第10章 第2話 戦雲
アルカ共和国の商都サンドラにある政庁では、今回のバランタイン領の独立と、ユファイン、ハウスホールドとの3国同盟に関して議論が紛糾していた。
共和国の人口は約150万。王はなく有力貴族の合議制で運営が進められている。
階級として最も上位なのが、公爵のアートベック家。次に侯爵ラフロイグ家。そして王国との国境を守る辺境伯のハイランド家。そして、共和国の南で最も大きな所領と人口・経済規模を誇るのが、伯爵のバランタイン家であった。
これら4つの貴族家が、経済力があればある程政治的な序列を低く抑えることで、共和国の均衡は長年保たれていた。それが今回、大きくバランスを崩すこととなった。
バランタイン家が中心となって成し遂げられた、ハウスホールドとの通商協定と、それに伴って整備された運河や街道のおかげで、アールの流通が、北の王国だけでなく、南の亜人たちの領域まで広がることとなった。
この功績に対して、さすがにサンドラの政庁でも、バランタインを伯爵のままではまずいということになった。何しろ、今までも共和国の南を守る実質的な辺境伯である。バランタインは伯爵から一躍侯爵となった。
ところが、ここから、3家の想像を越える事態が起きる。2国間の交易が爆発的に増えることで、バランタイン家が力をつけすぎることなったのだ。
それは、ハウスホールドからトライベッカ、そしてトーチを経由して、サンドラまでの流通が飛躍的に増えたことによる、バランタイン領の大発展である。
トライベッカとハウスホールドとの間の空白地帯であった大森林『竜の庭』にできた、ユファインという温泉リゾートの新領主には、元バランタイン家の筆頭魔導士が就任した。その上、バランタインは、侯爵として自分の周囲の者に爵位をばらまくなど、まさにやりたい放題である。
「勝手な独立など認めてはならん! 直ちに兵を進めるべきだ」
口角泡を飛ばすのは、強硬派のラフロイグ侯爵。
「いやいや、バランタインは、ユファイン、ハウスホールドとも同盟している。今、兵を進めれば、我らは、良質の木材や、肉、塩、酒をはじめとした輸入ルートを断たれてしまうだけでなく、山エルフやドワーフといった優秀な職人たちをも手放すことになりますぞ」
慎重論の立場を崩さないのはアートベック公爵である。
「多くの国費を投じての運河建設や通商に関して、大儲けしているのはバランタインだけ。あ奴さえいなければ、我々ももっと儲けられるものを。あいつは商人、じゃなかった、貴族の風上にもおけない奴だ」
会議は、強硬派の侯爵と、穏健派の公爵という、2人の意見の間を行ったり来たりしていたが、やがて、そもそもバランタインを討伐することが出来るか否かという話となる。
「正直、かなり難しいのではないか」
相変わらず公爵は難しい顔をしている。
バランタイン領討伐計画における最大の問題は軍の編成。何しろ、長年の太平により、軍の規模は縮小され、共和国の常備軍である騎士団はわずか2万人。魔法士団に至っては、100人もいない。彼らは長きにわたって戦場に出ることもなく、今や働かない高給公務員と化している。その分、若者からはホワイトな就職先として、大人気なのだ。
「全軍を出したとしても、2万人程度では、トーチでさえ抜くことができるかどうか……。可能性を探るというなら、北の王国の力を借りるしかあるまい。バランライン領さえ押さえれば、北の王国にも十分に恩恵を与えることができましょうぞ」
「確かに……。十分な旨味を与える条件なら、王国軍の大半を引っ張って来られるでしょうな」
「それなら、バランタインなどひとたまりもあるまい」
「実は、こんなこともあろうかと、王国の宰相や軍部には極秘裏に打診を終えています」
「辺境伯殿、そればずいぶんと手回しがいいことですな」
「北の宰相は、どれくらいの兵を貸してくれそうですか」
