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前編:おまえが患者になるんだよ!

前後編の2話で完結します。

 その壊れた少女は、冷たい床に打ち捨てられていた。

 右の眼球は破裂して眼窩にめり込み、両の腕は曲がらぬ方向に折れ、右足に至っては付け根から存在せず、大量の血液が流れ出していた。ほのかに膨らんだ胸の中央には、魔王のみが扱う禍々しき黒の剣が突き立てられている。


 命の輝きが消える。もって数えるほどだろう。

 ゆえに質問は一つ。


「生きたいか?」


 傍らで片膝をついた青年は、壊れた少女に穏やかな声でそう尋ねた。

 少女の血に染まった唇が震えた。残る一つの眼球が揺れる。血混じりの涙が一筋、そこから床の血だまりへとこぼれ落ちた。

 青年は、失われた少女の右足を手に持っていた。


「ならばおまえを私の患者と認定しよう。施術を開始する。目を瞑れ。少しの間、眠っているといい」


 言われるがままに、少女は瞼を下ろす。

 否、青年に言われたからではない。魂の輝きが消えかけているだけだ。もはや自力では、再び瞼を持ち上げることはできないだろう。

 青年は抱えていた少女の右足を、彼女の血で濡れたスカートのなかへと差し込み、傷口同士を押し当てた。


「患部の診断を開始する。――解析(アナライズ)


 その後、両腕をスカートのなかへと自らの手を差し入れる。傷口である鼠径部に左手を添えてしばらく。


「ひどい創傷だな」


 刃で斬られた傷口ではない。強引に引きちぎられたかのような傷口だ。血管や肉片は垂れているし、骨も飛び出してしまっている。

 繋がるはずもない。本来ならば。

 けれども、青年に迷いはない。

 今度は右手を差し込む。


「患部組織を再生する。――再構築(リバース)


 崩れた生温かい肉の感触が、徐々に皮膚の滑らかさへと戻っていく。それだけだ。それだけで壊れていた少女の右足は不思議と繋がっていた。

 けれども――。


「血肉が足りん。治療後に少々痩せてしまうが、肉は他の組織から流用するしかなさそうだ。血は流れたものを再利用する」


 目を閉じている少女に治療方針を語るように、青年はつぶやく。

 しばらくして、少女の鼠径部から手を放した。

 必要性のない行為だが、スカートをたくし上げればわかる。すでに傷跡すらないことが。


「鼠径部は繋がった」


 今度は胸部中央を貫いていた魔王の剣を引き抜き、無造作に投げ捨てる。ガラン、と音を立てて黒の剣が床に転がった。

 血液が湧き水のように噴き上がり、同時に鼓動が急速に遠のいた。

 しかし青年は焦ることなく、血だまりなどお構いなしに少女の背へと腕を入れ、彼女の半身を持ち上げて背中を確認した。


「傷は背部まで貫通している。よく生きていたものだ」


 少女の胸と背中からは、それまで刃が押しとどめていた血液が一気にザァと流れ出し、床の血だまりを一層広げた。

 それでも、あくまでも淡々と。

 少女の胸の中央に空いた刃の傷口へと、ほのかな膨らみなど気にもとめずに右手を押し当てる。


「まずは胸の穴を塞ぐ。――再構築(リバース)


 胸から手を離したとき、弱々しい鼓動のたびに溢れ出ていた血液は、完全に止まっていた。


「次は背部の裂傷から血液を戻す」


 彼女の肉体を身体で支えながら、両手を血だまりに浸す。


「――分解(クラッキング)


 すると不思議なことが起こった。

 血だまりが血霧のようなものへと変化し、まるで時間を遡行でもするかのように、少女の背中の傷へと吸い込まれて消えたのだ。血だまりが完全になくなると、今度は背中の傷口に右手を押し当てる。


「――再構築(リバース)


 ものの数瞬で胸部と背部の傷は消滅した。白い肌や石の床にはまだ、付着した血液の汚れは残っているけれど。

 同じように、異なる方向に折れ曲がった手足を強引に戻してから、患部に左手をあて、次に右手を押し当てる。最後に右の眼窩に左手を置き、すぐに右手に変えた。


「施術終了」


 確認のため、瞼を指先で持ち上げる。破裂していたはずの眼球に、瞳孔の収縮が見て取れた。瞼から指先を離す。

 すべてを終えたとき、壊れかけていた少女の姿は、まるで夢でも見ていたかのように、すっかりともとの愛らしさを取り戻していた。引き裂かれた学生服や、そこに染みついた血は残ったままではあったけれど。

