後編:あなたが主治医になってよねっ
最終話です。
謁見の間に入るなり、魔王が何らかの言葉を発した。わたしには理解のできない魔族の言語。けれども、ノアには。
ノアが同じ言語で魔王に何かを語る。
巨大な魔王を見上げるように、けれども威風堂々と立って。
しばらくそれを聞いていた魔王だったが、ノアが口を閉ざすと同時に玉座の肘起きに手を置いて何かをつぶやき、ゆっくりと立ち上がった。
「ノア、いま何を話してたの?」
「決別だ。私はやつに人間になりたいと言った。魔王は、ならば虫けらとして死ねと言った。それだけのこと」
それだけって。ずいぶんなことのように聞こえるのだけれど。
でも、いまは――。
「アリカ、くるぞ」
「はいっ」
魔王の右腕が、虚空から雷のような闇をつかむ。空間が震える。黒い雷はやがて鋭い刃と化して、わたしが持っている魔王の剣とうり二つの大剣となった。
魔族の魔術。わたしたち人間が、どれだけ研究しても到達できない領域。
わかっていたのに圧倒された。私が持つ魔王の剣はただの黒い刃の剣だけれど、魔王が手にしたそれは、闇色の雷を纏っている。
あれに触れた瞬間、闇の雷は本物の雷光のように刃を遡って全身を侵し、わたしたち決死隊三百は麻痺させられ、為す術なく蹂躙された。
避ける?
ううん、大丈夫。きっと。
魔王が地を蹴る。わたしは手にした剣で、振り下ろされた刃を受け流す。けれども受け流しきれず、ブーツで濡れた絨毯を掻いて壁に背中をぶつけた。
咳き込み、わたしは魔王を睨む。
闇の雷はわたしを侵さなかった。だってこの剣もまた魔王の剣なのだから。
ニィと魔王が嗤った。狂気の笑みで。
わたしにはわからない言語で何かを叫んで、魔王が再び地を蹴る。
「アリカ!」
「――っ」
きっと受け止めきれない。
だからあえて踏み込み、魔王が剣を振るった瞬間にわたしは頭を下げて絨毯に飛び込む。暴風とともに刃が掠め、わたしの後ろ髪を斬り飛ばしたのを感じながら前転して立ち上がり、振り向き様に魔王の背中へと刃を薙ぐ。
「いま――ッ!!」
それは完璧なタイミングだった。なのに、わたしが放った刃は魔王の外骨格を微かに傷つけただけで、その表皮を滑って弾かれた。
硬い――!
だめ。だめだ。体勢を崩したままじゃ貫けない。
暴風と闇の雷を纏う刃が薙ぎ払われる。避けきれずにそれを刃で受けてしまったわたしは、全身の骨が軋む音を聞いた。とんでもない勢いで吹っ飛ばされて頭から地面に叩きつけられ、跳ね上がって転がり、壁で止まった。
「……ぁ……ぁぁ……」
あ、だめだ。動けない。
脳と全身の接続が切断されたのがわかった。目玉が焦点を失って、視界がぐるんぐるんと回っている。
意識が闇に包まれる寸前、わたしの首筋に暖かな手があてられた。ノアだ。
「そのまま意識を落とすな。すぐに治療を開始する。――解析。頭蓋と頸椎の損傷か。――再構築」
直後、繋がる。アタマとカラダが。
魔王が刃を引きずりながら走り迫った。わたしはノアを突き飛ばし、自分の足を振り上げてとっさに跳ね上がる。靴底を掠めるように、闇色の雷を纏った刃が暴風を伴って振り上げられた。
着地と同時に落としていた剣を蹴り上げて拾い、魔王へとその切っ先を突き出す。けれども魔王は一瞬早く剣を引き、わたしの刃を弾いて防いだ。
「く……っ」
ただ防がれただけで体勢が崩される。地力が違い過ぎる。
剣を持つ両手が高く跳ね上げられ、なんとか引き戻そうとした瞬間、魔王が振るった刃が、剣の柄を握るわたしの両手首を音もなく通過した。
直後、闇の雷に全身を侵され、わたしは石床に薙ぎ倒される。麻痺。それに。
「ぁ……ああ、あああああああ……っ!!」
視界のなかで、剣を持ったわたしの両手首が宙を舞っているのが見えた。斬り口からはどろどろとした血液が流れ出している。
斬られた。手首を。
「手、わたしの手が……っ」
意識した瞬間、激痛がわたしを襲った。
剣を握ったまま空中を舞う両方の手首を、走り込んできた白い影が跳躍して胸に抱え込み、魔王の振り下ろしを避けてわたしの方に滑り込んできた。
そうして、手首から先のなくなったわたしの両手を左手でつかむ。
「痛ッ、ああぁぁぁ!?」
「痛むが我慢しろ。――解析」
魔王がわたしたちに迫る。闇色の雷を纏う剣を振り上げて。
ノアは避けようともせず、わたしの両手首をつかむように右手をあてた。
「切断面に欠損なし。――再構築」
「間に合わないっ、ノアだけでも逃げて!」
繋がれ、早く! だめ、やはり!
