわくしています。
さっきレインにディスられましたが、正直そんなの全く気にならないくらいです。
フミはというと、火や水を出したり飛ばしたりひっこめたりと器用に操っている。なんか大道芸人とか手品師みたいだ。
「ロディオ様は、きっと大丈夫です。少しずつ出来るようになると思います」
「なあフミ、俺ってどのくらい魔法使えてたの?」
「どのくらいも何も、魔法学院で1番でしたよ。しかも火魔法がすごくて、“炎のロディオ”と言われてました」
なぜか軽くドヤ顔のフミ。
「そういや入学早々、学校の校庭でとんでもない火柱を噴き上げて、そんな二つ名までもらってたな」
しかし、今の俺は初級のファイアーボールどころか、生活に必要な火種や明かりの操作さえうまくできない。
風魔法はどうだろうか。
「ウインドカッター!」
……そよかぜが前方に吹きぬけた気がする。
その後、俺とフミの周りの空気が少し持ち上がった。
フミのスカートがめくれて、レースにリボンがついた白の布地がこんにちは。
俺とレインの視線に気づいたフミは真っ赤な顔をしてスカートを押さえ、俺をにらむ。
「もう、せっかくロディオ様のお力になろうと思ってたのに! 後はおひとりでやってください! 私はお昼ご飯の準備でもしてきます!」
どうやら、俺がふざけてスカート捲りをしたとでも思ったらしい。……ち、違います、本当です。
「お、おい、フミ……」
フミは俺の言い訳も聞かず、スタスタと家の中に入って行ってしまった。
「……ま、まあ、フミちゃんは、基本は十分できてるから、今日はもういいだろ」
一人でまだ試していない土魔法とやらに挑戦してみる。何でもストーンウォールという石壁を造る魔法があるらしい。
『ストーンウォール』と、心の中で呪文を唱え石の壁をイメージする。右手を前に出すと……。
目の前に石壁が……。
5メートルほどの高さまで、ずずずーっとせり上がった。横幅はおよそ10メートル位である。あわてて尻もちをつくと、そこで石壁の成長は停止した。
やったー! できた! ……感動!
「おお、すげえな。まさか、土魔法からできるとは……」
土魔法は、他の系統の魔法に比べ、魔力が桁違いに必要で、特にストーンウォールの使い手はほとんどいないらしい。フミは少し出来るらしいが。
レインによると、自分に相性の合うものから極めていくのが上達の近道らしい。俺は火魔法が得意だったらしいが、これからは土魔法を極めていこう。
何しろ現状ではこの系統しかまともに出来ないのだから。
びっしょり汗をかいて、レインの家に2人で戻ると、怒って家に入っていったはずのフミが鼻歌を歌いながら、食事の用意をしてくれていた。
「ごめんなさい、レインさん。キッチンを勝手に使わせてもらっています。それにしてもこのキッチンは使い勝手がいいですね。おまけに、私が欲しかったスパイスがたくさんあります。これ、本当に使ってもいいですか?」
「ああ、ここにあるのは全部好きに使ってくれていいよ。ロディオは先に風呂にでも入ってくればいい」
俺は水魔法の失敗と土魔法の連発のせいで泥だらけである。お言葉に甘えて奥の風呂場に入らせてもらった。この世界ではめずらしい、広くゆったりとしたバスタブである。お湯はやや熱めで、シャンプーや石鹸など、俺にはおなじみのアメニティーまで揃っている。さすがはレイン。俺の親友なだけあって趣味が合うな。
◆
「こちらの棚には何か私も見たことのないスパイスがいっぱいありますね。この瓶に入ったものは、刺激的な臭いがします。『ワサビ』って書いてありますけど。何に使うんですか」
「ああ、それは、出入りの商人から最近仕入れたものさ。魔法にも使えるかもしれないと思ってね。毒はないけど、料理に使うのはちょっと難しいかな。ステーキに少しつけるとおいしいよ」
その日は、3人でフミの作った料理を食べ、ワイバーン討伐の打ち合わせをしてから家に帰ったが、俺は魔法が使えることがあまりにもうれしくて、毎日魔法の練習をするようになった。土魔法だけだけどね……。
何日かすると、頭でイメージしただけで素早く発動できるようになった。いやこれは面白い。何だか魔法にはまりそうだ。