 けれども。

 少女の胸は小さく、たしかに。規則正しく上下していた。呼吸が戻っていたのだ。

 青年は、少女を見下ろして囁く。


「さあ、目を覚ますがいい。魂の輝きを失いかけた若者よ。おまえの未来には、さらなる輝きが満ちあふれていることだろう」


 そうして。

 魔王城の死体置き場(モルグ)に打ち捨てられた、学生服に身を包む数十名もの若き戦士らのなかで唯一、息を吹き返した少女は。

 目を開けた。



     ※



 ぼんやりとした視界に映ったのは、真っ白な――ううん、真っ白だったローブとフードを返り血に染め、こちらを伺うように見ている怪物だった。

 怪物。そう、怪物。

 フードのなかは闇のように実体が虚ろで、瞳の部分だけが赤く煌々と輝いている。間違いない。魔族だ。

 それが、わたしのスカートを捲って、なかを覗き込んでいた。


「ぎゃあ!」


 反射的に顔面を蹴る。

 怪物が背中から床に転がって、むくりと起き上がる。


「痛い」

「な、な、ななあ……っ!?」

「何をしていたか?」

「そうそれ!」


 なんであんたが先に言うのよ。この変態魔族。

 怪物が両手を広げて肩をすくめた。


「やましいことではない。私はただ、おまえの鼠径部を診ていただけだ」

「そけ――!?」


 わたしはスカートを抑え、腰を引きずりながら後ずさる。

 一部の魔族が人間族を陵辱することは、広く知られている。特にオークなんかは最低。目の前のこいつは、オークではなさそうだけれど。


「へ、変態……」

「違う。人間族に触れるのはこれが初めてだ。おまえは足が取れていたからな。うまく繋がったか診察をする必要があった」


 魔族。そう、魔族。見るからに。怪物。

 気づいた瞬間、わたしは石床を掌で叩いて跳ね上がり、手近なところに転がっていた刃の黒い不気味な剣を手にしていた。


「誰ッ!?」

「見てわからないのか」


 切っ先をそれへと向ける。


「こ、こたえて!」

「医者だが?」


 医者! お医者様! バカにして!

 魔族のくせに!


 魔族。すなわち新人類のこと。

 移動式魔王城と呼ばれる要塞が、旧人類と化した人間族に最後残された学園都市アストライアに肉薄して数日。

 戦局は悪化する一方で、アストライアを守護する大結界さえ破壊されそうな状況に追い込まれた人類は、苦肉の策として移動式魔王城内へと三百名の決死隊を送り込んだ。

 それがわたしたち。

 けれど――。

 死体置き場(モルグ)。ここの石床は血まみれ。どこもかしこも仲間たちの死体が転がっている。戦士科も魔術科も、みんなみんな死んでる。


 それを意識した瞬間、わたしは自身が魔王にされたことを思い出した。

 剣も魔術も届かなかった。あれは戦いなんて呼べるものじゃない。ただの蹂躙と、そして虐殺だ。


「う……っ」


 吐きかけて堪える。

 ああ、だけど。足。ついてる。動いてる。どうして。引きちぎられたはずなのに。


「気分が悪いのか? 頭を打っていないか? 診せてみろ。さあ、さあ」

「――近寄らないでっ!」

「なぜだ。私は医者だぞ」

「でも魔族じゃない!」


 魔族。あれ、でも変だ。人間族の言語と魔族の言語は違う。だからこいつが魔族だったら、こんなふうに会話はできないはず。

 けれど人間族は魔族の言語を解析し、魔術を使用できるようになった。だから魔族のなかにも人間の言語を学ぼうとする輩がいても不思議じゃない。

 だとしたら、よほどの物好き。変人。魔族であっても。きっとそう。


「ああ。その通り。私は魔族の医者だ」


 医者。さっきも言っていた。

 ふと気づく。

 足、治ってる。剣で貫かれたはずの胸も痛くない。

 制服のお腹から手を入れて、傷口を探る。

 ない。傷がない。絶対にもうだめだと思ったのに、生きてる。

 わたしは訝しげに尋ねた。


「あなたが治してくれたの?」

「私はおまえの主治医で、おまえは私の初めての患者だからな」


 初めてのっ!? 実験台!?