刃が振り下ろされる。ノアの頭部をめがけて。わたしは肩でノアを押し倒してふたりして転がった。
とどめとばかりに、魔王が切っ先で絨毯の地面を引っ掻きながら、逆袈裟に剣を振り上げる。
「防げ、アリカ」
「――ッ」
手首、ある! 繋がってる!
わたしは切っ先を地面に突き刺して、魔王の斬り上げを強引に防いだ。けれども魔王の怪力でノアごと吹っ飛ばされて、ふたりして石床を転がる。
すぐさま立ち上がった。
そのわたしへと、魔王が斬り込む。防げない。全部流す。受け流し、避けて、掠められて吹っ飛ばされ、また治療を受けて凌ぐ。
何度もそれを繰り返した。もうどれくらい戦っているのかさえわからない。
やがて、不意に視界が歪んだ。魔王が二重三重に見える。
わかってる。絨毯にはもう、わたしから流れ出した大量の血液が染みこんでいる。血が足りない。ノアなら戻せるかもしれないけれど、そんな暇を魔王が与えてくれるはずもなくて。
対する魔王はほとんど無傷。これだけ長時間戦ってつけられた傷は、外骨格のひっかき傷がわずか数本。
呼吸が整わなくなってきた。水のなかにいるみたいに息苦しい。汗が止まらない。
勝てない……。
ああ、人間はもうここで滅びるしかないのかな……。
悔しいなあ……。
「アリカ。やはりおまえは魔王には勝てない。逃げた方がいい」
けれど、これは人間と魔族の戦い。お医者様は関係ない。
「もういいよ、ノア。あなたこそ逃げて」
魔王がこちらに切っ先を向けて、何かを告げた。ノアが鼻で笑う。
「何て言ったの?」
「人間族にしては楽しませてくれた。だがここまでだ。戦士らしく潔く散るがいい。とまあ、そんなところだ。医者である私には理解も共感もできん内容だがな」
「ああ、そう……」
ああ、腹が立つ。本当に、腹が立つ。
最初から遊び。全部遊びなんでしょう。人間と戦うことも、人間を滅ぼすことも。ただの狩り。何が戦闘民族だ。嫌い。本当に嫌い。
「アリカは逃げないのか?」
「逃げてどこへいくのよ!? みんな、みんな死んじゃうんだから、わたしだけ生き残ったって寂しいだけじゃない!」
わたしは揺れる視界で魔王を捉えて、再び剣を構えた。
二重三重に見えてる上に、さらに滲んできた。情けない。
「逃げないのだな」
「逃げるくらいならここで死ぬ! ノアこそ早く逃げて!」
「はぁ~……」
ノアがため息をついて、わたしの肩を押しのけた。そうしてゆらりゆらりと頼りなげに歩き、魔王の前に立つ。
「ノア!? 何してるの! 早く逃げて!」
「アリカ・ミゼル。おまえの輝きを守ることは、主治医の仕事の範疇であるだろうか」
「何言ってるの! 本当に殺されるから! あなただけでも生き延びて!」
ノアが自身の左手を広げて見つめる。そのときになって初めて魔王が狼狽した。
わたしには見せなかった態度。ノアを警戒するように、剣を正眼に構えた。
直後。魔王は剣を振るった。暴風を巻き起こし、闇色の雷を纏わせ、黒の刃がノアの首を掠める。そう、掠めた。ノアは首を少し引くことで、紙一重で躱した。
そうして、左手を持ち上げて。
ぺたり。巨大な魔王の腹部にあてた。それは攻撃なんかじゃなくて、本当にただ添えただけ。ちょうど触診でもするかのように。
「――分解」
瞬間、飛び退いた魔王が着地と同時に分断された。お腹が失われて、胸部から上と下半身に分かれてしまった。
魔王が凄まじい声で悲鳴を上げた。どす黒い血液が、魔王の上半身と下半身から一気に広がり、赤い絨毯を黒く染め直していく。
「いくら鎧のように硬かろうが、外骨格は肉体に過ぎん。ならば貴様が鼻で笑った私の医術は十分に通じる。鎧でも着込んでくるんだったな、魔王よ」
わたしは唖然とした。
魔王は上半身だけで石床を這って逃げようとするけれど、ノアは淡々と歩いて追いついて、彼を見上げながら必死で何かを訴えかけている魔王の顔に手を当てた。
「残念だったな。もう遅い。なぜならおまえは私の患者にならなかったからだ。――分解」
魔王の首から上を消し飛ばした。血霧が空間に広がって消滅する。
それで終わり。おしまい。魔王に勝っちゃった。わたしがいくら挑んでも手も足も出なかった魔王を、たった二度、触れるだけで沈めてしまった。