「現在、帝国の脅威が薄れている今なら、こちらに10万は出してもらえるでしょう」
「10万!」
ハイランド辺境伯の発言で、共和国の方針が決まった。
◆
通称『北の王国』と呼ばれている、グレンゴイン王国。王は、高齢のグレン=オードだが、半ば隠居状態で、実権を握っているのは、宰相で甥のグレン=ギリ―。
この国は、産軍共同体とも言うべき国家で、軍事力を保持し続けることが、一種の公共事業の様になっている。常備軍は15万人以上。かつては強大な軍事力を背景に、南下を目指していたが、軍が国の財政を逼迫し続け、結局は、アルカ共和国から資金援助を受ける破目になっている。
今では、グレンゴイン王国では、元の通貨であるグレイが完全に駆逐され、国内では、アールが正式な通貨として流通している。領内の東は、カティサーク帝国が、周辺の弱小領主たちをゆっくりと呑み込みながら膨張を続けている。王国が軍事国家になったのも、軍事費の削減が進まず、アルカ共和国から逆に資金援助を受けることになったのも、元はと言えば、帝国の脅威のせい。気の毒な国ともいえる。
カティサーク帝国は、元は、辺境の一領主に過ぎなかった初代皇帝が、周辺諸国を次々と征服。わずか3代で、世界の3分の1の領地と、5分の1の人口を擁するまでになった。
ただ、今は、記録的な不作が続き、帝国は領内の反乱の鎮圧で手一杯の状況。王国としては、兵を南下させる絶好の機会でもあった。
こうして、アルカ軍2万と、王国軍10万の合計12万の軍勢がトーチに向けて進軍を開始することとなる。
◆
俺はカインの報告を受け、ドラゴンの搬入を急がせる。トーチの周囲には大量のラプトルが放たれている。各地へ輸送予定だったラプトルもすべてトーチへ輸送するように指示してある。
恐ろしいことに、今やトーチの二重の運河に挟まれた草原地帯には、6千を超す飢えたラプトルと、100匹以上のディラノが生息することとなった。その人口密度、というか、ドラゴン密度は、『竜の庭』の数倍だろう。
俺はユファインでカインの報告を聞きながら考える。共和国側は、どのような勝算があって、トーチに軍勢を入れるんだろうか。北には、あまり肉食のドラゴンが生息しておらず、ほとんどの兵は、ディラノはおろか、ラプトルすら見たことがないはず。このまま軍が南下するなら、トーチ側からすれば、しばらくドラゴンに餌をやらなくて済むだけになりそうだ。
◆
共和国と王国の連合軍12万はトーチの外運河に到着。大型のドラゴンにも壊されないよう、石で入念に固めた運河だが、普段は船が通るでもなく、堀としての役割しかしていない。
連合軍は運河に橋を渡し、粛々と軍を進める。全軍が橋を渡り切り、しばらく進軍すると、トーチの城壁が見える。
トーチの兵力は6千人だったが、予想を上回る12万の大軍が侵攻しているという事で、急きょ増員されていた。俺がユファインの近衛騎士団をトライベッカに送ると共に、トライベッカにいた4千人余りの兵は、トーチに移動。ユファインの近衛騎士団長はステアなので、トライベッカを守る任務にはうってつけだろう。
結果、トーチには、アール公国、ユファイン公国、ハウスホールド王国の軍、約1万人が立てこもり、共和国と王国の連合軍12万の軍勢を迎え撃つこととなった。
俺たちは補給に問題がないため、基本方針として籠城戦を選択していた。一旦申し出を断っていて申し訳ないが、ハウスホールドに、敵軍が計12万にも及ぶという事を伝えると、ダグは独断で近衛騎士団を送ってくれた。俺は、近衛騎士団はユファインに残し、残りの騎士団は、アール公国に預けることにした。
そして、トーチの城壁には、新たに作られたアール公国、ユファイン公国、そしてハウスホールドの軍旗が翻るだけでなく……。
もはやいろんな意味で伝説となった『サラマンダー』の旗が、ど真ん中で誇らしげに翻っていたのだった。
 