「いつから!?」

「私がおまえに生きたいかと尋ねたとき、おまえは肯定した。だからおまえは私の患者になったのだ。もはやこの関係性から逃れられるものではないと思え」

「まったくおぼえていませんし、そんな言い草がありますかっ!!」


 心なしか嬉しそう。

 患者。その言葉を出すとき、微かに声が弾んでいたように聞こえた。治療行為がしたくてたまらない感じ。

 お医者さんごっこかな?


「魔族なのに、どうして人間のわたしを助けたの?」

「魔族に医者など不要だと魔王からも同族からも言われていた。魔族はもともと頑丈な肉体を持っている上に回復力も人間族と比べて高く、医療行為ごときに魔力を割くことは無駄であるという文化が根強くある」


 たしかに。魔族を殺すことは容易なことじゃない。

 弱い種族であっても、火薬で小さな鉛玉を撃ち込む程度じゃ死なない。切断が必要。強いのになると、首を刎ねるか灰にするか、脳を潰しでもしない限り蘇る。

 だから数百年前、人間族は人魔戦争に敗れ、魔族に人類の座を明け渡さざるを得なくなってしまった。数億体存在する魔族こそが地上を支配する新人類で、数十万名まで減らされてしまった人間族は、いまや旧人類だ。


「だが私は若者から輝きを奪う戦士よりも、その美しき輝きを取り戻す医者でありたいと思ったのだ。てゆーか壊れた者を治したい。あわよくば礼を言われて悦に浸りたい」


 途中までかっこ良かったけど、唐突に子供みたいな言い方になったな。


「だから遠慮はいらん。おまえの鼠径部を私に診せろ」

「見せるか! 絶対見せません!」

「ならば触診だけでも――」

「もっと嫌! 変態! 変態魔族!」


 でも、危険はなさそう。別の危険はありそうだけれど。

 わたしは切っ先を下げる。


「それで、人間。おまえはこれからどうするのだ?」

「魔王を殺します。そのためにわたしはここへきたのだから」

「そんな有様でか?」


 魔王城地下の広大な死体置き場(モルグ)には、わたしと同じ学生服の戦士や魔術師たちが折り重なるように打ち捨てられていた。

 三百名の決死隊は、学生から選ばれたのだから。大人はみんな都市の防衛に必死だ。

 色々と思うことはあるけれど、いまは考えない。何も。人間族にはもう、悲しんでる暇も泣いている暇もないのだから。


「主治医としてはおすすめできんな」

「主治医じゃないし……」

「決定事項をいちいち混ぜ返すな」


 強引……。


「魔王は極めて強大な力を持っている。あれを倒せるほどの力を持つ種族は、魔族内にとてそうはいない。ましてや旧人類たる脆弱な人間族では――」

「そんなことわかってますっ」


 じゃなきゃ、わずか三十万の人類が学園都市アストライアで籠城戦をするような状況には陥ってはいなかっただろう。

 そう、かつて栄華を極めた人間族も、いまや新人類となった魔族に蹂躙され、わずか三十万を残すのみとなってしまったのだから。


「わかっていてもやらなきゃ。アストライアが滅ぼされたら、結局人間は滅亡してしまうんだから」


 それも時間の問題。アストライアを守護する結界は、いまにも移動式魔王城によって破られそうになっている。

 だからわたしたちが決死隊に選ばれた。退路など最初から用意されていない。


「突入してきた人間族で、かろうじて息があったのはおまえだけだ。残念ながら死した者は私にも救えん」

「でしょうね」


 そんなの、周りを見ればわかること。見知った顔も、見知らぬ顔も、大勢。

 治療したがりのこの怪物が彼らには目もくれないのは、すでにもう息を引き取った後だからだろう。

 わたしは拾った黒の剣を腰に佩いて、髪を振った。


「わたしはアリカ。アリカ・ミゼル。あなたの名前は?」

「ノアだ。医者のノア」


 魔族には姓がない。


「そう。ノア。一応、礼を言っておくわ。さようなら」


 わたしは死体置き場(モルグ)から抜け出る扉を開けた。鍵はかかっていない。ノアが入ってきたのだから当然そう。

 薄暗い魔王城地下。わたしはその廊下を走り出した。



     ※



 カラダが軽い。ノアの治療を受ける以前よりも、魔王によって殺されかけた以前よりも、ずっと軽い。不思議と。疲労は蓄積しているはずなのに。

 走り続けていても息切れしない。まるで全身が羽根のよう。自分じゃないみたい。


 ――シャアァァァァ!