ノアが自身のローブで手を拭いて、こちらを振り返る。
「医者としては甚だ不本意な救い方となってしまったが、致し方あるまい。アリカは私の患者なのだからな。おまえを死なせてしまっては元も子もない。治療を継続する楽しみが消えてしまう」
「いや……あの……」
「なんだ?」
「なんでもないです、はい。ふふ、ふふふふ」
だめだ。笑っちゃう。
「?」
なんか、もう、ああ。うん。
もうちょっと早くやって欲しかったな~って、そういう恨み言を言おうと思ったのだけれど、どうにも喉元から言葉が出なかった。
だって彼は戦士でも魔術師でもなくって、お医者様なのだから。
※
学園都市アストライア――。
残り三十万となった人類に、最後残された楽園。
魔族の技術である魔導をいち早く取り込むことで、学園アストライアを中核として広がった最後の都市。
わたしは学園に戻ってきた。三百名の決死隊のなかで、ただひとりだけ。
ひとり。そう、ひとり。
誘ってはみたのだけれど、ノアは一緒にはきてくれなかった。人間じゃなくって、やっぱり彼は魔族だから。受け容れられることはないだろう、と。そんな寂しい一言を残して、彼は移動式魔王城、万魔殿からも去っていった。
アストライアは万魔殿の技術を取り込み、さらに魔導を高めることができるだろう。
わたしは人類の救済と同時に新たな魔導を持ち帰った英雄として、勇者位という特別な爵位を学園理事長から賜ることになった。それを戴くべきは、本当は、魔族のとあるお医者様なのだけれど。
そのことは何度も学園上層部に説明したけれど、誰も信じてはくれなかった。
曰く、魔族が人語を解すわけがない。
曰く、魔族が人間を救うわけがない。
曰く、魔族が魔王を殺すわけがない。
曰く、そんな魔導は存在しない。
まるでノアが本当に夢だったかのように。わたしの証言から彼の存在は完全に消し去られてしまった。
魔族の脅威は去っても、その残党や魔物の脅威は依然として残っている。アストライアはこれからも戦い続けなければならない。
そして、厳しい戦いを続けるわたしたちに必要なのは、戦力以上に勇者や英雄といった希望の象徴なのだそうだ。
そんなわけで、辞退は許されなかった。
あれから数ヶ月が経過していた。
定例の学園集会に先だって、わたしは先生方から呼び出しをもらった。別にお叱りを受けるわけじゃない。わたしは都市唯一の勇者位を得た学生であるため、学生会長と立場を同じくして、学生側ではなく教師側に立つことになったから。
円卓会議。先生方や生徒会役員らが繰り広げる興味のない会議を聞き流していたわたしの横の席に、見知らぬ青年が遅れてやってきた。
わたしは椅子に座したまま、彼をチラ見する。
少し血色が悪いとさえ思えるくらいの青白い肌。線の細い男の人。青年。前髪はやや長めで目の高さにまで下りていて、雪のように真っ白な白衣を着込んでいる。整った顔立ちは愁いを帯びていて、正直わたしは少しの間、見惚れた。
すごく、すごく綺麗な顔立ちの人。
「……」
瞳が赤い。真っ赤だ。色素が薄いから血の色を表しているのかしら。ああ、この色。思い出してしまう。移動式魔王城で出逢ったお医者様のことを。
学園の理事長が、わたしに語りかけた。
「ああ、アリカくんは初めてだったかな。彼は本日から学園アストライアの第二保健室に勤めることになったドクター・ノアだ」
「ノ……ア……?」
「彼は神の手を持つ凄腕の医者でね。まったく、この三十万都市のどこに彼ほどの逸材が埋もれていたのやらだ」
理事長が続ける。
「実は私は重い病に罹っていてね。明日にでも命を失ってもおかしくない状況が続いていたのだが、移動式魔王城が出現したおかげで、周囲にそのことを公表する機会を失ってしまっていたのだ」
寝耳に水。初めて聞いた。きっとアストライアの民は知らないこと。
校長や教頭は知っていたようで、同調するようにうなずいている。
「だが先日、いよいよとなった私の前にドクター・ノアが現れた。彼がどういった魔導医療で私を救ってくれたのかはわからんが、私の体内に無数に蔓延っていた腫瘍は、その日のうちに綺麗さっぱり消滅していたのだ」