 鱗に覆われた二足歩行の巨大な蜥蜴。リザードマンの放つ三つ叉の槍を身を倒して躱して、死体置き場(モルグ)で拾った剣を振るう。真っ黒で不気味な刃は蜥蜴の鱗をものともせずに斬り裂いて、その頸部を跳ねた。


「よし」


 すごい斬れ味。アストライアから持ってきた鋼の剣じゃ、こうはいかない。何度も振り下ろし、鱗を破壊して、ようやく刃が入るくらいだったのに。

 人間族と魔族の間にある、魔導技術の差を思い知らされる。でも、それもいまはわたしの手のなかにある。

 豚頭のオークをすれ違い様に斬り裂いて走り抜ける。


 足は止めない。目指すは玉座のある謁見の間だ。

 振り下ろされた人狼の爪を屈んで避け、その胴体部を黒の刃で逆袈裟に斬り上げる。パスっと音がして人狼が二つに切断されながら廊下に転がった。

 それをぴょんと跳び越えて、わたしに追随する影ひとつ。追っ手じゃない。だってわたしの後方には死体置き場(モルグ)があるだけだもの。

 お医者様のノア。ずっとついてくる。


「ちょっと、いつまでついてくるんですかっ」

「おまえの経過観察を終えるまでだが? おまえはまだ完治したとは言えんからな。血肉が減った分、体力もかなり落ちているはずだ」

「むしろ上がってますって!」


 特に攻撃をしかけてきたりはしない。本当にただついてきているだけ。


「なぜ? 正気か? まさか脳に支障を来してしまっているのではないか?」


 失礼すぎる!


「理由はわたしが聞きたいくらいですっ」

「アリカ・ミゼル。やはりおまえにはまだまだ経過観察と定期検診が必要なようだ」


 白のローブを揺らして、足音もほとんど立てず、ただわたしの背後をついてくる。それだけ。変なの。変なやつ。


「必要ないですから!」

「さっきも言ったが、私がおまえの主治医だ。そしておまえは私の初めて患者だ。要不要は私が決める」


 ビシィと自らを指さして。


「あぁん、治療の押し売りがひどい!」


 さっきから容赦なく振り切るつもりで走っているのだけれど、ノアはわたしが斬り捨てた魔族たちの死体を、ひらりひらりと躱しながらついてくる。


 ――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 一角鬼オーガの振り回す棍棒を黒の剣で受け流し、返す刀で斬り捨てながら、わたしはノアに叫んだ。


「魔族は治さなくていいのっ?」

「魔族は全員、私の患者になる気はないらしい。治療を受けたくないのであれば、医者にできることは何もない。自ら生きようとせぬ者を救うことはできん」

「あなたも魔族なのに!?」

「私は魔族である前に、医者だ」


 う~ん。むしろ変人じゃないかしら。

 危険はなさそうだけれど。

 別のオーガを斬り捨てて走る。


「私のような医者は、魔族では不要とされている。例え命を救ったとて、感謝などされることはない。魔族に医者は必要ないのだそうだ」

「友達いないんだ……」

「よせ。その言葉は私にとっては禁句だ。私でも治せぬ傷が心についてしまう」


 ノアが走りながらうつむいた。

 かわいそう。


「魔族に医者など不要と蔑まれ、私はこの万魔殿(パンデモニウム)――ああ、おまえたちの言うところの移動式魔王城では厄介者扱いだった。それでも戦が始まれば出番もあろうと思い戦場をうろついてみたが、おまえたち人間族を見ていて気が変わった」

「……?」

「他者のためならば絶対強者にも立ち向かう、おまえたち人間族の生命に対する姿勢は美しかった。それらは魔族には存在しない魂の輝きだ。その未来にあるものを、私は見てみたくなった。ゆえにアリカ・ミゼル。おまえを治療した」


 いいこと言ってるっぽいけど、ちょっと意味わかんないから聞き流そう。

 それにしても、やはり異常だ。このカラダ。

 耳長褐色、ダークエルフの放った炎の魔術を最小限の動きで躱す。皮膚一枚焦がすことなくすり抜け、わたしはその左胸を切っ先で貫いた。


「――ッ」


 剣を引き抜き、また走る。

 息切れひとつしない。それどころか、どんどん感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていくのを感じる。