ドクター・ノアがつぶやく。
「アーヴィング理事。たしかにすべての腫瘍は消し去ったが、再発の可能性は低くない。あなたは私の患者だ。今後は不調があれば、他の医者ではなくすぐに私に言うように」
「ええ、ええ。もちろんですとも。命を握るノア先生には敵いませんな。おかげで妻の飯がうまい。はっはっは!」
この言い草。ああ、間違いない。
たぶんだけれど、ノアにはウイルスや細菌が原因の病気は治せない。対処療法はできるかもだけれど、それらを根本的に取り除くことができないから。そういうのはお薬のお医者様の出番。
でも、外科的なことなら何でも治せちゃう。死んでいない限りは。解析で発見した腫瘍を分解して正常な細胞に再構築するなんて、たぶんお手の物。
だとしたら、やっぱりこの人は。
その後の会議はすべて右から左に流れていった。
会議を終えた瞬間、わたしは退室したドクター・ノアを追いかけて、学園の廊下で彼の白衣の背中をつかむ。
「ノア! あなたなの!?」
ドクター・ノアが振り返った。
赤い瞳に射貫かれたように、心臓の鼓動が早まっていく。
わたしはもう一度尋ねた。
「……ノア、なの……?」
「おまえがそう言うということは、この肉体の仕上がりは上々のようだ」
「へ?」
「自身の魔族としての肉体を少しずつ分解し、人間族の肉体に似せて再構築するのに少々時間がかかった。いや、それ自体はさほどでもなかったのだが、最初は構築した肉体をうまく動かすことができなくてな」
「~~っ!!」
胸が詰まった。
どこにいるんだろうって思ってた。ひとり寂しく、魔物だらけの危険な世界を彷徨っているのだと、そんなことを考えていた。
気づけばわたしは彼に抱きついていた。抱きついて大泣きしていた。なのにノア先生ったら。
「やはり私から見ればおまえは愛らしい孫のようなものだな。大人はそのように人前で泣くものではないぞ、アリカ」
「バカ! ずっと心配してたんだからっ!!」
何事かと、学生が会議室から出てきた先生方が遠巻きに見ているけれど、それにかまう余裕はわたしにはなかった。たとえこれが特別な関係だと思われたとしてもかまわなかった。
嬉しくて、悲しくて、感情がもうぐちゃぐちゃで。たぶん、顔も。
「そうか。それは悪かったな。だがまあ、おまえは私の患者だ。医療従事者たるもの、定期検診を怠るわけにはいかない」
「そんなことのために、アストライアに……?」
「ああ。以前の暮らしに未練はない。これからこの地で救う若き命の輝きに比べれば、失ったものなど実に些細なものばかりだ。アリカ、私はここで医者として生きていく」
安心。そう、安心した。すごく。すごくすごく。
「見てみろ、アリカ。この学園都市アストライアは外界の脅威からの不安と恐怖と、そして戦いの日々から蔓延する疲弊と傷病に満ちている。これは治療のしがいがあるぞ」
「楽しそうに言わないでくださいっ。もう、あいかわらずなんだから」
だから足から力が抜けて、腰が砕けた。
泣きながら崩れそうになるわたしを、ノアの手が抱き留めてくれる。そうして赤く優しい視線でわたしを至近距離から見下ろして、囁くようにこう言ったのだ。
「手始めにアリカ・ミゼル。まずは接合部である鼠径部を診せろ」
「……はい、ノア先生」
わたしは彼を見上げて涙ながらに微笑み、スカートを手で――抑えながら跳躍、全身をひねって後ろ回し蹴りで彼の側頭部をガツンと蹴った。
「ってなるかぁッ!!」
ちょっと感動したらもうこれだ!
先生方や生徒会役員たちが大慌てで奇行を働いたわたしを取り押さえるなか、わたしと、そして廊下の壁にカラダをぶつけて崩れ落ちたノア先生だけは、大笑いをしていた。
けれども、ああ、けれども。
わたしたちアストライアに住まう三十万の人々は知らなかった。魔族を統べる魔王と呼ばれる存在が、この世界には他に何体もいただなんてこと。
だから。
勇者であるわたしと、医者であるノア先生の物語は、ここから始まる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。