 薙ぎ払われた銀閃を躱し、飛来するナイフを弾く。

 もう何体殺したか数えられない。なのに疲労はまだやってこない。


「ノア」

「なんだ? 鼠径部が痛むのか? 触診か?」

「鼠径部のことはもういいから!」


 わたしは駆け抜けながら尋ねる。


「あなた、わたしに何をしたの?」

「治療だが?」

「あきらかに嘘。だってわたし、こんなに強くなかったもの。付与魔術か何かをかけたんじゃないの?」


 跳躍。それも地面に頭を向けて、両足を空に振り上げて。すれ違い様に敵を斬り刻む。着地は足から。バランスを崩すこともない。

 そしてまた走り出す。


「知らん。私に使える魔術は医療系のみだ。患部の状態を解析する“アナライズ”と、修復不能な患部を粒子レベルにまで分解する“クラッキング”、それらを私の知識の上で正常な構造へと再構築する“リバース”、この三種しか使えん」

「じゃあわたしのこの力は――?」

「わからん。予測になるが、それが本来おまえの持つ正常な構造、つまり正常な肉体性能だったということだと思われる。私はほつれやねじれを解きほぐしただけに過ぎん。そうとしか考えられん」


 そうなんだ。わたしってこんなに強かったんだ。

 ああ、腹が立つ。だからこそ嫌になる。最初からできていたら、あんなに仲間を死なせることはなかったのに。

 だめだ。だめ。

 頭を振る。いまは考えない。


「だがそれでも、アリカ・ミゼル。おまえは魔王には到底及ばない。主治医としてはいまからでも引き返すことを進言する」

「そんなことわかってます! でもやるしかないの!」

「患者をむざむざ死なせたくはないのだが」

「うるさいなあ。だったら、わたしが怪我を負ったら、あなたがまた治してくれたらいいじゃない」


 振り返って、軽い気持ちで吐いた言葉だった。

 なのに。

 しばらく無言でついてきていたノアは、真っ赤な瞳から涙をこぼした。


「……おまえは私を医者と認めてくれるというのか。おまえたちから見れば怪物である私を」

「だ、だってそうなんでしょ?」


 いっぱい、いっぱい涙をこぼして。

 そうして嬉しそうに、本当に嬉しそうに目を細めて怪物はうなずいた。


「ならば約束しよう、若人よ。おまえの輝きは未来永劫、主治医であるこの私が何度でも取り戻すと」


 そのときになって、わたしは初めて気がついた。

 命の価値を知ってその輝きを守るためだけに生きたいと願った怪物は、けれどもこれまで周囲の誰からも認められることなく、ずっと苦しんできたんだって。

 似ている。誰からも期待されずに送り出された、わたしたち決死隊三百に。

 ああ、なんだか。なんだか少し、ノアを好きになった気がする。うん。

 だからわたしは言った。彼に。お医者様のノアに。


「わたしを助けてくださいね、ノア先生」

「ああ」


 眼前にはもう、謁見の間へと続く大鉄扉が見え始めていた。



     ※



 魔王の側近(ロイヤルガード)

 わたしは首なし騎士デュラハンの跨がった黒馬を斬り、続いて落馬する鎧を斬り上げる。鋼鉄の鎧であっても、ノアの治療を受けたいまのわたしと、そしてこの魔王の剣であれば。

 奥歯を食いしばる。


「やああっ」


 金属を引っ掻く音がして、火花が散った。

 振り切った黒の刃は、デュラハンの強固な鎧を上下真っ二つに裂いていた。後方の石床で、金属鎧の崩れ落ちる音が響く。

 しばらくは手甲を動かし、躙り寄ろうとしていたデュラハンだったけれど、すぐにその動きを止めて鉄くずと化した。

 息を整える。さすがに少し疲れた。


「怪我をしているな。袖に血液が滲んでいる。診せてみろ」

「あ、はい」


 さっきデュラハンの欠片で二の腕を切った。大した怪我じゃないけれど、流れた血で剣の柄が滑ったりしたら致命的。

 包帯でも巻いてくれるのかと思いきや、ノアはわたしの制服の袖を裂くと、患部をまじまじと見つめた。


「残念だ。アリカ」

「え? ど、毒でも入れられたの!?」


 一瞬、ひやりとした。


「そうではない。この程度なら解析(アナライズ)は不要だ。つまらん。もっと深傷を負ってくれねばやりがいがない」

「あなたねえ! それがお医者様の言葉なの!?」


 ノアが直接、患部に右手をあてる。黒い霧のように実体のなさそうな肉体なのに、不思議とぬくもりと感触がある。

 ノアって何の魔族なんだろう。


「――再構築(リバース)


 触れた肌から、ぽわ~っと薄明かりが広がった。


「治ったぞ」

「へ? え? もう?」


 腕の傷が消えている。

 振っても傷口が開くことはないし、痛みもない。傷跡もだ。


「すっご……。ほんとにお医者さんだぁ~……」

「ついでだ。鼠径部も診てやる。脱ぐのが嫌なら自分でスカートをたくし上げろ。早くしろ」


 余計につらいわ。


「嫌です。てかそれって、何でも治せるんですか?」

「何でもではない。生物だけだ。かつて生物だったものも治せない」

「かつて?」

「たとえば今し方裂いたおまえの服などには効かない。命の輝きをなくしては、私の魔術は効果がない」

「そっか」


 だから彼は、死体置き場(モルグ)で運良く命を取り留めていたわたしだけを治療してくれたんだ。

 わたしはビロンビロンの袖を剣の刃で斬り捨てて、自分の姿を見る。

 ボロボロだ。服。髪も。でも、傷ひとつないのはノアのおかげ。うん。お医者様。わたしのお医者様だ。


「ありがとう」

「え? あ、ああ」


 ノアが珍しく声を詰まらせた。

 その後うつむいて、また涙をぽろぽろ。


「すまない。その言葉を言われたのは初めてのことでな。魔族では命を取り戻したところで、余計な真似をするなとなじられる」

「そうなんだ」


 ノアが赤い目を擦って、ため息をつく。


「ふー……。できることならば、私も人間族として生まれたかった」

「滅ぼされかけてるのに?」

「滅びる? 何を言っている。医者であるこの私がいれば、何度でも治せる。滅びたりはしない」

「すごい自信……!」

「ふふ」


 あ。笑った。

 実体が黒い霧みたいに見えて虚ろだけれど、案外表情ってわかるもんなんだ。

 そんなことを考えた瞬間、重い音をたてながら大鉄扉がひとりでに開き始めた。ノアを振り返るけれど、彼は首を左右に振った。

 彼の仕業じゃないらしい。


「招かれたな、魔王に」


 ノアのその言葉に、わたしは気を引き締める。

 これが最後だ。

 ノアが早口につぶやいた。


「魔族は戦闘民族。魔王は戦闘狂。彼は強者を常に求めている。おまえたちアストライアに集った最後の人間族は手段を選ばず、魔族の魔導にまで手を出し、数百年もの間、我らに抵抗してみせた。環境の変化に適応できるのは強者のみ」

「もしかして褒めてる?」

「ああ。人間族の魂は強く美しい。とりわけアリカ・ミゼル。おまえは輝いている」


 ああ、高揚する。

 お世辞でも嬉しい。だから、少しだけ調子に乗って自惚れた。


「医者が患者を口説くのはだめですよ」

「口説いているわけではない。私もまた魔族で、おまえたちの何倍も長く生きている。私から見れば、おまえは愛らしい孫のようなものだ」

「それはちょっと残念かなぁ」

「だがゆえに、安心して鼠径部をさらすといい」

「……その一言がなければ……」


 ああ、鉄扉が開いた。

 会話、結構楽しかったのだけれど。


 赤絨毯――ううん、決死隊三百の血で染まった絨毯が敷き詰められている、謁見の間。その最奥。宝石で彩られた巨大な玉座には、あきらかに人間とは違う、真っ黒な外骨格に守られた巨大な魔人、魔王が座していた。

 三つの瞳でわたしを睥睨して。

 呼吸のたびに魔術の素となる魔素が、紫の煙となって吐き出されている。


 手も足も出なかった。気の置けない仲間。ともに訓練を乗り越えてきた息の合ったわたしたち三百名がかりでも。誰ひとりとして刃は届かなくて、切り札だった魔術師の魔術さえも効かなかった。絶望した。

 一方的に蹂躙され、仲間はみな殺された。わたしも死んだと思った。

 でも――。


「いこう、ノア」

「ああ」


 いまは、戦士ひとりに医者ひとり。ふたりぼっち。

 なのに不思議と負ける気がしない。


後編は明日の夕方頃に掲載予定です。



楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 友達のいない、涙もろい、変態さん、、、 これだけだとやばいヤツですが、ノア先生はとても腕の良いお医者様でした(≧∇≦)b [一言] ノア先生でも、心は治せない、、、 無くなった長き友も治せ…
[良い点] 新作投稿ありがとうございます(*^▽^)/★*☆♪ ノア先生の言動がめっちゃ好き! 「礼を言われて悦に浸りたい」とか(笑) しかし素朴な疑問なのですが、彼が居ればジンサマの長き友も復活出来…
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